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「……ウォルは、あったかいですね」
しおりを挟む温かい揺籠のような、安心できる場所。
ぬるま湯に似たその居場所から唐突に放り出される感覚に、ぱっと目を開ける。
すると、ウォルフリートの背中が遠ざかってゆくところだった。
「まっ……」
待って、と言おうとしたのに喉の奥で痰が絡んで上手く言葉にできなかった。けれど、呼び止めるには十分だったらしい。男が振り向いた。
ウォルフリートは戻ってきて、すぐ側に腰を下ろす。そこでやっと自分が、森の小屋の寝室に寝かされているのだと気がついた。結局ずっと寝ていたのだ。
「なんだ?」
ぶっきらぼうな声だ。けれど、その響きが前とは違って聞こえるのは気の所為だろうか。
優しさを含んでいるように聞こえるのは、ただの願望だろうか。
「ウォル、あ、あの」
呼び止めたはいいものの、何か言いたいことがあったわけではない。男はじっとフィルエシュカの言葉を待っているというのに。
迷った結果言えたのはただのお礼。
「ありがとう、ございました。あの、色々……」
色々で済ませるなんて失礼な話だ。自分でもそう思う。
けれど今はこれが精一杯。
顔が熱くて、心臓が今にも口から飛び出そうだから。
(やっぱり何かの病気かもしれない)
礼を伝えられた男の反応は、じっと見ていないと分からないほど些細なものだった。
表情は少しも変わらない。けれどその深緑の宝石のような瞳が、一段と煌めいている。
そっと掛布の下から手を出した。
その手には、朝とは違う包帯が既に巻かれている。
(寝てる、間に)
村から森まではとても遠くて、足下も悪い。なのにウォルフリートはその道を、ずっと抱えて帰ってきてくれたのだろう。
それだけでなく寝台まで運んで、手当てして、掛布を掛けてくれて、そっと音も立てずに去ろうとしていたのか。
ぎゅっと胸の辺りが痛い。
彷徨っていた手を、男の頬へと伸ばした。
指先が触れた肌の温度にほっと安堵する。目が覚める前自分を包んでいた温もりはこれだったのだ。
「……ウォルは、あったかいですね」
「ーーっ」
声を詰まらせた男の手が、頬に伸ばした指を掴む。
そのまま自分の指先は、どういうわけか、男の唇へと運ばれた。
突然のことに動揺する暇さえない。
ウォルフリートの湿った唇が何度も爪と、指の腹を啄んだ。
「ウォ、ル? ひゃ……んんっ」
ぞくりとする背筋は、まるでそこだけ風が吹き抜けたみたいだ。
ちゅ、ちゅ、という聞いたこともないような音。
それが、男の唇と自分の指先が触れ合う音なのだと、否応にも分からされる。
ーー恥ずかしい。
このままだと自分は蒸発していなくなってしまうんじゃないか。
もうやめて、という意を込めて男を見つめると、呼応するように緑の瞳がすっと細められる。
次の瞬間には、手のひらを強く吸い上げられていた。
「あっ……!」
針を刺した時とは違う甘い痛みに肩が跳ねたあと、男はやっと手を解放してくれた。
手を弄ばれた時間は、たった僅か。十を数える程度だ。なのに息が荒くなっていた。
(いま、の、なに……?)
唐突すぎる、まるで理解の出来ない男の行動と自分の反応に頭が混乱する。
ふと見れば、彼は自身の口元を指で拭っていた。
それは見てはならないものを見ている気になるような光景だった。
拭い終えると男はおもむろに立ち上がる。
「起き上がれるなら飯にする。それともここへ持ってくるか?」
「お、起きれます……」
心得たように頷き寝室を出ていく男を、今度は呼び止めなかった。
***
上の空で食べ終えた夕食の食器をウォルフリートが下げている。
自分で下げようとしたところ、止められたのだ。
ディルクに強く掴まれたせいで、せっかく治りかけていた手首の怪我が再燃してしまったせいである。
申し訳なさが押し寄せてくる。
(結局今日は、村で魔女になる条件も満たせなかった)
さっさと満たして解呪に取り掛からなければ、ウォルフリートはいつまで経っても家に帰れない。
それはダメだ。彼には、彼を待つ家族がいる。
彼は冬の間もここにいるような口ぶりだったし、その準備もしているようだが、出来ることなら年を越す前には帰してあげたい。
新年を迎えるときくらいは、家族と共にいたいと考えるのが、普通なんだから。
「話がある」
洗い物を終えた男が食卓に腰掛ける。
自分が考え事をしている間に男はさっさと家事を終えたらしい。
「お前、俺に隠し事をしていないか」
「かくしごと?」
首を傾げた。
それを見る男の目は苛立ちを含んでいる。
「違うか。ーー話していないことがあるだろう」
「それは……」
たくさんありますけど、と口にする勇気はなかった。
自分は別に秘密主義でもなんでもないが、聞かれていないことをぺらぺら喋れるような性格でもない。
それに、ウォルフリートだって口数は多くない方だろう。
「訊かれたら答えますよ?」
その答えに男の片眉がぴくりと上がるのが見えた。
「訊かれたら、か」
ふ、と皮肉気に口元が歪んで。
ウォルフリートの整った顔に、物騒な笑みが浮かぶ。
「ならば……一人前の魔女になる条件が男に抱かれることだというのも、俺が訊かなければ、永遠に黙っていたというわけだな?」
頭の中で、危険を知らせる音が鳴った。
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