影武者の天下盗り

井上シオ

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第7章:天下の仮面

第47話:影が消えた日

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 ある日の夕暮れ、安土城の片隅にて。
 老臣・柴田勝家が、静かに呟いた。

 「……十兵衛殿、と申されたな。あの男は……」

 その名を聞き咎めたのは、若き近衛兵だった。
 「十兵衛? それは、殿のお名前では……?」

 勝家ははっとして顔を伏せた。

 「いや……忘れた。昔のことじゃ……」

 だがその夜、彼は城を出ようとして、密かに“事故”に遭った。
 転落死。人知れず、埋葬される。

 同じ頃、京の公家屋敷にて、ある侍女が密かに囁いた。

 「信長様は……違うのです。私はあの方の若い頃を知っておりまして……」

 彼女は翌朝、病に伏して亡くなる。

 “偶然”が続いていた。

 ──“十兵衛”という名を最後に口にした者たちが、次々と歴史から消えていく。

 その事実に気づいたのは、黒田官兵衛だった。

 「……始まりましたな、“影狩り”が」

 記録が焼かれ、言葉が禁じられ、名が風化する。
 それは、十兵衛という存在が“なかったこと”になる工程だった。

 影の名が消えた瞬間、信長という虚構が、完全な実像となる。

 官兵衛は一通の書簡を残す。

 〈“影”が消えたとき、史が完成する。ゆえに今、この時こそ、私は記す〉

 彼の記録もまた、のちに焚書の対象となる。

 ──

 安土城の天守にて。

 十兵衛は月を見上げながら、独り言を洩らした。

 「十兵衛……ああ、懐かしい響きだ」

 しかし次の瞬間、彼はその名に微笑を浮かべ、こう続けた。

 「……誰のことだったか、もう忘れた」

 影が“自らを忘れた”とき、ついに“影武者の時代”が終わった。
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