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「この花は……?」
しおりを挟む――私だけのウォルじゃなくなっちゃう。
それを口にしてすぐ、しまった、と思った。これでは、まるで先代のようだ。
幼い頃を除けば、フィルエシュカは、自分は結婚してはいけない存在だと思っていた。
両親をはじめとした大切な人たちとのつらすぎる別れを、二度と味わいたくないという気持ちもある。加えて何より心配だったのは、嫉妬だ。
もし愛した人――恋人や、夫が、自分を裏切ったら?
その時、先代と同じことをしないという保証は、どこにもないのではないか?
その疑問は年数が経つごとに、恐れへと変わっていた。
なにせ別人とは言え、自分は先代の生まれ変わりなのだ。
きっと、はじめの皇帝を呪いで縛り付けるほど愛していた先代と、本質的には何ひとつ変わらないに決まっている。
だからずっと人や村と、距離を置いて壁を作って、孤独に甘んじてきたというのに。
ウォルフリートはここに来てからのたった数週間で、それを全て壊してしまった。
決壊した思いを紡いだ口を、慌てて手で押さえるが、もう遅かった。
ウォルフリートは目を見開いてフィルエシュカを見下ろしている。
「俺は――お前を、不安にさせていたんだな」
ウォルフリートはそう言うと、フィルエシュカを膝から降ろし、自らの代わりに椅子に座らせた。
緑の目が、驚きの代わりに浮かべた優しさをそのままに、フィルエシュカを見つめている。
その目に弱かった。
「お前だけを大切にすると言ったが、どうやら足りないらしい。少し待っていろ」
くるりと踵を返した男はそのまま止める間もなく、小屋を出て行った。そして言葉通り、ほんの少し待っただけですぐ帰ってきた。
その手には、黄色い花弁をたたえる花が一輪。
それは、どこか記憶に訴えかけてくる姿の花だった。
湧き起こってくる気持ちに、首を傾げる。自分には花を愛でる余裕なんて、これまでなかった。なのに、この気持ちはなんだろうかと。
森では春から夏にかけて、極彩色の香りで人を誘うような花々が咲くが、自分は一つとして名前なんて知らないはずだ。もちろん、この花の名前も。
なのにその花の姿も、小屋の中に漂う淡い香りも、この胸を締め付けて離さない。
ウォルフリートはずんずん進んできたかと思ったら、椅子に座ったままのフィルエシュカの前に跪いた。そして、花を差し出した。
物語の挿絵のような姿に、思わず息を呑んだ。
「今朝、水汲みに行く途中で見つけた。この花は今の季節には咲かないから、狂い咲きだろう」
「この花は……?」
きょとん、としたのはフィルエシュカだけではなかった。
そういう顔をすると、彼はまるで少年のようだ。
「知らないのか? これは印の花だ。皇族の男が契ると、相手の体にはこの花を模した痣が浮かぶ。だから俺達は大切な相手に、必ず、この花を渡すことにしている……」
黄色い花弁が震えている、と思った。
しかしそれが、花弁ではなく、花を持つ男の手の震えが伝わっているのだと気づいた時、目の前の皇弟をまじまじと見てしまった。
いつもの仏頂面でも、悪人顔でもない。
何かを決意している顔がそこにはあった。
「……フィルエシュカ」
「は、はい」
今更ながら、自分の胸が震えていた。
まさか、と思った。
まさかそんなことが、あるわけない。自分なんかに、起こるはずがない。
そう言い聞かせても、厚みのある唇から、少しも目が離せなかった。
「この印の花に誓う。俺は、お前を苦しめる全てのものを、取り除こう。そして生涯お前だけを慈しみ、愛し抜く。だからどうか俺の――妃に、なってほしい」
あるわけがないと思っていた。
こんな――物語のような、プロポーズなんて。
「フィルエシュカ……俺は……お前を、愛しているんだ」
***
高かった秋の空が、少しずつ蓋をするように、曇りがちの冬の空に変わった。
ウォルフリートのプロポーズから、今日でもう三日経つ。
明日は収穫祭、その翌日にはとうとう皇都から迎えの馬車が到着する。
フィルエシュカはお気に入りの窓辺に寄りかかりながら、包帯の無くなった手首を見つめていた。ウォルフリートによる献身的な治療のおかげか、痣も痛みも、もう無かった。
ウォルフリートはここにはいない。今朝早く、フィルエシュカの食事を用意してすぐ、チセ村に向かってしまったから。
(どうしよう……)
寝ても覚めても頭を占めるのは、ずっと一人のことだ。
あの日、折角のプロポーズに、言葉を詰まらせて返事すら出来ないフィルエシュカに、ウォルフリートは笑顔で「返事はまだいい」と言ってくれた。
「いつまでも待ってやれるわけではないが……そうだな、収穫祭の夜にでも聞かせてくれ」
「収穫祭の、夜?」
なぜその日なのだろう、という疑問は洩らさず伝わったようだ。
ウォルフリートは、あるいはゾフィよりも、フィルエシュカの表情を読むことに長けていた。
「俺の妃になってくれるのなら、俺はお前を城へ連れて行く。だがもし、お前が俺に対して、その気になれないというのなら――」
ごくり、と唾を飲み込んで、続きを待った。
「……この領地の隣、辺境伯領の領主夫妻に、お前を預けていこうと思う」
「へん、きょうはく?」
初めて聞く言葉だった。
領主はただの領主で、領地はみんなただの領地ではないのか。
ウォルフリートは黄色い花弁の花を、フィルエシュカの手に押し付けるように握らせた。
その時触れた男の手は、燃えるように熱かった。
「辺境伯は皇族と血の繋がりもある、穏やかで忠誠心の強い、信頼に足る人物だ。その奥方も優しい貴婦人の手本のようなお方で、俺の祖母の友人でもある。お前の安全を考えれば、この上ない預け先だろう」
「あ、預け先って……子供じゃないんですから……」
彼についていかないからと、なぜ預けられなければならないのか。
しかし厳しい顔つきで男は続ける。
「そうだ。子供じゃない。だから一人には出来ないんだ。目を離したら、いつ何どき、不埒な考えを持つ者が、お前に言い寄るか分からないだろう?」
「で、でも、まじないがありますし……」
フィルエシュカのまじないで、この小屋の敷地には悪意を持つ者は入れなくなっている。納得いかないのか、男は眉間に皺を寄せて首を振った。
「猪のことを俺は忘れていない」
それを言われると、ぐうの音も出ない。
つまり彼は、彼自身が実家に帰る間、フィルエシュカを他の男の魔手から護るためだけに、高貴な方々に預けていく気なのだ。
(そんな、むちゃくちゃな)
どうか預けられる身にもなってほしい。
フィルエシュカ自身は、そのなんとか伯達と顔見知りでもなければ、親戚でもなんでもないのだ。預けられたところで、いたたまれない気持ちになるに決まっている。その光景を頭に浮かべるだけで冷や汗が流れてきそうだった。
「ご迷惑ですよ……」
「俺が戻るまでの数週間だけだ。きっと孫娘のように可愛がって頂けるから、何も心配するな」
跪いたまま、ウォルフリートは花を持つフィルエシュカの手を覆うように握った。
「俺の妃として共に来るか、辺境伯のもとで俺を待つか、お前の好きにしたらいい。だが忘れるな。お前がどちらを選んでも、俺は生涯お前のそばにいる。お前が大切にする居場所ごと、守ってみせよう」
「ウォル……」
「ただし言っておくが、お前を魔女にするのは俺だ。何があろうと、絶対に、誰にも譲らないからな」
「う……うん……」
ずいぶんと「何があろうと」「絶対に」を強調する男に、うなずく以外の術があっただろうか。
ウォルフリートは返事に満足したのか、手をフィルエシュカの頬に添えると、唇を軽く重ねた。
それは、優しい優しい口付けだった。
これまでにした、フィルエシュカの官能を引きずり出そうとするようなものとは違う。互いの唇の柔らかさを、ゆっくりと時間をかけて確かめ合うような口付けだったのである。
それからというもの。
フィルエシュカは、ウォルフリートを見るだけで、心臓が全力疾走したときのように脈打つようになってしまった。
まともに顔も見れないフィルエシュカに対して、一方のウォルフリートはほんの少しも、以前からの態度を崩さない。
堂々として、ぶっきらぼう。かと思えば、甘くて優しい。
変わったところがあるといえば、寝台の中での振舞いだろうか。
強引に添い寝をしてくるのは変わらなかったが、口付け以外は求めてこなくなった。
その口付けもプロポーズの時と同じ、触れるだけの優しいものである。
唇が重なるたびに、体の奥が物欲しそうに脈打って、かえって気が狂いそうだった。
でも不思議なことに、添い寝をされると驚くほど寝付きが良く、その上朝日が昇るまで一度も目覚めないので、寝不足とは無縁の生活でいられた。
明日はいよいよ収穫祭。そして、返事の期限だ。
しかしフィルエシュカの心は全く定まっていなかった。
結婚云々は大問題だが、それよりも何よりも、いまだに自分の気持ちがわからないでいるのだ。
ウォルフリートを、好きなのか。
それはもちろん好きだ。でも、それは何の好きなのだろう。
どんなに考えても答えが分からない。
それは、自分の中にしかないのだと分かっていても、どうしても見つけられなかった。
(ウォルは時間をくれたのに……このままじゃ……)
頭を抱えていたところ、窓の外に人影が見えた。
何か大きな荷物を抱えたウォルフリートが、帰宅したところだった。
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