影武者の天下盗り

井上シオ

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第6章:偽帝国の胎動

第37話:見えざる忠義

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 夜明け前、濃い霧のなかをひとりの男が馬を駆った。

 その者の名は、柴田勝家。かつて信長に忠義を誓い、幾度も命を賭して戦ってきた男だ。
 だが今、その胸中に渦巻いているのは、忠義か、疑念か、それとも……

 「殿……いや、“あの御方”は……何者なのだ」

 勝家の脳裏には、あの夜の記憶が焼きついていた。
 ――本能寺の変の翌朝、瓦礫の中から引き上げられた“生きていた信長”。

 確かに、顔は同じだった。声も、仕草も。
 だが、あのとき目を合わせたとき、冷たい獣のような眼光に背筋を凍らされたのだ。

 「もし……偽者だと知ったなら、我らの忠義は、すべて虚構となる」

 勝家の手は、無意識に刀の柄へと伸びていた。

 その頃、安土城では重臣たちによる夜の密議が開かれていた。

 集ったのは、前田利家、滝川一益、明智の遺臣を名乗る謎の男、そして羽柴秀吉。

 「このままでは、我らは“影”に支配される」と、滝川が呟いた。

 「影……? いや違う」
 秀吉が笑う。「あれはもう“影”じゃない。“本物より本物”になろうとしておる」

 「どうする?」前田が低く問う。

 秀吉は扇を閉じた。「動くときは、一瞬で決める。だが今はまだ、“忠義”を演じるが得策だ」

 「芝居か」

 「歴史とは常に芝居じゃ。誰が台本を書こうと、舞台に立ち続けた者が“本物”になる」

 その言葉に、重臣たちは一斉に黙した。

 その夜、柴田勝家はふたたび書状を手に取る。

 宛先はただひとつ――かつての主君、**“本物の信長”**と噂される男の潜伏先。

 「もし、まだご存命であらば――儂は、命を賭してお迎えつかまつる」

 筆を置いた勝家の目には、もはや迷いはなかった。

 忠義とは、見えるものに向けて捧げるものではない。
 見えぬ誠に、魂ごと賭けるものだ。
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