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1巻
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しおりを挟むプロローグ
濃い朝霧が立ち込める船着き場で、霧のせいで顔が見えない背の高い青年が寂しそうに笑った気配に、胸の奥が痛むのを感じた。
「君が困っていたら、必ず助けに行くから」
言葉とは裏腹に、青年の声から、彼と顔を合わせるのはこれが最後なのだと本能が告げる。
喉元まで出かかった「一緒に連れて行って」という言葉は、青年にも自分の隣に立つ夫に対しても失礼だと思い、喉の奥へ呑み込んだ。
今の自分には、主から任された重要なお役目がある。
気の遠くなるほどの長い時間、世界を旅することになるだろう青年と一緒には行けない。
溢れそうになる涙を堪えるため目蓋を閉じて、僅かに膨らんだお腹に手を当てる。
「私たちは、この地で貴方のご無事を祈っています」
無理矢理作った笑顔はひどく歪んでしまったけれど、青年は「ありがとう」といつもと変わらない優しい笑みを返した。
重たい目蓋を開けば目尻から涙が零れ落ちる。
手の甲で目元を拭い、ベッドに横になっていた女性――エミリアは息を吐いた。
「また、この夢……」
この最果ての地に建つ修道院へ来た日から、時折見るようになった不思議な夢。
「夢の中で、一緒に連れて行って、と彼に言えたら何かが変わるのかしら?」
声に出して、エミリアは自嘲の笑みを浮かべる。
所詮、夢は夢。仮に夢の中の未来が変わるとして、現実で何かが変わることはない。まだ王立学園に通っていた頃、三年前のあの時に自分の運命は決まってしまったのだから。
世界の中でも安定した気候の中央大陸の更に中央、森林と山脈に囲まれ、建国の祖である聖女の加護を与えられし、レティシア王国。
王都にある王立学園で生徒達が一番盛り上がる、生徒会主催の学園祭の日のことだ。
後夜祭が行われる会場手前の中庭で、とある女子をエスコートしていた赤い髪をした男子は突然歩みを止める。
女子の手を自分の腕から外し、男子生徒は何事かと戸惑う彼女から距離を取った。
「イーサン様?」
男子の名が呼ばれた時、木の陰から桃色の髪をした女子が姿を現す。
桃色の髪の女子は、髪と同じ桃色のドレスの裾を翻してイーサンの側へ駆け寄った。
「エミリア、君と共に歩めるのは此処までだ」
敵意と嫌悪感を露わに、厳しい顔つきになったイーサンに桃色の髪の女子が寄り添う。
彼女が着ているドレスに、エミリアと呼ばれた女子は大きく目を開いた。イーサンが贈ってくれた自分のドレスと、ほぼ同じデザインで違うのは生地の色だけだと気付いたからだ。
「今夜は君をエスコートすることが出来ない」
「シンシア嬢、何をなさって……? それにイーサン様、エスコートすることが出来ないとは、どういうこと、でしょうか?」
イーサンに寄り添うのはシンシア・ミシェル男爵令嬢。問いかけてはいるが、答えを聞かずとも二人が親密な関係なのだと分かり、エミリアは眩暈がしてきた。
エミリアが着ているドレスは試作品だったのだろう。シンシアが着ているドレスに使用されている宝石の差で理解できる。
「君が直接手を下したわけではないが、弟のダルス・グランデによるシンシアへの嫌がらせは悪質と判断された。弟を諫めることもせず、シンシアを庇うこともしなかったエミリア・グランデとの婚約は、今この場で破棄させてもらう。そして、君は弟の愚行の責任を取らなければならない」
「……分かりました」
イーサンから告げられた婚約破棄宣言。予想はしていたが、ショックを受けないわけではない。
彼の背中に庇われたシンシアを見ることも出来ず、震え出す体を抑えるために、エミリアは両手に力を入れて握り締めた。
(弟を止められなかった私を退学させて、イーサン様はシンシア嬢と幸せになるのね。イーサン様のご実家も、私の過失による婚約破棄という形にすれば、莫大な違約金を受け取れる)
あくまで金銭と地位、互いの利用価値で結ばれた婚約であって、エミリアへの情は微塵もないらしい。
エミリアの喉から乾いた笑いが漏れる。
シンシアが数多の男子生徒を魅了しているのも、イーサンとも距離を縮めていたことも、お節介な友人達から聞いて知っていた。だが、同じ学園に通っていてもほとんど交流を持っていない、腹違いの弟が行っていた付きまとい行為は、学園祭三日前まで知らなかった。
学園祭を一緒に回ることを断られて激昂し、シンシアを恫喝した愚弟は、弁解の余地すら与えられず学園長から退学処分を言い渡された。ダルスが何をしてしまったのか、エミリアが知ったのはその時だ。
会場を去ったエミリアは、そのまま学園長に呼び出された。自主退学勧告だ。
ダルスは自業自得でも、「弟の愚行を制止しなかった」と、エミリアも共に同じ罰を処されるのは納得出来ない。弟妹の愚行は長子が諫めるのが貴族のマナーだと言われ、婚約者のいる相手と恋人になるのは、マナー違反じゃないのかと学園長に問いたかった。
しかし、マナー違反でも、生徒会の一員であるイーサンには幼馴染みの王太子、王宮騎士団長の父親という後ろ盾がある。悪党姉弟のおかげで、イーサンは可哀想な女子を守る騎士として恋物語の主人公となり、学園内、貴族内で恋人関係を認められるのだ。
(私の訴えなど誰も聞こうとはしないわね。私とダルスは悪役なのだから)
婚約破棄を了承し、自主退学も受け入れた後、その日のうちにエミリアは荷物を纏め、逃げるように領地へ戻った。
婚約破棄と暴行未遂による多額の慰謝料の支払いのため、実家の財政は切迫していった。
追い打ちをかけるように、領地を襲った干ばつと大規模の山林火災により水源である湖の水が枯れ、作物が不作となり領民達が反乱を起こす。
屋敷が領民達に襲われている混乱の中、着の身着のまま脱出したエミリアは、一人で各地を転々とした末、最果ての地にある寂れた修道院へ流れ着いた。
最果ての地へ流れ着いた二年後。
王都では王太子の結婚式が行われたと旅人から聞いた。
王太子妃となったのは、王太子の婚約者だった公爵令嬢ではなく桃色の髪の男爵令嬢だという。
イーサンに寄り添っていたシンシアの外見と、珍しい桃色の髪をした王太子妃の外見は一致する。イーサンはどうしたのかという疑問が浮かぶが、エミリアは首を振ってすぐに消した。
何が起きたのか知る伝手も想像する余裕もエミリアには残されてはいない。病に蝕まれ、やせ細った体は、最果ての地の冬を乗り越えることは出来ないだろう。
(私の命は、どうやらここまでのようね)
急速に視力が失われていく中、ほのかに甘い薔薇の香りを感じた。
王都がある中央に比べて、香りの強い鑑賞用の花は育ちにくい。
ここ二日間、水分しか口に出来ずにいたため、脳内に十分な栄養が行き渡っておらず、視覚と一緒に嗅覚までおかしくなったのか。
(それとも、あの人が来てくれた?)
魔力量が少ないエミリアでも分かるほど、強い魔力を持っていたあの人が「最後の餞に」と花束でも持ってきてくれたのだろうか。
異国を旅した話や遥か昔の御伽噺を聞かせてくれたあの人。
次に自分が修道院へ戻ってきたら、一緒に旅をしようと言ってくれた優しい旅人。
硬い木のベッドに横たわり咳き込んでいたエミリアは、口元を覆っていた手を退けてゆっくりと顔を動かした。
「きて、くれたの、ですね」
一人で逝くのは寂しいと、ベッドの上で涙を流していたのが伝わったのか。
今際のきわに駆け付けてくれただろう人物に向けて、エミリアは力の入らない腕を伸ばし微笑んだ。
視界全てが真っ白な光で覆われ、エミリアは意識が消えてなくなる感覚を覚えた。
これが『死』というものなのだろう。
全てが消えゆくと思った瞬間、あたたかい何かに包まれる感触がして……エミリアの意識が一気に覚醒した。
***
「……エミリア、どうした?」
「え?」
聞き覚えのある、しかし、聞こえるわけがない声にエミリアはハッと顔を上げた。
「お父様……?」
顔を上げて見えた照明器具と周囲が明るいのに驚き、次いでオリーブ色の髪を後ろへ撫でつけた男性の顔を見て、悲鳴を上げかける。
領民の反乱により屋敷から引きずり出され処刑された父親と、愛人の裏切りにより逃走先で追手に捕まった継母の生きている姿に大きく目を見開いた。
此処は何処かと周囲を見渡し、エミリアはさらに混乱していく。
雪を降らす重たい灰色の雲どころか、空模様を確認するためのヒビが入った硝子窓さえない。周囲の壁も、煤と埃でくすみ隙間風が入る石の壁ではなく、魔石が混ぜられた壁材の壁だった。
自分が立っていたのは、病に伏せって横になっていた殺風景な部屋とは全く違う場所。
以前住んでいた屋敷の中、特別な賓客用の応接間へと続く廊下だったのだ。
「今更、顔合わせに怖気付いているのか? お前は黙って愛想笑いでもしていればいい」
冷たい目で自分を見下ろす父親、派手な扇を口元に当てている継母を、エミリアは呆然と見る。
(……お父様とお義母様? どうして、二人が生きているの?)
処刑されたはずの両親は記憶にある姿よりも若く、自分よりもずっと背が高い。
「顔合わせ」とは何のことかと記憶を探り、幼い頃父親が無理矢理取り付けた婚約者との顔合わせのことだと思い当たった。
これは今際のきわに見ている走馬灯かもしれないと、エミリアは自分の頬を抓る。
(痛い。では、これは夢ではない?)
「早く行くぞ。ケンジット侯爵をお待たせするわけにはいかない」
廊下を歩いた先、先導する執事が天井近くまである両開きの扉を開く。
「失礼いたします」
入室の挨拶を告げた執事が横に動き、見えた応接間の光景にエミリアは息を呑んだ。
(……そんな、これは)
天井、壁、部屋の至る所に細かな装飾が施された応接間には最高級のテーブルと椅子が置かれ、大きな花瓶に大輪の薔薇が活けられていた。
椅子に座るのは、一見して階級が高いと分かる軍服を着て、燃えるように赤い髪を短く刈り込んだ、厳めしい顔つきの男性。
男性の両隣は黒に近い灰色の髪と藍色の瞳の上品なドレスを着た貴婦人、そして男性と同じ色の赤い髪をした活発そうな少年だった。
(この方達は……でもイーサン様は私の一つ年上だわ。なのに、幼い姿になっている?)
ふと、応接間の棚の上に置かれた大きな花瓶が目に入った。
曇りひとつなく磨きあげられた黒色陶器の花瓶は、鏡のように自分の姿を映し出してくれる。
花瓶の表面に映るのは、腰まである山吹茶色の髪を大きな髪飾りで結いあげ、水色のドレスを着た可愛らしい少女の姿だった。
幼くなっている自分の姿に驚き、エミリアは翡翠色の瞳を丸くして固まる。
(夢、じゃない? まさか、過去に時が巻き戻っているというの!? どうして?)
「エミリア、ご挨拶しなさい」
「エミリア・グランデ、です」
父親に促されたエミリアは、震える手でドレスの裾を持ち会釈をしながら乾いた唇を動かす。
久しく名乗っていなかった家名を言った声は幼く、混乱と緊張から掠れていた。
聖女を建国の祖とするレティシア王国。多くの貴族は聖女の血を受け継ぎ、個人差はあるものの魔力を持って生まれてくる。
それ故か、他国に比べ貴族と王族との繋がりは強く、貴族社会の規範から外れた者達は目立つ。
貴族の中では珍しく聖女の血筋ではないグランデ伯爵家の評判は、領地の特産品である上質な絹織物と真逆だと、社交界では有名だった。
前妻が死去した後、グランデ伯爵が後妻に迎え入れたのは平民で、新しい妻との間には前妻との間に生まれた娘と同じ年齢の息子がいたからだ。さらに、王家から任されている王国の水源となる湖の管理を怠っていたことも前後して発覚し、グランデ伯爵家に対する評判は下降していった。
(虚栄心が高い伯爵と贅沢を好む夫人。引きこもりの娘、我儘で肥え太った息子、最悪な一家ね)
婚約を破棄され逃亡の末、最果ての修道院で病に倒れ幕を閉じた前のエミリアの記憶。
命を落とした記憶を持ったまま、九歳のエミリアへ巻き戻っていたのは何故なのか。
記憶の混乱から顔合わせを終えた夜に高熱を出し、どうにか熱が下がってきた二日後の深夜、力の入らない体を叱咤してベッドから抜け出したエミリアは、メイドに用意してもらった真新しい日記帳に破滅への記憶を書き記すことにした。
(契約上の婚約でも、前の私は素敵な婚約者が出来たと喜んでいた。でも、今なら分かる。この婚約は、ケンジット侯爵の事業を援助する条件として、お父様が無理矢理進めたもの。前の私は仲良くなろうと努力していたけど、最初から嫌われていたのなら上手くいくわけないわ)
込み上げてきた笑いで、エミリアは小刻みに肩を震わせる。
グランデ伯爵家を格下だと完全に見下していたケンジット侯爵はエミリアと視線を合わせなかったし、イーサンは始終エミリアを睨み、侯爵夫人は愛想笑いすらしなかった。経済的な困窮さえなければ、資産はあっても悪名高い伯爵家より、他の高位貴族との繋がりが欲しかったに違いない。
(望まない婚約をさせられた可哀想なイーサン様。他のご令嬢に惹かれても、仕方ないわね)
自分との婚約を望んでいなかったイーサンは、前と同じように男爵令嬢に惹かれてエミリアと婚約破棄するのだろうか。
顔を両手で覆い、一部朧げになっている記憶を探る。
冷静に考えれば考えるほど、エミリアはイーサンとシンシア嬢の仲を邪魔する、物語でいう恋のスパイス、当て馬の役割だったのだと理解した。
せっかく時間が巻き戻ったのに、また政略結婚の道具として父親から利用されるのも、イーサンの恋を盛り上げる当て馬にされるのも、ダルスと一緒に退学させられて破滅するのも御免だ。
イーサンとの婚約は、すでに両家の間で結ばれてしまった。
破滅を回避して生き延びるためには、貴族の地位を剥奪されても生きる術を得ること。この国で地位も知識も不問とされる職業といえば冒険者だが、生活が不安定過ぎる。安定した生活を送るには、知識がものを言う職に就くか地位にとらわれない後ろ盾を得る事と、万一のためのまとまった金銭が必要だと、前の経験で分かっていた。
「今の私に必要なのは、知識と人脈ね。特に知識は、勉学だけでは得られないものも身につけたほうがいいわ。よし、頑張ろう!」
自分の頬を両手で叩いたエミリアは、破滅回避に向けて行動することを決意した。
翌日、ベッドから飛び起きて身だしなみを整えたエミリアは、寝込んでいる間、一度も見舞いに来なかった父親の書斎へ向かった。
突然やって来た娘に対して露骨に嫌な顔をする父親へ、エミリアは一枚の写真を取り出す。
「お父様、最近この方と親密にしているらしいですね。お義母様はこのことをご存じなのですか?」
「な、何故、お前がそれを!?」
「お父様が答えてくださらないなら、私も答える気はございません。お父様に相談があってここに来ました。相談に乗っていただけますか?」
父が最近熱を上げ愛人扱いしている若い舞台女優のことを継母に知らせると脅迫し、顔色を悪くした父親から別邸の使用許可を得る。
前のエミリアは、家族から冷遇されていても我慢していたが、今のエミリアは違う。
自分を見下す人達には期待せず、まずは自分が動かなければ何も変わらないと知っている。
信頼できるメイドと一緒に少しずつ自室から別邸へ荷物を運び入れ、一月後には本邸から別邸へと移り住んだ。
うるさい継母とダルスに関しては、再度父親を脅して防波堤となってもらった。舞台女優以外の愛人へ送るつもりだったラブレターを、エミリアが簡単に見つけられる場所に置いていたのが悪い。
(まずは、学園入学前試験で必要になる一般教養と、お父様の代わりに領地経営を行えるよう、経営学に関する勉強をしよう)
すべきことを手帳に書き出し、一つずつエミリアは実行していく。
愚弟の尻を叩くという名目で、家庭教師から剣技と魔法の授業を受けられるようにしてもらい、前のエミリアが苦手としていた勉強も真面目に受け、知識を得る。
代々グランデ伯爵家当主が任されていたにもかかわらず、父親が怠っていた水源の管理も、父親の不正を見つけて脅迫し、管理者の名前をエミリアに変更させた。
(次は、屋敷内の味方を作らなければならないわ。昔からの使用人はお義母様のことを快く思っていないはずよ)
古くから仕えていた使用人達は、「気に入らない」と難癖をつけた義母が既に解雇していた。彼らの行方を一人ひとり調べ上げ、エミリア自ら彼等の元を訪ね歩いて頭を下げて、別邸の使用人として戻ってもらった。
本邸の使用人も、継母に不当な扱いを受けていた使用人達と積極的に関わるようにして、伯爵家内で徐々に味方を増やしていく。
(屋敷外の味方を作るなら、冒険者ギルドね。子どもの姿なら、警戒されないはずだわ)
領民からの評判の悪いグランデ伯爵の令嬢だとギルド職員に分かるよう、あえて下手くそな変装をして、彼等に同情されるように計算した台詞を考え、何度もギルドへ通った。
屈強な冒険者達にも怯えず話しかけ、見た目は強面の大男だが子ども好きなギルドマスターの信頼を得ることに成功する。
定期的に水源の湖へ冒険者を派遣してもらえるように契約をして、数年後領地を襲うだろう干ばつ被害が最小限になるようにした。
家族から冷遇されているエミリアの状況を知ったギルドマスターと、ギルドに所属する冒険者達は挙って彼女に手を差し伸べた。
年端のいかない少女が、知識と味方を増やそうと奔走する姿は多くの大人達の心を動かしていき、一年後には伯爵家内外の人材がエミリアの周囲に集まっていた。
一章 不穏な予感がする二度目の学園生活の始まり
巻き戻りを自覚してから六年の月日が流れ、エミリアは十五歳になった。
「お嬢様、たまには奥様が開かれているお茶会に参加するのはどうでしょうか?」
近々義母が茶会を開くという情報を得たメイドに提案され、溜息を吐いたエミリアは首を横に振る。
「嫌よ。そんな所へいっても、容姿と教養を貶されて疲れるだけだもの。ダルスは嫌がらせをしてくるし。この前は、私のスカートを捲ったのよ!」
「貶すなど! お嬢様はこんなにも可愛らしいのですから、悪く言う方はいません! それに、お坊ちゃんが何をしてもノア様がお仕置きをしてくれますよ。スカート捲りの後もお仕置きを……いえ、何でもありません」
お仕置きをしたと言いかけて、メイドは口元に手を当てて周囲を見渡した。
「ありがとう。私はグランデ伯爵家の変わり者、人前に出られないエミリア、でいいのよ」
「お嬢様」
メイドから顔を背け、エミリアは窓から外を見る。
窓から見た別館の入口、庭師と話をしていた若い執事は視線に気付き顔を上げた。
吹き抜けた風に執事の銀髪が揺れ、彼は目を細めて髪を押さえる。
離れていても分かる整った容姿の青年は、数年前、初めて行った領地の水源となる湖で偶然出会い、紆余曲折を経て専属の執事兼護衛となったノアだ。
前のエミリアの記憶では名前すら出て来なかったノアとの出会いは、破滅とは違う道が開けるかもしれないという希望を抱かせてくれた。
ジャケットを脱いだノアの側には、屈強な筋肉を持つ庭師と髪と服を土だらけにした腹違いの弟、ダルスの姿があった。
もうすぐ王立学園へ入学するのに、ダルスはエミリアを目の敵にして嫌がらせを止めようとしない。
今朝、花を見に庭へ出ようと玄関から出たエミリアがダルスの掘った落とし穴に落ちかけて、別邸はちょっとした騒ぎになった。傍にいたノアが素早く動き、エミリアを抱きかかえて回避したため大事には至らなかったが、ノアが傍に控えていなければ怪我をしていたかもしれないと使用人達は怒り、すぐにダルス捜索チームが結成された。
物置に隠れていたダルスは、冒険者から転職した別邸の使用人達に捕獲され引き渡されて、屈強な庭師監修のもと穴を塞ぐ作業をさせられているのだ。
「毎回ノアにお仕置きされているのに、ダルスも懲りないわね」
「ダルス様はきっと、お嬢様と親しくなりたくて悪戯ばかりされるのですよ。子どもは気になる女の子に対して素直になれず、意地悪をしてしまうものですから」
「私と親しくなりたいのなら、落とし穴は掘らないし虫の詰まった箱を贈り付けないわよ」
「お嬢様、あの虫は滋養強壮の煎じ薬の原料ですよ? 坊ちゃんが贈ってこられた時はお嬢様が風邪をひいた時ですから、お見舞いのつもりだったのではないでしょうか」
先日、風邪をひいたエミリアにダルスから贈られた虫入りの箱。
箱を開けたのは運悪く虫が大の苦手だったメイドで、彼女は悲鳴を上げた後に勢い余って箱を魔法で燃やしてしまい、危うく火事になりかけた。
「お見舞いの品でも、虫はないでしょう」
仮に見舞いの品だったとしても、花ではなく虫を選択するのは、弟とはいえ腹が立つ。エミリアの家庭教師達からの評価が良いのが気に入らないといった様子をその前後で見ているので、本当に見舞いかどうかも怪しい。一方的にライバル扱いされて、足を引っ張ろうとしてきた、というほうがまだ納得できる。
なにせ、嫌がらせをする度、元冒険者の使用人達とノアの手でお仕置きされているのに、ダルスは懲りない。嫌がらせとその後のお仕置で動き回るため、怠惰と暴食によって肥え太っていた体が標準体型となったほどだ。
(ダルスには被虐趣味でもあるのかしら? うーん、多少性癖が歪んだとしても、シンシア嬢に付きまとい行為をしなくなれば、それはそれで良いのかな)
もしも本当に親しくなりたいという理由でも、幼稚な嫌がらせをする相手とは仲良くしたいとは思えず、エミリアは泣きそうな顔で土を運んでいるダルスを睨み付けた。
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