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「けっこん……?」
しおりを挟む太陽は丁度、昼餉の時刻を指していた。
フィルエシュカの故郷のような貧しい村では朝と夜しか得られない食事も、豊かなこの村では日に三度となる。
村長の息子に背を向けて、こちらへ振り向いたおばさんの顔は心配そうに歪んでいた。
「……あんた、大丈夫かい? あたしが断ってやろうか?」
迎えに来たディルクに聞こえないようこっそりとおばさんが囁く。首を左右に振った。
そんなことをすれば、この人に迷惑がかかってしまう。
「大丈夫です。あの、荷物、後で取りにきますから置かせてもらって良いですか?」
まじないをかけてまわった家々から貰った品物は、持って歩くには少し重い。頼りの荷車はまだ村長の家にあった。
ディルクはにこにことしながら、こちらの返答を疑うことなく待っている。それに、心の中で小さな溜息が漏れてしまう。
(収穫祭の打ち合わせってなんだろう。早く終わらせて、ウォルを迎えに行かなきゃ)
背の高いがっしりとした姿を頭に浮かべるだけで、ほんの少し勇気が湧く気がした。
フィルエシュカは快く荷物を預かってくれたエリンダの家を後にし、青年のあとをついていく。
短い影を連れて数歩先を歩くディルクは時折振り返る。
振り返ってフィルエシュカがきちんとついてきていることを確認しては、満足げな顔をするのである。
「ここだよ。入ってフィルカ」
「は、はい」
村の一番大きい通りを選んで歩いた青年は、やがて一つの家の前で立ち止まると、自ら扉を開けてフィルエシュカを中に誘導した。
数ヶ月前に来た時にはなかった家は、おそらく新しく建てられたのだろう。入ると木の香りがまだ濃厚に漂っていた。
室内には食卓や椅子、食器棚に物入れなどの家具がきちんと揃えられていて、いつでも住める状態だった。きっと奥には寝台もあるはずだ。
食卓を挟んで二つ置かれた椅子のひとつ、その背もたれをディルクがひく。
「ここに座って」
「……ありがとうございます」
向かい合うように腰を下ろした青年は、緊張するこちらの様子などいざ知らず。にこにこと幸せそうだ。
(ここ、誰の家なんだろう)
村の中の建物は基本的に村の共有財産だ。
建てる時は村の男が総出で建てるし、使う人がいなくなっても定期的に手入れして、村の子供の誰かが独立する時に貸し与えられる。この家もきっと村の人達が建てたのだろう。
少し不思議なことといえば、使われてる木材がみんな真新しい点だ。普通なら少しは古いものも混ざるはずなのに。
不躾かもしれないがぐるりと部屋の中を見渡した。
自分の小屋とは比べ物にならないほど綺麗で真新しい室内。しかしそこに生活感はない。
立派な台所には煮炊きした形跡はなく、暖炉には灰の一握りも落ちていない。
家具も生活用品も何もかも揃っているのに、まるで誰も住んでいないかのように。
疑問を汲み取ったのは、この空間の中で一人だけ嬉しそうな青年だ。
「そんなに不安そうにしなくても大丈夫。ここは僕とフィルカの家になるんだよ」
「……え?」
聞き間違いかと思った。
二の句が告げず、ぽかんと開いた口に火の気のない家特有の冷気が入り込む。
ディルクは両肘を机の上に乗せて、手を組んだ。その組み合わせた手の上に顎を載せて、対面の自分を眺めている。
「この家、いいでしょう? 母さんに頼んで建ててもらったんだ。僕は収穫祭の後に独立してこの家に住む。だからフィルカも、収穫祭のあと引っ越しておいで」
「……え? でも、あの」
「あんなボロボロの小屋にはもう住まなくていいんだよ。嬉しいでしょう?」
ね? と笑顔のまま首を傾げるディルクに胃の腑が急速に冷えていく。
(どういうこと? 一緒に住む?)
たらりと冷や汗が背を伝っていた。
はっきり言ってディルクのことは、村長の家に居候をしていた頃から、困った弟程度の存在でしかない。
一緒に、ましてや二人きりで住みたいなんて思う相手ではないのである。
「どういう……意味、ですか……?」
「そのままの意味だけど?」
恩義のある村長。自分を憎み虐げる村長の妻。数少ない友達になってくれたゾフィ。
そして、いまいち何を考えてるのかよく分からないディルク。
これが自分の中の村長一家である。
彼は昔から、姉であるゾフィではなく居候の自分のあとをついて回る子供だった。
その様子は目撃した村人達が眉を顰めるほど酷かった。
あの頃はまだ自分が魔女の力を少しも使えなかったこともあり、村人から見ればフィルエシュカは、村長の息子を誑かそうとする小さな悪女だったに違いない。だから懐かれても少しも嬉しくなんかなかった。
森の奥での一人暮らしをきっかけにまじないをし始めたことで、やっと村に貢献出来るようになった。今では村の人達の対応も柔らかいが、ディルクの行動はそれらを台無しにする恐れがある。
想像するだけで震えが走った。
「ーーディルクさん、私は、あなたとは住めません。ご、ごめんなさい」
はっきり言ったにも関わらず青年は笑顔を崩さない。
「僕は誰かな? フィルカ」
食卓の向こうで立ち上がったディルクが、自分の横に立つ。伸びた手の爪が、自分の頬を掠めた。
「僕はこの村の次の村長だよね。領主の血を引くんだから当然だ。フィルカ、君の結婚相手としてはこれ以上望みようもない条件だと思うけど?」
「けっこん……?」
(いま、結婚って言った?)
鈍い自分でも結婚の意味くらいは分かる。
けれどまさかディルクに、そんな感情を向けられていたなんて、思いも寄らなかった。
彼が自分に向ける気持ちは家族に向けるものだとばかり思っていたのだ。
結婚、という単語に首の後ろの産毛がぞわりと逆立った。
「……やっ……!」
距離を取ろうとした次の瞬間、ディルクが両手で、服の上からフィルエシュカの鎖骨を押し込んだ。
「ーーっ!」
痛みに顔を歪めると、それまでの上機嫌さなどかなぐり捨てた青年が耳元に囁く。
豹変した雰囲気に痛さよりも恐ろしさが勝る。
外は明るいのに、秋の陽光が窓から差し込んでいるというのに、目の前は暗く、まるで濁った沼の底に引き摺り込まれていくようだった。
「ーー君も、君のまじないも僕のものだ。あのまじないがあればこの村はもっともっと大きくなれる……あんなぽっとでの男なんかに、渡してやるもんか」
ディルクの吐息が耳にかかる。
ーーウォルとは違う。
「君は収穫祭に僕と出て、僕とここで暮らして、僕の妻になって、僕の子を産むんだ」
「い、嫌……っ!」
ーー逃げなきゃ。
立ち上がってこの家を出よう。そう思っても、鎖骨を押さえつけられたままではそれも出来ない。そもそも力で敵うはずがなかった。
年上とはいえ小柄な自分の力が、順調に身長を伸ばした男のそれに敵うわけがない。
ディルクの手を離させようと小刻みに震える両手を持ち上げるが、今度はその腕を掴まれた。
怪我した箇所を上から強く握り込まれたせいで、突き刺すような痛みが走る。
「痛い!! はなして……っ!」
前はこんなことをする人ではなかった。
気弱で、どちらといえば、フィルエシュカを物陰から覗いているような子だったはず。
「いやぁ……っ!!」
振り解けないと分かっていても無茶苦茶に腕を動かした。でも、それは男をさらに興奮させる材料にしかならない。興奮した牛のように荒い息に、嫌な予感が駆け巡った。
「はな、してぇ……っ」
涙交じりのフィルエシュカの声に、ディルクがごくり唾を飲み込んだその時だった。
「ーーフィルエシュカ!!」
家の扉を叩き割るような勢いで、ウォルフリートが怒鳴り込んできたのは。
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