11 / 11
十一:仮面の告白
しおりを挟む
「……ん……っ、んぅ……」
呼吸をするたびに、鼻腔から肺の最奥まで、我妻さんの匂いで満たされる。
声を出そうと喉を震わせれば、噛まされたハンカチの繊維を通じて、その匂いがさらに濃く粘膜に絡みつく。
それは、身体の外側を縄で縛られるよりもずっと強く、「内部から犯されている」という被支配感を俺に与えた。
これまで『視界』と『身体の自由』を奪われたことで、骸だと思っていた俺の中に、人間の熱が生まれた。
それは俺自身の認識としては破綻に近く、戸惑いも恐ろしさもあったが、我妻さんはそれも『美』であると評した。
ならば次に試すべきなのは『声』であると、提案したのは俺だった。
人間の知性と理性の象徴である言葉を封じたら、それがどんな崩壊を生むのか。
それもまた『耽美』の側面を映し出すのではないかと、そう考えたのだ。
しかし、声を封じるために口に噛まされたのが我妻さんのハンカチだったことで、予想外なまでの効果が出てしまった。
丁寧に折り畳まれていたそれは上等な絹で、清潔な石鹸に煙草と香水が混じった匂いと、微かな体温の残滓を感じた。まるで、我妻さんの分体のようだった。
俺は自分でもどうかと思うくらい、我妻さんの纏う匂いが好ましくなってしまっていた。
それは形を持たないが故に、俺の合理を容易く貫通し、直接本能に触れて『人間』を外に引き摺り出してしまう。
声と言葉を奪われるもどかしさと、体の奥まで我妻さんの匂いで満たされる幸福感という対立する感覚がせめぎ合って、俺の身体反応は文字通り崩壊した。
「……っ! ん、んぅ……!」
今我妻さんの指が触れているのは、背中から脇腹にかけてだ。普段であれば、そこまで強く反応するような箇所じゃない。
それなのに、今はいちいち体が跳ねるほどの快楽を受け取ってしまう。
誰かに触れられた時、多少の痛みや快楽があっても、声を吐くことで外へ逃がすことができた。言葉にすることで、処理することが出来た。
だが今は、出来ない。
喉の奥に積もる熱も、胸の内を焼く疼きも、全部、自分の中で溺れさせるしかない。
声にならない震えだけが、布越しに溢れる。
我妻さんの指先は、ひどく優しく、けれど執拗に、俺の反応をなぞっていく。
ああ、声が出ないと、こんなにも人は誤魔化せないのか。
呼吸。震え。涙。体温。
すべてがそのまま、どうしようもなく晒される。
「……沙華」
耳元で低く呼ばれるだけで、身体の芯がびくりと震えた。
返事ができない。不恰好な息遣いと視線でしか応えられない。
息を吸う。吐く。
その度にハンカチが唇の端で湿り、自分の熱が逃げ場を失って渦巻く。
己の細胞の一つ一つに至るまで、我妻さんの存在が浸透しているかのような錯覚が、骨の内側まで熱を灯す。
「んっ……、く、ぅ……!」
我妻さんの指が、腰骨のくぼみから太腿滑り落ちる。
泣き声のような息が、喉奥で震えた。
……ああ、もう駄目だ。
籠ったまま逃せない熱と匂いが、俺の思考をどろどろに溶かしていく。ただの、生きている身体に変質していく。
本能は理性の声を無視して、俺の身体は浅ましく強請るように、我妻さんの腹に腰を擦り付けていた。
「……美しい。お前は、沈黙のままで、こんなにも……人間になるのか」
いつの間にか頬を伝っていた涙を、我妻さんが唇で掬った。
小さく呟かれたその言葉が、胸の奥を刺す。
本に書かれていた人間の感情は、決して綺麗なだけではなかった。
衝動的で、不条理で、合理とは程遠いものだった。
だが俺は、確かにそれを『美しさ』として感じていたのだ。
俺のこの崩壊もまた、そうだと言えるのだろうか?
「ッ、んぅ……!ふ、ぐぅ……っ!」
卑しくひくついていた秘部に、求めていた質量と熱が与えられる。
嬌声にすらなれない、くぐもった呻きが無様に漏れた。
強く噛み締めたハンカチの繊維が擦れて、匂いがまた濃くなる。
頭の先から腹の奥まで、俺の内部のすべてが、我妻さんに支配されて侵されている。
声が奪われているのに、声が有るときよりずっと、苦しくて、熱くて、気持ちいい。
今の俺を鏡で見たら、一欠片の理性も残っていない、情欲に蕩けた顔をしているのだろう。
自分の中で、何かが不可逆に変わっていくのがわかった。
「ん、んっ……!んぅ、ぅぅ……ッ!」
もはや自分で支えることも出来ず、我妻さんの腕の中で突き上げ揺さぶられる体が、震えだけで絶頂を訴える。
肉体も精神もぐずぐずに混ざり合う悦楽に酔ったまま、声にならない声をあげながら果てた。
恥ずかしい。まず率直に出てきた感想は、それだった。
ハンカチを外された唇を無意識に舌でなぞると、まだ我妻さんの匂いが残っている気がして、顔が熱くなる。
抑制の崩壊どころではなく、人格の融解だった。
「快楽に溺れるなど有り得ない」と断じていた自分自身に、嘲笑われている気がした。仕事でも表現でもない、完全にただの色狂いではないか。
穴があったら入りたかったが、穴が見当たらないので仕方なく布団を被って埋まる俺を見る我妻さんは、何故だかとても嬉しそうだった。
頭の上の布団を退けられて、拗ねている子供を宥めるように撫でられた。
それがどういう感情からかはわからないが、我妻さんはよく俺の頭を撫でる。そして俺も、不思議なことに、それが好きだった。
何故だろう。寄る辺の無い子供だった自分なんて、もうとっくに殺して埋めたはずなのに。
「何だ、恥じているのか? そんな必要はないだろう。素直に快楽に溺れるお前は、誰よりも人間らしくて美しかったぞ」
「その、匂いが……いえ。声を、言葉を封じ込められるのは、思っていた以上に苦しいものでした。熱が、出口を求めて、外に出たいと暴れ続けて……こんな感覚は、初めてです」
「あなたの匂いが好きすぎて理性が飛んだ」などと伝えるのはさすがに憚られて、真実ではあるが全容でもない感想を述べた。
すると我妻さんは、緩んでいた表情を少し引き締めて、真剣な声音で俺に言った。
「……沙華。今度は読むだけじゃなく、書いてみろ。 そうだな、今日渡した本のどれかについての感想文でいい。 これは『宿題』だ」
「え……?宿題、ですか? 書くと言っても、俺のような学の無い人間には、作家のあなたが読んで満足するようなものは到底書けないと思うのですが……」
考えてもみなかった提案は、即「はい」と頷けるようなものではなかった。揶揄われているのかとも思ったが、我妻さんの表情は真剣なままだ。
「声をあげられないことが、苦しいと感じたんだろう? それは今生まれた訳じゃない、お前の中にずっとあった衝動なんだよ。あげてみるといい。俺もそれを、見てみたいんだ」
書く? 俺が? 自分が声にしたい衝動を?
我妻さんの言っていることは理解出来ないのに、どこか図星を突かれたような衝撃を持って俺の中に入ってきた。
腑に落ちないままに、喉が熱くなる。頭より先に、体が承諾をしてしまっていた。
「……わかりました。その『宿題』、やってみようと思います」
呼吸をするたびに、鼻腔から肺の最奥まで、我妻さんの匂いで満たされる。
声を出そうと喉を震わせれば、噛まされたハンカチの繊維を通じて、その匂いがさらに濃く粘膜に絡みつく。
それは、身体の外側を縄で縛られるよりもずっと強く、「内部から犯されている」という被支配感を俺に与えた。
これまで『視界』と『身体の自由』を奪われたことで、骸だと思っていた俺の中に、人間の熱が生まれた。
それは俺自身の認識としては破綻に近く、戸惑いも恐ろしさもあったが、我妻さんはそれも『美』であると評した。
ならば次に試すべきなのは『声』であると、提案したのは俺だった。
人間の知性と理性の象徴である言葉を封じたら、それがどんな崩壊を生むのか。
それもまた『耽美』の側面を映し出すのではないかと、そう考えたのだ。
しかし、声を封じるために口に噛まされたのが我妻さんのハンカチだったことで、予想外なまでの効果が出てしまった。
丁寧に折り畳まれていたそれは上等な絹で、清潔な石鹸に煙草と香水が混じった匂いと、微かな体温の残滓を感じた。まるで、我妻さんの分体のようだった。
俺は自分でもどうかと思うくらい、我妻さんの纏う匂いが好ましくなってしまっていた。
それは形を持たないが故に、俺の合理を容易く貫通し、直接本能に触れて『人間』を外に引き摺り出してしまう。
声と言葉を奪われるもどかしさと、体の奥まで我妻さんの匂いで満たされる幸福感という対立する感覚がせめぎ合って、俺の身体反応は文字通り崩壊した。
「……っ! ん、んぅ……!」
今我妻さんの指が触れているのは、背中から脇腹にかけてだ。普段であれば、そこまで強く反応するような箇所じゃない。
それなのに、今はいちいち体が跳ねるほどの快楽を受け取ってしまう。
誰かに触れられた時、多少の痛みや快楽があっても、声を吐くことで外へ逃がすことができた。言葉にすることで、処理することが出来た。
だが今は、出来ない。
喉の奥に積もる熱も、胸の内を焼く疼きも、全部、自分の中で溺れさせるしかない。
声にならない震えだけが、布越しに溢れる。
我妻さんの指先は、ひどく優しく、けれど執拗に、俺の反応をなぞっていく。
ああ、声が出ないと、こんなにも人は誤魔化せないのか。
呼吸。震え。涙。体温。
すべてがそのまま、どうしようもなく晒される。
「……沙華」
耳元で低く呼ばれるだけで、身体の芯がびくりと震えた。
返事ができない。不恰好な息遣いと視線でしか応えられない。
息を吸う。吐く。
その度にハンカチが唇の端で湿り、自分の熱が逃げ場を失って渦巻く。
己の細胞の一つ一つに至るまで、我妻さんの存在が浸透しているかのような錯覚が、骨の内側まで熱を灯す。
「んっ……、く、ぅ……!」
我妻さんの指が、腰骨のくぼみから太腿滑り落ちる。
泣き声のような息が、喉奥で震えた。
……ああ、もう駄目だ。
籠ったまま逃せない熱と匂いが、俺の思考をどろどろに溶かしていく。ただの、生きている身体に変質していく。
本能は理性の声を無視して、俺の身体は浅ましく強請るように、我妻さんの腹に腰を擦り付けていた。
「……美しい。お前は、沈黙のままで、こんなにも……人間になるのか」
いつの間にか頬を伝っていた涙を、我妻さんが唇で掬った。
小さく呟かれたその言葉が、胸の奥を刺す。
本に書かれていた人間の感情は、決して綺麗なだけではなかった。
衝動的で、不条理で、合理とは程遠いものだった。
だが俺は、確かにそれを『美しさ』として感じていたのだ。
俺のこの崩壊もまた、そうだと言えるのだろうか?
「ッ、んぅ……!ふ、ぐぅ……っ!」
卑しくひくついていた秘部に、求めていた質量と熱が与えられる。
嬌声にすらなれない、くぐもった呻きが無様に漏れた。
強く噛み締めたハンカチの繊維が擦れて、匂いがまた濃くなる。
頭の先から腹の奥まで、俺の内部のすべてが、我妻さんに支配されて侵されている。
声が奪われているのに、声が有るときよりずっと、苦しくて、熱くて、気持ちいい。
今の俺を鏡で見たら、一欠片の理性も残っていない、情欲に蕩けた顔をしているのだろう。
自分の中で、何かが不可逆に変わっていくのがわかった。
「ん、んっ……!んぅ、ぅぅ……ッ!」
もはや自分で支えることも出来ず、我妻さんの腕の中で突き上げ揺さぶられる体が、震えだけで絶頂を訴える。
肉体も精神もぐずぐずに混ざり合う悦楽に酔ったまま、声にならない声をあげながら果てた。
恥ずかしい。まず率直に出てきた感想は、それだった。
ハンカチを外された唇を無意識に舌でなぞると、まだ我妻さんの匂いが残っている気がして、顔が熱くなる。
抑制の崩壊どころではなく、人格の融解だった。
「快楽に溺れるなど有り得ない」と断じていた自分自身に、嘲笑われている気がした。仕事でも表現でもない、完全にただの色狂いではないか。
穴があったら入りたかったが、穴が見当たらないので仕方なく布団を被って埋まる俺を見る我妻さんは、何故だかとても嬉しそうだった。
頭の上の布団を退けられて、拗ねている子供を宥めるように撫でられた。
それがどういう感情からかはわからないが、我妻さんはよく俺の頭を撫でる。そして俺も、不思議なことに、それが好きだった。
何故だろう。寄る辺の無い子供だった自分なんて、もうとっくに殺して埋めたはずなのに。
「何だ、恥じているのか? そんな必要はないだろう。素直に快楽に溺れるお前は、誰よりも人間らしくて美しかったぞ」
「その、匂いが……いえ。声を、言葉を封じ込められるのは、思っていた以上に苦しいものでした。熱が、出口を求めて、外に出たいと暴れ続けて……こんな感覚は、初めてです」
「あなたの匂いが好きすぎて理性が飛んだ」などと伝えるのはさすがに憚られて、真実ではあるが全容でもない感想を述べた。
すると我妻さんは、緩んでいた表情を少し引き締めて、真剣な声音で俺に言った。
「……沙華。今度は読むだけじゃなく、書いてみろ。 そうだな、今日渡した本のどれかについての感想文でいい。 これは『宿題』だ」
「え……?宿題、ですか? 書くと言っても、俺のような学の無い人間には、作家のあなたが読んで満足するようなものは到底書けないと思うのですが……」
考えてもみなかった提案は、即「はい」と頷けるようなものではなかった。揶揄われているのかとも思ったが、我妻さんの表情は真剣なままだ。
「声をあげられないことが、苦しいと感じたんだろう? それは今生まれた訳じゃない、お前の中にずっとあった衝動なんだよ。あげてみるといい。俺もそれを、見てみたいんだ」
書く? 俺が? 自分が声にしたい衝動を?
我妻さんの言っていることは理解出来ないのに、どこか図星を突かれたような衝撃を持って俺の中に入ってきた。
腑に落ちないままに、喉が熱くなる。頭より先に、体が承諾をしてしまっていた。
「……わかりました。その『宿題』、やってみようと思います」
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
昭和、耽美と私の好きな要素がたくさん詰まっていて、読みはじめました。
まだ始まったばか日の物語、これからどうなっていくのかとても楽しみです。
ご感想ありがとうございます、自分の好きな要素を詰めて書いているのでそう言って頂けるととても嬉しいです!
続きもぜひお読み頂けたら幸いです🙏✨