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「ご、ご無沙汰しております、奥様」
しおりを挟むディルクは絶望の表情をしている。
それは丹精込めて耕した畑を、猪共に荒らされた時の自分と同じ顔だった。
「一緒に暮らしてる? あの小屋で? フィルカ、どういうこと?」
「あぅ……」
変な声が出るのも仕方ない。ウォルフリートの手はまだ自分を捕まえていて、喋ると彼の顔に吐息をかけてしまいそうなのだ。
それでなくとも正直に理由を話すわけにはいかないだろう。呪いを解くためにはるばる皇都から来てくれました、こちらが一人前の魔女になるまで滞在する予定です、なんて。
なにせ彼は自身のことを、『フィルエシュカの遠い親戚』と名乗っているのだから。
「ひゃっ」
悩む自分の顎を持ち上げていた手が急に離されて、支えを失った頭は前に傾く。
腰にあった手が肩を抱いたかと思えば、ウォルフリートに密着するよう引き寄せられた。
服ごしに伝わる男の体温は、いつもより心持ち高いようだった。
「フィルエシュカのことを心配だと言いながら、数ヶ月も、様子を見に来ることすらしなかったのか? 一体どの口で言っているんだ。俺が間に合わなければこいつは死んでいたぞ? それにな、俺と一緒に住む理由を糾す前に、フィルエシュカの怪我の原因を気にするべきだろう」
「なーー!」
(その怪我の原因はウォルでしょうが)
だがここまで堂々とされれば口にもできない。
男からの指摘に言い返せないディルクは、顔を真っ赤にしている。村長と、椅子が足りなくてその後ろに立つゾフィは、ウォルフリートの言葉にフィルエシュカを見た。
「フィルカ、あんた死にかけたの?」
ゾフィが心配そうに聞いてくる。
「えっ、あ、その……」
「畑を荒らした猪を弓矢で撃退しようとして、返り討ちになるところだった。今日持ってきたのはその猪だ」
「フィルカが弓を?」
今度は村長が、呆れたような眼差しを向けてきた。
「……なんて無謀な」
「うぅ……」
(ウォルのばか。なんで話しちゃうの?)
心配性のこの父娘に知られたら、村に連れ戻されてしまうかもしれない。でも村には帰りたくない。だから黙っているつもりだったのに。
「それで村長殿。物々交換の条件は何だ?」
男はまだ睨みつけてくる村長の息子を、完全に無視することにしたらしい。フィルエシュカは、自分なら絶対そんな真似は出来ない、と震えた。ディルクはこれでも次期村長なのだ。
この小さな村で村長一家を敵に回すなんて自殺行為である。
(ウォルは呪いが解けたら帰るからいいけど、私は)
ふとディルクと視線がぶつかる。
その目はぎらりとして濡れていた。不穏な色に視線を合わせ続けることができず、目を伏せる。
「そのことですがーー」
隣のディルクの様子に気がつかない村長が話し出した時、部屋の扉が急に開けられた。
開けた人物の姿に、顔を上げたフィルエシュカの背筋が凍りつく。
「ーーディルク? ゾフィ? あなたたち、この忙しい時に何をしているの?」
***
わざと抱き寄せたフィルエシュカの肩が思ったよりも細くて、今日の夜からはもっとたくさん食わせねばと、ウォルフリートは決意していた。
フィルエシュカと訪れたチセという村は、長閑で、やはり他の地よりも豊かに見えた。その村長の家は、他の村の村長と名乗る人々の家よりも、はるかに大きい。旅をしながら他を見てきたから分かる。
その豊かさの根源はフィルエシュカのまじないの力だろうと思われた。その証拠に、村じゅうの畑の囲い、家畜小屋、人々の家。それらはどれもごく薄い、光の羽衣を纏っていた。おそらくは獣除けだろう。
外敵に襲われない畑というのは、それだけで価値があるのだ。
一方で懸念していた人間に対するまじないは、見る限りされている者はいないようだった。切れているだけかも知れないが。
村長と名乗った男はひょろりとして、一見すると頼りなさそうだった。だが話してみれば洞察力もそこそこにあり、辺境の村としては話の分かる部類に見えた。だがその息子ときたら、とんでもない。
もう間もなく成人するらしいがその言動は幼稚の一言に尽きる。何より許し難いのは、フィルエシュカに触れようとしたこと。
(俺の目の黒いうちは決して許すものか)
他の男が邪な想いを持ってこの娘に近寄り話しかけ、触れる。
その光景を想像するだけで胃が捻じ切れそうだった。
フィルエシュカが魔女として一人前になるまであと何年かかるか分からないが、それまでの間、共に暮らす自分は彼女を守らなければならない。
彼女はまだ子供に見えた。だからきっと、成人すれば一人前、ということなのだろう。
守るのは、飢えや寒さ、獣や盗賊のような外敵からだけではない。こういった不埒な考えを持つ男からもだ。
「みんな収穫祭に向けて慌ただしいのよ? 何をこんなところで油を売っているの?」
(この家は、主人と来客者の会話を妨げないという最低限の常識さえないのか)
村長との交渉中に入ってきたのは、村長の息子によく似た中年の女。薄い栗毛色の髪を引っ詰めにしている。
首元までもきっちりと詰めた襟に、気難しさを体現したようなその細い眉は、見ようによっては女教師のようだ。
ノックもせず入ってきてぺらぺらと話す様に呆れかえっていれば、その女はふいに顔を歪めた。
「……あなた、来ていたの」
緊張か、恐怖か。身を縮ませ強張らせているフィルエシュカに女の目が向く。
「ご、ご無沙汰しております、奥様」
数週間共に過ごしただけの己でも気づくほど、フィルエシュカは怖がっていた。
その原因らしき女は、鼻に白いハンカチをさっとあてる。
「どうりで家の中が臭いと思ったわ」
その瞬間、腰に愛剣がないことを後悔した。
「貴様もう一度言ってみろ!!」
「ウォル!」
泣きそうな声にはっとすると、いつの間にか自分は立ち上がっていて、腰には見慣れた細腕が巻き付いていた。艶めいた意味ではなく、ただ制止のために。
「離せフィルエシュカ! この女、お前のことを!!」
「分かってます! いいんです! だからやめて下さい!」
無理矢理剥がすことも出来る。けれどそれではまた彼女に怪我をさせる。
図々しく入ってきた女は誰の怒りを買ったかも知らず、まだ喋る。
「なんです? あなた。何か文句があるのかしら。私は村長の妻で、ここの領主の娘ですよ」
きっとこれまで、その一言で黙らなかった人間はいなかったのだろう。少なくともこの村の中では。ひそりと腹の底から暗い笑みが這い出る。
「ほう、ここの領主の。覚えておいてやろう」
腰に巻き付いていた腕をとり外し、その勢いで小さな体を抱き上げた。
何をされたか気がついた娘は暴れ出すが、それは小鳥が掌中でもがくようなものである。
「ウォル! 離して下さい!!」
暴れるフィルエシュカを雁字搦めにしたまま、もはや興味を失った一家を見渡す。
「村長。妻一人監督できん男と、俺は交渉しない。フィルエシュカも二度とこの家には来させない。失礼する」
早く立ち去りたい。
この娘を、あの小屋に連れ帰りたい。
そしてフィルエシュカの昔について、彼女にしっかり問いただしたい。
(フィルエシュカ。お前は、これまでどうやって暮らしていたんだ?)
ずっと抱いていた疑問は膨らんで抑えきれなくなっていた。
「どうかお待ちをーーウォル様!!」
部屋の中、一人だけ顔を青くしているのは村長だ。それ以外は間抜けな顔を晒している。きっと何が起こっているのか分からないのだろう。
少女を抱き上げたまま部屋を出て行こうとする自分に追いすがり謝罪するのも村長だけ。
「妻と息子が申し訳ございませんでした! この通りでございます!! どうかお待ち下さい! ウォル様!」
無視を決め込み、扉の前にいた村長の妻を押し退け部屋の外へ出た。
「ウォル! だめ、戻って下さい! 謝らなきゃ!」
フィルエシュカが何か言うのも構わずに、そのまま村長の家をあとにしたのだった。
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