九戸墨攻

不来方久遠

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薩天の柿

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 総指揮の将監として蒲生氏郷は、秀次に九戸の大将を捕縛した事を早馬で伝え
た。
 戦場より遥か後方にいる秀次に、その報が伝えられた。
 秀次は、蒲生からの書状に目を通した。
 書状には、蒲生氏郷が九戸政実との和議を結んだ旨が記されていた。
「誰が、そのような約定を許した」
 秀次は、側近に聞いた。
 総大将の秀次に引き渡すため、政実の身柄は密かに移送される事となった。
 政実は引っ立てられ、秀次に謁見した。
 秀次は、政実の眼を見た。
 鋭い眼光の中に、一点の曇りも無い澄んだ瞳を見て取った。
 一言も会話する事無く、秀次が立ち去った。
「北の鬼と言われるほどの面構えをしておったわ。鬼は退治するが必定。だが、
政実という鬼は、秀吉という龍にきっと好かれよう」
 秀次は、側近に言った。
「平定に手間取り、難癖を付けられた末に逆鱗に触れでもすれば、たちまち暴れ
て手が付けられなくなる。龍はおとなしくさせておかねばならぬ」
 秀次が、呟いた。
 政実を秀吉に会わせて、もしも許されでもすれば、総大将として仕置を任され
た自分の面目が丸潰れになる。
「今すぐ、総攻めせよ」
 そう感じた秀次の下知は、苛烈を極めた。
 和議を一蹴したばかりではなく、秀次はこの期に乗じて攻め入る事を命じた。
 城内の者一人も生かす事なく、皆殺しにしろというものだった。
 また、九戸の籠城兵を油断させるため、しばらくは政実を生かしておく算段で
あった。
「これは…」
 秀次からの返答の書状を見せられた浅野長政が、何事か言おうとした。
「何も申すでない。主命には逆らえぬ」
 蒲生氏郷は、沈痛な面持ちで言った。
「和議には反対であったが、その約定を反故にして騙まし討ちするのか」
 意外にも、堀尾吉晴が食って掛かった。
「一旦、和議を結んだ相手。もののふとしてあるまじき所業であろう」
 堀尾なりに、武士としての矜持が許さなかった。
「なれば、武者大将から外れて貰う」
 蒲生氏郷は、きっぱりと言い放った。
「ううむ。大方、三成の横槍でも入ったか」
 横目付である石田三成の差し金を勘繰り、堀尾は合点がいかぬという表情で押
し黙った。
「滅多な事を言うでない」
 浅野長政が、たしなめた。
 輩下の津軽為信、ましてや援軍要請をした南部信直は意見できる立場になく、
たとえ非情なりともその下知には従わざるを得なかった。
 政実を人質にする形で、豊臣方の兵が九戸城に向かって進軍して行った。
 頭領である政実が相手方に投降した以上、九戸方は黙って敵方を迎え入れた。
 開門している九戸城に、豊臣方の兵が易々と入った。
「何か異様な空気を感じませぬか。和議が成立した安堵感がまるで無い」
 櫓に陣取った政実の次男の実親が言った。
「うむ。戦に臨む緊迫感が伝わってくる」
 隣の三男の政則も同意した。
 豊臣の大軍が続々と入城すると、それを見計らったかのように、本陣より法螺
貝の音が響いて来た。
 開城された大門からは、大津波のように五万の敵兵が押し寄せて攻撃を仕掛け
て来た。
 城内の馬が野に放たれ、鉄砲には放水がなされて、九戸精鋭の騎馬軍団が壊滅
した。
「嘘の和議を餌に兄者をおびき寄せ、城攻めする豊臣の謀略であったか。戦国の
世とは言え、卑怯なり」
 実親が、悔しげに言った。
 虚を突かれた九戸方は、臨戦態勢を敷き直す間もなく一たまりも無かった。
 南部最強と謳われた兵達であったが、主無き城の中では烏合の衆と化していた。
「もはや、是非に及ばず」
 一矢報いようと、政則は弓懸をはめて箙から弓を抜くと次々に放った。
 敵の鉄砲隊の総攻撃によって、実親が戦死した。
 二の丸に、城中の子女全員が集まっていた。
 北の方と呼ばれた政実の正妻である椰が、正装して静かに座っていた。
 武士の妻として、覚悟を決めていた。
 椰の指示により、付きの者が樽の油を廊下に撒いた。
 外から、追手の迫る蛩音が聞こえて来た。
「義姉上」
 中野修理こと、政実の末弟の康実であった。
「夫、政実に会う事があったら伝えて下さい。貴方様と出逢えた事は、生涯の幸
せでしたと」
 深々と頭を下げながら椰が、政実の大小の刀を康実に預けた。
 そして、実子の亀千代の手を引いて、奥座敷へと消えて行った。
 生きたまま、敵に辱しめを受ける訳にはいかない。
 椰は、政実以外にこの身を触れさせる事だけは許せなかった。
 中野修理が呆然と見送る中、背後からなだれ込んで来た豊臣の兵等が女子供に
対して容赦無く刃を向けた時、火の手が上がった。
 紅蓮の炎に包まれた二の丸を見て、本丸に立て籠っていた政則は、万事休すと
判断すると脇差しで喉を掻っ切って自刃した。
 実親、政則等の奮戦空しく、鉄壁の守りを誇っていた九戸城は陽が落ちる前に
呆気無く落城した。
 城内の全ての者が、捕虜になる事も許されず虐殺された。
 九戸の撫で切り、と呼ばれる事となる惨劇であった。


 戦が終わって、半月経った仲秋の名月の晩であった。
 牢の前に、政実の末弟がやって来た。
「康実、いや、中野修理と言ったか」
 政実が、言った。
「九戸の城にいた者は、全て撫で切りされました」
 中野修理が、告げた。
「さもあらん」
 豊臣の警備兵による噂話が耳に届いていたので、政実に驚く様子は無かった。
「九戸の武士として、お前だけでも生き残る事ができたのは幸いである」
 虚心坦懐で、政実は言った。
「生き恥をさらして、こうして兄者の前に来たのは、義姉上様よりの言伝を届け
るためです。兄者と暮らした日々、生涯の幸せであったと」
 無念そうな修理とは対照的に、政実は落ち着き払っていた。
「そうか」
 政実の頬に、一筋の涙が伝った。


 牢に留め置かれて二月が経った、霜月の初めであった。
 政実が、牢から出された。
 刑場に向かう途上で、政実は思った。
 その昔、朝廷が蝦夷の雄アテルイを殺し、またその子孫の奥州・藤原氏を源氏
が滅ぼした。
 源氏の末裔である我が朝廷軍に敗れるは、全て蝦夷の土地である陸奥を奪った
因果と言うべきか……
 処刑官の刀が振り上げられ、斬首される瞬間であった。
 春に、山肌の雪融け模様が巨巌に飛来する鷲の姿に見える言われの巌鷲山を頂
いた、九戸の里の山桜の一斉に散りゆく光景が、脳裏に浮かんだ。
 南部信直に仕えていた政実の末弟の康実は、三迫で斬首された政実の首級を、
密かに首桶に入れて九戸に持ち帰った。
 長興寺の薩天和尚に預けると、自らも身を寄せた。
 和尚は、静かに政実の首を葬った。
 政実が亡くなってから、ちょうど四十九日であった。
 九戸の郷は、雪に覆われていた。
「宿縁じゃの」
 和尚は、遠くを見るような視線をした。
「は?」
 長興寺で得度し、頭を丸めた康実が聞いた。
「この儂が、武士の一分を通さねばならぬとは」
 和尚が、言った。
 和尚に茶道を指南した千利休も、秀吉に対して筋を通したのであろう。
「結果として、うぬが兄を謀り、九戸を滅ぼす仲立ちをしたのは儂じゃ。その責
は負わねばならぬ」
 和尚は、康実を連れて馬を駆った。
 後に、岩手山と呼ばれる南部一の標高のどっしりとした独立峰である巌鷲山が、
雪を被った姿で眺められた。
 城の西に位置する奥羽山脈と北上山地の間を流れる馬淵川を渡ると、九戸城が
見えてきた。
 政実が処刑された後、南部信直はこの城を改修し、福岡城と改め三戸から移り
居城としていた。
 戦災で焼け残った松の丸に、南部信直の居館があった。
「信直殿に会わせよ」
 これまでにも、度重なる面会の申し出を断わられていた薩天和尚は、直談判し
に来たのであった。
 が、門前払いされた。
「命を賭した約定を違えたは、武士の風上にも置けぬ外道であろう」
 そう言って和尚はその場に座り込むと、政実の脇差しで自らの腹を真横に裂い
た。
 今はの際に、和尚は処刑される寸前の政実と同じ事を思っていた。
 その昔、蝦夷を征伐した朝廷。
 その縁戚である源氏に連なる南部氏同士が争うなど、まるで蝦夷の怨念が宿っ
ておるようだと。
「因果応報」
 そう言って和尚が脇差しを置き、両手を胸の前で合わせて合掌した。
「とっぴんぱらりのぷぅ」
 最期に、呪文のような言霊を吐いた。
 側に控えていた康実は、政実の大刀で介錯した。
 九戸城の門前で、和尚は血だるまになって息絶えた。
 侍として、和尚は死んだのであった。
 その骸は、和尚を慕う九戸の民等によって引き取られ、鄭重に長興寺にある政
実の墓の隣に埋葬された。
 それ以来、長興寺の柿は実を生さなくなった。
 坊主殺さば、末代祟る。
 和尚の怨念だと、邑人は噂した。
〝とっぴんぱらりのぷぅ〟
 和尚が断末魔に発した言葉であった。
 それは、陸奥地方の昔話の最後に唱えるおしまいという意の結語であった。
 九戸に起きた真実の顛末を後世に伝えて欲しいと願う薩天和尚の思いを、康実
は感じ取っていた。
 康実は、放浪僧となって邑々を廻り、文字を解さない若い農民のために読み書
きを教えたり、自身の画才を通じて歳時を絵で表わした絵暦を描いて伝えた。
 そして、九戸の物語を伝えて歩く事に残りの生涯を費やした。
 和尚との約束を反故にした信直は、九戸に与した者を重用する事を一切禁じ、
また、狡猾で野心家である伊達政宗の侵略に対抗するための防備として、不来方
に新城(盛岡城)を築いて移った。
 古来、陸奥は魔界から鬼が出入りする鬼門に当たり、特に岩手は鬼の巣窟と云
われた。
 その昔、赤い髪に青い目で身体が黒い羅刹という悪鬼の、あまりの悪行に里人
は困り果てていた。
 そこで、里人は人力ではとても動かせないほどの大きさで並んで立った二つの
石と、やや小さな石一つが寄り添っている三ツ石の神様に祈った。
 里人の願いを聞き入れた三ツ石の神様は、鬼を捕まえて岩の中に閉じ込めよう
とした。
 大いに怖れた鬼は、悔い改めた印として、この巨岩に「手形」を押し、許しを
乞うたので神様は二度とこの地に来ないよう諭して放免した。
 それからは、羅刹が再び姿を見せるような事はなくなったので、この地を「不
来方」と呼び、岩に手形の意から『岩手』の名が生まれたと言う。
 信直の不来方への転居については、夜毎枕下に立つ鬼となった政実の悪夢に苛
まれた末に、この岩手の伝説を頼って九戸から逃げ出したのだと風評された。
 九戸城は、豊臣秀吉最後の合戦の場となったところであり、この大戦を最後に
奥州地方が平定され本当の意味での全国統一が成し遂げられた。
 奥州仕置で総大将を務めた秀次は恩賞として関白職を譲り受け、秀吉は太閤と
なった。
 年老いた秀吉に世継ぎが誕生すると、その職を剥奪するため秀次は高野山に追
われたまま切腹を命じられ、妻子及び側近を含む三十九人が京都三条河原で殺害
された。
 専制を極める秀吉は、周囲の反対を押し切って敢行した唐入りの失策後、永眠
した。
 その翌年、南部信直が病死した。
 九戸の乱を総指揮した将監の蒲生氏郷は会津九十万石の大名となるが、秀吉死
後に石田三成によって茶席で毒殺された。
 武者大将を務めた堀尾吉晴も、三成の刺客に十七刺しもの刃傷を受けるが、辛
うじて逃亡し、その後は関ヶ原の戦で東軍に寝返って出雲・隠岐の二十三万石の
大名となった。
 だが、長子を小田原の合戦で亡くしていたので、松江城の完成も見ずに断絶し
た。
 関ヶ原の戦の後、それまで権勢を振るっていた石田三成は、家康に捕らわれ斬
首となった。
 陸奥領は南部藩となり、南部本家は盛岡城を本城として九戸城には城代を置い
ていたが、寛永十三年に破却廃城した。
 幕末に際して、南部藩が明治新政府軍に敗れて戦が終結すると、九戸の長興寺
の柿の実が再び生るようになったと言う。


                                ─了。
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感想 8

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みんなの感想(8件)

デフ
2025.03.02 デフ

東北にも凄い武将がいたんですね。

解除
エービーシー

九戸墨守

解除
エムアイビー

チバリヨー

解除

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