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07 信用と恐怖
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その日、
商人ヴァルスの屋敷に、食糧商会の長――ランドロスと、数名の幹部が招かれた。
名目は、親睦を深めるための食事会。
屋敷は、ヴェルハイムでも名の知れた有力貴族がかつて住んでいたものだ。
“新興の大商人”が住まうには、これ以上ない器だった。
◇
夕刻。
屋敷の扉を叩いた一行を迎え入れたのは――
メイド姿のセリスだった。
「ようこそいらっしゃいました。
主人がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
完璧な所作。
声の調子も、間の取り方も、非の打ちどころがない。
(……あれだけ嫌がっていたのに)
内心、私は感心していた。
参謀根性なのか。
それとも――
本当に、気に入っているのか。
ランドロスたちは、一瞬だけ目を見張り、
しかしすぐに“そういうものだ”と納得した顔になる。
美しい使用人がいる屋敷。
裕福な商人の象徴だ。
◇
食堂では、
私と――兄である商人ヴァルスが、客人を迎えた。
「お越しいただき、ありがとうございます」
ヴァルスが、穏やかな笑みで応じる。
間近で見る“商人としての魔王”は、やはり見事だった。
威圧も、威光も、完全に封じられている。
そこにいるのは、
品の良い、若き実業家。
人当たりが柔らかく、しかし芯のある男――そんな印象だ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
ランドロスが応じ、
その視線が、自然と私へと向けられる。
値踏みするような、商人の目。
ヴァルスが、さりげなく紹介した。
「こちらは、私の妹。
アレイシアです」
「アレイシアと申します。
兄が、いつもお世話になっております」
私は、淀みなく一礼した。
この種の挨拶は、
かつて王城で、嫌というほど叩き込まれている。
「ほう……これはこれは」
ランドロスが、目を細める。
「なんと、可憐な妹君だ」
――十分だ。
地方の商人の目をくらますには、過ぎるほど。
ちなみに、
“妹アレイシア”という名は、偽名だ。
だが、生前の私の名でもある。
愛着もあるし、何より――
呼ばれても、自然に反応できる。
◇
食事が始まる。
セリスが、次々と料理を運び入れた。
魔王城の料理人が腕によりをかけた逸品だ。
香り。
盛り付け。
温度。
どれも、商会の幹部たちの舌を満足させるに足る。
そして――
彼らの視線が、自然とセリスに集まっているのが分かる。
優雅な所作。
無駄のない動き。
一瞬、セリスがこちらを見る。
(いかがでしょう?)
そんな顔だ。
(……はいはい、完璧です)
私は、内心で苦笑した。
◇
食卓は、終始、和やかだった。
物流の話。
作柄の話。
街の噂話。
ヴァルスは、決して前に出すぎない。
だが、要所では的確に話を拾い、
相手に“話しやすい男”という印象を刻み込んでいく。
――信用は、こうして積み上げる。
食事が終わる頃には、
ランドロスたちの表情は、すっかり柔らいでいた。
◇
帰り際、
ささやかながら手土産を持たせる。
都市部の加工品。
保存の利く良質な食材。
「これは……」
ランドロスが、目を丸くする。
「気持ちばかりです」
ヴァルスが、微笑む。
彼らは、明らかに上機嫌だった。
――実験ではない。
――これは、もう“商い”だ。
客人たちの背が門の向こうに消えるのを見送りながら、
私は、静かに確信した。
(……第一印象は、上々)
商人ヴァルスは、
この街に――
確かに、根を下ろし始めていた。
◇
夜。
屋敷に、ちょっとした騒動が起きた。
賊が――数名。
敷地内に侵入したのだ。
商会からの探りか。
それとも、越してきたばかりの金持ちを狙った、単なる強盗か。
いずれにせよ、手際は悪くない。
賊たちは、塀の死角を選び、
足音を殺し、
まるで以前からこの屋敷を知っているかのように動いた。
裏手。
使用人用の小窓。
細い工具が差し込まれ、
鍵が、かすかな音を立てて外される。
「ちょろいもんよ」
賊の一人が、鼻で笑った。
「越してきたばかりの成金は、用心が足りねえ」
窓枠に足をかけ、
身を滑り込ませようとした、その瞬間。
――寒気。
背筋を撫で上げるような、
本能的な違和感。
賊は、反射的に振り返った。
そこにいた。
――山のような、大男。
いつから立っていたのか、分からない。
気配すら、なかった。
大男は、すでに大剣を振り上げている。
月明かりを受けた刃が、鈍く光った。
(……背中を、取られた?)
理解が、遅れて追いつく。
(この俺が?
いつの間に?)
大男の目が、赤く光った。
獣のそれだ。
知性ではなく、捕食のためだけに据えられた眼。
(――殺される)
思考よりも早く、
本能が、全力で警告を鳴らした。
「……っ!」
賊は、声も上げず、
一目散に駆け出した。
塀を越え、
闇へと溶けるように逃げ去る。
背後から、追撃はない。
ただ、
あの赤い眼だけが、
いつまでも脳裏に焼き付いていた。
◇
翌朝。
朝の光が、屋敷の窓をやわらかく照らしている。
食堂では、
いつもと変わらぬ朝が始まっていた。
「グラド。
よくやってくれた」
ヴァルディスが、静かに言う。
グラドは、無言でうなずいた。
それだけだ。
「なるほど」
ヴァルディスは、紅茶の湯気を眺めながら続ける。
「人間とは、ずいぶん姑息なことをするものだな」
私は、カップを手にしながら問いかけた。
「……しかし、
わざと取り逃がしてよかったのですか?」
賊を捕らえることも、
命を奪うことも、
あの場では容易だったはずだ。
ヴァルディスは、口元だけで笑った。
「なに」
「これで十分だ」
視線を、窓の外へ向ける。
「屋敷は“強固”であることが、
今頃、街に知れ渡っているだろう?」
恐怖は、噂になる。
噂は、勝手に広がる。
――剣を振るうより、
よほど効率的だ。
その横で、
メイド服姿のセリスが、
優雅な所作で紅茶を注いでいる。
昨夜の騒動など、
まるで無かったかのように。
「おかわり、いかがですか?」
にこやかな笑顔。
すがすがしい朝だった。
――あまりにも。
商人ヴァルスの屋敷に、食糧商会の長――ランドロスと、数名の幹部が招かれた。
名目は、親睦を深めるための食事会。
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“新興の大商人”が住まうには、これ以上ない器だった。
◇
夕刻。
屋敷の扉を叩いた一行を迎え入れたのは――
メイド姿のセリスだった。
「ようこそいらっしゃいました。
主人がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
完璧な所作。
声の調子も、間の取り方も、非の打ちどころがない。
(……あれだけ嫌がっていたのに)
内心、私は感心していた。
参謀根性なのか。
それとも――
本当に、気に入っているのか。
ランドロスたちは、一瞬だけ目を見張り、
しかしすぐに“そういうものだ”と納得した顔になる。
美しい使用人がいる屋敷。
裕福な商人の象徴だ。
◇
食堂では、
私と――兄である商人ヴァルスが、客人を迎えた。
「お越しいただき、ありがとうございます」
ヴァルスが、穏やかな笑みで応じる。
間近で見る“商人としての魔王”は、やはり見事だった。
威圧も、威光も、完全に封じられている。
そこにいるのは、
品の良い、若き実業家。
人当たりが柔らかく、しかし芯のある男――そんな印象だ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
ランドロスが応じ、
その視線が、自然と私へと向けられる。
値踏みするような、商人の目。
ヴァルスが、さりげなく紹介した。
「こちらは、私の妹。
アレイシアです」
「アレイシアと申します。
兄が、いつもお世話になっております」
私は、淀みなく一礼した。
この種の挨拶は、
かつて王城で、嫌というほど叩き込まれている。
「ほう……これはこれは」
ランドロスが、目を細める。
「なんと、可憐な妹君だ」
――十分だ。
地方の商人の目をくらますには、過ぎるほど。
ちなみに、
“妹アレイシア”という名は、偽名だ。
だが、生前の私の名でもある。
愛着もあるし、何より――
呼ばれても、自然に反応できる。
◇
食事が始まる。
セリスが、次々と料理を運び入れた。
魔王城の料理人が腕によりをかけた逸品だ。
香り。
盛り付け。
温度。
どれも、商会の幹部たちの舌を満足させるに足る。
そして――
彼らの視線が、自然とセリスに集まっているのが分かる。
優雅な所作。
無駄のない動き。
一瞬、セリスがこちらを見る。
(いかがでしょう?)
そんな顔だ。
(……はいはい、完璧です)
私は、内心で苦笑した。
◇
食卓は、終始、和やかだった。
物流の話。
作柄の話。
街の噂話。
ヴァルスは、決して前に出すぎない。
だが、要所では的確に話を拾い、
相手に“話しやすい男”という印象を刻み込んでいく。
――信用は、こうして積み上げる。
食事が終わる頃には、
ランドロスたちの表情は、すっかり柔らいでいた。
◇
帰り際、
ささやかながら手土産を持たせる。
都市部の加工品。
保存の利く良質な食材。
「これは……」
ランドロスが、目を丸くする。
「気持ちばかりです」
ヴァルスが、微笑む。
彼らは、明らかに上機嫌だった。
――実験ではない。
――これは、もう“商い”だ。
客人たちの背が門の向こうに消えるのを見送りながら、
私は、静かに確信した。
(……第一印象は、上々)
商人ヴァルスは、
この街に――
確かに、根を下ろし始めていた。
◇
夜。
屋敷に、ちょっとした騒動が起きた。
賊が――数名。
敷地内に侵入したのだ。
商会からの探りか。
それとも、越してきたばかりの金持ちを狙った、単なる強盗か。
いずれにせよ、手際は悪くない。
賊たちは、塀の死角を選び、
足音を殺し、
まるで以前からこの屋敷を知っているかのように動いた。
裏手。
使用人用の小窓。
細い工具が差し込まれ、
鍵が、かすかな音を立てて外される。
「ちょろいもんよ」
賊の一人が、鼻で笑った。
「越してきたばかりの成金は、用心が足りねえ」
窓枠に足をかけ、
身を滑り込ませようとした、その瞬間。
――寒気。
背筋を撫で上げるような、
本能的な違和感。
賊は、反射的に振り返った。
そこにいた。
――山のような、大男。
いつから立っていたのか、分からない。
気配すら、なかった。
大男は、すでに大剣を振り上げている。
月明かりを受けた刃が、鈍く光った。
(……背中を、取られた?)
理解が、遅れて追いつく。
(この俺が?
いつの間に?)
大男の目が、赤く光った。
獣のそれだ。
知性ではなく、捕食のためだけに据えられた眼。
(――殺される)
思考よりも早く、
本能が、全力で警告を鳴らした。
「……っ!」
賊は、声も上げず、
一目散に駆け出した。
塀を越え、
闇へと溶けるように逃げ去る。
背後から、追撃はない。
ただ、
あの赤い眼だけが、
いつまでも脳裏に焼き付いていた。
◇
翌朝。
朝の光が、屋敷の窓をやわらかく照らしている。
食堂では、
いつもと変わらぬ朝が始まっていた。
「グラド。
よくやってくれた」
ヴァルディスが、静かに言う。
グラドは、無言でうなずいた。
それだけだ。
「なるほど」
ヴァルディスは、紅茶の湯気を眺めながら続ける。
「人間とは、ずいぶん姑息なことをするものだな」
私は、カップを手にしながら問いかけた。
「……しかし、
わざと取り逃がしてよかったのですか?」
賊を捕らえることも、
命を奪うことも、
あの場では容易だったはずだ。
ヴァルディスは、口元だけで笑った。
「なに」
「これで十分だ」
視線を、窓の外へ向ける。
「屋敷は“強固”であることが、
今頃、街に知れ渡っているだろう?」
恐怖は、噂になる。
噂は、勝手に広がる。
――剣を振るうより、
よほど効率的だ。
その横で、
メイド服姿のセリスが、
優雅な所作で紅茶を注いでいる。
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まるで無かったかのように。
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にこやかな笑顔。
すがすがしい朝だった。
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