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四阿での見合い

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 小さな取引を結んだお茶会が昼食会になり、鏡の前で並んで着せ替えを楽しむと、あっという間にお見合いの時間になった。

 クラウディアにはいったん客間に行ってもらい、私は近衛隊長が迎えにくるのを待った。
 事前に言いつけられていたらしく、女官たちは笑顔で見送るばかりで誰も付いてくることはない。

 春の盛りを迎えたヘルヴェスは、お三時の頃になるとようやく日差しの目映さが淡くなる。
 しんと静まり返った回廊に落ちる影の上を歩いていると、近衛隊長が足を止めた。微かに首を巡らせてちらりとこちらを一瞥したかと思うと、洗練された挙措で向き直る。

 小首を傾げて微笑んだ私をまじまじと見つめて――近衛隊長はため息した。

「いいお顔をしておいでです。昨日は、まるで死人のような目をしておいででしたよ。今日はご友人までお招きになって、すっかり元気にしておいでだ」
「あなたがベーレンドルフ子爵を呼んだと聞いたわ。どうして?」

 近衛隊長は片眉を立てて、低く喉を鳴らした。心外だとでも言いたげに。

「私はこの国に仕えていますが、盲いてはおりません。陛下は私とは違うお考えでいらっしゃいますが、私は目が死んでいる娘を玉座の隣に戴くのは御免です。騎士とは、仕えるに足る主を求めるもの。閉ざされた貴女の心を開くのにドミニクは役不足のようでしたので、父親を呼びました。あやつは察しの良い男ですから」

 近衛隊長から見ても、私は危うい状態だったらしい。自分ではお人形としてうまく振る舞えていたつもりでいたけれど、そうでもなかったとは。それで、テオとふたりきりにしてもらえた理由がわかった。

「優しいのね」
「お嬢様は誤解しておいでですが、ヘルヴェスは野蛮な国ではありません」

 ぴしゃりと言われたのに、私はくすくすと笑ってしまう。

「ありがとう。心を閉ざして引きこもるところだったわ」
「私も娘を持つ親の端くれです、年頃の娘が心を失うのは見るに堪えません。
 ……貴女の騎士は、随分優秀ですね。ふてぶてしいのとも無謀なのとも違う、不思議な落ち着きがある。そして、思い切った手段に出ることを厭わない。ベーレンドルフが目を掛けているのも得心がいく」

 うちの騎士より見込みがあるかもしれない。独りごちた近衛隊長は、懐から封書を取り出した。
 既に開封されていることがわかるそれには、今はもう何も入っていない。

「なぜ、私に大事なものを預けさせたのです?」
「あなたなら必ず中を検めて、主に報告するからよ」
「仰る通りです。陛下は、お嬢様のお話を聞いてもよいと仰せでした。
 ……お嬢様は事情通でいらっしゃる。何をなさりたいのか、陛下はお見通しでいらっしゃいますよ」
「そうでしょうとも。陛下ご自身では為しえなかったことをしようとしているのですもの、頑張らなくてはね」

 いささか不遜な発言だったけれど、近衛隊長はふっと笑みを浮かべた。それは、はじめて目の当たりにする彼の素らしい表情なのかもしれなかった。
 私が驚いたのに気づいてか、彼は皮肉気に口の端を歪める。

「まずは殿下とお会いください。それが陛下と話をする条件です。
 ……いまの貴女なら、王太子殿下の隣にいても何とも思いませんよ」

 それは、おそらく彼なりの賛辞なのだろう。
 私は苦笑して、あちらですと示された先に見える庭園を見つめた。

 うららかな春の光が差す四阿が、ヘルヴェス王の支度した見合いの場所だった。
 四阿を彩るように咲きこぼれる小振りの白薔薇は、茶器と同じ、亡きヘルヴェス王妃が愛した花だ。ほんのりと中心だけが色づいた花弁を見るともなしに眺めていると、遠く人の話し声が聞こえてくる。

 声のするほうを向くと、ちょうど待ち人が手にした書類から目を上げるところだった。
 その背後にいた揃いのお仕着せに身を包んだ文官たちが、私を見てはっと息を呑む。見開かれた複数の瞳に眼差された私は綺麗に飾り立てられているから、きっと何か素敵で価値のあるもののように見えているのだろう。

「殿下。あれほどお一人でと申し上げたではありませんか」

 近衛隊長の冷ややかな一瞥を受けて、文官たちが王太子を見る。
 ため息した王太子が頷いて書類を渡すと、文官たちはそそくさと遠ざかっていった。

「お前もだ。そう近くで見張られていては話がしにくい」
「は。ではお嬢様、少し離れた場所におります」

 一礼した近衛隊長が速やかに下がると、ヘルヴェスの王太子は私に焦点を定めた。そう表現するのがふさわしいほどに、それは表情いろのないまなざしだった。

 かといって、その瞳が弱いかと言えば違う。
 深い茶の髪を後ろに撫でつけた王太子は体格が良く、榛の瞳には油断してかかれば喉を食い破られそうな鋭さがあり、引き結ばれた唇には意志の強さが滲む。

 クラウディアは、テオを指して刺激が足りないと言っていた。共感はできないけれど、この王太子が好きなのであれば、彼女の好みがわかるような気もする。瞳が持つ強さもあいまって、まるで俊敏な獣から狩りの前に観察されているかのような心地がしたから。

 満足するまで私を検分し終えた王太子は微かに唇を釣り上げると、思いのほか静かな所作で椅子に腰を下ろす。どこからか現れ出た女官が紅茶を注いでふたたび影の中に紛れるまで、王太子は何も言わないでいた。

「王太子のディートフリートだ。かつて、ヒルデガルト姫とは婚約話が持ち上がっていた。確かに、昔見た肖像画の面影がある」
「今はセシルと名乗っております。移民として暮らして八年になりますから、どうぞ今の名でお呼びください」

 鷹揚な仕種で頷いたディートフリートは、日差しが強く差し込むと煩わしそうに目を細めた。
 眠りが浅いまま日々を過ごしているのか、目の下には濃い隈が湛えられている。連日の他国の交渉で疲れてもいるのだろうが、数日でできた濃さではない。現在、ヘルヴェス王は執務のほとんどを息子に委ねていると女官が話していたし、戴冠もそう遠くはないのだろう。

「……陛下は、あれでロマンを好む人でな。母との思い出が色濃い四阿を舞台として調えたら、私の気が変わるとお思いになったらしい。確かに、薔薇に囲まれたそなたは美しい。部下たちも目を奪われていた。私にとっては、あの陛下に抗ってみせたということのほうが興味深いが」

 どうせヘルヴェス王とのやりとりは伝わっているのだから、いまさらしおらしく振る舞ってもしようがない。私は、かつてのヒルデガルトが見たならば驚くくらい、直截な口の利き方をした。

「権力をお持ちの方にとってささやかな反抗は珍しく、その分光って見えるのでしょう。もちろん、私はしがない移民の娘です。すぐにねじ伏せられてしまいました」

 は! と短く声を立てて、ディートフリートは笑った。

「姫! いや、セシル。そなたは面白いな。一見淑やかに見えるのに、発言する意志を持っている。というと、陛下と同じになるだろうか? そんな女人はこれまで一人しか知らなかったぞ」

 ディートフリートは表向き私を立てながらも、当然のごとく脅威には感じていない。だからこそ、うっかり口を滑らせたのだろう。寝不足のせいかもしれない。
 そうと悟らせないように引き結ばれた唇から目を逸らして、私は香り高い紅茶を口に含んだ。

「率直に言おう。私にはそなたと結婚する意思はない」
「奇遇ですね、私もです」
「話がしやすくて何よりだ。もしそなたが王太子妃の座を望むなら、どうしたものかと考えていた。実際に会うまでは、断ることを許していただけなくてな。忙しかったのも本当だが、結果的に見合いの日程を引き延ばしてしまい、申し訳なかった」

 常に頭の中でことばが渦巻いている人なのだろう、発言によどみがない。
 にこりと笑んだディートフリートは素早くケーキを食べると、思考を巡らせるように瞳を動かした。

「陛下には、宛がっていただかなくとも自分で伴侶は用意すると申し上げてきた。私は、親にすべてを用意されるままの子どもではない。自慢ではないが、言うことを聞いてきたことのほうが少ないのだ」
「安心しました。陛下は私の生まれと見目を買ってくださいましたが、殿下の子を産むだけの存在としてちょうどよいとお思いのようでしたので」
「言うなあ! それは悪かった。古い方なのだ。きっと、そなたと私のふるい友人は気が合うだろう。陛下におくさない数少ないひとだから」

 頷きもせずにいると、ディートフリートはくつくつとひどく楽しげに笑った。

「そうだな、ここは頷くべきところではない。陛下が私にそなたを宛がおうとしたのもわからないでもない。私は、気の強い女人のほうが好きだから。
 ……さて、そなたに意に添わぬ逗留を強いた詫びをせねばならないな。何が良いだろう?」

 言いながら、ディートフリートは指折り数え上げる。

「金銭的な保障、商家への説明と勤めを解かない要請。そんなところだろうか?」
「まあ殿下、それだけでは足りませんわ」

 ディートフリートは、一瞬何を言われたのかわからないようだった。
 榛の瞳がゆっくりと瞬き、私を見つめ直す。

「そなたは強欲な娘には見えなかったが?」

 静かな声は、ヘルヴェス王のようにわかりやすい強さをしてはいなかった。けれども確かに、そこには為政者としての威圧が込められている。ヒルデガルトだったなら、そっと目を伏せて従順に従っただろう。

「慎ましく暮らせていたならば、私も何も望みませんでした。私のささやかな暮らしを壊したのは、陛下と殿下です」
「ただの移民のセシルでは、交渉の席に就くには足りないとわかっていての発言か?」
「はい。ですから、不足を補おうと思っております」

 ざ、と強い風がひと筋吹き抜けて、薔薇の香りが一際強く香った。
 目を細めたディートフリートは、ふと。何かに惹かれるように視線を向けた先をじっと見つめる。

「陛下は、王太子妃に相応しい生まれと殿下に釣り合う年頃ならば、誰でも良いと思っておいでのようでした。私のほかに、条件に合う候補者の方がいらしたとか」

 私は微笑んで、ディートフリートの視線を追った。そこには、騎士と令嬢の姿がある。
 ディートフリートが凝視しているのは、寄り添うように立つふたりの近さと、騎士の腕にかけられた白い手だった。華やかな笑みを湛えた令嬢の表情に、テーブルの上でディートフリートの拳が握られた。強く。

 ディア。微かに呟いたその声は、意図せぬものだったのだろう。
 迂闊で無防備で、彼の父親にはおそらくはないだろうその隙が、私に与えられた好機だった。

 風がそよいで、四阿が影に包まれる。反対に、庭園に佇む騎士と令嬢の姿は明るい光に照らされて、まるで演劇の舞台を客席から眺めているかのようだった。

「私の騎士に、その方を連れて来てもらいました。不思議な縁があるようで、その令嬢と私の騎士には縁談の話が出ていて、王立騎士団まで会いに来てくださったそうです。熱心なことに、私のもとにもお越し下さいました。私と騎士の関係が気がかりでいらっしゃったのでしょう」

 ディートフリートは、喉の奥で低く唸った。ぎらついた瞳がこちらを睨みつけて、すぐに逸らされる。

「……何の意図があって彼女を巻き込んだ?」

 従順で心を殺してきたヒルデガルトは、ただのお人形だった。それに、テオと違って商家の奥で計算をしている私には、突出した才があるわけではない。交渉も取引も初めてのこと。

 でも、私の望みの価値を釣り上げるには――ディートフリートの心をかき立てなければならない。
 おそらくは、上手くいっているのだと思う。

 私は、膝の上に置いた左手を右手で覆った。いま左手は震えていなかったけれど、心の片隅ではずっと大それたことをしているような気持ちが拭えないでいる。
 それでも、私はディートフリートの質問に答えなかった。脅えを呑み込んで、言葉を選んだ。

「王太子殿下、恋を手に入れたいのならもっと慎重に動かれなくては。女官たちが私に用意した今季のドレスは、たった一人が纏うことを期待して仕立てられたものでした。私に宛がわれたのは、きっと陛下のご指示でしょう。……ほら、よくご覧になって。お似合いでしょう?」

 ディートフリートの横顔から、王太子としての体面や為政者としての矜持が剥がれ落ちていく。
 むき出しの横顔にはしる感情がめまぐるしく移り変わっていくのを、私はじっと見守っていた。
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