R18 短編集

上島治麻

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日が昇ったばかりの早朝に見る夢みたいな、キスをして俺は夏目君と恋人になった。たぶん…付き合ってるはず。分からない。酔ってたからキスをしただけかもしれない。付き合ってはいないのかもしれない。日が経てばたつほど不安になって来る。あれから、もう一週間以上経過した。ありがたいことに仕事が立て込んでいて、考え込むことは無かったが、こうやって時間が出来ると思い悩んでしまう。
「でも、確かに、ここにキスしたんだよな」
唇と、唇で。お互いの熱を分け合った。
ベッドの中でグルグル回る。巻き込まれた布団が足に絡みついて可動範囲が狭められても気にすることなく回り続ける。そうしないとやってられないと思うほどに感情が高ぶっている。だって、ずっと叶わないと思っていた恋が、降ってわいたように突然、叶ったのだから。
ピロリンっとスマートフォンが通知を告げる。
夏目君からだ。
『次いつがオフ?』
『明日だよ』
『俺も、明日オフだから一緒に出掛けない?』『行きたい!』
『じゃあ、明日フレイヤ珈琲店に十一時集合で良い?』
『大丈夫だよ』
『良かった。じゃあ、おやすみ。また明日』
『うん。また明日。おやすみなさい』
付き合うって、すごい。今まで夏目君から誘われたことなんて無かったのに誘われてしまった。嬉しい。スマートフォンを握りしめて胎児のように丸くなる。ギュッと目を閉じて幸せを噛みしめた。
「まって、そんなことしてる場合じゃない。明日の準備をしなきゃ」
初デートなのだ。最高のコンディションで向かいたい。化粧水、乳液、パック、リップスクラブ、リップバーム、ボディミルク。基礎化粧品をし終えたら明日着る服を選ぶ。ここは、やはりお気に入りの水色のボーダーシャツにデニムパンツだろうか。いや、それとも少し大人っぽく白の夏ニットに黒のスキニーパンツだろうか。悩んで、悩んで、結局お気に入りの水色のボーダーシャツにデニムパンツに決める。やっぱり、気合いを入れるときはお気に入りの服が良い。そんなこんなしていたら、時刻はすっかり零時を回っていて、慌てて眠る。明日のデート上手くいきますように。

真夏の暑い日差しに、じりじりと焼かれながらフレイヤ珈琲店に向かう。アスファルトの反射熱が熱くて地面についている足元から痛みのような熱を感じる。まるで、焼き肉にでもなったような気分だ。ちりりんっという真夏にそぐわない涼やかな音色を立てて約束の珈琲店に入る。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
学生アルバイトらしき女性が声をかけてくる。
「一名です。後から連れが来るんですけど」
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
女性店員は愛想よく俺を案内する。働いて長いのだろう。堂々として、スムーズな対応は、そう感じさせた。
椅子に座ると、ホッと息を吐く。別に、人嫌いというわけではないけど、何となく他人と話していると肩ひじ張ってしまって無意識に緊張する。一人になると急に緊張の糸が溶けた。先ほどの女性店員がお水を持ってくると俺の前に置く。
「ご注文は、お連れ様がいらっしゃってからお聞きした方がよろしいでしょうか?」
言われて、考える。さて、どうした方が良いだろうか。別に夏目君は先に俺が何かを頼んで食べたり飲んだりしても怒るような人ではない。そもそも、そんな人だったら好きになどなっていないが。でも、出来れば一緒のタイミングで食べたい。これは俺の我儘だ。ならば、夏目君が来るまで待とうか?けれども、約束の時間までは、まだ三十分ほどあって、何も飲んだりしないのは、いささか手持無沙汰だ。うーんっとしばらく考えて先に頼むことに決める。手持ち無沙汰なのは嫌いなのだ。何もしないという時間が耐えられない人間なので。
「いえ、今で大丈夫です。アイスコーヒーを一つお願いします」
「ガムシロ、ミルクはどうされますか?」
「お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
軽快なテンポで会話は進んでいき、アイスコーヒーを用意するために女性店員は去っていった。やはり、彼女は、ここでの業務になれているのだろう。ポケットからスマートフォンを取り出してSNSを開く。エゴサをする人としない人で分かれるけれども、俺はエゴサをするタイプだ。全てに耳を傾けていたら自分という存在は四方八方に引っ張られてバラバラになってしまう。けれども、必要だと思ったことは取り入れていきたいと思っている。SNSでのファンの声は残酷なまでに素直な意見だから。俺は、ファンから貴重な時間とお金を貰っている身だ。ファンの子が俺に対して払うお金は、その子が何時間も働いて得た大切なもの。それを貰っているのだから、その子たちの望む自分になりたいと思っている。それを俳優としての芯がないとか、アイドルと俳優を混同しているとか、文句を言う人は言うけれど。それが、俺のプロ意識だから、止めることはしない。スルスルとSNSをスクロールして読んでいるとアイスコーヒーが運ばれてくる。深淵のように黒いそれは、夏目君の目のようだ。覗き込んで黒以外を見つけようとしても、何処までも黒しかない目。それでいて、どうしようもなく引き込まれる。ずっと見ていたいと思う。その目が細められて、お饅頭のようにクシャリと笑うと周りに花が咲いたような愛らしさが生まれる。芸能界には整った顔立ちの人は多いけれど、夏目君のように深淵みたいな引力と野花のような愛らしさを兼ね備えている人はいないと思う。アイスコーヒーにガムシロップとミルクを入れる。先ほどまで深淵のような黒だったものがミルクを加えることによってチョコレートみたいに可愛らしくなった。アイスコーヒーを一口飲んでSNSを再びスクロールして読む。検索ワードではない夏目君の画像が飛び込んできて驚く。これは、ホワイトデーの時に夏目君がファンに向けてあげた公式SNSの画像。存外、ノリノリでハートを作る夏目君が可愛い。ファンからも可愛いと評判だった写真だ。ハートを作る夏目君の写真に思わず口角が上がり、目が垂れさがる。
「くふふ…」
「え、怖いんだけど」
「え?」
ドン引きしている声がかけられて我に返り、スマートフォンから顔をあげると、夏目君がなんだこいつみたいな目で見ながら立っていた。腰の位置が高く均整がとれた体つきに、拳一つ分くらいしかない小さい顔。そんな自分の良さを全て知り尽くしているかのように、夏目君の良さを最大限に引き出している服に身を包んでいる。完璧だ。今日も、夏目君はかっこいい。
「かっこいい」
「答えになってないんだけど」
夏目君が、ふはっと口内の息を吐きながら破顔して笑う。俺の大好きな、饅頭のような笑顔。それが、会って直ぐに見ることが出来るなんて嬉しい。付き合うってすごい。恋人になるってすごい。
「待った?遅くなってごめん」
夏目君が椅子に座ると謝罪してきた。時刻は待ち合わせ時間の五分前。完全に俺が来るのが早すぎただけで夏目君が謝ることじゃない。こういうのは、どちらが悪いとかは無いかもしれないけれど、どちらが悪いか決めないといけないとしたら、むしろ俺に過失があると思う。
「いや、俺が早く来すぎただけだから、気にしないで」
「ありがとう。…樹君はいつ来たの?」
「えーっと、今から三十分前くらいかな」
「え…早すぎじゃない?」
夏目君が驚いたような顔をする。
「あ…うん。そうだよね」
もっともな指摘に顔を俯かせる。
「別に、怒ってるわけじゃないから。顔、見せて」
夏目君の綺麗で細くて長い指が俺の顎を優しく掴んで、くいっと上にあげる。これが、世にいう顎くい…。憧れの人に顎くいされるというシチュエーションの恥ずかしさと、初めて顎くいされるということの感動がせめぎ合って固まる。身体中の血が巡るっているのが体内から発せられる熱で伝わる。
「な、夏目君…」
はっとしたように夏目君の手が離れた。離れてくれてホッとしたような残念なような気持が縺れた糸のように絡み合っている。
「急にごめん」
「いや、全然。…むしろ嬉しかった」
小声で下を向き、声とも言えない声で呟く。役者としては、最低な発声レベルだ。
お互いに無言で、何とも言えないきまづい空気が漂う。付き合う前はそんなことは無かった。ただただ、追いかけている時は、どれだけ素っ気なくされても、次から次へと話しかけることが出来たから。素っ気なくされてもいないのに一瞬、一瞬、ふとしたタイミングで何と声をかけていいのか分からない時があるのだと今知った。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
先ほどの女性店員が水の入ったグラスを机に置きながら注文を取る。
「ホットコーヒーを」
「ミルクはいかがいたしますか?」
「お願いします」
「かしこまりました」
一礼すると女性店員は踵を返してキッチンに向かう。
「今日はどうする?」
「ここで、ゆっくりしてから買い物して夜ご飯を食べるとかどう?」
「うん。いいね」
一日の行程を決め、喫茶店でゆっくり色々なことを話した。初めて会った時の第一印象とか、最近演じた役についてとか、最近流行りのファッションのこととか。くだらないことから大切なことまで。何もかも。どれだけ近くに居ても一向に届かなかった距離が一気に近づいて行く気がする。まるで、天使の翼を手に入れることが出来たイカロスのような気持だ。夏目君という太陽に、グッと近づいて行く。嬉しくて、楽しくて、時間は、ぐんぐん過ぎていく。喫茶店を出た後は、ウィンドウショッピングをした。流行りの服屋にアクセサリーショップを似合うだの似合わないだの話しながら見ていく。アクセサリーショップに寄った時、俺は一つのネックレスに釘付けになった。六芒星の形にアクアマリンで作られた雫が付いているデザインのネックレス。
「気になるものでもあった?」
夏目君に訊ねられる。
「あぁ、うん。これさ、俺たちが初めて共演した時に夏目君が演じてた星羅に似てない?」
「え?あ、確かに。星羅が使ってた術の六芒星だし、アクアマリンの雫は星羅の耳飾りに似てるかも」
「でしょでしょ。なんか、懐かしくなっちゃってさ」
「懐かしいね。あれが無かったら樹君に会うことは無かった」
「夏目君に恋することも無かった」
「そうだね。俺が夏目君に猛烈にアプローチされることも無かったわけだ」
「そっちの方が良かった?」
「今までは」
「今は?」
「アプローチされて、付き合えて良かったって思ってる」
真っすぐとこちらを見る目。夏目君のアイスコーヒーのように黒い目が俺を貫いて真っすぐな気持ちを伝えてくる。
「そっか」
少し恥ずかしくなって、下を向く。頬が熱を持って薄桃色に染まる。恥ずかしい。恥ずかしい。嬉しい。
「俺、これ買ってくる。何か、運命感じるし、それに」
「それに?」
「今日、夏目君とデートに行けた思い出を形に残したい。これを見たら、今日が夢じゃなかったっていつでも思い出せるから」
夏目君の顔を見つめて宣戦布告するみたいに力強く伝える。顔がきっと薄桃色から真っ赤に変わっているのだろうなということが自分でも分かる。分かるけれど、自分の意志では止めることが出来ない。自分の体なのに言うことを聞かない。制御できない。夏目君と出会ってから、そんなことばかりだ。
「じゃあさ、もっと今日のことを思い出せるおまじないかけてあげる」
「え?」
戸惑う俺の手から、するっとネックレスを取るとレジに持っていく。戸惑っている間に会計が終わったのか夏目君は戻って来ると俺の首にネックレスを付けた。
「どう?俺の手から渡った方が今日のこと想い出せるでしょ?」
「う…」
「う?」
不思議そうに夏目君が見てくる。あまりの出来事に顔から蒸気機関車みたいに煙が出てしまいそうだ。今日一日で俺の寿命は一年縮んだ気がする。犯人は夏目君だ。
「嬉しい…です」
「なんで、敬語」
また、夏目君がおかしそうに笑う。可愛い。かっこいいのに、可愛いなんて夏目君はずるい。俺は何処まで夏目君を好きになってしまうのだろうか。それが、少し怖いと思ってしまう。一方通行の時にはなかった不安が頭をもたげる。夏目君からも好意を受け取ってしまった今、嫌いになられたら俺は、もう、狂ってしまうかもしれない。何でもするから、もう一度愛してと跪いて、愛を乞うくらいはするだろう。きっと、プライドなんて一欠けらも残っていない姿に違いない。
「な、何となく」
「そっか」
「うん」
「じゃあ、夕ご飯食べに行く?」
「行く」
アクセサリーショップを出て、夜ご飯を食べに行く。夜ご飯は夏目君が予約してくれた個室の居酒屋だった。
「何で、個室だと思う?」
席について、とりあえず飲み物を注文すると夏目君から急に尋ねられる。唐突な問いに戸惑っていると、いたずらっ子のように夏目君が笑いながら、見つめてくる。そんな夏目君が可愛い。
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