【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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ティスタリオ邸にて

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 食事を終えたジェジーニアの身なりを整える。着替えがないので、せめて髪だけでもと美しい黒髪を梳かしてやると、ジェジーニアは嬉しそうに喉を鳴らした。くるる、と鈴がなるような美しい音が喉から響く。
 竜人にもあるそれは、求愛のためのものではなかったか。そんな疑問が脳裏をよぎるが、今は支度を終えることの方が大事だった。

 アウファトはジェジーニアを連れてウィルマルトの屋敷へと向かう。
 迷子にならないよう、アウファトがジェジーニアの手を引いて街を歩く。
 ジェジーニアは物珍しそうに辺りを見回しながら歩いていた。

 リウストラに比べると城壁で囲まれたこの街は息苦しく感じないだろうかと少し心配だった。
 リウストラには城壁はない。それ故、かつて南方の賊軍の侵攻を許してしまった。そのため、エンダールは強固な城壁に固められているのだとか。

 アウファトはジェジーニアを連れてエンダールの北の外れにあるウィルマルトの屋敷を訪ねた。

 博識なウィルマルトなら、ジェジーニアのことを何か知っているかもしれないと思ったからだ。
 屋敷に着いたアウファトが通されたのは執務室だった。

 相変わらず、ウィルマルトの執務室は雑然としていた。壁一面の本棚、執務机に積まれた本の山。所狭しと置かれた標本に、試作品の数々。それらに埋もれるようにしてウィルマルトの笑みが見えた。

「随分と早い戻りだな、アウファト」

 アウファトの姿を認めたウィルマルトは席を立って入り口近くへとやってきた。

「ええ。彼のおかげです」

 アウファトが視線を隣にいるジェジーニアに向けた。

「ジジ」

 呼ぶと、ジェジーニアは不思議そうに彷徨わせていた視線をアウファトに向けた。ウィルマルトの部屋は、ジェジーニアにとっても興味を引くものが多いのだろう。
 アウファトが促すと、おそるおそるウィルマルトを見た。
 ウィルマルトとジェジーニアが対面する。
 竜人と会うのは久しぶりだろう。人見知りはしないか、少し心配だった。

「ウィルマルト・ティスタリオだ」
「……ウィルマルト」

 ジェジーニアはおそるおそるウィルマルトに差し出された手を握った。

「ミア、ジェジーニア」

 ジェジーニアが名乗ると、ウィルマルトは目を見開く。

「古竜語か」
「ええ」

 そっと手を離したウィルマルトは、アウファトに悪戯ぽい笑みを向ける。

「おまえ、とんでもないものを見つけたな」
「は」

 その言葉の意図がわからないでいると、ウィルマルトはジェジーニアを前にして跪き、胸に手を当てて恭しくお辞儀をした。まるで、平民が王に謁見する時の仕草だ。

「ネーア、イルラ、エンディノ、ヴィーロ、エンセルト」
 
 お会いできて光栄です、黒き竜王。ウィルマルトが口にしたのはそんな意味の古竜語だ。
 ジェジーニアは驚いたように瞬きを繰り返す。
 それにはアウファトも驚きを隠せなかった。

「ティスタリオ卿、古竜語を」
「はは、俺も覚えたんだよ」

 目配せするウィルマルトは得意げだった。勉強をしていると聞いた覚えはないので、アウファトを驚かせようと内緒で勉強していたのかもしれない。人を驚かせるのが好きなウィルマルトらしい。

「黒き、竜王……」

 ウィルマルトが口にした、黒き竜王というのが気になった。黒き竜王から賜ったとされるジェジーニア。そんなジェジーニアに対して黒き竜王というウィルマルト。そこから導き出せる答えは、一つだった。
 思いを巡らせているアウファトに気がついたウィルマルトは目を細める。

「四本角は高位の竜人……竜王の血統にしか現れない。ジェジーニアは、白い揺籠にいたんだろう」

 アウファトはウィルマルトを見た。
 鼓動が早まる。
 そんなわけがないと思っていたのに。

「この子は、竜王様の子だろうよ。でなきゃ隠し子だが、黒き竜王はどの竜王よりも一途で愛情深い。白き王以外を愛したという話もない。おそらくは竜王様の嫡子だ」

 アウファトは目を見開いた。
 鼓動が跳ねる。
 ウィルマルトが言うのなら、それは間違いないだろう。ウィルマルトの知識はおそらくこの大陸随一だ。こと竜人と、その伝承に関してはアウファトは何度もウィルマルトに助けられてきた。
 ウィルマルトは続けた。

「神代の終わり以来、この大陸の竜王様は不在となっている。黒い鱗の竜人は少ない。これだけ綺麗な黒い鱗を見るのは初めてだ。黒き竜王トルヴァディアの血筋で間違い無いだろうな」

 深く艶のある黒い鱗は、確かにあまり見たことはない。アウファトの視線を受け止めたウィルマルトは続ける。

「ゼジニアは、竜王様からの賜り物、子どもだったわけか」

 ウィルマルトは髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。

「これは大発見だな。国王に報告してやれ」
「はい」

 報告はするつもりだったが、まさか竜王の子だとは思わなかった。
 アウファトは気になっていたことをウィルマルトに尋ねた。

「竜王の子は、竜人とは何か違うのですか」
「基本的には一緒だが、竜王は竜人よりも高位の存在だ。すべての力が強い。膂力も魔力も竜人に比べたら桁違いだ。感覚も鋭い。竜王は神に近い存在、と言えばいいか」

 神に近い存在と聞いて、アウファトは息を呑んだ。そんな力のあるものを自分が目覚めさせてしまったのが信じられなかった。

「その、ほかには」
「他?」

 ウィルマルトはきょとんとした顔でアウファトを見た。

「彼の、つがいのことです」
「竜王のつがいか。竜王にはその生涯に一人だけのつがいが存在する、ってやつだな」
「生涯に、ひとり」

 アウファトの心臓が跳ねた。
 竜王にとってのつがいがそんなに重大なものなのだと、アウファトは初めて知った。
 アウファトの動揺に気付いていないウィルマルトは淡々と続けた。

「黒い竜王と白き王がそれだ。まあ、俺もこの辺は不勉強でな。竜王様がいなくなって久しいうえ、伝承もそれほど残っていない。すまないが、俺にわかるのはここまでだ。そうだな、竜王に関することならこの書物が一番わかりやすいか」

 ウィルマルトは顎をひと撫ですると壁一面を埋める大きな棚に歩み寄った。彷徨う指先が並ぶ本の背を確かめるようになぞり、その中から一冊の本を取った。厚さはそれほどないが、古そうな本だった。

「賢王の地の書物の翻訳版だ。俺の知る中ではそれが一番詳しいんじゃないか? 俺もまだ全部は読んでないからお前の探すものがそこにあるかはわからないが、しばらく貸しておいてやる。気が済んだら返してくれればいい」

 ウィルマルトから手渡されたのは、深い茶色の革張りの表紙をしていた。作られてからの長い年月を感じる、古びた本だ。厚みはそれほどないが、しっかりした作りをしている。
 賢王の地は、アウファトのいるフィオディカ大陸から海を渡った遥か東にある。長命なエルフの王、賢王リシェロディートが治める国で、世界の伝承が集められると聞いたことがあった。この本はその中の一部を翻訳したもののようだ。
 この本の貴重さを考えると、指先に感じる重みが何倍にも感じる。

「ありがとうございます、ティスタリオ卿」
「礼には及ばない。王子様をよろしく頼むぞ」

 冗談めかして微笑むウィルマルトに、アウファトは苦笑いを返す。責任重大だ。だが、ウィルマルトから竜王に関する文献を借りることができたのは大きい。
 当のジェジーニアはというと、興味深そうにそばにあった石の標本を眺めていた。ウィルマルトの部屋はジェジーニアからしても珍しいものだらけなのだろう。
 ウィルマルトに礼を言って、アウファトはジェジーニアとともに屋敷を後にした。
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