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番外の1

番外1ー③

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 食堂を目指して歩みを進めていたライナは、食堂が騒がしい事に気づいて眉をひそめる。

「まったく、最近のシスターたちは。もう少し淑やかに出来ないのでしょうか?」
 嘆息混じりに独りごちたはずの言葉は、しかし思わぬ人物の耳に入ってしまっていた。

「まあまあ。そう目くじらを立てるものではありませんよ、ライナ助祭」
 背後から聞こえてきた穏やかな声に、ライナは飛び上がらん勢いで振り返る。

「なっ、ルピア様……」
 青い髪の温和な雰囲気の小柄な少女にしか見えないが、この少女こそがこの神殿の最高責任者であるルピア司教に他ならない。

「るっ、ルピア様がこのような場所にいらっしゃるとは……。いったいどのような御用でしょうか?」

 何かしらの行事でも無い限り、多忙なルピア司教が他の者と一緒に食事をすることは殆ど無い。
 いや、それどころか、助祭のライナでさえその姿を拝謁する機会さえめったにない程だ。

「ふふっ。食堂に来る理由というのは一つしかありませんよ。何やら素晴らしい香りが私の執務室まで漂ってきたものですから。ナタリア司祭に無理を言って、私も皆と一緒にご相伴に預からせてもらうことにしたのです」

 事実を知らない者にとっては、この気恥ずかしそうに微笑むルピアは、それこそ年若いシスターの一人だと言われても誰も疑わないだろう。

 だが、この方こそ魔法という力について右に並ぶ者がいないほどの使い手であり、その人柄と高潔な姿に、神殿の全てのものからの崇敬を得ている存在なのだ。
 無論、ライナも彼女を信奉する一人である。

「さて、それでは席に着くことにしましょう。ライナ助祭、私はどこに座ればいいでしょうか?」
「はっ、はい。ご案内します!」

 広い食堂には席も多い。
 ルピア司教一人が加わっても席は十分に空いている。
 だが、それ相応の席に案内しなければいけない。

 どの席が良いのだろうかと思いながらライナは食堂の中に入ったのだが、そこで異変に気づいた。

「なっ、なんなのですか? こっ、この香りは……」

 今まで嗅いだことのない香りだ。
 少し刺激のある香りだが、決して嫌な感じはしない。
 それどころか、ひどく胃を刺激する蠱惑的な香りだ。

 香りは食堂全てに広がっている。
 食堂が騒がしかったのもやむを得ないことなのだろう。
 この香りを嗅いでしまっては堪らない。

「あっ、ああ。この素晴らしい香りはいったい? ああっ、いったい何をどう調理すればこのような香りがするのでしょうか?」
「ルーアが最高傑作だと言うほどの料理、待ち遠しくてたまりません」
「ううっ、まだなのでしょうか。なんでも良いですから、早く、早く……」
 周りのシスターたちの節操のない会話に、ライナは大きめに咳払いをする。

 すると、シスターたちの視線が自然とライナに集まり、そしてそれが彼女の背後にいるルピアに移る。

「なっ、ルピア司教様!」
 一人がそう叫ぶと、食堂にいた全ての者の視線が彼女に集まり、そして皆が一斉に彼女に頭を下げる。

「いえ、皆さん。顔を上げてください。私も皆さんと同じように、この素晴らしい香りに釣られて来ただけなのですから。よろしければ、私もご一緒させてください」
 ルピア司教はそう言って皆の顔を上げさせて、微笑む。

「ああっ、本当にこの方は……」
 ライナは心底ルピアのカリスマ性に陶酔する。
 だが、はたと気づいて彼女を丁重に上座の見晴らしのいい席に案内し、自分もその隣に腰を下ろした。

 すると程なくして、厨房からルーアとシュリアが鍋をいくつも運びながら現れる。
 ルピア司教が同席しているため歓声こそ上がらなかったが、多少のどよめきは起こった。

 もっとも、ルピア司教がその事を不快に思っている様子はないので、ライナも嗜めはしない。
 いや、それだけではなく、正直、ルピア自身もこの食欲をそそる素晴らしい香りの正体を一刻も早く知りたくて仕方がなかったのだ。

「あっ。これは、ルピア様。ようこそおいで下さいました。ナタリア司祭様からお話は伺っております」

 鍋を配膳台車に置くと、今回の料理当番のルーアとシュリア達数名が一斉にルピア司教に頭を下げる。

 だが、ルピアは笑みを強め、
「ふふっ、今日は皆さんと食事を共にするために足を運ばせていただいただけです。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。それに、私も含めて、もう誰もが待ちきれない様子です。ルーア、早く料理を皆さんに」
 そう言って配膳を急ぐように促す。

「はい。ルピア様」
 ルーアはもう一度頭を下げて、調理当番の皆に声を掛けて配膳を始める。

 百名近いシスターたちの食事を配膳するのはそれなりに時間がかかる。
 だが、そのあたりはルーアも勝手を心得ている。

 思えば、調理に使う大鍋ではなく、手頃な大きさの鍋に移し替えて、配膳台車を使用して温かい料理を提供するこのやり方は、ルーアが考案して上層部に認めさせたものだ。

 食事というものに関心が薄いライナは、身内の食事にお金をかけることを無駄な出費だと思っていたが、今回ばかりはその成果を認めない訳にはいかない。
 おかげで、ルピア司教に温かな料理を召し上がって頂けるのだから。

「お待たせいたしました。まずは目でお楽しみください」
 近くにやってきたルーアが、ルピア司教の前に今日の料理を配膳する。
 はしたないとは思いながらも、未知なる料理への興味は抑えられず、ライナも横目でその料理を視認する。

「これは、美しいですね」
 ルピア司教の感想は、ライナの思ったそれと同様だった。

 淡い黄色に色付けされたサフランライスに、淡い茶色のソースが半分ほど掛けられている。
 しかもそのソースには一口大に切られた、豚肉と人参が入っていて、細かく切られた玉ねぎらしきものも見える。

 真っ先に、ミロトンを連想したが、香りが違う。
 それに、ミロトンよりもソースのとろみが強い。

「ルーア。この料理は何という名前なのでしょうか?」
「はい。これは、カレーと言います。それをライスの上に掛けることから、この二つを合わせて、『カレーライス』と呼称するそうです」

 ルピア司教に笑顔で応えるルーアは、続いてライナにもそのカレーライスなるものを配膳する。

 だが、明らかにその量が少ない。
 ルピア司教のものと比較して、全体量が半分ほど少ない。

「ルーア。あの、ライナ助祭の分がやけに少ないのではなくて?」

 ひと目で分かる量の差に、ライナではなくルピア司教がルーアに問う。
 その問いに、ルーアは少し困った笑顔を浮かべて口を開く。

「いえ、いつもライナ助祭様はこの程度の分量しか召し上がりませんので、量を加減させて頂いたのです。まして、今回は今までお出ししたことのない料理ですので……」

 出された食事は基本的に全て食べなければいけない。
 それが、この神殿における食事の作法だ。

 確かにルーアの言うことも一理あるとライナはルーアの配慮を肯定的に捉えた。

「なるほど。確かに私はあまり食が太くありません。貴女の気遣いに感謝します」
「いいえ、そんな。『暴食』は忌むべき大罪の一つであるとお教え頂き、私も少しだけ考えを改めようと思っただけです。どうかこれからも、未熟な私にご指導ご鞭撻をお願い致します」

 ルーアは恐縮した様子でライナに頭を下げて、他の者の配膳を行うために踵を返して配膳車を押して行く。

 普段と明らかに違うルーアの態度に、しかしライナはそれを疑問には思わずに自分の意見を取り入れて彼女が改心したものだと都合よく思ってしまった。

「……なるほど。ライナ助祭。貴女の言うとおりです。たしかに、昔に比べてこの神殿の料理も美味しくなったと私も喜んでおりましたが、それも度をすぎてはいけませんね。
 ありがとうございます。貴女の言葉に身を正されました」
「そっ、そんな、もったいないお言葉です」

 更に加えて、崇拝するルピア司教からの感謝の言葉を頂いたことに舞い上がり、ライナは気づけなかった。

 一瞬こちらを振り返ったルーアが、意味ありげに微笑んでいたことに。





「……それでは、頂きましょうか」

 食事前の祈りを済ませ、ルピアのその言葉を心待ちにしていたシスター達は、すぐにカレーライスなる料理に匙を伸ばす。

 シュリアは味見でこの料理の美味しさは分かっている。
 けれど、味覚は人によって様々だ。
 自分たちが作った料理が皆に喜んでもらえるかどうかのこの瞬間は、何時もハラハラする。
 だが、今回もそれは杞憂で終わってくれたようだ。

「なっ、なんという妙なる美味なのでしょうか。ミロトンの一種だと思っていたのですが、これは……」
「美味しい。美味しいです。少しだけ辛いのですけれど、この辛さがライスの甘さと口の中で一体となって……」
「ああっ、フォルシア様。この素敵な料理に巡り合わせて下さってありがとうございます」
 料理を食べた皆の口から上がるのは、賞賛の言葉のみ。
 どうやら、この新しい料理は皆に快く受け入れてもらえたようだ。

「ふふっ、これはもう、素晴らしいとしか言いようがありませんね」
 二番目に心配だったルピア司教様の評判も良いようで、シュリアは少しだけ安心する。

 だが、まだ一番の問題の人物が残っている。

「……なっ、これは……」

 しかし、ルピアに続いて匙を口に運んだその人物――ライナ助祭が、目を大きく見開いて感嘆の声を上げ、何時もよりも少しだけ早めに匙を動かしてカレーライスを口に運んでいく姿に、その難関も突破したことが分かって胸を撫で下ろす。

 本音を言えば、シュリアも早くこの素晴らしい料理を味わいたいのだが、調理担当の自分にはまだ仕事が残っている。それは……。

「皆さん。ここで一つお願いがあります。はじめての料理ということで、私が味付けに手間取り、何度も直しているうちに分量がずいぶんと多くなってしまいました。
 そこで、大変申し上げにくいのですが、お腹に余裕がある方は、その処理にご協力いただけますでしょうか?」

 食堂の入り口から、ルーアが皆にそう訴えかける。

 ライナ助祭の手前、申し訳なさそうに謙っているから分かりにくいが、ようは「お代わりはたくさん用意しています」ということだ。

 途端に、食事をしている皆に戦慄が走る。

 この素晴らしい料理をまだ味わえる。
 それは、抗いがたい誘惑だったのだ。

「そっ、そういう事なら、もう少し頂こうかしら? その、今日は昼食が控えめでしたし」
「あっ、そっ、そうですわね。私ももう少しだけ、そっ、そうです。もう少しだけなら私も協力できると思いますわ」
 誰かがそう口火を切ると、明らかに皆の匙の速度が少しだけ早くなったのが分かった。

 きっと、もう数分でいたる所からおかわりの催促が出るはずだ。
 その対応こそがシュリア達調理班に残された仕事なのだ。

「本当にルーアはすごいわね」
 シュリアは心の中で感心する。

 それが未知なるものであっても、彼女は弛まぬ努力で皆を満足させるほどの料理を作り上げてみせたのだ。
 こんなに食べる人を引きつける、喜ばせる料理を。

 この成果は、夜なべして毎晩コツコツと試行錯誤を続けた彼女の努力の結晶に他ならない。

 シュリアはそんな思いから尊敬の眼差しをルーアに向けようとしたのだが、
「あっ……。ものすごく悪い顔しているわ……」
 当のルーアは、皿を空にしたライナ助祭を見て、底意地の悪い笑みを浮かべていたのだった。




 
 何という鮮烈な味だろうか。

 今までの自分には味覚というものがなかったのではと思わされるほど、これまで経験したことがない旨味の洪水が口の中に広がっていく。

 豚肉の肉汁が、玉ねぎと人参の甘みが、そしてソースの深みのある辛味が、サフランライスと絶妙に適合している。

 ああ、これが美味しいという感覚。
 口いっぱいに広がった旨味が喉を通っていく快感も、そして間髪入れずに次のひと口を口に運ぶ楽しさも、ここまで幸せだなどと思ったことはない。

 だが、その至高の、至福の時間はあっという間に終りを迎える。

 皿の上の料理が無くなってしまった。
 あっという間に食べ終えてしまったのだ。
 深い寂寥感と悲しみがライナの胸に込み上げてくる。

「ふふっ。これは、もう言葉で言い表せませんね。これほど美味しい料理は初めてです」
 絶望感すら込み上げてきたライナの横では、上品に、けれどこの上なく幸せそうに食事をするルピア司教の姿がある。

 だが、可憐なルピアの笑顔よりも、ライナは彼女の皿の上に半分ほど残ったカレーに目が釘付けになる。

「くっ、何を考えているのですか、私は。人の食べ物を食べたいと思うなど。まして、ルピア様の料理に対して……」

 この料理は悪魔じみている。
 あまりにも、あまりにも美味しすぎる。
 あとを引きすぎる。

 なんとか、なんとか気持ちを落ち着けて、ライナは自分の下卑た欲望を抑え込む。
 そして、どうにか気持ちが落ち着こうとした時だった。

 ルーアが大声で、この至福の料理を作りすぎてしまったので、もう少し食べてもらいたいと口にしたのは。

「くっ、そんな、そんな……。そんなに量があるのならば、わざわざ私の量を減らさなくても良かったでしょうに……」
 そんな恨みがましい思考をしてしまった自分に気づき、ライナは苦悶する。

 駄目だ。
 もう少しだけ、もう少しだけ食べたい。
 残っているのであれば、あとひと口でいいから食べたい。
 そんな雑念が頭から離れない。

「ですが、ですが……」
 暴食はいけないとルーアに説教をし、その心構えを敬愛するルピア司教様にお褒めいただいたばかりなのだ。
 それなのに、それを今更撤回などできるわけがない。

「くっ、くぅぅぅぅぅ……」
 なんとか顔に出さないようにするのが精一杯だった。
 ルピアは懸命に堪えた。
 けれど、ああっ、それなのに……。

「あっ、あの、私、お代わりを頂いてもよろしいですか?」
 堪えきれなかったのだろう。
 年若い幼いシスター見習いが、恥ずかしそうにお代わりを催促する。

 すると、最初にお代わりを要求するということへの躊躇が無くなった他のシスターたちが、こぞってお代わりを求め始めた。

「うっ、うううっ……」
 お代わりの声が聞こえるたびに、心が揺さぶられる。

 自分ももう少しだけ食べたい。
 食べたい。食べたい。
 だが、だが……。

「あっ、ルピア司教様。よろしければ、お代わりはいかがですか?」

 見ないようにしようと顔を俯かせていたので気づかなかったが、ルピアもカレーライスを完食していた。
 そして、そんな彼女のために、ルーアが気を利かせて配膳台車を押して側までやって来ていた。

 ルーアは台車の上のカレーという名の魔性の料理が入った鍋の蓋を開ける。
 その素晴らしい香りが一層強くライナの鼻腔を擽り、知らずに唾液が溢れてくる。

「こっ、くぅぅぅぅっ」
 堪えたつもりだったが、声の一部が漏れてしまった。
 それを耳聡く聞いていたのだろう。
 ルーアが笑顔で尋ねてくる。

「……あらっ、どうなされたのですか? ライナ助祭様?」

「こっ、この……」
 一瞬のことだったが、ライナは見逃さなかった。
 ルーアがニヤリといった感じで口角を上げたのを。

 この小娘は分かってやっている。
 自分がこのカレーライスというものを食べたいと思っているのを知りながら、分からないふりをしているのだ。

 ライナが悔しそうに怨嗟の表情を向けたが、ルーアは笑顔のままそれを躱し、「さあ、ルピア様」とルピアに空になった皿を渡すように促す。

 けれど、ルピアは静かに首を横に振った。

「いえ、私はもう十分に頂きました。それに、暴食は良くないことだとライナ助祭に言われたばかりですし」

 ルピアはそう言ってやんわりとルーアの申し出を断ると、
「ふふっ、意地悪はここまでですよ、ルーア。そして、ライナ助祭も意地を張るのはこの辺りにしなさい」
 苦笑交じりにライナの皿を手にとって、ルーアの前に差し出す。

「暴食は忌むべきことです。ですが、美味しい食事が人を幸せにするのもまた事実です。そして、私はこの幸せなひと時を皆さんと共有したいと思います。
 ルーア、ライナ助祭。何があったのかは知りませんが、いがみ合うのは止めてください。そして、ともに食事を楽しみましょう」

 ルピア司教の言葉に、ライナは顔を真っ赤にして顔を俯けた。

 恥ずかしい。
 消え入りたい。
 私の浅ましい欲望をルピア様はお見通しだったのだ。
 そして、この悪辣なルーアの嫌がらせも。

「ルーア。この素晴らしい料理は皆に喜んでもらうためのものでしょう?」
「……はい。失礼しました」
 ルーアが深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べる。

 気づけば、周りのシスター達が、声を発することもなく、全員こちらを見ている。

「大変失礼を致しました、ライナ助祭様。拙い料理ですがどうかご満足頂けるまでお召しあがり下さい」

 ルーアは深々とライナに頭を下げて、空だった皿に少し多めにカレーライスを盛って差し出してきた。

「…………」
 それを受け取り、ライナは静かにテーブルに置く。

「それでは、失礼します」

 ルーアがそう言って踵を返して去っていこうとしたので、
「……待ちなさい、ルーア」
 ライナは彼女を呼び止めた。

 ルーアが振り返ったのを見て、ライナは素直な気持ちを口にした。

「すみません。私はあなたに対して自分の考えを押し付けすぎました。それと、このカレーライスなる料理。大変美味です。素晴らしい料理をありがとうございます」

 ライナの謝罪と称賛の言葉に、ルーアも満面の笑みを浮かべて「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑んだ。

 すると、ルピア司教は笑顔で小さく拍手をする。

 その拍手は少しずつ広がっていき、やがて食堂中に響き渡るのであった。





「……こうして、私とライナ助祭の確執は雪解けを迎えたのでしたっと」

 いつもの第二厨房で、新しいカレースパイスの調合をしながら、私は幽霊さんに今日の夕食時の報告をする。

「ふぅん。まぁ、落とし所としては悪くなかったんじゃないの」

 私の今晩の試作品。
 シーフードカレーライスがみるみるうちに皿から無くなっていく。

「幽霊さん、食べながら喋るのは行儀が良くないですよ」
「良いじゃないの、別に。というか、止まらないのよ、このカレー」

 そう言われて悪い気はしない。
 私は満足気に自分も試作品を味わうことにした。

「ですが、これも幽霊さんが力を貸してくれたからですよ。私だけの力では、スパイスをこんなに用意できませんでしたし」

 ファリアが手紙と一緒に香辛料を送ってくれていたのだが、試行錯誤でそれもすぐに使い果たしてしまった。
 そうして困っていたのだが、幽霊さんがどこからともなく沢山の香辛料を持ってきてくれたのだ。

「そんなの気にしなくていいわよ。貯蔵庫の中にあったものをちょっと分けてもらっただけだから。いつも美味しい料理を食べさせてもらっているお礼よ、お礼。そういうことにしときなさい」

 幽霊さんはあまり興味が無いといった口調でそう言ってカレーを食べていたのだが、不意にそれが止まった。

「……でもね、ルーア。本当にファリアの件はいいの? もしかすると今生の別れになるかもしれないわよ。今なら私がなん……」
「ストップです。それ以上言うのなら、私はもうここには来ません。それに、ナタリア司祭に全部話してしまいますよ。ルピア司教が夜な夜な遊び歩いているって」

 私の言葉に、幽霊さんことルピア司教は、「分かったわよ」と拗ねたような声を上げて食事を再開する。

「私は相変わらず『第二厨房の幽霊』でいればいいのね」
「はい。ぜひそれでお願いします」
 だからこそ、私は分かりきった今回の一件を幽霊さんに説明していたのだ。

「でも、今回は、私ばかりが得をしすぎた気がするんだけど……」
「良いじゃないですか。皆のあこがれのルピア司教様は素晴らしい方でいないと」

 私の指摘に、幽霊さんは面白くなさそうに「ああっ、面倒くさい。肩が凝ってたまらないのよ、あんな自分を演じるのって」と文句を言う。

「でも、幽霊さん。本当のことを言うと、私にどうこうというより、幽霊さんがファリアに何かしてあげたいんじゃないですか?」
 私の指摘に、幽霊さんのスプーンが再び止まる。図星のようだ。

「まぁね。あの娘は美しすぎる。そのせいでいろいろ他の娘達よりも苦労をしていたのも知っている。だから、少しだけ、少しだけ目をかけてあげたかったのよ」
「ファリアが綺麗なのは幽霊さんのせいではないですよ。そこまで思いつめないで下さい」
「……そうね……。あの娘には私が直々に餞別も渡したし、これ以上は流石に不味いかもしれないわね……」
 幽霊さんはどこか寂しげな声で言うと食事を再開する。

 しかし、直々の餞別とは一体何を渡したのだろう?
 好奇心は湧くが聞かないほうが良いと思い、私はそれ以上尋ねない。

「そうですよ。それに、私とファリアの仲は会えなくたって変わりません。とりあえず手紙を書きます。そして、このカレー粉を一緒に送ってあげますよ」
「……そう。きっと喜ぶと思うわ、あの娘」
 幽霊さんの後押しを受けて、私は微笑む。

 目から涙がこぼれてくるけれど、私は笑顔で……笑顔でいるはずだ……。

 ファリアはいつも真面目で頑張り屋だから、その友人である私も超えてはいけない一線だけはわきまえた人間でなければいけない。
 そうでなければ、あの娘の友人だと胸を張ることが出来ないのだから。

 きっとファリアは分かってくれる。
 だから、私はここからファリアを祝福する。

 彼女のために作った、このスパイスと手紙にありったけの思いを込めて。





「これはもう、素晴らしく美味しいとしか言いようがないよ」
「はい。こんなに美味しい料理は食べたことがありません」
 愛する夫と可愛いリナの評判も上々で、ファリアは満面の笑みを浮かべる。

 初めて作る料理ということで少し戸惑ったが、ルーアの分かりやすいレシピのおかげで無事に完成させることが出来た。

「まさかもう一度カレーを食べられるとは思わなかったよ。ありがとう、ファリア」
「はい。こんな素晴らしい料理を再現するなんて、流石ファリアさんです」
 二人からの賛辞を嬉しく思いながらも、ファリアは小さく首を横に振る。

「喜んで頂けるのは大変嬉しいのですが、この料理を完成させたのは私の友人のルーアです。彼女にユウヤ様からお聞きした話を手紙で伝えたところ、結婚祝いにと送ってくれたのです」

 ルーアのその言葉に、ユウヤは目を細めて微笑む。
「いい友人だね。本当に」

「はい。私の一番の自慢です」
 ファリアは満面の笑みでユウヤにそう答える。

 そして、これからも変わらぬ友情を育もうと心に誓うのであった。
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