悪役令嬢の私が姫に転生した件  ――それはいいのですが、なぜ魔王城に幽閉から始まるのですか?

しばたろう

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07 信用と恐怖

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 その日、
 商人ヴァルスの屋敷に、食糧商会の長――ランドロスと、数名の幹部が招かれた。

 名目は、親睦を深めるための食事会。

 屋敷は、ヴェルハイムでも名の知れた有力貴族がかつて住んでいたものだ。
 “新興の大商人”が住まうには、これ以上ない器だった。



 夕刻。

 屋敷の扉を叩いた一行を迎え入れたのは――
 メイド姿のセリスだった。

「ようこそいらっしゃいました。
 主人がお待ちです。どうぞ、こちらへ」

 完璧な所作。
 声の調子も、間の取り方も、非の打ちどころがない。

(……あれだけ嫌がっていたのに)

 内心、私は感心していた。

 参謀根性なのか。
 それとも――
 本当に、気に入っているのか。

 ランドロスたちは、一瞬だけ目を見張り、
 しかしすぐに“そういうものだ”と納得した顔になる。

 美しい使用人がいる屋敷。
 裕福な商人の象徴だ。



 食堂では、
 私と――兄である商人ヴァルスが、客人を迎えた。

「お越しいただき、ありがとうございます」

 ヴァルスが、穏やかな笑みで応じる。

 間近で見る“商人としての魔王”は、やはり見事だった。
 威圧も、威光も、完全に封じられている。

 そこにいるのは、
 品の良い、若き実業家。
 人当たりが柔らかく、しかし芯のある男――そんな印象だ。

「お招きいただき、ありがとうございます」

 ランドロスが応じ、
 その視線が、自然と私へと向けられる。

 値踏みするような、商人の目。

 ヴァルスが、さりげなく紹介した。

「こちらは、私の妹。
 アレイシアです」

「アレイシアと申します。
 兄が、いつもお世話になっております」

 私は、淀みなく一礼した。

 この種の挨拶は、
 かつて王城で、嫌というほど叩き込まれている。

「ほう……これはこれは」
 ランドロスが、目を細める。
「なんと、可憐な妹君だ」

 ――十分だ。
 地方の商人の目をくらますには、過ぎるほど。

 ちなみに、
 “妹アレイシア”という名は、偽名だ。

 だが、生前の私の名でもある。
 愛着もあるし、何より――
 呼ばれても、自然に反応できる。



 食事が始まる。

 セリスが、次々と料理を運び入れた。
 魔王城の料理人が腕によりをかけた逸品だ。

 香り。
 盛り付け。
 温度。

 どれも、商会の幹部たちの舌を満足させるに足る。

 そして――
 彼らの視線が、自然とセリスに集まっているのが分かる。

 優雅な所作。
 無駄のない動き。

 一瞬、セリスがこちらを見る。

(いかがでしょう?)

 そんな顔だ。

(……はいはい、完璧です)

 私は、内心で苦笑した。



 食卓は、終始、和やかだった。

 物流の話。
 作柄の話。
 街の噂話。

 ヴァルスは、決して前に出すぎない。
 だが、要所では的確に話を拾い、
 相手に“話しやすい男”という印象を刻み込んでいく。

 ――信用は、こうして積み上げる。

 食事が終わる頃には、
 ランドロスたちの表情は、すっかり柔らいでいた。



 帰り際、
 ささやかながら手土産を持たせる。

 都市部の加工品。
 保存の利く良質な食材。

「これは……」
 ランドロスが、目を丸くする。

「気持ちばかりです」
 ヴァルスが、微笑む。

 彼らは、明らかに上機嫌だった。

 ――実験ではない。
 ――これは、もう“商い”だ。

 客人たちの背が門の向こうに消えるのを見送りながら、
 私は、静かに確信した。

(……第一印象は、上々)

 商人ヴァルスは、
 この街に――
 確かに、根を下ろし始めていた。
 


 夜。
 屋敷に、ちょっとした騒動が起きた。

 賊が――数名。
 敷地内に侵入したのだ。

 商会からの探りか。
 それとも、越してきたばかりの金持ちを狙った、単なる強盗か。

 いずれにせよ、手際は悪くない。

 賊たちは、塀の死角を選び、
 足音を殺し、
 まるで以前からこの屋敷を知っているかのように動いた。

 裏手。
 使用人用の小窓。

 細い工具が差し込まれ、
 鍵が、かすかな音を立てて外される。

「ちょろいもんよ」
 賊の一人が、鼻で笑った。
「越してきたばかりの成金は、用心が足りねえ」

 窓枠に足をかけ、
 身を滑り込ませようとした、その瞬間。

 ――寒気。

 背筋を撫で上げるような、
 本能的な違和感。

 賊は、反射的に振り返った。

 そこにいた。

 ――山のような、大男。

 いつから立っていたのか、分からない。
 気配すら、なかった。

 大男は、すでに大剣を振り上げている。
 月明かりを受けた刃が、鈍く光った。

(……背中を、取られた?)

 理解が、遅れて追いつく。

(この俺が?
 いつの間に?)

 大男の目が、赤く光った。

 獣のそれだ。
 知性ではなく、捕食のためだけに据えられた眼。

(――殺される)

 思考よりも早く、
 本能が、全力で警告を鳴らした。

「……っ!」

 賊は、声も上げず、
 一目散に駆け出した。

 塀を越え、
 闇へと溶けるように逃げ去る。

 背後から、追撃はない。

 ただ、
 あの赤い眼だけが、
 いつまでも脳裏に焼き付いていた。



 翌朝。

 朝の光が、屋敷の窓をやわらかく照らしている。

 食堂では、
 いつもと変わらぬ朝が始まっていた。

「グラド。
 よくやってくれた」

 ヴァルディスが、静かに言う。

 グラドは、無言でうなずいた。
 それだけだ。

「なるほど」
 ヴァルディスは、紅茶の湯気を眺めながら続ける。
「人間とは、ずいぶん姑息なことをするものだな」

 私は、カップを手にしながら問いかけた。

「……しかし、
 わざと取り逃がしてよかったのですか?」

 賊を捕らえることも、
 命を奪うことも、
 あの場では容易だったはずだ。

 ヴァルディスは、口元だけで笑った。

「なに」
「これで十分だ」

 視線を、窓の外へ向ける。

「屋敷は“強固”であることが、
 今頃、街に知れ渡っているだろう?」

 恐怖は、噂になる。
 噂は、勝手に広がる。

 ――剣を振るうより、
 よほど効率的だ。

 その横で、
 メイド服姿のセリスが、
 優雅な所作で紅茶を注いでいる。

 昨夜の騒動など、
 まるで無かったかのように。

「おかわり、いかがですか?」

 にこやかな笑顔。

 すがすがしい朝だった。

 ――あまりにも。
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