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第94話 魔獣騒動
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白神降臨事件は、大犯罪者、ユーフェル・ロスらによる大規模テロとして公表され、神の名は一切でなかった。
しかし、白神の降臨を完全に隠蔽することはできず、何か超常的な現象が発生したという噂が流れた。
時間が経てば、この噂も収まり、都市伝説として語られるようになるだろう。財団やGMCは人々への大規模記憶処理は行わなかった。
そして、白神降臨事件より一ヶ月後⋯⋯事態は急激に変化する。
「⋯⋯多過ぎるんだ」
GMC脅威対策部門第三課『明るき右手』の事務所。
デスクの上で、ウィルムは珍しく黒い仮面を外し、報告書に目を通していた。
「あの事件以降、学園都市で発生する魔獣による被害報告があまりにも多過ぎる」
「そうね。いくら例の噂が流れていて、人々の恐怖心が高まっていても⋯⋯この一ヶ月で毎日三件も四件も、魔獣が出現するなんて有り得ない」
そんな事務所にはもう一人いた。ホタルだ。彼女はフリーランスの魔術師であるが、しばらくGMCに滞在することにしていた。
「ただでさえ人手が足りないのに、術師の数もこの前の事件のせいで大分減ってしまった。最近はかなり忙しいよ」
「悪いな」
「あ、ごめんなさい。責めるつもりはなかったの。わたし、あまり休む必要ないから気にしてないよ」
「⋯⋯そうか。⋯⋯まあなんにせよ、明らかな異常事態だ。それと、これと同時期にファインド・スクール自治区で、生徒の失踪事件が多発している。魔獣騒動とはまた別の案件だと思っていたが⋯⋯全くの無関係というわけではないらしい」
魔獣関連の事件ではないため、報告には上がっていたが重視していなかった生徒の失踪事件。
GMCではなく財団の管轄だとして、財団はこの時間に対応したが、派遣されたS.S.R.F.の部隊が全滅したという報せがあった。
何でも魔力残滓が現場で確認されたらしい。GMCが調査したところ、それは魔族のものではないということが判明した。
「S.S.R.F.を全滅させたのは魔詛使い。いくら対超能力者専門といえど、S.S.R.F.を全滅させるのは、人間なら中々の手練だ」
「魔獣の異常とも言える増加。同時期に発生し始めた生徒の失踪事件と、それに関係する魔詛使の出現⋯⋯ね⋯⋯」
ウィルムは報告書をデスクに起き、椅子に深く座る。天井を見ながら、思考を回す。
「⋯⋯勘だが、ギーレだ。奴が噛んでいる事件だとして考えていい」
「同じこと言おうと思ってた。学園都市の理事会に取り入っていたみたいじゃない、あの大魔族。人間社会に、裏表関係なく入り込んでいる可能性は十二分にあるよ⋯⋯」
先の白神降臨事件は、おそらくギーレからしてみれば大失敗に終わっている。本来であれば、白神は今頃世界を壊していたはずだ。仮に鎮圧できていたとしても、社会機能は十分破壊されていた。
それが、多少噂になって、ミース学園自治区の壊滅程度で済んでいる。
ならば、第二のプランを打ってきていても可笑しくない。
「少なくともGMC創設の三百年前には既に大魔族として君臨していたギーレのことだ。準備は過剰なくらいしているはず」
「それが今回の魔獣騒動と失踪事件、ね?」
「ああ。直接関係しているのか間接的なのかは分からないが⋯⋯どちらにせよ、碌でもない」
ウィルムは仮面を被り、コートを羽織る。それから部屋の扉を開き、廊下に出た。コツコツと、ブーツの音を響かせる。
「どこに行くの?」
ホタルも部屋を後にし、彼についてきた。
二人は歩きながら会話する。
「現地調査だ。書類仕事も粗方終わった。エインズワースを連れて、ファインド・スクール自治区に向かう」
「ならわたしも⋯⋯。何か嫌な予感がする」
イアからの報告にあった『新人類』、『ノース』という単語が、ホタルには引っ掛かっていた。
「いや、君は引き続き学園都市の魔獣騒動に対応していてくれ。そっちの方がいい」
「⋯⋯わかった。頑張ってね」
「ああ」
二人は玄関を出て、別れる。ウィルムはヨセフが居る学生寮に向かう。
ホタルはそこに止まっていた送迎車の後部座席に乗り込んだ。
運転席には一人の男が座っていた。細身で、老け顔のやつれた男だ。
彼は補助監督という、魔術師の任務のサポートや事務を行う役職の人間だ。
ホタルは彼のことをよく知っている。彼は学生時代の後輩だったからだ。
「今回もよろしくね、テイラー君」
「はい。では今回の任務について説明しますね」
最近、ホタルに回される任務は、二級から一級の魔獣の討伐だった。しかし、今回は異なり、特級相当の魔族の討伐であった。
「場所は学園都市郊外の村落。住民は避難済みです。前日に二級魔術師二名、三級魔術師一名が派遣されましたが、任務最中に連絡が途切れました」
被害が確認されたのは四日前。村落から「人が突然倒れた」や「化物が出た」という通報が多数あったことで事件が判明した。
既に住民の半数ほどが死亡。派遣された警察官二名も行方不明と、被害は非常に大きい。そのため、二級魔術師二名、三級魔術師一名が派遣されたのだが、こちらも全滅。
事態を重く受け止めたGMCは、この案件を一級事案とし、ホタルに依頼することになった。
「ホタルさんには、生存者の救助及び対象魔族の討伐を依頼します。何か不明な点はありませんか?」
口頭で説明された内容は、事前に渡された依頼書と変わりない。
「いえ、ないわ」
それからしばらく車で走行し、二時間後、目的地に到着する。
時刻は十七時。そろそろ日が落ち始めている。
山の中を通る国道の路肩に車は止まった。傍にある道を歩いていけば、目的の村落に到着する。
ホタルは下車し、テイラーに話しかけた。
「⋯⋯テイラー君」
ホタルは、テイラーの方を見ていない。ずっと、林の方を見ている。
テイラーの魔力探知には何も引っかかっていない。
「はい?」
「麓まで戻っていて」
「え? どうしてですか──」
瞬間、山林から飛び出してきた人影を、ホタルは茨により撃ち抜く。それは呆気なく死んだ。
だが、一体だけではない。山林から、こちらの様子を伺う影が幾つも見える。
「早く、走って!」
ホタルは叫ぶように、テイラーに逃げるよう促す。
「は、はい!」
テイラーはアクセルペダルを踏み抜く勢いで吹かし、急発進する。高級セダンの加速力はとてつもなかったが、人影たちは簡単に追いつこうとしていた。
が、ホタルは茨を伸ばし、一網打尽に殺し尽くす。
「魔獣⋯⋯じゃない。人ね。でも、生きてはいないみたいだけど⋯⋯」
明らかな致命傷を負った人ばかりだ。頭の半分ほどが破裂していたり、脇腹が抉れていたりしている。
生きていられるはずがない状態。理性を失ったような振る舞い。
「まさにゾンビ、ね⋯⋯」
ならせめてその苦しみから開放することしか、ホタルにはできない。茨により、確実に一撃で葬りさる。
十数体を倒したところで、ようやくホタルに襲い掛かるゾンビはいなくなった。
「⋯⋯村の中はもっとひどいことになっていそう。気をつけないと」
そう言いつつ、ホタルは村落に向かって歩き始めた。
◆◆◆
時刻、十七時十分。ホタルは目的の村落に到着した。
道中、複数のゾンビに襲われることがあった。外見から思うに、おそらく村の住人だったのだろう。
既に死に体である以上、ホタルに彼らを救う術はない。
「⋯⋯死人は生き返らない。だから、ごめんなさい」
茨がホタルを守り、そしてゾンビたちの胴体を引き裂き抉る。一撃にて鎮魂する。不要な痛みはそこにないだろう。
村落の至る所には血肉が巻き散らかされている。蝿が湧いた死体がそこら中にあり、死臭が充満していた。
一般人なら、この悲惨な光景と臭いで、胃の内容物をぶち撒けているのが正常な反応だ。
が、ホタルは魔術師。これくらいの状況など、何度だって見たことはある、食人種たる魔族の討伐者ならば。
「でも、何度見たってこの光景には慣れない⋯⋯。⋯⋯一刻も早く、倒さなきゃ」
村落の中心に一際大きな魔力反応がある。ホタルはそこを目指し、歩き続けた。
時間にして僅か数分だったが、彼女にとってはとても、とても長く感じた。
ようやく、ホタルは会敵する。
誰かの家屋だ。ホタルは土足のまま、家屋に侵入した。
魔力反応は動いていない。
そして──リビングで、生きたままの男性を食らう化物を見た。
白いやせ細った人間のような外見。ただし手足が異常に長く、鋭い鉤爪が生えている。
「────ぉ」
その人間は、GMCが支給する制服を着ていた。前日、派遣された魔術師の誰かだ。
傍には二人の死体があった。いや、肉片というべきか。服が二つあったから、辛うじて人数が分かった。
「に⋯⋯ろ⋯⋯ぉ」
魔族はホタルに背中を向けている。魔力を隠密させているから、察知されていないのだろう。
魔術師は、哀れな被害者は、ホタルにそう言った。逃げろ、と。自分たちでは敵わなかった相手に、一人ではいけない、と。もしくは一般人とでも間違われたか。
何にせよ、彼はこれから死にゆくというのに、ホタルに助けを求めることはせず、むしろ助けようとした。
「──っ」
魔術を起動。術陣を介し、心核より自然を引き出す。
茨が勢い良く飛び出し、魔族の心の臓腑を穿いた。
「⋯⋯⋯⋯」
だが魔族は突き刺さった茨を砕き、振り返った。
──そして、ホタルの目の前に現れ鉤爪を振るう。
速かった。恐ろしく速かった。並大抵の魔族ではない。一級では下らない。
ホタルは冷静に鉤爪を躱し、魔族の手足に植物を巻きつけ拘束しようとした。
一瞬だけ動きを止めることはできたが、魔族はその膂力にて脱出し、ホタルに飛び掛る。
(強い。この前の特級魔族ほどではないにしても⋯⋯)
人語を解し、明確な意思疎通ができる魔族のような知性は感じられない。どちらかと言えば魔獣にカテゴライズすべき相手だ。しかし、魔獣らしさも全く無い。
鉤爪を振るう。だが無闇矢鱈に振るわれているわけではない。戦い方も、まるで人と戦っているようだ。
フェイントが織り交ぜられている。カウンターを狙っている。ホタルの実力を見て、戦い方を洗練させていっているのだ。
しかし所詮はその程度。特級相当の魔力量と出力を持とうと、それが生かせなければ意味がない。
「────」
木の杭を飛ばし、魔族を蜂の巣にした。それで倒れることはないが蹌踉めく。その瞬間に足に植物の根を巻き付かせ、転ばせた。
回避行動は取れない。茨を魔族の全身に突き刺した。
喉に突き刺した茨で、頭を引き裂く。これでようやく、魔族は絶命したようだ。
⋯⋯しかし、魔族のその体は離散し消えることはなかった。
「⋯⋯体が残っている⋯⋯? ⋯⋯もしかして、これがノース?」
先の騒動で確認された、ギーレが使役する化物、ノース。これは魔族の性質を持ち合わせた生命体であるらしく、死んでもその体が消えることはない。
ウィルムの勘は間違っていなかった。やはり、この事件にはギーレが関わっている。
その後、ホタルは唯一の生存者だった魔術師を救助し、村落に残っていた低級の魔獣たちを駆除してからGMCに帰還した。
時刻は、同日の二十二時。報告などの事後処理を終え、ホタルはようやく帰路についた。
疲労はこの体ではあまり感じないようになっている。しかし人間らしい生活リズムを送らないと、いつしか自分を忘れてしまいそうな気がする。
ホタルが住むマンションは、GMCルーグルア支部よりも、比較的学園都市に近い。一番近いのはファインド・スクールの学園自治区だ。
部屋に戻ったホタルはすぐに湯を浴び、寝間着に着替えて窓から夜景を見る。
「⋯⋯そういえば、ウィルム、帰ってきていなかったっけ」
GMCに戻ったとき、ウィルムは見掛けなかった。何日も滞在して任務にあたるなんてことは珍しいことではない。
だが、ホタルにはどうしても、引っ掛かることがある。
いや、今日の一件で確定した。
「⋯⋯あの白神の降臨。何であれ、ギーレとしては失敗に終わった。だから、第二のプランとして、ノースを各地で暴れさせている。⋯⋯普通の魔獣や魔族も居るのは、おそらくギーレの魔術に関連しているのでしょうね」
おそらく目的はGMCや他の魔族からの追跡を撹乱し、陽動し、リソースを削るため。
時間稼ぎかはたまた次の計画の為か、どちらにせよ、このままイタチごっこをしていてはギーレの思う壺だ。
何かこちらから仕掛けなければ、今度こそ取り返しの付かない事件が起きるだろう。そうなる前に阻止しなければならない。
「⋯⋯⋯⋯明日はフリーだし、ファインド・スクールの調査でもしようかな」
ホタルはそう思いつつ、ベッドに横になり、瞼を閉じた。
しかし、白神の降臨を完全に隠蔽することはできず、何か超常的な現象が発生したという噂が流れた。
時間が経てば、この噂も収まり、都市伝説として語られるようになるだろう。財団やGMCは人々への大規模記憶処理は行わなかった。
そして、白神降臨事件より一ヶ月後⋯⋯事態は急激に変化する。
「⋯⋯多過ぎるんだ」
GMC脅威対策部門第三課『明るき右手』の事務所。
デスクの上で、ウィルムは珍しく黒い仮面を外し、報告書に目を通していた。
「あの事件以降、学園都市で発生する魔獣による被害報告があまりにも多過ぎる」
「そうね。いくら例の噂が流れていて、人々の恐怖心が高まっていても⋯⋯この一ヶ月で毎日三件も四件も、魔獣が出現するなんて有り得ない」
そんな事務所にはもう一人いた。ホタルだ。彼女はフリーランスの魔術師であるが、しばらくGMCに滞在することにしていた。
「ただでさえ人手が足りないのに、術師の数もこの前の事件のせいで大分減ってしまった。最近はかなり忙しいよ」
「悪いな」
「あ、ごめんなさい。責めるつもりはなかったの。わたし、あまり休む必要ないから気にしてないよ」
「⋯⋯そうか。⋯⋯まあなんにせよ、明らかな異常事態だ。それと、これと同時期にファインド・スクール自治区で、生徒の失踪事件が多発している。魔獣騒動とはまた別の案件だと思っていたが⋯⋯全くの無関係というわけではないらしい」
魔獣関連の事件ではないため、報告には上がっていたが重視していなかった生徒の失踪事件。
GMCではなく財団の管轄だとして、財団はこの時間に対応したが、派遣されたS.S.R.F.の部隊が全滅したという報せがあった。
何でも魔力残滓が現場で確認されたらしい。GMCが調査したところ、それは魔族のものではないということが判明した。
「S.S.R.F.を全滅させたのは魔詛使い。いくら対超能力者専門といえど、S.S.R.F.を全滅させるのは、人間なら中々の手練だ」
「魔獣の異常とも言える増加。同時期に発生し始めた生徒の失踪事件と、それに関係する魔詛使の出現⋯⋯ね⋯⋯」
ウィルムは報告書をデスクに起き、椅子に深く座る。天井を見ながら、思考を回す。
「⋯⋯勘だが、ギーレだ。奴が噛んでいる事件だとして考えていい」
「同じこと言おうと思ってた。学園都市の理事会に取り入っていたみたいじゃない、あの大魔族。人間社会に、裏表関係なく入り込んでいる可能性は十二分にあるよ⋯⋯」
先の白神降臨事件は、おそらくギーレからしてみれば大失敗に終わっている。本来であれば、白神は今頃世界を壊していたはずだ。仮に鎮圧できていたとしても、社会機能は十分破壊されていた。
それが、多少噂になって、ミース学園自治区の壊滅程度で済んでいる。
ならば、第二のプランを打ってきていても可笑しくない。
「少なくともGMC創設の三百年前には既に大魔族として君臨していたギーレのことだ。準備は過剰なくらいしているはず」
「それが今回の魔獣騒動と失踪事件、ね?」
「ああ。直接関係しているのか間接的なのかは分からないが⋯⋯どちらにせよ、碌でもない」
ウィルムは仮面を被り、コートを羽織る。それから部屋の扉を開き、廊下に出た。コツコツと、ブーツの音を響かせる。
「どこに行くの?」
ホタルも部屋を後にし、彼についてきた。
二人は歩きながら会話する。
「現地調査だ。書類仕事も粗方終わった。エインズワースを連れて、ファインド・スクール自治区に向かう」
「ならわたしも⋯⋯。何か嫌な予感がする」
イアからの報告にあった『新人類』、『ノース』という単語が、ホタルには引っ掛かっていた。
「いや、君は引き続き学園都市の魔獣騒動に対応していてくれ。そっちの方がいい」
「⋯⋯わかった。頑張ってね」
「ああ」
二人は玄関を出て、別れる。ウィルムはヨセフが居る学生寮に向かう。
ホタルはそこに止まっていた送迎車の後部座席に乗り込んだ。
運転席には一人の男が座っていた。細身で、老け顔のやつれた男だ。
彼は補助監督という、魔術師の任務のサポートや事務を行う役職の人間だ。
ホタルは彼のことをよく知っている。彼は学生時代の後輩だったからだ。
「今回もよろしくね、テイラー君」
「はい。では今回の任務について説明しますね」
最近、ホタルに回される任務は、二級から一級の魔獣の討伐だった。しかし、今回は異なり、特級相当の魔族の討伐であった。
「場所は学園都市郊外の村落。住民は避難済みです。前日に二級魔術師二名、三級魔術師一名が派遣されましたが、任務最中に連絡が途切れました」
被害が確認されたのは四日前。村落から「人が突然倒れた」や「化物が出た」という通報が多数あったことで事件が判明した。
既に住民の半数ほどが死亡。派遣された警察官二名も行方不明と、被害は非常に大きい。そのため、二級魔術師二名、三級魔術師一名が派遣されたのだが、こちらも全滅。
事態を重く受け止めたGMCは、この案件を一級事案とし、ホタルに依頼することになった。
「ホタルさんには、生存者の救助及び対象魔族の討伐を依頼します。何か不明な点はありませんか?」
口頭で説明された内容は、事前に渡された依頼書と変わりない。
「いえ、ないわ」
それからしばらく車で走行し、二時間後、目的地に到着する。
時刻は十七時。そろそろ日が落ち始めている。
山の中を通る国道の路肩に車は止まった。傍にある道を歩いていけば、目的の村落に到着する。
ホタルは下車し、テイラーに話しかけた。
「⋯⋯テイラー君」
ホタルは、テイラーの方を見ていない。ずっと、林の方を見ている。
テイラーの魔力探知には何も引っかかっていない。
「はい?」
「麓まで戻っていて」
「え? どうしてですか──」
瞬間、山林から飛び出してきた人影を、ホタルは茨により撃ち抜く。それは呆気なく死んだ。
だが、一体だけではない。山林から、こちらの様子を伺う影が幾つも見える。
「早く、走って!」
ホタルは叫ぶように、テイラーに逃げるよう促す。
「は、はい!」
テイラーはアクセルペダルを踏み抜く勢いで吹かし、急発進する。高級セダンの加速力はとてつもなかったが、人影たちは簡単に追いつこうとしていた。
が、ホタルは茨を伸ばし、一網打尽に殺し尽くす。
「魔獣⋯⋯じゃない。人ね。でも、生きてはいないみたいだけど⋯⋯」
明らかな致命傷を負った人ばかりだ。頭の半分ほどが破裂していたり、脇腹が抉れていたりしている。
生きていられるはずがない状態。理性を失ったような振る舞い。
「まさにゾンビ、ね⋯⋯」
ならせめてその苦しみから開放することしか、ホタルにはできない。茨により、確実に一撃で葬りさる。
十数体を倒したところで、ようやくホタルに襲い掛かるゾンビはいなくなった。
「⋯⋯村の中はもっとひどいことになっていそう。気をつけないと」
そう言いつつ、ホタルは村落に向かって歩き始めた。
◆◆◆
時刻、十七時十分。ホタルは目的の村落に到着した。
道中、複数のゾンビに襲われることがあった。外見から思うに、おそらく村の住人だったのだろう。
既に死に体である以上、ホタルに彼らを救う術はない。
「⋯⋯死人は生き返らない。だから、ごめんなさい」
茨がホタルを守り、そしてゾンビたちの胴体を引き裂き抉る。一撃にて鎮魂する。不要な痛みはそこにないだろう。
村落の至る所には血肉が巻き散らかされている。蝿が湧いた死体がそこら中にあり、死臭が充満していた。
一般人なら、この悲惨な光景と臭いで、胃の内容物をぶち撒けているのが正常な反応だ。
が、ホタルは魔術師。これくらいの状況など、何度だって見たことはある、食人種たる魔族の討伐者ならば。
「でも、何度見たってこの光景には慣れない⋯⋯。⋯⋯一刻も早く、倒さなきゃ」
村落の中心に一際大きな魔力反応がある。ホタルはそこを目指し、歩き続けた。
時間にして僅か数分だったが、彼女にとってはとても、とても長く感じた。
ようやく、ホタルは会敵する。
誰かの家屋だ。ホタルは土足のまま、家屋に侵入した。
魔力反応は動いていない。
そして──リビングで、生きたままの男性を食らう化物を見た。
白いやせ細った人間のような外見。ただし手足が異常に長く、鋭い鉤爪が生えている。
「────ぉ」
その人間は、GMCが支給する制服を着ていた。前日、派遣された魔術師の誰かだ。
傍には二人の死体があった。いや、肉片というべきか。服が二つあったから、辛うじて人数が分かった。
「に⋯⋯ろ⋯⋯ぉ」
魔族はホタルに背中を向けている。魔力を隠密させているから、察知されていないのだろう。
魔術師は、哀れな被害者は、ホタルにそう言った。逃げろ、と。自分たちでは敵わなかった相手に、一人ではいけない、と。もしくは一般人とでも間違われたか。
何にせよ、彼はこれから死にゆくというのに、ホタルに助けを求めることはせず、むしろ助けようとした。
「──っ」
魔術を起動。術陣を介し、心核より自然を引き出す。
茨が勢い良く飛び出し、魔族の心の臓腑を穿いた。
「⋯⋯⋯⋯」
だが魔族は突き刺さった茨を砕き、振り返った。
──そして、ホタルの目の前に現れ鉤爪を振るう。
速かった。恐ろしく速かった。並大抵の魔族ではない。一級では下らない。
ホタルは冷静に鉤爪を躱し、魔族の手足に植物を巻きつけ拘束しようとした。
一瞬だけ動きを止めることはできたが、魔族はその膂力にて脱出し、ホタルに飛び掛る。
(強い。この前の特級魔族ほどではないにしても⋯⋯)
人語を解し、明確な意思疎通ができる魔族のような知性は感じられない。どちらかと言えば魔獣にカテゴライズすべき相手だ。しかし、魔獣らしさも全く無い。
鉤爪を振るう。だが無闇矢鱈に振るわれているわけではない。戦い方も、まるで人と戦っているようだ。
フェイントが織り交ぜられている。カウンターを狙っている。ホタルの実力を見て、戦い方を洗練させていっているのだ。
しかし所詮はその程度。特級相当の魔力量と出力を持とうと、それが生かせなければ意味がない。
「────」
木の杭を飛ばし、魔族を蜂の巣にした。それで倒れることはないが蹌踉めく。その瞬間に足に植物の根を巻き付かせ、転ばせた。
回避行動は取れない。茨を魔族の全身に突き刺した。
喉に突き刺した茨で、頭を引き裂く。これでようやく、魔族は絶命したようだ。
⋯⋯しかし、魔族のその体は離散し消えることはなかった。
「⋯⋯体が残っている⋯⋯? ⋯⋯もしかして、これがノース?」
先の騒動で確認された、ギーレが使役する化物、ノース。これは魔族の性質を持ち合わせた生命体であるらしく、死んでもその体が消えることはない。
ウィルムの勘は間違っていなかった。やはり、この事件にはギーレが関わっている。
その後、ホタルは唯一の生存者だった魔術師を救助し、村落に残っていた低級の魔獣たちを駆除してからGMCに帰還した。
時刻は、同日の二十二時。報告などの事後処理を終え、ホタルはようやく帰路についた。
疲労はこの体ではあまり感じないようになっている。しかし人間らしい生活リズムを送らないと、いつしか自分を忘れてしまいそうな気がする。
ホタルが住むマンションは、GMCルーグルア支部よりも、比較的学園都市に近い。一番近いのはファインド・スクールの学園自治区だ。
部屋に戻ったホタルはすぐに湯を浴び、寝間着に着替えて窓から夜景を見る。
「⋯⋯そういえば、ウィルム、帰ってきていなかったっけ」
GMCに戻ったとき、ウィルムは見掛けなかった。何日も滞在して任務にあたるなんてことは珍しいことではない。
だが、ホタルにはどうしても、引っ掛かることがある。
いや、今日の一件で確定した。
「⋯⋯あの白神の降臨。何であれ、ギーレとしては失敗に終わった。だから、第二のプランとして、ノースを各地で暴れさせている。⋯⋯普通の魔獣や魔族も居るのは、おそらくギーレの魔術に関連しているのでしょうね」
おそらく目的はGMCや他の魔族からの追跡を撹乱し、陽動し、リソースを削るため。
時間稼ぎかはたまた次の計画の為か、どちらにせよ、このままイタチごっこをしていてはギーレの思う壺だ。
何かこちらから仕掛けなければ、今度こそ取り返しの付かない事件が起きるだろう。そうなる前に阻止しなければならない。
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