黄昏の竜王は純白の王を抱く

八陣はち

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漆黒と純白

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「どうした、不満か」

 不服そうに呟くトルヴァディアに、フィオディークは強張る喉から慌てて声を絞り出す。

「い、いえ、私で、いいのですか」

 戸惑いに声が掠れた。フィオディークは神官ではあるがただの竜人だ。位も何もない。なのに、自分でいいのだろうかと疑問ばかりが湧いてくる。

「お前でなくてはだめだ。この花の香りはそういうことだ。俺のたった一人のつがいがお前なのだ」

 竜王の言葉は、フィオディークに深く染み込んでくる。縋るような響きのあるその声に、フィオディークは胸に手を当てた。

「光栄です、トルヴァディア様」

 胸が震える。フィオディークにしてみれば身に余る名誉だった。自分はずっと、下位の神官のまま一生を終えるのだと思っていた。それがトルヴァディアとの出会いによって変わった。
 会いにこいという約束はフィオディークに強さをくれた。遥か彼方にいるのに、トルヴァディアはずっとそばにいてくれるようだった。
 フィオディークにとって、トルヴァディアは恩人であり、畏敬の対象だった。

 トルヴァディアの強い腕が、真っ白いフィオディークを抱きしめる。

「トル、でいい」
「トル……」
「美しい声だ」

 陶酔を滲ませた低い声が、フィオディークの中へと染み込んでくる。

「おいで、フィオディーク」

 その声は甘い。今までの威厳に満ちた声ではなく、ひどく私的な、大切なものに向けるような優しい声だった。トルヴァディアのそんな声を聞くのは初めてだった。身体は声に誘われるように、トルヴァディアに擦り寄る。
 温もりを隔てる濡れた布が邪魔だった。

「愛している。フィオディーク、お前に触れたい」

 耳元に吹き込まれる甘やかな低音にフィオディークが頷く。トルヴァディアからの愛に応えたいと思った。

 トルヴァディアの指先はひどく優しく、フィオディークの濡れた肌にまとわりつく法衣をゆっくりと脱がせていく。壊れやすいものに触れるような、どこか躊躇いと恐れを孕んだような優しい指先だった。

 肌を見せるのには抵抗があったフィオディークだが、羞恥を忘れてしまったかのようにトルヴァディアにされるがままだった。
 トルヴァディアの手はフィオディークを傷つけないように、怖がらせないようにして濡れた法衣も下履きも取り払ってしまった。

 フィオディークが一糸纏わぬ姿になって、トルヴァディアもまた濡れた装束を床に落とした。フィオディークの痩せた身体とは比べ物にならないほどに美しく逞しい、彫像のような身体があらわになる。筋肉の凹凸が、日差しを受けて柔らかな影を落としていた。
 午前の眩い日差しの降る浴室でトルヴァディアに抱えられ、肌が触れ合うと鼓動がうるさく騒ぎ出す。

 こんなふうに、裸で誰かと触れ合ったことはない。自分のものではない温もりに触れるのは落ち着かないのに、トルヴァディアの温もりだと思うと離れ難かった。
 長く神官をしていたこともあり、性的なことには疎かったフィオディークには何もかもが初めてだった。

「お前はあの山に降る雪のようだな」
「雪……」
「なのに、こんなにも温かい」

 フィオディークの温度を確かめるように触れる、トルヴァディアの手のひら。乳白色の髪を、白い肌を、頬を、温かな手が撫でていく。フィオディークは自分が情けない顔をしている自覚はあった。
 トルヴァディアの穏やかな顔を縋るように見上げることしかできない。
 礼拝の作法と違って、何をどうすればいいのかひとつもわからない。なのに湧いてくるのは、もっと触れたいという想いばかりだ。

「フィー」

 フィオディークの鼓動が跳ねる。それは愛しい人たちが読んでくれた呼び方だった。トルヴァディアには、一言も伝えたことはない。
 フィオディークか顔を上げると、唇が触れ合った。誰かとこうして唇を触れ合わせるのは初めてだった。
 柔らかくて暖かくて、もっと触れていたい。そんな思いがあぶくのように絶えずフィオディークの胸に浮かぶ。

「本当に、お前は眩いな。俺とは真逆だ」

 トルヴァディアの声が響くたびに胸が苦しい。胸の奥を絞られるような、それでいて温かく優しい感覚がフィオディークの胸に宿る。その感情の名もわからないまま、フィオディークはただ美しいトルヴァディアを見上げていた。

「わたしは、あなたの夜のような鱗も、逞しい角も、夜風のような髪も、美しいと思います」

 フィオディークの心からの言葉だった。トルヴァディアはフィオディークとは真逆の、夜空のような深い黒の髪に、角も鱗も上質な鉱石のような漆黒をしていた。
 美しい竜王。かつて竜人を作ったと言われる神の使いは、本来なら手の届かないはずの存在だ。国の王よりもなお遠いはずの存在であるトルヴァディアは、今、誰よりもフィオディークのそばにいる。
 言葉を交わし、ほんの少しばかり共に過ごしただけなのに、こうして目の前にいて睦言を交わし、温もりを分け合っている。

「嬉しいことを言う」

 トルヴァディアの唇は、何度もフィオディークの額に、頬に、鼻先に落ちる。

「あなたは、わたしにとっての王なのです」

 フィオディークの言葉に、トルヴァディアは笑みを見せた。
 フィオディークにとっては、トルヴァディアは支えだった。トルヴァディアのくれた言葉が、約束がなければ、挫けていたかもしれない。フィオディークにとって、トルヴァディアは唯一無二の、紛うことなき王だった。

「王、か」

 トルヴァディアはその言葉を噛み締めるように繰り返した。

「お前も言ってくれぬのか」

 トルヴァディアが静かにねだるのは、フィオディークからの言葉だった。

「愛しています。我が王、トルヴァディア」

 唇が重なると、フィオディークの胸を暖かなものが満たしていく。それは優しく穏やかで、春の陽だまりのようだった。
 触れ合うのは、心の深いところだ。トルヴァディアと心の深い場所が繋がったような、そんな気がした。

 くるる、とフィオディークの喉が柔らかく鳴った。それはフィオディークの竜人としての本能がさせるものだった。それに呼応するように、トルヴァディアの喉も柔らかな音色を奏でた。

 証はなくとも、ふたつの魂がしっかりと結ばれた。

 喜びを隠しきれないフィオディークは、身を縮めて俯く。

「トル、その、こういったことは初めてで」
「心配するな、俺もだ」

 トルヴァディアの手のひらが頬を撫でる。羞恥が熱で染める頬を撫でられて、フィオディークは目を閉じ、トルヴァディアにしがみついた。

「お前を抱く。掴まっていろ」

 トルヴァディアの声は穏やかでいて、有無を言わせない芯の強さがあった。
 これから始まることを、フィオディークは知らない。期待と不安の入り混じる胸には、小さな火種が灯っていた。
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