106 / 116
第106話 奇跡
しおりを挟む
『奇跡』、『不死身』、『恐怖』、『賢老』、『全知』。GMCが今までに討伐を確認している大魔族たちの二つ名だ。
基本的に不干渉が最善とされている大魔族という存在だが、それでも害獣であることには変わりない。時として戦わなければならない。
大魔族一体を殺すために、何人もの魔術師を死なせることがあった。町が一つ滅んだくらいで済めばまだ良いレベルの被害が齎されたことだってあった。
そしていつでも、人類が大魔族を殺すことができたのは、彼らが慢心していたからだ。
「チィ⋯⋯」
ロアに魔力は殆ど無くなった。魔法も魔術も使えないし、身体の魔力強化だってままならない。本体なら、と思っていたが、それでも無理かもしれない。
「⋯⋯⋯⋯」
シュラフトは眼が見えなくなっている。魔眼を使い過ぎた影響だ。魔眼を本来、魔力的に格上の存在に使っているからだ。
対して、大魔族レジアとカーテナは、魔力の底さえ見えないほどの余裕があった。
「⋯⋯もう終わりか」
レジアは肩で息をしているシュラフトを見て、そう言った。悲しみも何も含まれていない。ただただ、シュラフトの現状を的確に言っているだけだ。
「早く終わらせてあげよ! レジア! 可哀想だし何より時間かけ過ぎた! 流石にボクたちでも増援まで相手にしてたら骨が折れるよ!」
「それもそうだな。じゃあな、『死の魔術師』。これで──」
その時、レジアは斧を持っていた手を振り上げたまま、止まった。目を見開き、何かに驚いた様子だった。
原因は分からないが、これを好機と捉えたシュラフトは大剣でレジアの首を刎ねようと動いた。が、
「馬鹿な」
魔圧で、吹き飛ばされた。
「⋯⋯嘘でしょ」
カーテナも何かに動揺しているようだ。
そしてロアとシュラフトは、事態は急変したのだと理解する。事態はまだ、最悪ではないということに。
「それでも特級魔術師か? シュラフト」
聞き覚えのある声がした。その声の主はいつの間にか現れていた。
「⋯⋯スカーレット」
吸血鬼、イアが、シュラフトたちとレジアたちの間に立っていた。
イアはニッコリと笑ったあと、言う。
「まあいい。爺さんとそこの魔法使いは引っ込んでいろ。邪魔だから」
そんなイアに対して、レジアは魔力を奪う種子の弾丸を放つ。だが、イアに当たる前にそれら種子は空中で停止する。
それから彼女はゆっくりと振り返り、
「もう分かっているはずだ。君たちのオトモダチは私が殺した。そして君たちもこれから死ぬ。覚悟しろ。GMCをここまで壊しておいて、ただで逃げられると思うなよ」
「やはりお前か。イア・スカーレット⋯⋯」
イアは一般攻撃魔術を行使した。レジアは魔性植物である魔力を弾く花と防御魔術を活用し、それを何とか防ぎきった。
「──素に水と塩。混沌は混ざり合う。天地を別ち、全を生む。なれば結ぼう。なれば滅する。故に僕は──〈天の鎖にて万象を繋ぐ〉ッ!」
その間に、カーテナは心核結界を完全詠唱にて行使した。
鎖で構築された球体状の心核結界。内壁から伸びるいくつもの鎖によって、イアは身動き一つ取れなくなった。
(拘束に特化した結界魔術か)
そして拘束した対象に、楔の先を持つ聖鎖を伸ばす。不可避の攻撃魔術だ。死は免れない。
イアという化物を除き。
彼女は防御魔術を全面展開し、聖鎖を受け止める。ミシミシと防御魔術が音を立てていた。
「このまま壊してあげる!」
「十二の死槍。六十の呪縛。堕ち、絶望し、贖い、抗う。霞掛かる世界。絶えず鼓動する音。溺れよ。揺れよ。心核結界〈壊れた幻想〉」
後出しであるにも関わらず、内側から心核結界を一瞬、塗り替えた。
空間支配が途切れた。制御を取り返さなくては。カーテナはそう思い、実行しようとした。
カーテナにはそれができる。心核結界の技術は、彼女のほうが上だったからだ。しかし、遅かった。遅すぎた。
カーテナの胸に風穴が空き、心核結界が崩落する。
「な⋯⋯に⋯⋯が⋯⋯」
血反吐を吐きながら、カーテナは膝を地につく。
「カーテナっ!?」
レジアは、まさか心核結界の勝負でカーテナが負けたことが信じられなかった。
「中々に梃子摺らせるな、魔族。驚いたぞ」
「⋯⋯っ」
逃げる、という手段は取ることができない。スピードはイアの方が上だからだ。
戦って勝つこともできない。このまま死ぬだろう、そんな気がした。
死にたくない。生まれて初めて、レジアは恐怖という感情を抱いた。
なんてことのないただの一般攻撃魔術をイアは放つ。もう一度、レジアはそれを防御する。
しかし、イアは門を増やした。たったそれだけの単純なことで、レジアは抗うことができなくなってしまった。
ここまま消し炭にされる──そう、思った瞬間。
「──っ?」
いつの間にか、辺りの景色が変わっていた。森の中だ。
そして目の前には見知らぬ男が、しかし魔力には覚えのある者が立っていた。
「⋯⋯なんのつもりだ、ギーレ」
あの絶体絶命の状況から逃げられた理由は、目の前の彼だ。ギーレは腕を組み、満身創痍となったレジアとカーテナを見ている。
「なんのつもり⋯⋯か。じゃあ素直に答えよう。君たちと協力したいんだ、私は」
「⋯⋯は?」
ギーレの言った言葉が信じられなかった。
レジアたちがギーレを殺そうとしていたことを、彼は知っているはずだ。
なのにどうしてギーレはレジアとカーテナを救い、あろうことか協力しようなどと言っているのか。分からなかった。
「何か難しいことを言ったかな、私は。⋯⋯確かに私たちは殺し合う関係だ。でもね、今の状況をきちんと整理してみるといい。仮にも同族だ、私たちは。人間に殺されそうになっている状況下でも、私たちは敵対したままでいるのかい?」
尤もなことを言っているが、しかし、レジアはギーレのことが信用ならなかった。
「⋯⋯何。過去のことは綺麗さっぱり忘れて、仲良くしようなんて言っていないさ。休戦だよ。GMCが邪魔だし、イア・スカーレットを殺したいのは同じじゃないか。ならそれまでは同盟を組もう」
沈黙が訪れた。レジアは考え込む。が、何が最善なのか分からない。
そんな彼に、ようやくカーテナが声を掛ける。
「⋯⋯レジア。ボクはコイツと手を組むべきだと思うね。信用できないのはそうだけど今は戦力が足りないことは真実だ。GMCとの睨み合いが決壊した今ボクたちは確実に狩られる立場になった」
過去に、GMCは確かに大魔族を狩ってきた。それを知っているカーテナは、結論付けた。例えギーレであっても、協力しなければこのまま犬死だ、と。
「⋯⋯分かった。ああ。ギーレ、癪だが協力してやる。だが勿論のこと、GMCを⋯⋯イア・スカーレットを殺す手段はあるんだな?」
「それがなければ君たちを助けることはなかったろうね。⋯⋯いい案を思いついたんだ」
◆◆◆
「ハロー⋯⋯午後一時から面会の予定の、マリア・ヒューズよ」
四十を超えたその人物は、GMCの受付の若い女性にそう話しかけた。
誰と面会するのかを彼女は言わなかった。しかし受付はこの疑問について追求することはしなかった。
「はい。ヒューズ様ですね。ええっと⋯⋯『そこの道の突き当りを右に曲がって、またずっと進んだあと、左側に扉があります』」
受付の女性はマリアに、事前に上司から伝えられていた言葉を言う。それはただの道順だ。しかし、受付の女性はその道順によって行くことのできる場所はないことを知っている。
「そう。ありがとう」
マリアは彼女から伝えられた言葉とは真逆の方向に進んだ。そして、右側を向くと、そこにはあるはずのない扉があった。
マリアは何の躊躇いもなく、その扉のノブに手をかけ、回し、カチャリ、という感触を覚えた後に押す。
部屋は一般的な会議室のようなところだった。ダークウッドのパネル張りが施されている。
部屋には窓はなく、天井にある蛍光灯が唯一の光源だ。中央には長机があり、椅子が四つ並べられている。
上座に当たる部分には一人の男が座っていた。
男は二十代の黒髪の人物だ。背丈は高く、立ち上がれば180cmはあるだろう。彼は黒のスーツを着ているが、着られているわけではない。
「さて、緊張しているようだね。ミセス、ヒューズ?」
男の声は優しく、包まれるようなものだった。外見年齢ではマリアの方が上だったが、まるで年上とでも話しているような感覚だった。
「⋯⋯ええ。勿論。あなたたもあろう方が、まさか私と面会するとは思わなく⋯⋯。いえ、失礼。それより、本日はどういったご用件でして?」
「ああ。ご存知の通り、我々GMCは君たち財団に救難要請を出した。それは二日前の出来事だ。そして君たちのおかげで、ここGMCルーグルア支部は復旧を完了した。これに関しては感謝しよう」
マリアは息を呑む。心臓の音が全身に響きわたっている。
「その過程で、我々は財団の防衛設備と人員をいくらか借受けたわけだが⋯⋯その中に、リストには明記のないものがあった」
男はどこからともなく用紙を出した。それには財団がGMCに貸与した設備、マシンの名称、及び派遣した人員のフルネームが記載されている。
「君もそうだ。マリア・ヒューズ。君はGMCに派遣された財団の奇跡論部門の長のはず。だが、このリストに君の名は記載がない。⋯⋯さて、君は何者かね?」
マリアはそのリストを見て、言葉を言い淀む。どの言葉が適切であるかわからなかったからだ。
彼女も元は財団のエージェント。実践経験がある。だから、一見無防備な目の前の男がただの人間ではないことに気がついているし、そもそも椅子に座っているだけのこの現状が本当はそうではないと分かっている。
変な動きを一つでも見せれば、魔術的に自身は殺されるだろう。
「⋯⋯あなたは奇跡論について、どれほどご存知ですか?」
「奇跡論。あるいは奇跡論的事象。現代科学では解明することのできない人為的な現象の総称。ただし我々が定義するところの魔術とは異なる⋯⋯だったか」
魔術畑の人間であろうと、財団が有する科学用語にも彼は精通しているようだ。それはマリアたちも同じ。彼女らも魔術のことを、魔族のことを、魔獣のことを、ずっと以前から知っていた。
「ええ。そうです。そして奇跡論は通常、それを奇跡として認識することはできない認識阻害が掛かっています。でなければ、それは奇跡とは呼べない」
数あるアノマリーの中でも、奇跡論として分類されているものとされていないものがある。これを定義するのは、それが奇跡論として認識できるかどうか。
「具体的には?」
「例えばアノマリー、G-4-0102。それはただのカバンです。そうですね。これくらいの」
マリアはジェスチャーでカバンの大きさを示す。一般的な手提げカバンくらいのサイズだ。
「少なくとも普通の職員は、なぜこれがアノマリーとして識別され、収容されているのかを理解できないでしょう。一つ聞きますが、あなたはカバンをどのように使いますか? そしてその結果、何ができますか?」
「カバンはものを入れることができるものだ。今君が示したサイズならば⋯⋯そうだね、ラップトップなら入るかな?」
「ええ。そう答えるはずです。カバンはものを入れるもの。そしてそれに応じたサイズのものなら入り、持ち運ぶことができる⋯⋯しかし、実際、G-4-0102は、私の知る限り実験において、ここにある机と同程度の大きさのものが入り、そしてそれを持ち運ぶことが容易でした」
「⋯⋯ほう?」
「つまるところ、ですね⋯⋯我々はそれをアノマリーだとして認識できないのですよ。我々はそれを普通のものであるとして認識してしまう。普通に考えて、こんな長机が入るカバンはないでしょうし、ましてや持ち運ぶことが容易なわけがない。しかし我々の誰もがそれを異常として認識できない。これが、定義するところの奇跡論的事象です」
「ふむ。理解はした。しかし、それと君の名がリストにないこと。関係はあるのかね?」
「それが異常として認識できないこと。あなたが私を認識できないのは、そしてそれがおかしいと思わないのは、奇跡論的事象であるがゆえ。⋯⋯そのリストにおかしな点はありませんか?」
男は考え込む。そして思考し、一つの質問に行き着いた。
「聞きたいんだが、いいかね? 君はどうしてアノマリーを異常だとして認識できるのか?」
「こちらになります。──GMC評議会、01」
マリアが差し出した一錠の緑色の薬を、男は躊躇なく手に取り、どこからともなく取り出したコップ入りの水によって飲み込んだ。
「改めて。──初めまして。私はRDC財団、奇跡論部門の部門長を勤めさせて頂いています、マリア・ヒューズと申します」
「──ああ。君がそうか。初めまして。私がGMC評議会の一人、01。そうだな、ジョンとでも呼んでくれ。そして⋯⋯ありがとう」
評議会員の一人、GMC創設メンバーである、通称ジョンは、マリア・ヒューズという名前が載ったリストを見ながら、その紙を束ねていた奇妙なクリップを外した。
基本的に不干渉が最善とされている大魔族という存在だが、それでも害獣であることには変わりない。時として戦わなければならない。
大魔族一体を殺すために、何人もの魔術師を死なせることがあった。町が一つ滅んだくらいで済めばまだ良いレベルの被害が齎されたことだってあった。
そしていつでも、人類が大魔族を殺すことができたのは、彼らが慢心していたからだ。
「チィ⋯⋯」
ロアに魔力は殆ど無くなった。魔法も魔術も使えないし、身体の魔力強化だってままならない。本体なら、と思っていたが、それでも無理かもしれない。
「⋯⋯⋯⋯」
シュラフトは眼が見えなくなっている。魔眼を使い過ぎた影響だ。魔眼を本来、魔力的に格上の存在に使っているからだ。
対して、大魔族レジアとカーテナは、魔力の底さえ見えないほどの余裕があった。
「⋯⋯もう終わりか」
レジアは肩で息をしているシュラフトを見て、そう言った。悲しみも何も含まれていない。ただただ、シュラフトの現状を的確に言っているだけだ。
「早く終わらせてあげよ! レジア! 可哀想だし何より時間かけ過ぎた! 流石にボクたちでも増援まで相手にしてたら骨が折れるよ!」
「それもそうだな。じゃあな、『死の魔術師』。これで──」
その時、レジアは斧を持っていた手を振り上げたまま、止まった。目を見開き、何かに驚いた様子だった。
原因は分からないが、これを好機と捉えたシュラフトは大剣でレジアの首を刎ねようと動いた。が、
「馬鹿な」
魔圧で、吹き飛ばされた。
「⋯⋯嘘でしょ」
カーテナも何かに動揺しているようだ。
そしてロアとシュラフトは、事態は急変したのだと理解する。事態はまだ、最悪ではないということに。
「それでも特級魔術師か? シュラフト」
聞き覚えのある声がした。その声の主はいつの間にか現れていた。
「⋯⋯スカーレット」
吸血鬼、イアが、シュラフトたちとレジアたちの間に立っていた。
イアはニッコリと笑ったあと、言う。
「まあいい。爺さんとそこの魔法使いは引っ込んでいろ。邪魔だから」
そんなイアに対して、レジアは魔力を奪う種子の弾丸を放つ。だが、イアに当たる前にそれら種子は空中で停止する。
それから彼女はゆっくりと振り返り、
「もう分かっているはずだ。君たちのオトモダチは私が殺した。そして君たちもこれから死ぬ。覚悟しろ。GMCをここまで壊しておいて、ただで逃げられると思うなよ」
「やはりお前か。イア・スカーレット⋯⋯」
イアは一般攻撃魔術を行使した。レジアは魔性植物である魔力を弾く花と防御魔術を活用し、それを何とか防ぎきった。
「──素に水と塩。混沌は混ざり合う。天地を別ち、全を生む。なれば結ぼう。なれば滅する。故に僕は──〈天の鎖にて万象を繋ぐ〉ッ!」
その間に、カーテナは心核結界を完全詠唱にて行使した。
鎖で構築された球体状の心核結界。内壁から伸びるいくつもの鎖によって、イアは身動き一つ取れなくなった。
(拘束に特化した結界魔術か)
そして拘束した対象に、楔の先を持つ聖鎖を伸ばす。不可避の攻撃魔術だ。死は免れない。
イアという化物を除き。
彼女は防御魔術を全面展開し、聖鎖を受け止める。ミシミシと防御魔術が音を立てていた。
「このまま壊してあげる!」
「十二の死槍。六十の呪縛。堕ち、絶望し、贖い、抗う。霞掛かる世界。絶えず鼓動する音。溺れよ。揺れよ。心核結界〈壊れた幻想〉」
後出しであるにも関わらず、内側から心核結界を一瞬、塗り替えた。
空間支配が途切れた。制御を取り返さなくては。カーテナはそう思い、実行しようとした。
カーテナにはそれができる。心核結界の技術は、彼女のほうが上だったからだ。しかし、遅かった。遅すぎた。
カーテナの胸に風穴が空き、心核結界が崩落する。
「な⋯⋯に⋯⋯が⋯⋯」
血反吐を吐きながら、カーテナは膝を地につく。
「カーテナっ!?」
レジアは、まさか心核結界の勝負でカーテナが負けたことが信じられなかった。
「中々に梃子摺らせるな、魔族。驚いたぞ」
「⋯⋯っ」
逃げる、という手段は取ることができない。スピードはイアの方が上だからだ。
戦って勝つこともできない。このまま死ぬだろう、そんな気がした。
死にたくない。生まれて初めて、レジアは恐怖という感情を抱いた。
なんてことのないただの一般攻撃魔術をイアは放つ。もう一度、レジアはそれを防御する。
しかし、イアは門を増やした。たったそれだけの単純なことで、レジアは抗うことができなくなってしまった。
ここまま消し炭にされる──そう、思った瞬間。
「──っ?」
いつの間にか、辺りの景色が変わっていた。森の中だ。
そして目の前には見知らぬ男が、しかし魔力には覚えのある者が立っていた。
「⋯⋯なんのつもりだ、ギーレ」
あの絶体絶命の状況から逃げられた理由は、目の前の彼だ。ギーレは腕を組み、満身創痍となったレジアとカーテナを見ている。
「なんのつもり⋯⋯か。じゃあ素直に答えよう。君たちと協力したいんだ、私は」
「⋯⋯は?」
ギーレの言った言葉が信じられなかった。
レジアたちがギーレを殺そうとしていたことを、彼は知っているはずだ。
なのにどうしてギーレはレジアとカーテナを救い、あろうことか協力しようなどと言っているのか。分からなかった。
「何か難しいことを言ったかな、私は。⋯⋯確かに私たちは殺し合う関係だ。でもね、今の状況をきちんと整理してみるといい。仮にも同族だ、私たちは。人間に殺されそうになっている状況下でも、私たちは敵対したままでいるのかい?」
尤もなことを言っているが、しかし、レジアはギーレのことが信用ならなかった。
「⋯⋯何。過去のことは綺麗さっぱり忘れて、仲良くしようなんて言っていないさ。休戦だよ。GMCが邪魔だし、イア・スカーレットを殺したいのは同じじゃないか。ならそれまでは同盟を組もう」
沈黙が訪れた。レジアは考え込む。が、何が最善なのか分からない。
そんな彼に、ようやくカーテナが声を掛ける。
「⋯⋯レジア。ボクはコイツと手を組むべきだと思うね。信用できないのはそうだけど今は戦力が足りないことは真実だ。GMCとの睨み合いが決壊した今ボクたちは確実に狩られる立場になった」
過去に、GMCは確かに大魔族を狩ってきた。それを知っているカーテナは、結論付けた。例えギーレであっても、協力しなければこのまま犬死だ、と。
「⋯⋯分かった。ああ。ギーレ、癪だが協力してやる。だが勿論のこと、GMCを⋯⋯イア・スカーレットを殺す手段はあるんだな?」
「それがなければ君たちを助けることはなかったろうね。⋯⋯いい案を思いついたんだ」
◆◆◆
「ハロー⋯⋯午後一時から面会の予定の、マリア・ヒューズよ」
四十を超えたその人物は、GMCの受付の若い女性にそう話しかけた。
誰と面会するのかを彼女は言わなかった。しかし受付はこの疑問について追求することはしなかった。
「はい。ヒューズ様ですね。ええっと⋯⋯『そこの道の突き当りを右に曲がって、またずっと進んだあと、左側に扉があります』」
受付の女性はマリアに、事前に上司から伝えられていた言葉を言う。それはただの道順だ。しかし、受付の女性はその道順によって行くことのできる場所はないことを知っている。
「そう。ありがとう」
マリアは彼女から伝えられた言葉とは真逆の方向に進んだ。そして、右側を向くと、そこにはあるはずのない扉があった。
マリアは何の躊躇いもなく、その扉のノブに手をかけ、回し、カチャリ、という感触を覚えた後に押す。
部屋は一般的な会議室のようなところだった。ダークウッドのパネル張りが施されている。
部屋には窓はなく、天井にある蛍光灯が唯一の光源だ。中央には長机があり、椅子が四つ並べられている。
上座に当たる部分には一人の男が座っていた。
男は二十代の黒髪の人物だ。背丈は高く、立ち上がれば180cmはあるだろう。彼は黒のスーツを着ているが、着られているわけではない。
「さて、緊張しているようだね。ミセス、ヒューズ?」
男の声は優しく、包まれるようなものだった。外見年齢ではマリアの方が上だったが、まるで年上とでも話しているような感覚だった。
「⋯⋯ええ。勿論。あなたたもあろう方が、まさか私と面会するとは思わなく⋯⋯。いえ、失礼。それより、本日はどういったご用件でして?」
「ああ。ご存知の通り、我々GMCは君たち財団に救難要請を出した。それは二日前の出来事だ。そして君たちのおかげで、ここGMCルーグルア支部は復旧を完了した。これに関しては感謝しよう」
マリアは息を呑む。心臓の音が全身に響きわたっている。
「その過程で、我々は財団の防衛設備と人員をいくらか借受けたわけだが⋯⋯その中に、リストには明記のないものがあった」
男はどこからともなく用紙を出した。それには財団がGMCに貸与した設備、マシンの名称、及び派遣した人員のフルネームが記載されている。
「君もそうだ。マリア・ヒューズ。君はGMCに派遣された財団の奇跡論部門の長のはず。だが、このリストに君の名は記載がない。⋯⋯さて、君は何者かね?」
マリアはそのリストを見て、言葉を言い淀む。どの言葉が適切であるかわからなかったからだ。
彼女も元は財団のエージェント。実践経験がある。だから、一見無防備な目の前の男がただの人間ではないことに気がついているし、そもそも椅子に座っているだけのこの現状が本当はそうではないと分かっている。
変な動きを一つでも見せれば、魔術的に自身は殺されるだろう。
「⋯⋯あなたは奇跡論について、どれほどご存知ですか?」
「奇跡論。あるいは奇跡論的事象。現代科学では解明することのできない人為的な現象の総称。ただし我々が定義するところの魔術とは異なる⋯⋯だったか」
魔術畑の人間であろうと、財団が有する科学用語にも彼は精通しているようだ。それはマリアたちも同じ。彼女らも魔術のことを、魔族のことを、魔獣のことを、ずっと以前から知っていた。
「ええ。そうです。そして奇跡論は通常、それを奇跡として認識することはできない認識阻害が掛かっています。でなければ、それは奇跡とは呼べない」
数あるアノマリーの中でも、奇跡論として分類されているものとされていないものがある。これを定義するのは、それが奇跡論として認識できるかどうか。
「具体的には?」
「例えばアノマリー、G-4-0102。それはただのカバンです。そうですね。これくらいの」
マリアはジェスチャーでカバンの大きさを示す。一般的な手提げカバンくらいのサイズだ。
「少なくとも普通の職員は、なぜこれがアノマリーとして識別され、収容されているのかを理解できないでしょう。一つ聞きますが、あなたはカバンをどのように使いますか? そしてその結果、何ができますか?」
「カバンはものを入れることができるものだ。今君が示したサイズならば⋯⋯そうだね、ラップトップなら入るかな?」
「ええ。そう答えるはずです。カバンはものを入れるもの。そしてそれに応じたサイズのものなら入り、持ち運ぶことができる⋯⋯しかし、実際、G-4-0102は、私の知る限り実験において、ここにある机と同程度の大きさのものが入り、そしてそれを持ち運ぶことが容易でした」
「⋯⋯ほう?」
「つまるところ、ですね⋯⋯我々はそれをアノマリーだとして認識できないのですよ。我々はそれを普通のものであるとして認識してしまう。普通に考えて、こんな長机が入るカバンはないでしょうし、ましてや持ち運ぶことが容易なわけがない。しかし我々の誰もがそれを異常として認識できない。これが、定義するところの奇跡論的事象です」
「ふむ。理解はした。しかし、それと君の名がリストにないこと。関係はあるのかね?」
「それが異常として認識できないこと。あなたが私を認識できないのは、そしてそれがおかしいと思わないのは、奇跡論的事象であるがゆえ。⋯⋯そのリストにおかしな点はありませんか?」
男は考え込む。そして思考し、一つの質問に行き着いた。
「聞きたいんだが、いいかね? 君はどうしてアノマリーを異常だとして認識できるのか?」
「こちらになります。──GMC評議会、01」
マリアが差し出した一錠の緑色の薬を、男は躊躇なく手に取り、どこからともなく取り出したコップ入りの水によって飲み込んだ。
「改めて。──初めまして。私はRDC財団、奇跡論部門の部門長を勤めさせて頂いています、マリア・ヒューズと申します」
「──ああ。君がそうか。初めまして。私がGMC評議会の一人、01。そうだな、ジョンとでも呼んでくれ。そして⋯⋯ありがとう」
評議会員の一人、GMC創設メンバーである、通称ジョンは、マリア・ヒューズという名前が載ったリストを見ながら、その紙を束ねていた奇妙なクリップを外した。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる