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10 静かなる浸透
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「――この地方の有力貴族を、紹介してほしいと?」
ここは、ヴェルハイムにある食糧商会の応接室。
重厚な机を挟み、ランドロスは腕を組んだまま、ヴァルスを見つめていた。
しばし、低く唸るように考え込み――やがて、口を開く。
「それならば……ディートリヒ・フォン=グライツ様だろうな」
その名を口にした瞬間、部屋の空気がわずかに引き締まる。
「しかし、ヴァルス。
近頃、実績を上げつつあるとはいえ、この街ではまだ新顔だ。
私の紹介といえども、そう簡単に会える相手ではないぞ」
そう前置きしつつ、ランドロスは声を落とした。
「――もっとも、大きな声では言えんが。
ディートリヒ様は、利に聡いお方でな。
それなりの手土産があれば、話を聞いてもらえる可能性はある」
その言葉に、ヴァルスは小さく笑った。
「そうだろうと思っていた。
手土産なら、すでに用意してある」
「ほう……?」
ランドロスの眉がわずかに動く。
「それは、どのような品だ?
金か、それとも珍しい品物か?」
「どちらでもない」
ヴァルスは、即答した。
「情報だ。
平たく言えば、儲け話だな」
一瞬、ランドロスの目が細まり――次の瞬間、はっきりと輝いた。
「……その話。
くわしく聞かせてもらおうか」
◇
その日。
ディートリヒ・フォン=グライツの屋敷に、二人の男が訪れた。
一人は、ヴェルハイム食糧商会の長――ランドロス。
もう一人は、西方連合から来たという商人、ヴァルス。
事前にランドロスから、
「手土産に“大きな儲け話”がある」
と聞かされていたディートリヒは、上機嫌で二人を迎え入れた。
「初めまして。
ヴァルスと申します」
ヴァルスは丁寧に頭を下げつつ、さりげなく相手を観察する。
なるほど。
噂に違わぬ――欲が、隠しきれていない男だ
「最近、この辺りで名を売っていると聞いていたが……
なるほど、ヴァルスか。よく来た。くつろぐがいい」
挨拶もそこそこに、話題はすぐに本題へと移った。
儲け話の概要は、こうだ。
物流経路の改善により、近い将来、小麦の流通量が増える。
それに伴い、小麦の価格は、大きく下落する見込みだ。
そこで――その前段階で、先物取引を行う。
今よりやや安い価格で、
「一定量の小麦を、この価格で売る」
と都市部の取引先と契約を結ぶ。
やがて、小麦の価格は、さらに大きく下がる。
その時点でも、契約上は、
暴落前の価格を確保したまま、小麦を売ることができる。
差額は、すべて利益となる。
「……なるほどな」
ディートリヒは、顎に手をやった。
「だが……話がうますぎる。
もし外れたら、どうする?」
「先物取引に必要な資金は、私が出します」
ヴァルスは、落ち着いた声で続ける。
「もし損が出た場合――
その金は、返していただかなくて結構です」
室内が、静まり返った。
「……ほう?」
ディートリヒの目が、はっきりと欲に染まる。
「ディートリヒ様への“お近づきの印”です」
ヴァルスは、わずかに笑みを浮かべた。
「私が、どれほど使い物になるか。
ぜひ、お示ししたい」
「我が商会も、この話に乗るつもりです」
ここで、ランドロスが口を挟む。
「ディートリヒ様も、ひと口いかがかと」
しばしの沈黙の後――
ディートリヒは、豪快に笑った。
「ははは!
よかろう、その話、乗ってやる!」
まったく、迷いはなかった。
――強欲な人間ほど、扱いやすい。
その様子を眺めながら、
ヴァルス――
いや、魔王ヴァルディスは、心の中でそう思った。
◇
ヴェルハイムにある、商人ヴァルスの屋敷。
応接室の窓から差し込む午後の光はやわらかく、
上質な調度品に反射して、落ち着いた空気を作っていた。
メイド――セリスが淹れてくれた紅茶を口に含みながら、
向かいに腰掛けるヴァルディスと、言葉を交わしていた。
「ヴァルディス。
すっかり商会は、“眠りの森”経由の輸送を信頼したようですね」
私の言葉に、ヴァルディスは余裕の笑みを浮かべる。
「ああ。
今のところ、すべての荷が無事に運ばれているからな」
「疑う理由がありませんものね」
紅茶の香りが、ふわりと立ちのぼる。
「では……
次の手は、眠りの森の輸送能力の大幅な向上、
といったところでしょうか?」
「その通りだ、エリシア」
ヴァルディスは頷き、地図の一点を指でなぞる。
「今は細い山道に過ぎない。
これを整備し、森の奥を一直線に突っ切る――輸送幹線をつくる」
「……大工事になりますね」
「そうだな。
魔族総出の、突貫工事だ」
私は小さく息をつく。
「眠りの森に幹線道路が完成すれば、
商品の輸送だけでなく、兵站輸送にも使えますね。
結果として、アウレリアの軍事力も向上する」
「そう」
ヴァルディスは、楽しげに目を細めた。
「ただし――
アウレリアの軍隊も、我々魔族の付き添いなしでは、
眠りの森を通ることはできない」
「魔獣、ですか」
「ああ。
森は、依然として危険だ。
我々が抑えていなければ、到底、安全は保てん」
私は、紅茶のカップを置く。
「つまり……
軍隊でさえ、魔族の手の内に入る、ということですね」
「ふふ……そういうことだ」
二人の間に、静かな笑みが交わされた。
その様子を、紅茶のおかわりを用意しながら、
セリスはじっと眺めていた。
そして、ため息混じりに口を開く。
「……そういうお話をなさっているとき、
お二人そろって、本当に“悪い顔”になりますよね」
呆れたような声だった。
「ほんと……
『似たもの夫婦』とは、まさにおふたりのことですね」
ここは、ヴェルハイムにある食糧商会の応接室。
重厚な机を挟み、ランドロスは腕を組んだまま、ヴァルスを見つめていた。
しばし、低く唸るように考え込み――やがて、口を開く。
「それならば……ディートリヒ・フォン=グライツ様だろうな」
その名を口にした瞬間、部屋の空気がわずかに引き締まる。
「しかし、ヴァルス。
近頃、実績を上げつつあるとはいえ、この街ではまだ新顔だ。
私の紹介といえども、そう簡単に会える相手ではないぞ」
そう前置きしつつ、ランドロスは声を落とした。
「――もっとも、大きな声では言えんが。
ディートリヒ様は、利に聡いお方でな。
それなりの手土産があれば、話を聞いてもらえる可能性はある」
その言葉に、ヴァルスは小さく笑った。
「そうだろうと思っていた。
手土産なら、すでに用意してある」
「ほう……?」
ランドロスの眉がわずかに動く。
「それは、どのような品だ?
金か、それとも珍しい品物か?」
「どちらでもない」
ヴァルスは、即答した。
「情報だ。
平たく言えば、儲け話だな」
一瞬、ランドロスの目が細まり――次の瞬間、はっきりと輝いた。
「……その話。
くわしく聞かせてもらおうか」
◇
その日。
ディートリヒ・フォン=グライツの屋敷に、二人の男が訪れた。
一人は、ヴェルハイム食糧商会の長――ランドロス。
もう一人は、西方連合から来たという商人、ヴァルス。
事前にランドロスから、
「手土産に“大きな儲け話”がある」
と聞かされていたディートリヒは、上機嫌で二人を迎え入れた。
「初めまして。
ヴァルスと申します」
ヴァルスは丁寧に頭を下げつつ、さりげなく相手を観察する。
なるほど。
噂に違わぬ――欲が、隠しきれていない男だ
「最近、この辺りで名を売っていると聞いていたが……
なるほど、ヴァルスか。よく来た。くつろぐがいい」
挨拶もそこそこに、話題はすぐに本題へと移った。
儲け話の概要は、こうだ。
物流経路の改善により、近い将来、小麦の流通量が増える。
それに伴い、小麦の価格は、大きく下落する見込みだ。
そこで――その前段階で、先物取引を行う。
今よりやや安い価格で、
「一定量の小麦を、この価格で売る」
と都市部の取引先と契約を結ぶ。
やがて、小麦の価格は、さらに大きく下がる。
その時点でも、契約上は、
暴落前の価格を確保したまま、小麦を売ることができる。
差額は、すべて利益となる。
「……なるほどな」
ディートリヒは、顎に手をやった。
「だが……話がうますぎる。
もし外れたら、どうする?」
「先物取引に必要な資金は、私が出します」
ヴァルスは、落ち着いた声で続ける。
「もし損が出た場合――
その金は、返していただかなくて結構です」
室内が、静まり返った。
「……ほう?」
ディートリヒの目が、はっきりと欲に染まる。
「ディートリヒ様への“お近づきの印”です」
ヴァルスは、わずかに笑みを浮かべた。
「私が、どれほど使い物になるか。
ぜひ、お示ししたい」
「我が商会も、この話に乗るつもりです」
ここで、ランドロスが口を挟む。
「ディートリヒ様も、ひと口いかがかと」
しばしの沈黙の後――
ディートリヒは、豪快に笑った。
「ははは!
よかろう、その話、乗ってやる!」
まったく、迷いはなかった。
――強欲な人間ほど、扱いやすい。
その様子を眺めながら、
ヴァルス――
いや、魔王ヴァルディスは、心の中でそう思った。
◇
ヴェルハイムにある、商人ヴァルスの屋敷。
応接室の窓から差し込む午後の光はやわらかく、
上質な調度品に反射して、落ち着いた空気を作っていた。
メイド――セリスが淹れてくれた紅茶を口に含みながら、
向かいに腰掛けるヴァルディスと、言葉を交わしていた。
「ヴァルディス。
すっかり商会は、“眠りの森”経由の輸送を信頼したようですね」
私の言葉に、ヴァルディスは余裕の笑みを浮かべる。
「ああ。
今のところ、すべての荷が無事に運ばれているからな」
「疑う理由がありませんものね」
紅茶の香りが、ふわりと立ちのぼる。
「では……
次の手は、眠りの森の輸送能力の大幅な向上、
といったところでしょうか?」
「その通りだ、エリシア」
ヴァルディスは頷き、地図の一点を指でなぞる。
「今は細い山道に過ぎない。
これを整備し、森の奥を一直線に突っ切る――輸送幹線をつくる」
「……大工事になりますね」
「そうだな。
魔族総出の、突貫工事だ」
私は小さく息をつく。
「眠りの森に幹線道路が完成すれば、
商品の輸送だけでなく、兵站輸送にも使えますね。
結果として、アウレリアの軍事力も向上する」
「そう」
ヴァルディスは、楽しげに目を細めた。
「ただし――
アウレリアの軍隊も、我々魔族の付き添いなしでは、
眠りの森を通ることはできない」
「魔獣、ですか」
「ああ。
森は、依然として危険だ。
我々が抑えていなければ、到底、安全は保てん」
私は、紅茶のカップを置く。
「つまり……
軍隊でさえ、魔族の手の内に入る、ということですね」
「ふふ……そういうことだ」
二人の間に、静かな笑みが交わされた。
その様子を、紅茶のおかわりを用意しながら、
セリスはじっと眺めていた。
そして、ため息混じりに口を開く。
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