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クリスの決意1
しおりを挟むクリスがその鐘の音に気づいたのは、エリナの家に通うようになって少ししたときのことだった。
からん、からんと、鐘の音がするのだ。定期的に、エリナの住むアパートの周辺でだけ、不定期に――そう見せかけて、魔法をかける際に計算される、まじないごとの周期通りに、幾日も、幾日も音がする。
そう言えば、エリナのアパートで気を失う前に聞いたのもこの鐘の音だった。
悪意のこもった、鐘の音。
クリスは、エリナに秘密にしながらも、その音の出どころを探った。
エリナのアパートから帰る前に、周辺を名残惜しくて歩いているかのように回る。
そうして見つけたのは、ひとつの魔法陣だった。
暗がりにわずかに発光しているそれは、魔法の行使が終わった後の、使い捨ての魔法陣。
消えかけている魔法陣に書かれた紋様を読み取ると、そこには「竜種の番を呪う」という言葉が書かれていた。
エリナがクリスの番であると知っているものは、クリス以外にはいないはずだ。
クリスは腹心の部下にもこのことを話してはいなかった。
それなのに、エリナが竜種の番であることを知っているということは、クリスの跡をつけてきたのだろうか。
いいや、たとえクリスを尾行してきたとしても、クリスが吹聴していない以上、エリナが番であることを知ることはできない。
それなのに、この魔法陣は、エリナの暮らすアパートの、エリナの部屋の真下に描かれていた。
明確にエリナを狙った悪意に、クリスは戦慄した。
今すぐにアパートに駆け込んでいきたいのをこらえ、魔法の出どころを探る。
しかし、魔法の行使をした術者の魔力が弱いのか、あるいは隠すのが巧妙なのか、その大元を探り当てることはできなかった。
次の日に、エリナが作ってくれたシチューに、必要以上に感情を揺らしてしまったのはそれが原因だ。エリナに、エリスティナの真似事なんてさせる気はなかったのに、兎を狩ってまで、エリスティナのレシピでシチューを作らせてしまった。
エリナのシチューは、そのままそっくりエリスティナのシチューの味がした。
だから、余計に焦ってしまった。エリスティナの死した瞬間が脳内にフラッシュバックする。
だから、そう、だから。
「エリー、僕、あなたが好きです」
「――え?」
まだ、いうつもりはなかったのに、そんな告白までしてしまった。
「エリー、僕、あなたが」
「二度も言わないで、きこえているわ」
エリナが打ち捨てるように言う。
それは、クリスの好意を、いとわしく思っている声色だった。
「……ごめんなさい、竜種とは、そういう関係にならないことにしてるの」
「――どうしてか、聞いても?」
クリスは尋ねた。
もしかして、と思っていたことだった。いくらなんでも、こんな話を聞いたことはないから。
番の生まれ変わりが、こんなにも酷似しているなんて、おかしいから。
「……前世って、信じる?私、昔、竜種にひどい目にあわされたの」
ああ――……。
クリスは、静かに息を吐いた。
そうして、やっぱりか、と思った。
――エリーは、全部覚えてるんだね。
エリナは、前世を、過去を、苦しい記憶を、すべて、覚えている。
だからこんなにもおびえて、こんなにもクリスを拒絶するのだろう。
クリスが、守れなかったことも、すべて覚えているから、エリナはクリスのことを、クリスだと認識してはくれないのだろう。
エリナは、自分を守るために、クリスを過去の雛竜だと思わず、クーと呼んで、別人だと思おうとしている。
クリスは、エリナが逃げるつもりであることを察した。
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だから、エリナは逃げようと思えば逃げてしまえるのだ。明日にでも。
――それを、許せなかった。
いいや、許してあげられなかった。
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かといって、その理由を正直に告げて、エリナが納得するとは思えなかった。
そもそも、殺された過去があるのだ、相手もわからぬ恐怖を、エリナに味合わせたくはない。
これはクリスの勝手だ。もっといい方法だってきっとある。
けれど、クリスはエリナに自分の正体を――自分が、あの情けなく漸弱であった雛竜であると明かせないし、エリナに迫る危機をエリナに教えることもできはしなかった。
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