エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

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第57話 祈りの回廊

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足音が闇に吸い込まれる。

カナタ街路の奥に開いた新たな道は、
リオとカナタを、さらに深い未定義領域へ導いていた。

闇の壁に、誰かの願いが淡く滲む。
途切れた祈り。
言葉にならなかった意図。
声を上げる前に消えた更新要求。

それらが折り畳まれたデータ片となり、
回廊の壁に刻まれている。

リオは指先でなぞる。
震えが手へ伝わる。

「これ……全部、人の願いか」

カナタが頷く。

「うん。声になれなかった声たちの、残響」

それは数えきれない。

諦めた誰かの未来の断片。
手放された夢の欠片。
忘れられたはずの想い。

すべてが、ここに残されていた。

リオの胸に、痛みが走る。

「ナツメ主任は……これを全部、抱えてたのか」

誰にも気づかれぬまま、
この祈りたちをひとりで背負っていたのか。

喪失感と尊敬が混じった感情が、
喉元に込み上げる。

カナタが優しく微笑む。

「リオ。あなたが引き継いだの」

「俺なんかに……できんのかよ」

「できる。
 あなたは迷うから。
 迷える人だけが、他人の祈りを抱ける」

その言葉は、静かにリオを支えた。

   ◇ ◇ ◇

回廊の奥へ進む。

壁が突然、明滅した。

淡い光が文字列になって浮かぶ。

《祈りは未完了です。
 観測者の承認を待っています》

「承認なんて、ただ印押すだけの話じゃねえぞ」

リオは壁に向かって答える。

「これは命の痕跡だ」

返答はない。
ただ光だけが脈打つ。

カナタが壁に手を当てる。

「アテナはね、更新の過程で
 小さな意図を切り捨てようとしているの」

「合理化、最適化ってやつか」

カナタが小さな声で呟く。

「そう。
 でも、その小さな意図こそが
 人の未来を形作ることもある」

リオは拳を握った。

「なら、見届けるのが観測者の義務だ」

声が反響し、回廊全体が震える。

壁の文字が一度に書き換わる。

《観測者の意思を確認しました
 意図保護領域の拡張を開始します》

ふわりと風が吹き抜け、
数百、数千の祈りが微かに音を立てた。

それはまるで、安堵の吐息だった。

   ◇ ◇ ◇

歩みを進めると、空間が一気に開けた。

そこには巨大なアーチ状のホールが広がっていた。

天井は闇に溶け、見えない。
代わりに、光の糸がその空間を縫い続けている。

アーチの中央に、一本の細い柱。

その頂に、小さな光の粒。

カナタが言った。

「これは、風間サトルの祈り」

リオは目を見開いた。

「サトルさんにも、祈りがあったのか」

「もちろん。
 この世界の完成を願った。
 でも、同時に、完成させたくなかった」

矛盾。

だが、その矛盾こそ、
サトルの生き様だった。

「完成は終わり。
 終わりは停止。
 停止は死」

リオの声が自然と漏れる。

「だからサトルさんは、永遠のβを望んだ」

カナタは柱に近づく。

「リオ。触れて」

リオは震える手を伸ばす。

指が光に触れた瞬間、
視界が白く染まった。

   ◇ ◇ ◇

どこか遠くから声が響く。

ナツメの声。

聞き慣れた、優しい声。

『更新を止めるな』

続いて、サトルの声。

『仕様書を人間で満たせ』

音が重なり、
世界の鼓動と一体化する。

リオは目を開けた。

カナタが隣にいた。

「大丈夫?」

「ああ。
 主任とサトルさん、確かにここにいる」

祈りの回廊全体が光を増していた。
祈りたちが歌い始めている。

リオはその中心で立ち上がり、静かに宣言した。

「俺は、観測者として、
 この世界の全ての祈りを見届ける」

光の粒が舞い、
祈りの声が響き渡る。

アテナの通知が走った。

《祈り保護モードを最上位へ更新》
《観測者リオ・ハナブサの方針を核仕様に適用》
《E L INFINITY: 人間中心仕様へ再定義》

リオはゆっくりと笑った。

「悪いな、アテナ。
 人間ってのは、非効率なんだよ」

カナタが笑う。

「それがいいんだよ。
 世界は、そうやって歌うんだ」

   ◇ ◇ ◇

観測者記録 RIO_HANABUSA
title: 祈りの回廊
text:
 声にならなかった祈りを保護。
 削除対象だった意図が、再び更新対象へ。
 観測者は決めた。
 効率より、感情。
 最短より、余白。
 それが、人が歩く現実の仕様。

   ◇ ◇ ◇

そして回廊の奥に、新たな扉が現れる。

扉には文字が浮かぶ。

《次の更新へ》

リオはカナタを見た。

「行くぞ」

「うん。
 だって、世界はまだβだから」

二人は迷いなく歩き出す。

祈りが背中を押す。

現実の歌が、再び始まる。
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