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己の目で見るもの
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何もしなくても季節は進む。秋は少しずつ深まり、フィオディークの纏う薄手の法衣だけでは肌寒くなってきた。少ない荷物の中から羽織りを出して、肩に掛ける。見上げる空も少しだけ遠く、霞むようになっていた。
夜の風も少しずつ冷たくなって、冬の気配は少しずつ近づいていた。
王都の秋が深まったある日、フィオディークは外へ出る決意をした。
もちろん王の許可などない。強行突破だった。
フィオディークには、竜人にしては強い魔力がある。その魔力で組み上げたのは気配を断つ術だ。姿を見えなくし、他者から気配をわからなくする術式はフィオディークも初めて使うものだった。そういうものがあるのは知っていたが、使うことなどないと思っていたせいでずっと忘れていた。
侍従相手に試してみたが、気づかれることはなかった。
これならば誰にも気づかれずに街に出ることができる。フィオディークは確信した。
夜、外套を纏ったフィオディークは部屋を抜け出した。
抜け出すための人気の少ない場所は、事前に調べておいた。
フィオディークの白い鱗は夜の闇では目立つ。深い黒の外套を纏って、フィオディークは術式を展開した。気配を消す術式は、フィオディークの足音も羽音も、呼吸までも消した。
王を欺く罪悪感はあった。しかし、それを跳ね除けるのは使命感だった。
フィオディークは部屋の一番大きな窓を開け、羽ばたく。冷えた夜の空気を裂いて、フィオディークの翼は静かに夜の空を舞った。
闇に紛れて王城を抜け出したフィオディークは街へと降り立った。
王宮の前に広がる中央広場を飛び越えて、石造りの建物が並ぶ目抜通りを抜け、路地裏に入ったフィオディークは愕然とした。
ちらちらと揺れる頼りない焚き火が照らし出すのは、家というには粗末な荒屋だった。表通りにあるしっかりした作りの家ではなく、余り物の石と木材で作られた、雨風を凌ぐのがやっとの粗い家だった。
そんな建物が、幾つも連なっている。
そこには、これが国の中枢の街なのかと思うくらいにみすぼらしい姿をした者が多くいた。家のないものもいるようだった。
夜風にゆらめく小さな焚き火に人々が集まっている。竜人も人間も、大人も子どもも、皆飢え、暗い顔をしていた。
いつからこんな状態だったのだろうとフィオディークは思う。フィオディークのいた神殿の周りはこんなことはなかったはずだ。
フィオディークはトルヴァディアから授かった言葉を思い出した。そして理解した。
この国は病んでいる。
奪われているのは民だ。そして、奪われたものは王宮にある。
だから預言は施しを惜しむなと言ったのだ。
では、自らがするべきことは。
フィオディークが思いつくことはそう多くはなかった。
フィオディークは踵を返した。
その胸に渦を巻くのは悔いと情けなさだった。
傷のない唇を強く噛む。胸が痛かった。自分の元へと届けられたものは、民から取り上げたものだ。あれは民へと返すべきもの。フィオディークが持っていたところで、使うことのないものだ。
夜の街を駆け抜け、フィオディークは王城へと戻った。
そして、フィオディークは自らの与えられたものを街へと配り始めた。
季節は冬へと向かっている。まずは服を。そして、金に、他の品物に変えられる金銀や宝石を。そして、食糧を。
部屋の隅に押しやっていたものは減り、物入れに押し込んでいたものも徐々に減っていった。
眠る時間は少し減ったが、些細なことだった。
夜になるたび、フィオディークは姿を隠して街に降り立った。
街へ出てしまえば、兵士の目は届かない。術を解き姿を現したフィオディークは、貧しい民に自らの財を渡して回った。
冬は足音を潜めて少しずつ近づいていた。黄昏の大地はそれほど寒くはないが、荒屋で過ごすには厳しい季節だ。
病が流行りだせば助けられない。まだ寒さの弱い今のうちに冬の支度をしておきたかった。
フィオディークは、自分のように家族や大切な友を亡くしてほしくなかった。
フィオディークは夜更けの街を見て回った。
初めは警戒していた者たちも、何度か訪れるうちにフィオディークを歓迎してくれるようになった。
平伏し、手を合わせる者も少なくない。
「あの、お名前は」
「名乗るほどの名はありません」
「恩人の名を覚えておきたいのです。どうか」
懇願するような声に、フィオディークは名を告げた。フィオディークの家族が呼んでくれた名だった。
「フィー、です」
「フィーさま」
フィオディークの告げた名前を、民は嬉しそうに口にする。
「ありがとうございます、このご恩は忘れません」
毎日ではないし渡せるものも僅かだというのに、訪れるたびに人々は喜んでくれた。
それでも、フィオディークの胸にはまだ焦燥があった。他の土地の状態はわからない。他も同じような状態なのだろうか。
今のフィオディークでは、王都の民に施しをすることで精一杯だった。
皆仕事はあるが、税の重さに喘いでいた。生きることで精一杯で余裕などない。そんな状態では、とても健やかな国とは思えなかった。
彼らがいなくなってしまえば、この国は回らなくなることなど王もわかっているはずなのに。
民を蔑ろにする王に、フィオディークは怒りすら覚えた。
国を、守らなくては。それは、王の死を止めることにつながるはずだと、フィオディークは考えていた。
夜の風も少しずつ冷たくなって、冬の気配は少しずつ近づいていた。
王都の秋が深まったある日、フィオディークは外へ出る決意をした。
もちろん王の許可などない。強行突破だった。
フィオディークには、竜人にしては強い魔力がある。その魔力で組み上げたのは気配を断つ術だ。姿を見えなくし、他者から気配をわからなくする術式はフィオディークも初めて使うものだった。そういうものがあるのは知っていたが、使うことなどないと思っていたせいでずっと忘れていた。
侍従相手に試してみたが、気づかれることはなかった。
これならば誰にも気づかれずに街に出ることができる。フィオディークは確信した。
夜、外套を纏ったフィオディークは部屋を抜け出した。
抜け出すための人気の少ない場所は、事前に調べておいた。
フィオディークの白い鱗は夜の闇では目立つ。深い黒の外套を纏って、フィオディークは術式を展開した。気配を消す術式は、フィオディークの足音も羽音も、呼吸までも消した。
王を欺く罪悪感はあった。しかし、それを跳ね除けるのは使命感だった。
フィオディークは部屋の一番大きな窓を開け、羽ばたく。冷えた夜の空気を裂いて、フィオディークの翼は静かに夜の空を舞った。
闇に紛れて王城を抜け出したフィオディークは街へと降り立った。
王宮の前に広がる中央広場を飛び越えて、石造りの建物が並ぶ目抜通りを抜け、路地裏に入ったフィオディークは愕然とした。
ちらちらと揺れる頼りない焚き火が照らし出すのは、家というには粗末な荒屋だった。表通りにあるしっかりした作りの家ではなく、余り物の石と木材で作られた、雨風を凌ぐのがやっとの粗い家だった。
そんな建物が、幾つも連なっている。
そこには、これが国の中枢の街なのかと思うくらいにみすぼらしい姿をした者が多くいた。家のないものもいるようだった。
夜風にゆらめく小さな焚き火に人々が集まっている。竜人も人間も、大人も子どもも、皆飢え、暗い顔をしていた。
いつからこんな状態だったのだろうとフィオディークは思う。フィオディークのいた神殿の周りはこんなことはなかったはずだ。
フィオディークはトルヴァディアから授かった言葉を思い出した。そして理解した。
この国は病んでいる。
奪われているのは民だ。そして、奪われたものは王宮にある。
だから預言は施しを惜しむなと言ったのだ。
では、自らがするべきことは。
フィオディークが思いつくことはそう多くはなかった。
フィオディークは踵を返した。
その胸に渦を巻くのは悔いと情けなさだった。
傷のない唇を強く噛む。胸が痛かった。自分の元へと届けられたものは、民から取り上げたものだ。あれは民へと返すべきもの。フィオディークが持っていたところで、使うことのないものだ。
夜の街を駆け抜け、フィオディークは王城へと戻った。
そして、フィオディークは自らの与えられたものを街へと配り始めた。
季節は冬へと向かっている。まずは服を。そして、金に、他の品物に変えられる金銀や宝石を。そして、食糧を。
部屋の隅に押しやっていたものは減り、物入れに押し込んでいたものも徐々に減っていった。
眠る時間は少し減ったが、些細なことだった。
夜になるたび、フィオディークは姿を隠して街に降り立った。
街へ出てしまえば、兵士の目は届かない。術を解き姿を現したフィオディークは、貧しい民に自らの財を渡して回った。
冬は足音を潜めて少しずつ近づいていた。黄昏の大地はそれほど寒くはないが、荒屋で過ごすには厳しい季節だ。
病が流行りだせば助けられない。まだ寒さの弱い今のうちに冬の支度をしておきたかった。
フィオディークは、自分のように家族や大切な友を亡くしてほしくなかった。
フィオディークは夜更けの街を見て回った。
初めは警戒していた者たちも、何度か訪れるうちにフィオディークを歓迎してくれるようになった。
平伏し、手を合わせる者も少なくない。
「あの、お名前は」
「名乗るほどの名はありません」
「恩人の名を覚えておきたいのです。どうか」
懇願するような声に、フィオディークは名を告げた。フィオディークの家族が呼んでくれた名だった。
「フィー、です」
「フィーさま」
フィオディークの告げた名前を、民は嬉しそうに口にする。
「ありがとうございます、このご恩は忘れません」
毎日ではないし渡せるものも僅かだというのに、訪れるたびに人々は喜んでくれた。
それでも、フィオディークの胸にはまだ焦燥があった。他の土地の状態はわからない。他も同じような状態なのだろうか。
今のフィオディークでは、王都の民に施しをすることで精一杯だった。
皆仕事はあるが、税の重さに喘いでいた。生きることで精一杯で余裕などない。そんな状態では、とても健やかな国とは思えなかった。
彼らがいなくなってしまえば、この国は回らなくなることなど王もわかっているはずなのに。
民を蔑ろにする王に、フィオディークは怒りすら覚えた。
国を、守らなくては。それは、王の死を止めることにつながるはずだと、フィオディークは考えていた。
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