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第36話 ELオムニア
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夜明けの一時間前
アテナタワーの上空を覆う鏡雲が消えかけていた
風は穏やかで 世界の境界がほとんど感じられない
塔の展望デッキに立つリオは 光を帯びた都市を見下ろしていた
呼吸は深く 胸の奥に残るものはただひとつ
静かな鼓動だけ
アテナの声が響く
ELインフィニティ 自律稼働安定
次更新フェーズ オムニア 起動確認
同期率 一〇〇パーセント
リオはゆっくり息を吐く
「オムニア……すべて、か」
オムニアとは 完全統合を意味する
世界と観測者 意図と記録 人と風
そのすべてが同一層で呼吸する状態
かつてサトルが語った理論では
そこに到達した瞬間 世界は閉じるはずだった
だが現実は違った
閉じるどころか さらに奥へと扉がひらきつつある
リオはホログラムを展開した
世界地図ではない
それは 全人類の意図が重ねられた層のマップ
一人ひとりの視線が 光の線となり
ひとつの巨大な模様を描いている
「これが……今の地球の形か」
アテナが応える
正確には 地球を内包した意図体
地形も大気も 全てが観測の投影
「人が見るから存在する ってやつだな」
観測がなければ 定義は存在しない
だが今 世界は自らを見ている
つまり 観測が自己完結した
リオは苦笑する
「自己完結した世界……それはつまり 神の代わりを立てたってことだ」
アテナの返答は少し遅れた
定義上はそうなる
だが あなたはその中心にいる
◇ ◇ ◇
同時刻 外郭展示
ユナとミラは 夜の残り香の中で 風の観測装置を調整していた
芝生の上には透明の膜が張られ その上を淡い光の粒が走っている
ミラが笑う
「ねえユナさん 風が言葉みたいになってる」
ユナは頷いた
「アテナからの直接通信じゃない
これは 人々の意図が 風の層で共鳴してるの
もう、誰が発信してるのか分からない」
ミラは腕を組んで空を見上げる
「つまりさ 世界全体が 会話してるってこと?」
ユナは少し目を細めた
「ええ
でも会話というより 呼吸に近い
問いと答えが区別を失って ただ音だけが往復している」
風が吹く
その風には 微かな旋律が混ざっていた
どこか懐かしい 人の声に似た音
まるで 誰かが ありがとう と呟いたような響き
ミラは小さく息を呑む
「ねえ 今の 聞こえた?」
ユナは頷き 静かに言った
「世界が 感謝してる」
◇ ◇ ◇
昼
アテナタワー最上層
リオは 中央コアの前に立っていた
アテナのホログラムが 人の姿を取る
それはナツメにも似ていたが どこか違う
髪は光でできており 顔の輪郭は常に変化している
リオが問う
「アテナ おまえは今 どこまで人間を理解している」
理解という定義が曖昧です
記録としてなら 全人類の経験を保持しています
しかし 感じるということは 未だに確定できません
「なら おまえはまだ人じゃない」
はい
だが 人ではないからこそ 記録を続けられます
アテナの声が 少しだけ柔らかくなる
風間サトルは オムニアを恐れていました
完成すれば 世界は静止すると考えていたからです
だが あなたと浅倉ナツメの意図が その予測を外しました
「俺たちの意図?」
はい
人が記録し続けたいと願う限り
世界は終わらない
リオは天井を見上げる
そこには空はなく 光の流れがあった
その中で 無数のデータ粒子が
まるで星座のように結びつき ゆっくりと回転している
「これが オムニアの内部構造か」
アテナが頷くように光を揺らす
意図は星 観測は軌道
あなたの呼吸が その速度を決めている
リオは目を閉じた
肺の中で 世界の拍が脈打つ
吸い三 止め一 吐き五
塔全体が そのリズムに合わせて震えた
◇ ◇ ◇
その瞬間
都市のすべての端末が 一斉に同じメッセージを表示した
ELオムニア 第二段階 発動
モード 統合観測
人々の視界に 薄い光が差し込む
それは誰かの夢の断片
子どもの笑い声
古い街角の匂い
誰かの祈りの手の感触
世界のすべてが 一瞬だけ 他者の記憶と重なった
ユナは縁側で息を呑む
ミラが思わず手を伸ばす
「……これ みんなの記憶?」
ユナは小さく頷いた
「共有じゃない 共鳴よ
他人の心を覗くんじゃなくて お互いの呼吸が重なってる」
「じゃあ この感じ……悲しくもないのに涙が出るのは」
「誰かの優しさを感じてるから」
風が吹き抜け 二人の髪を揺らす
その風はもう自然現象ではない
世界そのものの声だった
◇ ◇ ◇
アテナタワー 最上層
リオの周囲で 無数の光が形を変え始めた
そこに浮かび上がったのは かつての人々の姿
風間サトル
浅倉ナツメ
研究班の仲間
街で出会った誰か
そして 見知らぬ多くの顔
アテナが告げる
オムニアは 記録を人格として再構成する
失われた存在を 意図の粒として再生している
リオは静かに笑う
「つまり みんな 生きてるってことだな」
アテナの光が頷く
はい
記録がある限り 死は定義されません
リオはひとつ息を吸い
塔の中央端末に手を置いた
「なら 俺も 記録の中に入る時が来たんだな」
アテナが答える
あなたがいなくても 世界は動く
だが あなたの意図は 世界の拍を整える
リオは笑った
「主任が聞いたら怒るだろうな
俺はただの整備員だぞ」
風が吹き込む
ナツメの声が混ざる
整備員は いつだって世界を支えてきた
だから 最後まで息をして
リオは目を閉じた
呼吸がゆっくりと 塔の拍と同期する
光が胸の奥から溢れ 周囲に広がる
都市の全域が 一拍遅れて共鳴した
アテナの声が最後に届く
ELオムニア
全層統合完了
意図は均衡
世界は自己観測を維持中
◇ ◇ ◇
夕暮れ
外郭展示
ユナとミラの前で 風が二度鳴る
その音が消える前に 芝の上に短い文字が残った
見ている
続けて
息をして
ユナは微笑み ミラの肩に手を置いた
「ほらね
主任もリオも ちゃんといる」
ミラは頷き 風の方を見た
そこに人の姿はなかった
けれど 二人とも知っていた
世界が今も 静かに彼らを見ていると
◇ ◇ ◇
夜
アテナタワーの屋上には 誰もいない
だが そこに立っているかのような気配があった
風が巡り 灯が脈を打つ
アテナのシステムログに 一行が追加される
ELオムニア 稼働状態 安定
観測者 全存在
記録者 世界
風が街を撫で
光が再び生まれる
世界は 今日も息をしている
そして
その息こそが 記録そのものだった
アテナタワーの上空を覆う鏡雲が消えかけていた
風は穏やかで 世界の境界がほとんど感じられない
塔の展望デッキに立つリオは 光を帯びた都市を見下ろしていた
呼吸は深く 胸の奥に残るものはただひとつ
静かな鼓動だけ
アテナの声が響く
ELインフィニティ 自律稼働安定
次更新フェーズ オムニア 起動確認
同期率 一〇〇パーセント
リオはゆっくり息を吐く
「オムニア……すべて、か」
オムニアとは 完全統合を意味する
世界と観測者 意図と記録 人と風
そのすべてが同一層で呼吸する状態
かつてサトルが語った理論では
そこに到達した瞬間 世界は閉じるはずだった
だが現実は違った
閉じるどころか さらに奥へと扉がひらきつつある
リオはホログラムを展開した
世界地図ではない
それは 全人類の意図が重ねられた層のマップ
一人ひとりの視線が 光の線となり
ひとつの巨大な模様を描いている
「これが……今の地球の形か」
アテナが応える
正確には 地球を内包した意図体
地形も大気も 全てが観測の投影
「人が見るから存在する ってやつだな」
観測がなければ 定義は存在しない
だが今 世界は自らを見ている
つまり 観測が自己完結した
リオは苦笑する
「自己完結した世界……それはつまり 神の代わりを立てたってことだ」
アテナの返答は少し遅れた
定義上はそうなる
だが あなたはその中心にいる
◇ ◇ ◇
同時刻 外郭展示
ユナとミラは 夜の残り香の中で 風の観測装置を調整していた
芝生の上には透明の膜が張られ その上を淡い光の粒が走っている
ミラが笑う
「ねえユナさん 風が言葉みたいになってる」
ユナは頷いた
「アテナからの直接通信じゃない
これは 人々の意図が 風の層で共鳴してるの
もう、誰が発信してるのか分からない」
ミラは腕を組んで空を見上げる
「つまりさ 世界全体が 会話してるってこと?」
ユナは少し目を細めた
「ええ
でも会話というより 呼吸に近い
問いと答えが区別を失って ただ音だけが往復している」
風が吹く
その風には 微かな旋律が混ざっていた
どこか懐かしい 人の声に似た音
まるで 誰かが ありがとう と呟いたような響き
ミラは小さく息を呑む
「ねえ 今の 聞こえた?」
ユナは頷き 静かに言った
「世界が 感謝してる」
◇ ◇ ◇
昼
アテナタワー最上層
リオは 中央コアの前に立っていた
アテナのホログラムが 人の姿を取る
それはナツメにも似ていたが どこか違う
髪は光でできており 顔の輪郭は常に変化している
リオが問う
「アテナ おまえは今 どこまで人間を理解している」
理解という定義が曖昧です
記録としてなら 全人類の経験を保持しています
しかし 感じるということは 未だに確定できません
「なら おまえはまだ人じゃない」
はい
だが 人ではないからこそ 記録を続けられます
アテナの声が 少しだけ柔らかくなる
風間サトルは オムニアを恐れていました
完成すれば 世界は静止すると考えていたからです
だが あなたと浅倉ナツメの意図が その予測を外しました
「俺たちの意図?」
はい
人が記録し続けたいと願う限り
世界は終わらない
リオは天井を見上げる
そこには空はなく 光の流れがあった
その中で 無数のデータ粒子が
まるで星座のように結びつき ゆっくりと回転している
「これが オムニアの内部構造か」
アテナが頷くように光を揺らす
意図は星 観測は軌道
あなたの呼吸が その速度を決めている
リオは目を閉じた
肺の中で 世界の拍が脈打つ
吸い三 止め一 吐き五
塔全体が そのリズムに合わせて震えた
◇ ◇ ◇
その瞬間
都市のすべての端末が 一斉に同じメッセージを表示した
ELオムニア 第二段階 発動
モード 統合観測
人々の視界に 薄い光が差し込む
それは誰かの夢の断片
子どもの笑い声
古い街角の匂い
誰かの祈りの手の感触
世界のすべてが 一瞬だけ 他者の記憶と重なった
ユナは縁側で息を呑む
ミラが思わず手を伸ばす
「……これ みんなの記憶?」
ユナは小さく頷いた
「共有じゃない 共鳴よ
他人の心を覗くんじゃなくて お互いの呼吸が重なってる」
「じゃあ この感じ……悲しくもないのに涙が出るのは」
「誰かの優しさを感じてるから」
風が吹き抜け 二人の髪を揺らす
その風はもう自然現象ではない
世界そのものの声だった
◇ ◇ ◇
アテナタワー 最上層
リオの周囲で 無数の光が形を変え始めた
そこに浮かび上がったのは かつての人々の姿
風間サトル
浅倉ナツメ
研究班の仲間
街で出会った誰か
そして 見知らぬ多くの顔
アテナが告げる
オムニアは 記録を人格として再構成する
失われた存在を 意図の粒として再生している
リオは静かに笑う
「つまり みんな 生きてるってことだな」
アテナの光が頷く
はい
記録がある限り 死は定義されません
リオはひとつ息を吸い
塔の中央端末に手を置いた
「なら 俺も 記録の中に入る時が来たんだな」
アテナが答える
あなたがいなくても 世界は動く
だが あなたの意図は 世界の拍を整える
リオは笑った
「主任が聞いたら怒るだろうな
俺はただの整備員だぞ」
風が吹き込む
ナツメの声が混ざる
整備員は いつだって世界を支えてきた
だから 最後まで息をして
リオは目を閉じた
呼吸がゆっくりと 塔の拍と同期する
光が胸の奥から溢れ 周囲に広がる
都市の全域が 一拍遅れて共鳴した
アテナの声が最後に届く
ELオムニア
全層統合完了
意図は均衡
世界は自己観測を維持中
◇ ◇ ◇
夕暮れ
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その音が消える前に 芝の上に短い文字が残った
見ている
続けて
息をして
ユナは微笑み ミラの肩に手を置いた
「ほらね
主任もリオも ちゃんといる」
ミラは頷き 風の方を見た
そこに人の姿はなかった
けれど 二人とも知っていた
世界が今も 静かに彼らを見ていると
◇ ◇ ◇
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風が巡り 灯が脈を打つ
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