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第109話 三年前のこと
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──彼女に初めて会った時、私は目を奪われた。何て素敵なお姫様なのだろう、と。
──。
────。
──────────。
大きな戦争があった。
『無貌』の大魔族と、魔術師たちの争い。
その大魔族を討ち取ったのは、当時魔術師ライセンスを持たない人だった。
けれど、結果としてその人は特級魔術師になった。
特級とは、一級の斜め上の等級。実力ではなくその危険性で認定されるもの。
しかし、その特級魔術師は実力で、そうであると認められた。
だから課せられる制約も、実力を封じる類のものであり、それに相応しいとして挙げられたのが私のお父様だった。
グルーヴ家相伝の固有魔力、『無限結界』。汎用術式である結界術式とは違って、無限の概念を内包する自由度が非常に高い魔術。
私も『無限結界』の魔力を持っているけど、お父様ほど使いこなせない。
最高の結界術師であるお父様は、その特級魔術師の力を抑制する拘束術式を見事に完成させた。
そして、私たちの家で、その特級魔術師を管理することになった。
最初は怖かった。だって、特級魔術師だもの。国一つ簡単に滅ぼすことができる災害そのもの。怖くないほうがおかしかった。
けれど、彼女に会ったら、怖いとは思わなかった。むしろ⋯⋯。
半分がまるで冬の夜空のように澄んだ黒色で、半分がまるで絹のように滑らかで純粋な白色の長髪。
絵本に出てくるお姫様が着るような紅いドレスを着ていた。
彼女はその吸い込まれるように暗く、紅い、不思議な模様の目で、私の方を見た。
多分、同年代の少女。凛とした表情で、微笑みを浮かべ、その口を開いた。尖った犬歯が見えたけれど、私には気にもならなかった。
「⋯⋯こんにちは。私はイア・スカーレット。貴女のお名前は?」
鈴のような声で、彼女──イア・スカーレットは私に名前を訊いた。
◆◆◆
イアと初めて会ってから一週間が経った。
彼女は特級魔術師。国を滅ぼす力を持っている化物。
⋯⋯だとは、到底思えなかった。
彼女は、ただの女の子だった。
可愛いお洋服が好きで、色んな景色を見て楽しんで、かけっこをしたり、お花を愛でたり、午後に紅茶と甘いお菓子を食べたり。
食事の場では輸血用パックを飲んでいるけど、それ以外は私と何ら変わりない女の子。
「イア、そういえば普通に過ごすから忘れていたけど、吸血鬼なのよね? どうしてお日様の下に出ても大丈夫なの?」
イアは人間ではなくて、吸血鬼らしい。
私が知る吸血鬼は、太陽に焼かれ、流水を超えることができなくて、鏡に映らなくて、血を吸う怪物。あとニンニクとか十字架が嫌い。
「うーん⋯⋯私がハーフだからかな? あ、でもニンニクは苦手よ」
「へー」
どうも彼女は自分の体についてよく知らないらしい。
そんなことはすぐに忘れて、私はイアといっぱい遊んだ。だってとても良い日だったから。
その日はずっと遊んだ。
その次の日は魔術のお勉強をした。イアも一緒に、お父様から魔術の指導を受けていた。
イアは最強の特級魔術師なんじゃないの? と最初は思っていた。けれど、彼女は魔術を上手く扱えていなかったらしい。
魔術師として強いこと自体が悪いわけじゃない。特級魔術師として力が制限されていても、それは封印しているわけじゃない。
然るべきときに、然るべき力を発揮する。大きな力を持つなら、その責任を持つべき。
⋯⋯なんて、小難しいことをお父様は言っていた。
私にはよくわからなかったけど、イアは真剣な眼差しでお父様の言葉を聴いていた。
それからいくつかの季節が過ぎ去って、あっという間に一年が経った。
私とイアはすっかり姉妹のように仲が良くなっていた。お父様もお母様も、イアのことを娘のように大切にしていた。
そんなある日。
イアは十四歳の誕生日を迎えていた。あと二ヶ月はイアは私よりお姉さんになる。
そして、その夜。
イアはGMCに呼び出されていて、あと二時間は帰ってこない。なんでも今日に限って、特級魔術師にしかこなせないような任務が入ってきたとか、彼女は愚痴を言っていた。
でもまあ、イアが傷つくなんて、ましてや負けるなんて思わなかった。何事もなく帰ってきて、それから誕生日パーティをしようと、私と両親は思っていた。
「まだかなぁ?」
色々な飾りを部屋につけて、テーブルにはいくつもの食べ物が置かれている。イアは普通の食事は必要ないけれど、食べられないわけじゃない。ここにあるものは全てイアの好物。
勿論、血もある。これはイアには知らせていないけど、実は私の血だ。輸血液より生の血の方が美味しいでしょ、とお父様に提案したとき、驚かれたけど、プレゼントをあげたいと説得した。
そんなに多くないけど、喜んでくれたらいいなぁ。
「さっき、イアから連絡があったわ。もう終わったから、すぐ帰ってくるって」
お母様はそう言った。
時刻は19:00。私は早くイアが帰ってこないかな、とソワソワしながら待っていた。
◆◆◆
時刻は19:20。
道が混んでいたため、車は中々進んでいない。何度か、彼女は送迎用の車を飛び出して飛んでいってやろうか、と思っていた。
「⋯⋯⋯⋯」
「どうしたんですか? 先程から」
運転手の補助監督の女は、イアにそう話し掛けた。よっぽど分かりやすく態度に出ていたようだ。
「⋯⋯今日、私の誕生日なの。アリスたちが祝ってくれるから、さっさと帰りたくて」
あからさまに声のトーンが低くなっていることにイアは気が付いていない。特級魔術師が不機嫌になっているなど、普通なら怯えて当然の状態だ。しかし内容は可愛らしいものだし、この補助監督はイアが本当はただの女の子であることを知っている。だから微笑みながら、
「なら、いい道があるんです。狭いし、ちょっと飛ばしますけど、いいですか?」
「⋯⋯うん」
補助監督は車のギアを落とす。そして申し訳程度のウィンカーを出し、大通りに居るどの車も入ることのない小道に入った。
住宅街のようなところをハイスピードで駆け抜ける。時刻が時刻なら危ないなんてものじゃない。
「慣れてる?」
ただし、安定はしていた。新幹線にでも乗っているのに一番近い感覚だ。
「どうでしょうね」
言葉でははぐらかしているが表情と、何より手付きに誤魔化しはきいていない。隠す気もない。
アクセルを吹かす音はいつもより大きく、シフトを切り替える音は普段より多い。
クラッチを蹴ったり、サイドを引く様子が見られないのは幸いであることを、イアは知らない。
普通に走れば一時間。今日の混雑状況なら二時間かかっていたところが、四十分でグルーヴ家の門前に到着した。
イアは車の扉を開き、直後、立ち止まる。
──2017年、7月、某日。20:00頃。
「⋯⋯⋯⋯」
──現場、グルーヴ邸。
「⋯⋯イアさん」
「⋯⋯GMCに連絡して」
──元特級魔術師で、現特級魔詛使であり、
「彼女がいる」
──かつて、イアの戦友であった魔術師。
────ゼーレ・アーベライン。その人物の魔力が、現場にて確認された。
そして同時刻、現場に居合わせたイア・スカーレット特級魔術師が、この事件に対応する。
しかし、既にこの時点で当時のグルーヴ家当主とその配偶者は死亡していた。
「⋯⋯⋯⋯」
屋敷の食堂は荒らされていなかった。豪華な食事が、大きなケーキが、そしてスープみたいに平然と血入りの皿があった。
血のスープに驚きながらも、笑って「ありがとう」と言えたら良かったのに。
そこに、嫌なくらい綺麗に斬られた両親の死体があったから、イアの顔は小さく、しかし確実に歪んだ。
一年間、イアを本当の娘のように愛してくれた人たちだった。優しかった。嬉しかった。楽しかった。この人たちにいつか恩返しをしようと考えていた。老いるまで、一緒に居ようとも思っていた。
なのに、どうして。どうして、死んでいる?
「⋯⋯アリス。アリスっ!」
イアは、ここには居なかった少女の名を叫んだ。魔力探知を広く、強くする。そして見つけた。そして彼女が、ゼーレに襲われていることを確信した。
直後、イアはそこに現れた。吸血鬼としての力を、抑制されていたはずの全ての拘束術式は最悪なことに解除されていた。だからテレポートじみた移動ができた。
かつての戦友の前に現れたイアは、憎しみとも哀れみとも、動揺とも、困惑とも取れる表情で彼女を見た。そして、口を開く。たった一言。
「⋯⋯イア・スカーレット」
かつての戦友は、そして目前の魔詛使は、イアの名を呼んだ。
イアは蝙蝠のような翼で意識を失っているアリスを庇いつつ、ゼーレに目をやる。
まるで別人のようだ、雰囲気が。
「⋯⋯どうして。こんなことを⋯⋯」
「イア。君は⋯⋯どうしようもなく強くて、そして優しい。そんな君は、きっと私の邪魔をする。だから殺す。だから、殺した」
ゼーレはイアの力を抑制する拘束術式が刻まれた白色の手袋を見せる。
「⋯⋯それは『無限結界』じゃないと使えない。意味がない」
「ただの結界術でも、半分程度とはいえこの術式の抑制効果を引き出せる。それに忘れたか? 君に結界術を教えたのは私だぞ」
ゼーレは背中の鞘から刀を抜いた。それはただの刀というにはあまりにも大きかった。刀身は彼女の背丈ほどある。
ゼーレは大太刀を構え、同時、手袋に刻まれた拘束術式が光る。
イアの力が押さえ込められる。
とはいえ、拘束効果は魔力出力に限られている。魔力量制限、使用可能な魔術レベル、そして何より心核結界と不死能力は制限されていない。
出力こそ下がっているが手札は一切減らされていない状態だ。
そしてイアの魔力出力が半分になったところで、並の術師とは比較にもならないほど、依然、高いままだ。
「────」
ゼーレは大太刀を振るう。恐ろしく速かった。
イアは自身を加速させつつ斬撃を躱す。しかし素早く繰り出された二撃目がイアの手首を切断した。
痛みはあっても怯みはしない。これが隙になることはない。けれどイアは動揺していた。
理由は? 一つ。ゼーレが明確に、イアに殺意を持っていると理解してしまったからだ。
「なんで! なんであの時、居なくなったの! なんで非術師を殺すようになったの! どうして!」
イアの声は僅かに震えている。ゼーレの殺意の篭った斬撃を避けている。避けているだけだ。反撃しようとしていない。攻撃を仕掛けようともしていない。
動きにも粗があり、到底、最強の魔術師とは言えないレベルだ。
「⋯⋯⋯⋯」
「答えて! ゼーレっ!」
ゼーレは立ち止まる。かつての戦友の、今にも泣き出しそうな顔を見て。最強となっても未だ自分を友だと、先輩だと、そう思っている彼女を見て。
刀を握りしめる力がより強くなっている。感情が溢れそうになっている。
それでも、言わなくちゃならない。言うべきだったのだ。
「⋯⋯私は。⋯⋯私は、人を、非魔術師を守ることができなくなった」
「⋯⋯え」
「⋯⋯魔術師は人知れずに人を助けなければならない。そうせざるを得ない。でもそれだと、誰が魔術師を守るんだ? 誰が魔術師を⋯⋯救うんだ?」
魔族や魔獣は、人から漏れ出た魔力と恐怖などの負の感情から生まれる。自然発生的な災害。それが自己を持って人間の脅威となっている。
起源こそ不明ながらも、その誕生のメカニズムについては、魔術師ならば誰しもが知っている基礎知識だ。
「⋯⋯だから、人を、非術師を殺す、と?」
「⋯⋯⋯⋯ああ」
イアは俯く。
人を助けることを誇りに思っていたゼーレが、人を殺すようになってしまうなど、どんなことがあったのかは分からない。
でもそう成ってしまうほどに凄惨な事を体験したのだろう。
理解できる。信じられる。そう思うのも仕方がない。
⋯⋯⋯⋯けれど、イアは、納得はできなかった。
「⋯⋯バカげてる。その先に、何があるの? そんなことのために、あの人たちを殺し、アリスを傷つけたの?」
イアはようやく怒りを覚えていた。
「私たちは魔術師である前にヒトだよ。ヒトなんだ。誰かを助けて、誰かに助けられて、生きる生き物なんだ」
自分がそうであったように、とイアは語る。
ゼーレに結界術を教えてもらったから、心核結界を習得し、最強の魔術師に近づけた。
アリスたちが居たから、また、日々が楽しいと思えるようになった。
非魔術師だってそうだ。色んな人たちがいるから、イアは今日まで生きてこられた。人の血がなければ生きていられないし、服を作る人がいなければお気に入りのお洋服だってなかった。生活の全てに、数え切れないほどの人の助けがある。
魔術師だって、そんな共同社会の一部だ。魔族や魔獣から人を助ける、守ることは、他の何より特別なことではない。
「ゼーレ。考え直して。あなたは疲れてるんだ、きっと。あんな戦いがあったから。⋯⋯確かに魔術師に悔いのない死なんてないけど、誰も彼らの死を見ることはないけど、だからこそ魔術師がそれを無駄にしちゃ──」
「──もう、いい」
ゼーレは刀身の先をイアの紅い目に突き刺した。イアは顔面を穿かれ、大量の血を零す。全身から力が抜け、倒れた。
「もういいんだ、イア。⋯⋯やはり君は優しい。だから、頼むから、死んでくれ⋯⋯」
吸血鬼としての力が完全に抑制されなければ、イアは何回も蘇る。
今しがた死んだはずの肉体が再び動き出し、ゆっくりと、立ち上がる。ゼーレはそれを見て顔を歪めた。
友を、後輩を、何万と殺さないといけない現実を突きつけられる。
「私を止めないでくれ。私の邪魔をしないでくれ」
「それはできない。⋯⋯⋯⋯もう、あなたは⋯⋯」
イアは目を細めていた。吸血鬼は殺意を持った。
雰囲気が変わった。
友であったとしても、彼女はイアの大切な人たちを殺し、傷つけた。彼女は魔術師としての責務を放棄した。
ならば、告げる言葉はただ一つ。
「──私の、敵だ」
──。
────。
──────────。
大きな戦争があった。
『無貌』の大魔族と、魔術師たちの争い。
その大魔族を討ち取ったのは、当時魔術師ライセンスを持たない人だった。
けれど、結果としてその人は特級魔術師になった。
特級とは、一級の斜め上の等級。実力ではなくその危険性で認定されるもの。
しかし、その特級魔術師は実力で、そうであると認められた。
だから課せられる制約も、実力を封じる類のものであり、それに相応しいとして挙げられたのが私のお父様だった。
グルーヴ家相伝の固有魔力、『無限結界』。汎用術式である結界術式とは違って、無限の概念を内包する自由度が非常に高い魔術。
私も『無限結界』の魔力を持っているけど、お父様ほど使いこなせない。
最高の結界術師であるお父様は、その特級魔術師の力を抑制する拘束術式を見事に完成させた。
そして、私たちの家で、その特級魔術師を管理することになった。
最初は怖かった。だって、特級魔術師だもの。国一つ簡単に滅ぼすことができる災害そのもの。怖くないほうがおかしかった。
けれど、彼女に会ったら、怖いとは思わなかった。むしろ⋯⋯。
半分がまるで冬の夜空のように澄んだ黒色で、半分がまるで絹のように滑らかで純粋な白色の長髪。
絵本に出てくるお姫様が着るような紅いドレスを着ていた。
彼女はその吸い込まれるように暗く、紅い、不思議な模様の目で、私の方を見た。
多分、同年代の少女。凛とした表情で、微笑みを浮かべ、その口を開いた。尖った犬歯が見えたけれど、私には気にもならなかった。
「⋯⋯こんにちは。私はイア・スカーレット。貴女のお名前は?」
鈴のような声で、彼女──イア・スカーレットは私に名前を訊いた。
◆◆◆
イアと初めて会ってから一週間が経った。
彼女は特級魔術師。国を滅ぼす力を持っている化物。
⋯⋯だとは、到底思えなかった。
彼女は、ただの女の子だった。
可愛いお洋服が好きで、色んな景色を見て楽しんで、かけっこをしたり、お花を愛でたり、午後に紅茶と甘いお菓子を食べたり。
食事の場では輸血用パックを飲んでいるけど、それ以外は私と何ら変わりない女の子。
「イア、そういえば普通に過ごすから忘れていたけど、吸血鬼なのよね? どうしてお日様の下に出ても大丈夫なの?」
イアは人間ではなくて、吸血鬼らしい。
私が知る吸血鬼は、太陽に焼かれ、流水を超えることができなくて、鏡に映らなくて、血を吸う怪物。あとニンニクとか十字架が嫌い。
「うーん⋯⋯私がハーフだからかな? あ、でもニンニクは苦手よ」
「へー」
どうも彼女は自分の体についてよく知らないらしい。
そんなことはすぐに忘れて、私はイアといっぱい遊んだ。だってとても良い日だったから。
その日はずっと遊んだ。
その次の日は魔術のお勉強をした。イアも一緒に、お父様から魔術の指導を受けていた。
イアは最強の特級魔術師なんじゃないの? と最初は思っていた。けれど、彼女は魔術を上手く扱えていなかったらしい。
魔術師として強いこと自体が悪いわけじゃない。特級魔術師として力が制限されていても、それは封印しているわけじゃない。
然るべきときに、然るべき力を発揮する。大きな力を持つなら、その責任を持つべき。
⋯⋯なんて、小難しいことをお父様は言っていた。
私にはよくわからなかったけど、イアは真剣な眼差しでお父様の言葉を聴いていた。
それからいくつかの季節が過ぎ去って、あっという間に一年が経った。
私とイアはすっかり姉妹のように仲が良くなっていた。お父様もお母様も、イアのことを娘のように大切にしていた。
そんなある日。
イアは十四歳の誕生日を迎えていた。あと二ヶ月はイアは私よりお姉さんになる。
そして、その夜。
イアはGMCに呼び出されていて、あと二時間は帰ってこない。なんでも今日に限って、特級魔術師にしかこなせないような任務が入ってきたとか、彼女は愚痴を言っていた。
でもまあ、イアが傷つくなんて、ましてや負けるなんて思わなかった。何事もなく帰ってきて、それから誕生日パーティをしようと、私と両親は思っていた。
「まだかなぁ?」
色々な飾りを部屋につけて、テーブルにはいくつもの食べ物が置かれている。イアは普通の食事は必要ないけれど、食べられないわけじゃない。ここにあるものは全てイアの好物。
勿論、血もある。これはイアには知らせていないけど、実は私の血だ。輸血液より生の血の方が美味しいでしょ、とお父様に提案したとき、驚かれたけど、プレゼントをあげたいと説得した。
そんなに多くないけど、喜んでくれたらいいなぁ。
「さっき、イアから連絡があったわ。もう終わったから、すぐ帰ってくるって」
お母様はそう言った。
時刻は19:00。私は早くイアが帰ってこないかな、とソワソワしながら待っていた。
◆◆◆
時刻は19:20。
道が混んでいたため、車は中々進んでいない。何度か、彼女は送迎用の車を飛び出して飛んでいってやろうか、と思っていた。
「⋯⋯⋯⋯」
「どうしたんですか? 先程から」
運転手の補助監督の女は、イアにそう話し掛けた。よっぽど分かりやすく態度に出ていたようだ。
「⋯⋯今日、私の誕生日なの。アリスたちが祝ってくれるから、さっさと帰りたくて」
あからさまに声のトーンが低くなっていることにイアは気が付いていない。特級魔術師が不機嫌になっているなど、普通なら怯えて当然の状態だ。しかし内容は可愛らしいものだし、この補助監督はイアが本当はただの女の子であることを知っている。だから微笑みながら、
「なら、いい道があるんです。狭いし、ちょっと飛ばしますけど、いいですか?」
「⋯⋯うん」
補助監督は車のギアを落とす。そして申し訳程度のウィンカーを出し、大通りに居るどの車も入ることのない小道に入った。
住宅街のようなところをハイスピードで駆け抜ける。時刻が時刻なら危ないなんてものじゃない。
「慣れてる?」
ただし、安定はしていた。新幹線にでも乗っているのに一番近い感覚だ。
「どうでしょうね」
言葉でははぐらかしているが表情と、何より手付きに誤魔化しはきいていない。隠す気もない。
アクセルを吹かす音はいつもより大きく、シフトを切り替える音は普段より多い。
クラッチを蹴ったり、サイドを引く様子が見られないのは幸いであることを、イアは知らない。
普通に走れば一時間。今日の混雑状況なら二時間かかっていたところが、四十分でグルーヴ家の門前に到着した。
イアは車の扉を開き、直後、立ち止まる。
──2017年、7月、某日。20:00頃。
「⋯⋯⋯⋯」
──現場、グルーヴ邸。
「⋯⋯イアさん」
「⋯⋯GMCに連絡して」
──元特級魔術師で、現特級魔詛使であり、
「彼女がいる」
──かつて、イアの戦友であった魔術師。
────ゼーレ・アーベライン。その人物の魔力が、現場にて確認された。
そして同時刻、現場に居合わせたイア・スカーレット特級魔術師が、この事件に対応する。
しかし、既にこの時点で当時のグルーヴ家当主とその配偶者は死亡していた。
「⋯⋯⋯⋯」
屋敷の食堂は荒らされていなかった。豪華な食事が、大きなケーキが、そしてスープみたいに平然と血入りの皿があった。
血のスープに驚きながらも、笑って「ありがとう」と言えたら良かったのに。
そこに、嫌なくらい綺麗に斬られた両親の死体があったから、イアの顔は小さく、しかし確実に歪んだ。
一年間、イアを本当の娘のように愛してくれた人たちだった。優しかった。嬉しかった。楽しかった。この人たちにいつか恩返しをしようと考えていた。老いるまで、一緒に居ようとも思っていた。
なのに、どうして。どうして、死んでいる?
「⋯⋯アリス。アリスっ!」
イアは、ここには居なかった少女の名を叫んだ。魔力探知を広く、強くする。そして見つけた。そして彼女が、ゼーレに襲われていることを確信した。
直後、イアはそこに現れた。吸血鬼としての力を、抑制されていたはずの全ての拘束術式は最悪なことに解除されていた。だからテレポートじみた移動ができた。
かつての戦友の前に現れたイアは、憎しみとも哀れみとも、動揺とも、困惑とも取れる表情で彼女を見た。そして、口を開く。たった一言。
「⋯⋯イア・スカーレット」
かつての戦友は、そして目前の魔詛使は、イアの名を呼んだ。
イアは蝙蝠のような翼で意識を失っているアリスを庇いつつ、ゼーレに目をやる。
まるで別人のようだ、雰囲気が。
「⋯⋯どうして。こんなことを⋯⋯」
「イア。君は⋯⋯どうしようもなく強くて、そして優しい。そんな君は、きっと私の邪魔をする。だから殺す。だから、殺した」
ゼーレはイアの力を抑制する拘束術式が刻まれた白色の手袋を見せる。
「⋯⋯それは『無限結界』じゃないと使えない。意味がない」
「ただの結界術でも、半分程度とはいえこの術式の抑制効果を引き出せる。それに忘れたか? 君に結界術を教えたのは私だぞ」
ゼーレは背中の鞘から刀を抜いた。それはただの刀というにはあまりにも大きかった。刀身は彼女の背丈ほどある。
ゼーレは大太刀を構え、同時、手袋に刻まれた拘束術式が光る。
イアの力が押さえ込められる。
とはいえ、拘束効果は魔力出力に限られている。魔力量制限、使用可能な魔術レベル、そして何より心核結界と不死能力は制限されていない。
出力こそ下がっているが手札は一切減らされていない状態だ。
そしてイアの魔力出力が半分になったところで、並の術師とは比較にもならないほど、依然、高いままだ。
「────」
ゼーレは大太刀を振るう。恐ろしく速かった。
イアは自身を加速させつつ斬撃を躱す。しかし素早く繰り出された二撃目がイアの手首を切断した。
痛みはあっても怯みはしない。これが隙になることはない。けれどイアは動揺していた。
理由は? 一つ。ゼーレが明確に、イアに殺意を持っていると理解してしまったからだ。
「なんで! なんであの時、居なくなったの! なんで非術師を殺すようになったの! どうして!」
イアの声は僅かに震えている。ゼーレの殺意の篭った斬撃を避けている。避けているだけだ。反撃しようとしていない。攻撃を仕掛けようともしていない。
動きにも粗があり、到底、最強の魔術師とは言えないレベルだ。
「⋯⋯⋯⋯」
「答えて! ゼーレっ!」
ゼーレは立ち止まる。かつての戦友の、今にも泣き出しそうな顔を見て。最強となっても未だ自分を友だと、先輩だと、そう思っている彼女を見て。
刀を握りしめる力がより強くなっている。感情が溢れそうになっている。
それでも、言わなくちゃならない。言うべきだったのだ。
「⋯⋯私は。⋯⋯私は、人を、非魔術師を守ることができなくなった」
「⋯⋯え」
「⋯⋯魔術師は人知れずに人を助けなければならない。そうせざるを得ない。でもそれだと、誰が魔術師を守るんだ? 誰が魔術師を⋯⋯救うんだ?」
魔族や魔獣は、人から漏れ出た魔力と恐怖などの負の感情から生まれる。自然発生的な災害。それが自己を持って人間の脅威となっている。
起源こそ不明ながらも、その誕生のメカニズムについては、魔術師ならば誰しもが知っている基礎知識だ。
「⋯⋯だから、人を、非術師を殺す、と?」
「⋯⋯⋯⋯ああ」
イアは俯く。
人を助けることを誇りに思っていたゼーレが、人を殺すようになってしまうなど、どんなことがあったのかは分からない。
でもそう成ってしまうほどに凄惨な事を体験したのだろう。
理解できる。信じられる。そう思うのも仕方がない。
⋯⋯⋯⋯けれど、イアは、納得はできなかった。
「⋯⋯バカげてる。その先に、何があるの? そんなことのために、あの人たちを殺し、アリスを傷つけたの?」
イアはようやく怒りを覚えていた。
「私たちは魔術師である前にヒトだよ。ヒトなんだ。誰かを助けて、誰かに助けられて、生きる生き物なんだ」
自分がそうであったように、とイアは語る。
ゼーレに結界術を教えてもらったから、心核結界を習得し、最強の魔術師に近づけた。
アリスたちが居たから、また、日々が楽しいと思えるようになった。
非魔術師だってそうだ。色んな人たちがいるから、イアは今日まで生きてこられた。人の血がなければ生きていられないし、服を作る人がいなければお気に入りのお洋服だってなかった。生活の全てに、数え切れないほどの人の助けがある。
魔術師だって、そんな共同社会の一部だ。魔族や魔獣から人を助ける、守ることは、他の何より特別なことではない。
「ゼーレ。考え直して。あなたは疲れてるんだ、きっと。あんな戦いがあったから。⋯⋯確かに魔術師に悔いのない死なんてないけど、誰も彼らの死を見ることはないけど、だからこそ魔術師がそれを無駄にしちゃ──」
「──もう、いい」
ゼーレは刀身の先をイアの紅い目に突き刺した。イアは顔面を穿かれ、大量の血を零す。全身から力が抜け、倒れた。
「もういいんだ、イア。⋯⋯やはり君は優しい。だから、頼むから、死んでくれ⋯⋯」
吸血鬼としての力が完全に抑制されなければ、イアは何回も蘇る。
今しがた死んだはずの肉体が再び動き出し、ゆっくりと、立ち上がる。ゼーレはそれを見て顔を歪めた。
友を、後輩を、何万と殺さないといけない現実を突きつけられる。
「私を止めないでくれ。私の邪魔をしないでくれ」
「それはできない。⋯⋯⋯⋯もう、あなたは⋯⋯」
イアは目を細めていた。吸血鬼は殺意を持った。
雰囲気が変わった。
友であったとしても、彼女はイアの大切な人たちを殺し、傷つけた。彼女は魔術師としての責務を放棄した。
ならば、告げる言葉はただ一つ。
「──私の、敵だ」
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