フロイント

ねこうさぎしゃ

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フロイント

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 氷に閉ざされたバルトロークの居城では、婚礼の宴のための準備が進められていた。アデライデが閉じ込められた部屋にも、青白い肌をした美しく妖しい女たちが入れ代わり立ち代わり現れては、アデライデの身支度を抜かりなく整えていく。コルセットや絹のストッキングを身に着けさせようと肌の上を這い回るバルトロークの侍女たちの冷たい手を、アデライデはどこか遠い世界で繰り広げられる絵巻物を眺めるように、ぼんやりと見つめていた。
 フロイントが死んだと聞かされ泣き叫んでいたアデライデの心に、今はもう何もなかった。恐慌の嵐が次第に鎮まって行くにつれ、心と頭には真っ白な空間が広がって行き、涙が止まる頃には世界のあらゆるものがアデライデから遠のいて、もう何も感じなくなっていた。アデライデの心はフロイントと共に死んだのだ。
 侍女の手がベールを被せるためにアデライデの髪をとかし始めると、アデライデの細い首はゆらゆらと揺れ動いた。ふと目に映った高い天窓からは先ほどまで覗いていた月の姿が消え、いつの間にか降り出した激しい吹雪が横殴りに通り過ぎていくのが見えた。時々雪の塊が窓に叩きつけられ、無残な形に崩れて広がったが、頭に被せられた白いベールが窓を覆う雪の残骸をぼやけさせ、アデライデはゆっくりと目を閉じた。
 すべての準備が整うと、アデライデは女たちに導かれて濃い緑のタフタのカーテンの向こうに連れて行かれた。カーテンをくぐると、そこは豪奢な寝台の置かれた寝室になっていた。女たちはアデライデを黒水晶が散りばめられた巨大な姿見の前に立たせた。贅を凝らしたレースやリボンで飾りつけられた純白の花嫁のドレスは、しかしアデライデの肌の上でまるで死に装束のように冷たく青白い悲しみの色に染まっていた。だが女たちは氷の粒がちらちらとさざめくような声で、アデライデの美しさを褒めそやした。
「まぁ、なんてお美しい……」
「さすがはバルトローク様がお選びになった花嫁様ですわ……」
 女たちのどんな言葉も、アデライデの耳をただ通り過ぎていくだけだった。アデライデの虚ろな目は鏡の中の飾り立てられた自分に向けられてはいたが、しかし実際にはその青い瞳には何も映ってなどいなかった。
 アデライデの耳に侍女の一人がそっと唇を寄せ、冷たい息を吹きかけるように囁いた。
「広間の準備も整い、お客様もおそろいになったご様子……。さぁ参りましょう、アデライデ様。バルトローク様がお待ちですわ……」
 女たちに手を引かれ、アデライデは長いベールを引きずって、冷たい城の廊下をゆっくりと歩いて行った。
 いくつもの回廊を通り抜けていく間に、アデライデの脳裏にはフロイントと過ごした日々の幻影が浮かび上がった。その美しい幻は、蝋燭の炎に映し出される影絵のようにアデライデの胸に揺れた。ほんの少しでも息を吹きかけてしまえば跡形もなく消え去ってしまいそうで、アデライデは息を止めてその儚く美しい幻を胸のうちに見つめていた。だが純粋な幸福の光の影は、アデライデが大広間の扉の前に立った瞬間、夏の名残の花びらが冷たい秋の雨に流されていくように消え去った。
 重厚な扉が緩慢な動きで内側から大きく開かれると、「さぁ、アデライデ様……」と促す女たちに手を取られ、きらびやかな大広間にゆっくりと足を踏み入れた。途端に、低く重々しいどよめきが沸き起こった。婚礼の祝いのために集まった高位の魔物たちが、アデライデの美しさとその光に驚嘆し、感嘆の声を上げたのだった。心を閉ざしてなお、アデライデの魂はこの暗く冷たい魔族の世界において、あまりに眩い光りを放っていたのだ。
 異形の魔物たちのかつえたような視線が、一斉にアデライデの肌をドレス越しに突き刺さしたが、アデライデは恐怖も不快も感じなかった。無言のまま、女たちに手を引かれ、けだものじみた魔物たちの衆人環視の中を広間の中央へと進んでいった。
 魔物たちが輪になって居並んだ中心に、やはり白い花婿の正装に身を包んだバルトロークが立っていた。バルトロークは女たちにかしずかれて歩いて来る美しい花嫁姿のアデライデを見ると、如何にも満足した笑みを浮かべ、広げた両腕の中に迎え入れた。忘我となったアデライデにバルトロークは妖しく光る目を細め、ベールの中の白い耳に囁きかけた。
「美しいぞアデライデ。心を殺して、より魂の輝きが強まったな。まこと世に二人とおらぬ娘よ……」
 バルトロークは何の反応も示さないアデライデを片腕に抱き、居並んだ魔物どもを振り返った。
「諸君、今宵はこのバルトロークの婚礼の祝宴にようこそ! さて、それでは皆にご紹介させて頂こう、我が妃アデライデを──」
 バルトロークは鋭い爪の先で、アデライデの背中をつと押して、一歩前に進み出させた。
 魔物たちはいよいよ色めき立って、身を乗り出すようにしてアデライデを凝視した。
「今度の公爵の花嫁は実に美しいな」
「これほど素晴らしい聖性を宿した人間など滅多にいないぞ」
 まるで品評会に出品された家禽を品定めするような無遠慮な魔物たちの視線にも、アデライデの心は沈黙したままだった。
 バルトロークは充分にアデライデを鑑賞させた後、レースの袖に包まれたアデライデの腕を引いて自分の傍らに立たせた。魔物たちが首を伸ばしてまでアデライデを見る様に、バルトロークはにやにやと唇の端を吊り上げた。
「公爵、いったいどこでこのような娘を見つけて来たのだ」
 ぶよぶよと太った魔物の一人が興奮に血走った眼でバルトロークを振り仰ぎ、しゃがれた声で言った。バルトロークは舌先でチチチと音を鳴らしながら、大仰に指先を振ってみせ、
「運命というものは抗いがたく恋人たちを結びつけるもの。貴殿も大食に耽る代わりに愛に殉ずる道を進めば、或いは運命の愛に辿り着くかもしれませぬぞ」
 バルトロークはアデライデの肩を抱きよせると、パキンと指を鳴らした。その合図を皮切りに、広間には陰気なワルツの旋律が流れ始めた。広間の隅に控えていた侍女たちが素早く近づいて、アデライデの長いベールを取って再び下がって行くと、バルトロークは勢いよくアデライデの腕を引いて振り向かせた。露になった虚ろなアデライデの瞳を覗き込み、
「花嫁と花婿のダンスと行こうではないか、アデライデ」
 黒い唇をにやりと引き上げた。

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