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「ずっとじゃありません。一度だけですよ」
しおりを挟むウォルフリートの手が、後頭部をゆるゆると撫でている。
抱き締められ密着した体から伝わってくるのは、速い鼓動と、高い体温。
(えぇと、結局、魔女になる条件は、ウォルが満たしてくれるってことでいいのかな?)
百歩譲ってそれはまあいい。しかし問題は、余計な質問にも迂闊に答えてしまったことだろう。
金の頭を撫でながら、男は何度も同じ言葉を繰り返す。
より深く、濃く染み込むように。
「フィルエシュカ、約束したぞ。俺以外の男に触れさせるな。俺のそばから離れるな」
「……ひゃい」
汗が流れた。
自分はこの人と、とんでもない約束をしてしまった。
たぶん呪いが解けるまで、という意味だと思うが、それにしても滅茶苦茶だ。特に二つ目。
(でも、ウォルは呪いが解けたら帰るんだし)
自分がこの小屋を離れる理由はない。
ならきっと呪いが解けるまでだ。それならば仕方ないと半ば投げやりになっていると、男が躊躇いがちに尋ねてくる。
「……フィルエシュカ、最後に一つだけ、訊いていいか」
「いくらでもいいですよ?」
抱き締めていた腕の力を弱めた男の目は、真剣みを帯びている。
口を何度か開け閉めする様子に、どんな質問をされるのかと身構えた。
「その、だな……村長の家で、暴力を、振るわれていたのか?」
「へ?」
何だそんなことか、と拍子抜けしてしまった。
確か帰ったら説明すると自分から言ったと思う。その後のディルクの衝撃ですっかり忘れていたが。
「ずっとじゃありません。一度だけですよ」
「……何をされた?」
「たいしたことじゃ……火かき棒を押し付けられたくらいです」
「何だと!?」
途端、凶暴な色を目に宿した男に首を傾げたくなった。
なぜウォルフリートはこんなにも、フィルエシュカのために怒るのだろう。
怒ってくれるたびに背中がむず痒くなる。
この感覚に慣れると、一人暮らしに戻るのは大変そうだ。
「私が悪かったんです。奥様の前で、ゾフィを呼び捨てにしたので」
男の目は説明を求めていた。普通は子供同士が呼び捨てにしあったところで、親が火かき棒を押し付けたりはしない。それは、高貴な人々でも共通の認識らしい。
「……私の、昔話からですね」
つい嘆息が漏れそうになったが、許してほしい。
昔のことを話すのは、あまり得意ではないのだ。
***
「私はーー国境沿いの、小さな村で生まれました」
優しい父と母に囲まれていた。
村は豊かとは言えなかったし、ご飯は朝と夜だけだったけれど、あの頃自分は幸せだった。
一年を通して温暖な気候の土地の人々は、性格も大らかだ。
争いの影も形もない静かな村。
しかしその平穏は、フィルエシュカが十歳になる直前のある日、失われた。
「今朝も言いましたよね。国境沿いで小競り合いがあって、両親が死んだって」
他の子供達と森で採集をするため、村を離れていたその間。
預かり知らぬところで突発的に起こった衝突の火花は、村にも及んだ。逃げ遅れた村の大人は、ほとんどが略奪の最中に殺された。
帰ってきた子供達を待っていたのは、血と煙によって変わり果てた村と、親達の死体という、残酷な現実。
あの光景だけは今でも、目を閉じれば鮮明に思い浮かべられた。
そして悲しみに浸る間もなく、フィルエシュカと他の子供はみな、兵士に捕まったのである。
「捕まった……?」
ウォルフリートの声は震えていた。
兵士に捕まった子供の未来は、大体悲惨なものになる。それを知っているのだろう。
「あの時のことは、あんまりよく思い出せません。私は両親の死体すら見つける間もなく捕まったので。でも、二人が死んだことだけは分かりました。ーーひとつめの、条件を満たしたから」
魔女になるための三つの条件。
ウォルフリートはもう村長から聞いているのだろう。
魔女だけが知る旋律のない歌を、小さな声で口ずさんだ。
「ーーひとつ、ふたおや死に別れ、ふたつ、友ゆく死者の道、みっつ、この身を穢すことーー」
生まれながらに魔女ではあるが、完全な魔女ではない少女達は、一つ失うごとに一つを得る。
フィルエシュカは両親を亡くす条件を満たしたことで先代の記憶が甦り、初めて己が魔女なのだと自覚した。
それは両親ともう二度と会えないという証拠に、他ならなかった。
***
フィルエシュカが言葉を切ると、二人しかいない小屋の中に沈黙が降りる。
ウォルフリートはこちらを見下ろしたまま硬直している。
強張ったその顔が痛々しくて、そっと指を伸ばした。触れるとそこは、ひんやりと冷たい。
「……兵士達によって子供は山分けされて、私は商人に売られました。多分、娼館にでも卸される予定だったんだと思います」
これ以上聞かせるのは可哀想な気もした。しかしそれでは、目の前の男は決して納得しないだろう。
指先から手のひらを、男の頬を包むように押し当てた。その手を、自分より二回り以上大きい手が覆う。
いつもカサついていた厚みのある男の手は、今は血が通っていないかのように冷たい。
「……ここでやめときます?」
「お前が、辛いなら」
こんな時でもフィルエシュカを気遣う男に、ふっと肩の力が抜けた。
話している間は気づかなかったが、自分も緊張していたらしい。
「もう辛くありません」
強がりではなく、本当に辛くなかった。
けれど口にすればするほど、ウォルフリートの顔は歪んでいく。
彼の中ではきっと、自分は悲劇の主人公になっているのだろう。それは心外だ。
「……私のような子は、いえ、私より酷い目に遭った子はたくさんいます。それでも私は幸運でした。娼館じゃなく、村長さんが買ってくれたので」
自分を買い上げたのは娼館の主人ではなく、たまたま立ち寄ったチセ村の村長だった。
娘と同じくらいの年頃の子供が売られていく姿に、あの優しい性格は耐えられなかったのかもしれない。
「あの男が」
「はい。しかも、成人まで村長さんの家で下働きすれば、そのあとは自由にしてくれるって約束までしてくれたんです」
しかし実際には成人よりも早く、解放された。
理由とその後のことを語るには、少し夜が更け過ぎている。あくびが出た。
(今日はまじないの数、多かったから……)
夕食の前まで眠っていたはずなのに、襲ってくる眠気に耐えられそうにない。頭を男の胸に再び預けると、体の強張りが瞬時に伝わってくる。
「続きは明日でもいいですか? ……眠くて」
「ああ」
すると強張っていた体が嘘のように、男は滑らかな動きでフィルエシュカを抱き上げる。そのまま歩き出す足は、迷いなく寝室を目指した。
その胸にすり、と頬擦りをする。上等な布の感触だ。
(やっぱり、ウォルの抱っこは、きもちいい……)
この体温と揺れは癖になる。
しかもこの胸板はフィルエシュカの布団よりもしっかりと、身体を押し返してくるのだ。
寝台に下ろされた時にはそこがあまりにも硬くて冷たくて、がっかりしてしまうほどだった。
ぼんやりしてきた耳に、男の優しい声が落とされる。
「……お前が生まれた村の名は?」
「えっと……アルラザ……」
もう無い村の名を聞いてどうするのだろう。
長い間口にすることのなかった名に、郷愁が雫となって目からこぼれ落ちる。
雫を掬いとる指がまつ毛を掠めた。
「わかった。お前はもう、ゆっくり休め。全て俺が引き受けるから」
「はい……」
ぼんやりしながら返答すれば、額に柔らかいものが押し当てられる。
頭を撫で続ける手に、その夜は両親の夢を見た。
なぜか二人が岸の向こうからこっちへ向かって必死の形相で叫び、手を大きく振る。そんな夢を。
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