次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

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彼女を本当に愛さなかったのだろうか

私は彼女を愛さなかったのだろうか?

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「親愛なるアーサー殿下へ

 もうすぐ結婚式ですね。ウエディングドレスの最終調整を終えたせいか、結婚式がもうすぐなのだと痛感します。

 あなたのことを考えていてお伝えしたくなりました。

 愛しています。あなたの妻になれる日を楽しみにしています。

愛をこめて
グレイス」



 アーサーが久しぶりに読みかえしたくなった本の間に、七年前に亡くなった前妻、グレイスが結婚前に書いた手紙がはさまっていた。

 その手紙を前にアーサーは自分自身に問いかけた。

「私は彼女を愛さなかったのだろうか?」

 それに答えるのはむずかしかった。

 グレイスには家族としての情はあった。そして言葉にするのが困難な感情がいつもつきまとった。それが何なのかいまでもよく分からない。

 彼女のことを好ましいと思って結婚したが、それ以上の気持ちを持ったことはなかったはずだ。

「愛か――」

 ふと愛とは何だと考えた自分を笑った。それを考えるのは国王ではなく哲学者だ。

 国王であった父が亡くなり自身が国王となって三年。このようなことを考えるのは国王という立場に慣れ余裕がでてきたからだろう。

 アーサーはこのような手紙があることも、そしてこの手紙を本にはさんだことも忘れていた。

 本にはさんだことに意味があったのか、整理している時にまぎれこんだだけなのかは分からない。グレイスとの結婚は二十年以上前のことだ。

 三十五歳という若さで亡くなったグレイスは慈悲深い王太子妃、そして次代の希望として王国民から人気が高かった。

 グレイスは洪水の被災地を慰問した道中で土砂崩れに巻き込まれ亡くなった。

 悲劇的な亡くなり方だっただけに、死後七年たったいまでも命日に哀悼の意をあらわす王国民は多かった。

 グレイスは美しい女性だった。そして真に慈悲深く優しい女性だった。だからこそ王太子妃にふさわしいと選んだ女性だ。

 出会った頃のグレイスは成人していたが、まだ少女といった初々しさがあり可愛らしかった。

 彼女とは八歳の年の差があったので自分の周りにいる同年代の女性達と違っているのが新鮮だった。二十代後半の既婚女性は社交界で揉まれ、良い意味でも悪い意味でも貴族女性らしい振るまいをする。 

 そのような擦れ方をまだしていないグレイスは、社交界での一般的な振るまい方は知っていても、社交界での駆け引きにはまだ慣れていなかった。

 グレイスを王太子妃に望んだのは、彼女に好意をもったからというよりも二十六歳という自分の年齢から妃をめとる必要があったことの方が大きかった。

 彼女の姉が過去に婚約者候補としてあがっていたので、家柄や貴族の権力バランスとしても問題がなかった。

 そして何より彼女の誰にでもやわらかい笑みをうかべ優しく接することができる資質は王太子妃として望ましかった。

 とくに王族は感情をあらわにすると臣下に不必要な忖度を生みやすくする。誰にでもやわらかく接しその表情をくずさないことを求められる。

 それは訓練である程度身につくものだが、性格的に感情の起伏が激しいと周囲が気付くほど表情にでてしまいがちだ。

 その点においてグレイスはもともと感情を制御するのがうまいようで表情のぶれがすくなかった。

 アーサーにとってグレイスは、結婚を意識した時に王太子妃にふさわしいと思える女性として目の前にあらわれた存在だった。

 アーサーが十八歳の時に流行病で亡くなった婚約者とは完全な政略結婚で、そこに自分の意志は反映されていない。

 そのせいか「アーサーが自分で選んだ相手」ということでグレイスに誤解を与えてしまった。自分達の間に恋情があり、そして愛があると。

 あの手紙を読んだ時にアーサーは自分の間違いに気付いた。それまでグレイスから自分を慕っていることは伝えられていたが、愛しているといわれたのは初めてだった。

 政略結婚に感情など必要ない。相手など誰であっても同じだ。

 グレイスが結婚式の二日前にミアのことを聞いた。グレイスがミアのことを知っていたことに驚いたが、この機会に彼女にこれは政略結婚であることを自覚してもらう良い機会だと思い「愛していない」といった。

 彼女は一瞬笑顔をひきつらせたように見えたが、すぐに表情をもどしその言葉を静かに受け入れた。

 そして結婚式では輝く笑顔をみせ、王国民に若く美しい王太子妃が誕生したことを印象づけた。彼女は新しい時代を感じさせる王太子妃として期待にこたえつづけた。

 王国はアーサーの曾祖父の時代まで骨肉の継承戦争をおこない、それだけでなく教会の腐敗や民衆の暴動などで国が大いに荒れた。

 ようやく決着がつき荒れた国を落ち着かせ、血みどろの争いをしている国という印象をくつがえす必要があった。

 しかし荒れた国を戻すには多大な時間と労力が必要で、父の代になりようやく多少の小競り合いはあるが国として落ち着いた状態になった。

 王太子妃となったグレイスは新しい世代の希望の象徴となり、彼女の存在は王家に好印象をもたらせた。グレイスという王太子妃をえたことによりアーサーの評価もあがった。

 結婚してから四ヶ月でグレイスが懐妊し嫡男をうんだことで、より一層次代への安心感がました。嫡男だけでなく長女、次男と子をなしたことでアーサーは王太子として欠けるものはないといわれた。

 グレイスを王太子妃として選んだ自分の目に狂いがなかったことにアーサーは満足していた。

 とくに子供達の誕生と成長は想像していた以上に喜びをもたらせた。

「父上、だっこ!」

 小さな体がまとわりついてくるのが心地よく、子供達と一緒に何かをすると彼らが負けん気を発揮するのがほほえましかった。

「だーれだ?」

 子供達と一緒にグレイスが目隠しをしてきたり、子供達をくすぐると大騒ぎになりアーサーも子供達からくすぐられたりと、家族五人の心地よい時間があった。

 それは自分の子供時代にはなかったものだ。嫡男であることからアーサーは四人姉弟妹の中で誰よりも両親から関心をむけられた。

 しかしそれは跡継ぎを教育するために向けられたもので、家族として両親と過ごすことは少なかった。

 子供達が耳をふさぎたくなるほどうるさく言い合うのをグレイスと見守り、視線があうとほほえみあう。それだけのことに幸せを感じることを初めて知った。

 アーサーは自然とグレイスに家族としての絆を感じ、信頼できる存在として安心感をえていた。

 しかしいつの間にかグレイスに対し苛立つものを感じるようになっていった。

 それがなぜなのか分からなかったが、彼女が亡くなり時が流れたいま、自分の感情やあの当時の状況を客観的にみられるようになり気付いた。

 グレイスは完璧であろうとしすぎた。王太子妃として一分の隙もない完璧さを目指し、その姿勢は年々加速していった。

 王太子妃として完璧であること、そして人から手本とされる正しい生き方を目指したグレイスは、次代の希望として頼もしいと歓迎されたが、逆にグレイスを煙たがる人間もふやした。

 正しく生きることはむずかしい。正しくありたいと思っても状況が許さないことは多々ある。とくに国を率いていくには嫌でも清濁併せ呑まなければならない。

 グレイスの「正しさ」は人に息苦しさを感じさせたり、綺麗事ばかりをと反発させるようになった。

 そしてアーサー自身、グレイスはアーサーに何もいわなかったが、無意識のうちにグレイスと同じ正しさを持つよう突きつけられているような不快感をおぼえたのだろう。

 ミアという持つべきでない愛人がいることに後ろめたさもあった。

 荒れた国を引き締めるため祖父の時代に国教の教えを忠実に守ることを宣言した。そのおかげで配偶者以外の異性と男女関係になることを禁じた教えにそわなくてはならなかった。

 それまでも貴族が愛人を持つことは厳密にいえば罪になったが、不貞行為をいましめる教えは都合よく忘れられていた。

 そのためアーサーは愛人を持つべきではなかった。

 しかし人の在り方は簡単に変わらない。教えがどうであろうと、つねに正しい行いだけをしていけるわけではない。教えにそわないことは隠すだけだ。

 政略結婚という感情を抜きにした結婚をひたすら耐えることができる人間は多くない。どこかで自分の感情をなだめる必要がある。

 アーサーの父にも愛人がいた。父は「国王として正しくないことだが、人を愛する気持ちを押し殺しつづけることはできない」といい、愛人を持つなら周囲に勘づかれない体制をしっかりつくれといった。

 その言葉どおりミアのことは徹底して隠していたが、ひょんなことからグレイスに知られてしまった。ミアからの手紙を次男が持ちだしグレイスに見せるとは。

 しかしグレイスのアーサーに対する態度は変わらなかった。グレイスらしかった。

 結婚前に愛していないといった時と同じで静かに受け入れ、王太子妃として、そして家族としてアーサーにとって好ましい形を維持した。

 グレイスへの反発や妨害は結婚した当初からあったが、それが激化しグレイスとグレイスの元近衛騎士、オリバーが不倫関係ではという噂が執拗に流されるようになった。

 グレイスとオリバーの噂はそれまでもあったが、火消しをすればすぐに消えるようなものだった。しかしこの時は火消しをしてもしつこく噂は広がり国王である父が放置できないと判断するほどになった。

 グレイスをおとしめようとした意図的な噂の背後にひそんでいた存在は厄介なものだった。その存在をあばくことによる影響は大きく、王家はえん罪としりながらオリバーにすべてをかぶせた形で幕を下ろした。

 このことがグレイスを一層王太子妃として「正しくあろう」という方向へむかわせた。

 異性の側近とは誰が見ても分かるほど一線をひき、同性に対しても距離をおいた付き合いをするようになった。

 そして自身の時間を持つことなく公務や個人的な慈善活動にのめりこんだ。

 グレイスが正しくあろうとすればするほど邪魔がはいり、足を引っ張ろうとする力が強まった。

 しかしグレイスはアーサーに助けを求めることはなかった。

 グレイスはすべてひとりで解決しようとした。アーサーに相談すれば無駄な労力をつかわずに済むことでも、ひとりでやり遂げようとした。

 なぜ助けを求めないのか。アーサーは苛立った。グレイスは自分の力を過信していた。

 それならばグレイスが助けを求めるのを待つだけだ。自分で力不足を思いしるしかないだろう。いずれグレイスは思いしる。王太子妃を救えるのは王太子である自分だけだと。





「愛か――」

 愛とは何なのだ? その問いが再びうかぶ。

 ふいにグレイスはアーサーを愛することをやめたのだろうか? という問いがうかび胸をしめつけられた。

 グレイスは自分を愛しているといった。その愛はどこへいったのか――。

 アーサーはグレイスからの手紙を視界にいれた。

「死んだ人間が何を考えていたなど誰にも答えられない。考えても過去が変わるわけでもない」

 考えても現在や未来が良くなるわけでもないことをに時間をついやすのは無駄だ。

 嫡男ルイの結婚式も正式に決定した。次代への足固めは着実に進んでいる。

 突然、叔父が亡くなった時にグレイスがアーサーをなぐさめるため抱きしめてくれたことがまぶたに浮かんだ。

 あの時、大きなものに包まれているような気がした。グレイスの体はアーサーより小さいにもかかわらず、彼女が自分をしっかり包みこんでくれている安心感があった。

 アーサーはその思い出を振り落とそうと頭を乱暴にふった。

 いつまでも過去を懐かしんでいるわけにはいかない。

 アーサーはグレイスからの手紙を手にとると、もう一度文字を目でおった。そして手紙を封筒へもどすとその手紙をみつけた本にもどした。
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