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坂上秀一の場合3
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深夜。疲れ果てたように苦しげな寝息を立てる和明の横で、秀一は静かに体を横たえながら死について考えを巡らせていた。仰向けになり白い天井の1点をしばらく見つめる。身じろぎもせず長い間、そうしていると白い天井は自分の死の瞬間を映し出してくれるスクリーンの代わりとなってくれた。
不慮の事故で命を落とす自分。病魔に身体を蝕まれ、苦痛にのたうち回りながら死ぬ自分。大勢の家族に看取られながら病院のベッドの上で死にゆく自分。こうしてみると人の死に方にもいろいろあることに改めて気づかされる。
もし魂と呼べるようなものが実際に存在するのだとしたら果たしてそれは永遠に不滅なのだろうか? 死とは一体何なのか? 思索にふける日々が続いた。
祖父の葬儀の火を境に、秀一は眠ることに対して過剰な恐怖心を抱くようになっていた。眠ったら最後、明日の朝を迎えることができないまま永遠の眠りについてしまうのではないのかという恐怖が彼を不眠へと導いた。
これまで意識してこなかっただけで死は秀一の身近に、それもあらゆるところに偏在していた。道端で死んでいる野良ネコ。映画や漫画の中で劇的な死を遂げる登場人物たち。毎日のように報道される殺人事件のニュース。死。死。死。何気ない日常の中に、こんなにも死が溢れているというのに、それから目を背けることなどできるはずがない。
和明に目の下に隈ができていることや食が細くなっていることを指摘され心配された。たまたま寝つきが悪かっただけだから、心配しなくてもいい。とっさに口から飛び出した出まかせの言葉に若干の後ろめたさを感じながらも彼はハローワークに向かう和明を玄関先まで見送りった。洗面所に向かい、鏡に映る自分の顔を凝視する。和明に指摘されたとおり確かに下瞼に薄暗い隈がうっすらとできていた。わずか数日の間で人の顔はこんなに変わるものなのかと、秀一は自分の変わりように少なからず驚かされることになった。
何の気なしに瞼の下にできた隈に右手でそっと触れてみる。当然、鏡の中にいる自分も寸分違わぬ動作で目元に浮かびあがっている黒い翳《かげ》に触れていた。秀一は奇妙な感覚に陥っていた。鏡の向こう側にいるのは紛れもなく自分自身であるのにまるで別の人間が自分に触れているようなそんな錯覚さえ抱いた。
人は必ず死ぬ。そこにあるのは早いか遅いかの違いだけだ。怖がる必要なんてない。みんな同じなのだから。
鏡に映る自分を見ながら、秀一はまるで自分に言い聞かせるみたいに何度もその言葉を頭の中で繰り返した。
◆◆◆◆
秀一の考える死とは『断絶』以外のなにものでもなく、世界と関わる術や自我として自己意識を統一する主体が永遠と失われてしまうことを意味していた。死とは即ち、その人にとっての世界の崩壊であり、だからこそ人は死を受け入れがたいものとして認識しているのだろう。
多くの人が漠然と死に恐れを抱いているように、彼もまた自分の身体がいずれ祖父のように焼却され、骨と灰だけになって滅びる運命にあることに深く絶望していた。知識として知っているのと、経験として知っているのではこんなにも大きな隔たりがあるものなのかと驚き、困惑するほかなかった。死という経験しようがない未知のものに対する、得体の知れない不安と恐怖はまるでウイルスのように彼の心を侵食していき、確実に蝕んでいった。
全ての生命は、すべからく皆、老いて死ぬよう運命づけられている。そこに深い理由などはない。全てのものに何らかの意味を見出そうとするのは人間的な精神活動でしかなく、世界は古いものを壊し、新しいものを生成するという『自然の摂理』という名の極めてシンプルなプログラムに則って動いているだけに過ぎないのだ。
世界はこれまでもそうしてきたように、これからも、あるがままの姿を人に向けて晒し続ける。全てはただ、そうであるだけ。それがこの世界の仕組みであり無謬《むびゅう》の真実でもあった。他の種より幾分か知性的であるとされているヒトは常にこの無慈悲かつ不条理なシステムの囚人としてあり続けなければならない。ヒトという種は恐らく死を正しく認識できるがゆえに苦しまねばならない呪われた種なのだろう。
そして近親者の死に初めて直面してしまったことが原因で、秀一はこの残酷で不条理なシステムの新たな囚人として囚われることになってしまったのである。
不慮の事故で命を落とす自分。病魔に身体を蝕まれ、苦痛にのたうち回りながら死ぬ自分。大勢の家族に看取られながら病院のベッドの上で死にゆく自分。こうしてみると人の死に方にもいろいろあることに改めて気づかされる。
もし魂と呼べるようなものが実際に存在するのだとしたら果たしてそれは永遠に不滅なのだろうか? 死とは一体何なのか? 思索にふける日々が続いた。
祖父の葬儀の火を境に、秀一は眠ることに対して過剰な恐怖心を抱くようになっていた。眠ったら最後、明日の朝を迎えることができないまま永遠の眠りについてしまうのではないのかという恐怖が彼を不眠へと導いた。
これまで意識してこなかっただけで死は秀一の身近に、それもあらゆるところに偏在していた。道端で死んでいる野良ネコ。映画や漫画の中で劇的な死を遂げる登場人物たち。毎日のように報道される殺人事件のニュース。死。死。死。何気ない日常の中に、こんなにも死が溢れているというのに、それから目を背けることなどできるはずがない。
和明に目の下に隈ができていることや食が細くなっていることを指摘され心配された。たまたま寝つきが悪かっただけだから、心配しなくてもいい。とっさに口から飛び出した出まかせの言葉に若干の後ろめたさを感じながらも彼はハローワークに向かう和明を玄関先まで見送りった。洗面所に向かい、鏡に映る自分の顔を凝視する。和明に指摘されたとおり確かに下瞼に薄暗い隈がうっすらとできていた。わずか数日の間で人の顔はこんなに変わるものなのかと、秀一は自分の変わりように少なからず驚かされることになった。
何の気なしに瞼の下にできた隈に右手でそっと触れてみる。当然、鏡の中にいる自分も寸分違わぬ動作で目元に浮かびあがっている黒い翳《かげ》に触れていた。秀一は奇妙な感覚に陥っていた。鏡の向こう側にいるのは紛れもなく自分自身であるのにまるで別の人間が自分に触れているようなそんな錯覚さえ抱いた。
人は必ず死ぬ。そこにあるのは早いか遅いかの違いだけだ。怖がる必要なんてない。みんな同じなのだから。
鏡に映る自分を見ながら、秀一はまるで自分に言い聞かせるみたいに何度もその言葉を頭の中で繰り返した。
◆◆◆◆
秀一の考える死とは『断絶』以外のなにものでもなく、世界と関わる術や自我として自己意識を統一する主体が永遠と失われてしまうことを意味していた。死とは即ち、その人にとっての世界の崩壊であり、だからこそ人は死を受け入れがたいものとして認識しているのだろう。
多くの人が漠然と死に恐れを抱いているように、彼もまた自分の身体がいずれ祖父のように焼却され、骨と灰だけになって滅びる運命にあることに深く絶望していた。知識として知っているのと、経験として知っているのではこんなにも大きな隔たりがあるものなのかと驚き、困惑するほかなかった。死という経験しようがない未知のものに対する、得体の知れない不安と恐怖はまるでウイルスのように彼の心を侵食していき、確実に蝕んでいった。
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世界はこれまでもそうしてきたように、これからも、あるがままの姿を人に向けて晒し続ける。全てはただ、そうであるだけ。それがこの世界の仕組みであり無謬《むびゅう》の真実でもあった。他の種より幾分か知性的であるとされているヒトは常にこの無慈悲かつ不条理なシステムの囚人としてあり続けなければならない。ヒトという種は恐らく死を正しく認識できるがゆえに苦しまねばならない呪われた種なのだろう。
そして近親者の死に初めて直面してしまったことが原因で、秀一はこの残酷で不条理なシステムの新たな囚人として囚われることになってしまったのである。
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