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幕間

涼風ー②

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 それは、誰もが予想だにしなかったことだった。

 もちろん、リーディアもリュナスの勝利を疑っていなかった。黒髪の女の力量はわからないが、所詮は一人。自分たちが殺されない限り、リュナスには絶対に攻撃が通らない。

 そして、リュナスは自分を含めた<女王>五人の力を有している。黒髪の女に勝てる見込みなど始めから無いはず。なのに、それなのに……。

 黒髪の女は、瞬く間にリシュアの首を飛ばし、そしてリュナスに致命傷を与えたのだ。

「がっ、ああああああっ。ばおえっ!」
 断末魔の声とともに、リュナスは大量の血を口から吐き出す。

「……うちは殺せるんよ。相手が男やろうと何やろうと……」
 女は無表情にそう呟くと、短刀をリュナスの胸元から引き抜き、返す刀でその首を切り落とした。首を失った胴体が力なく地面に倒れ崩れる。

「……リュナス様……。リュナス様!」
 リーディアが声を上げたが、もう勝負はついた。

「これは……」
 リーディアは自分の躰がだんだん薄れていく感覚を味わう。

 <王>を取られた陣営は消滅する。『ルール』のとおりだ。
 だが、幸いにも痛みはない。自分には恵まれた最後なのかもしれない。

 しかし、消滅していくリーディアの心をよぎったのは安堵ではなかった。
 彼女の心に去来した思いは「悔しさ」だった。

 ようやく、リュナス様の役に立てる機会が来たのに。

 そんな悔しさを胸に、リーディアは消滅を受け入れた。







「……終わったんやな……」

 全てが終わったことを確認し、一呼吸ついてから、シノは短刀を鞘に納めて帯に戻す。
 もう敵の気配はない。残ったのは、赤髪の少女と、その子と一緒に逃げていた女だけ。

「…………」

 二人とも呆然としている。今まで自分たちを非道な目に合わせていた連中が一気に消えてなくなったことに戸惑っているのだろう。

「……安心しぃや。あんたらを傷つけるつもりはない」
 シノはそう二人に告げて、もう一度安堵の息を漏らす。

「……少しだけ、ここで待っときや。近くの街から救援に来てもらえるように頼んどくさかい。そこのあんた。申し訳あらへんけど、それまでの間、この子のことを頼んます」
 シノの言葉に、短い金髪の女は小さく頷いた。

「…………」
 赤髪の少女は涙を零しながら、こちらを見ている。その瞳はシノを敵とも味方とも決めかねているようだ。

「……結果としては、うちがあんたの姉さんを殺したんや。せやから、うちを恨みや」
 爆弾と化した人間を元に戻すのは、その術をかけた人間以外には原則不可能だ。だから、シノは妹を助けるために姉を殺したのだ。

 目的を果たそうが、殺されようが、爆弾に変えられた人間は爆発する以外の選択はない。下卑た能力だと心から思う。

「……ううん。違う。違うの。私、お姉ちゃんが怖かった。死にたくなかった……。だから、その……」

 思考が混乱しすぎて、生き残ったことに安堵することもできず、姉を失ったことに悲しむこともできず、そして姉を恐怖したことに罪悪感を抱くこともできないのだろう。

 シノは何も掛ける言葉がなかった。だが、せめてこれくらいはと少女を抱きしめる。
 すると、シノの体温で少し安堵したのか、赤髪の少女は大声で泣き出した。
 シノは優しく頭を撫でて、少女を抱きしめ続ける。

 しかし、そこでシノは異変に気づいた。
 異音が聞こえたのだ。『カチッ』という異音が。

 それに気づいた瞬間、シノは能力を発動し、少女を突き飛ばして後ろに跳んだ。

「……こふっ……」
 赤髪の少女の腹部が小さく爆発し、彼女は血を吐いてその場に崩れ落ちた。

 そのことにシノは目を奪われてしまった。更に、ダメージこそ負わなかったが、跳んで着地するという行為は、いくらシノでも着地の瞬間に僅かな隙を生むこととなってしまう。

 着地の瞬間、背後からの殺気を感じて、シノは素早く再び前に跳んだが、彼女の肩を斬撃がかすめた。

 着物ごと肩を斬られた。しかし、それほど深い傷ではない。
 シノは素早く現状を確認し、着地と同時に斬撃を放った者の方に身体を向ける。

「ちっ、完璧にとったと思ったんだが……。素早いな」
 シノの眼前には、殺したはずの男が立っている。あのリュナスという名の外道が無傷で立っていた。

「……ぬかった。<身代わり人形>の能力か……」
 シノは自身の詰めの甘さを悔やんだ。

 この男は、自分の他に六人の女を手元に置いていた。
 五人ではなく六人。そのことを疑問に思うべきだった。

 いや、そもそも、まずはしっかりとこの男の配下の者を『視る』べきだったのだ。そうすれば、こんな不覚を取ることはなかった。

 この男は、配下に<身代わり人形>と言う名の能力の駒を有していたのだ。
 それは、かなり特殊な能力で、普段はまったく<王>の力にはならない。だが、<王>が殺された際に、自分がその代わりに死ぬことによって<王>を生かすのだ。

「ほう、博識だな。<身代わり人形>を知っているとは。かなり珍しい能力なんだがな」
 リュナスはそう言い、薄ら笑みを浮かべる。

「あ~ら、残念。やっぱり内臓の一部を爆弾に変えただけじゃあ、その相手以外には大したダメージは負わせられないみたいね」
「いいや、いい判断だったぜ、シェリヌ。あの爆発で、この女は隙を見せた」
 シノを囲むように、リュナスの仲間たちが集まってくる。

「うふふふっ。ありがとうございます、リュナス様。最後に残った逃亡者が助かったと思って安堵しているところを爆破する予定だったんですが、思わぬところで役に立ちましたわ」
 シェリヌと呼ばれた女はそう言うと、パチンと指を鳴らした。

「……えっ? あっ、ああああ……」
 先程シノが話しかけた短い金髪の女の腹部が破裂し、彼女も悲痛な断末魔を残して、その場に崩れ落ちて死んでしまう。

 初めから、この女は逃げ回る女達の体内にも爆弾を仕掛けていたのだ。容赦なく皆殺しにするために……。

「くっ、何故、こうもタイミングが良くないんや。うちがあの二人を確認した際には、まだコイツラの復活が完了してへんかったから『視えなかった』いうんか……」

 シノはあまりにも不運が続くことに、心のうちで毒づく。
 どうしてこうも予想外のことが続くのだろう。

「さて、随分面白い能力を持っているな、お前。……いや、その力は『ルール』を外れている。間違いなく、お前はあいつの側の特殊な駒なんだろう?」
「……何を言っているのか分からへんけど、こないなかすり傷を負わせたくらいで、うちに勝てるとでも思おとるんか?」

 まずい、この男は外道だが馬鹿ではない。ますます生かしておくわけには行かない。
 多少の傷は受けたが、毒などは仕込まれていなかったようだ。ならば、自分が負けることはない。

 ……そう。シノの勝利は揺るがないはずだった。
 だが、不幸な偶然とは時として、誰かの悪意が込められたかのように冷酷に重なることがあるのだ。

「……私の名前はリーディア。貴方が何者かは知りませんが、感謝します。これで私は、リュナス様のお役に立つことができます」
 リュナスの横に控えていた紫髪と大きな胸が印象的な女が、シノにそう声をかけてきた。そして、その女はリュナスの剣に手を伸ばす。

「なっ!」
 その女の能力を『視て』、シノはようやくその女が何をしようとしているのかを理解した。
 このときも、『視る』のではなく、すぐさまその女を殺す選択を取れていれば、シノは決して負けなかったはずなのに。

 女はシノが動くよりも早くに、リュナスの剣に付着したシノの血を指に取ってそれを舐めた。
 そう、女がしたのはただそれだけ。だが、それがその女の能力の発動条件だった。

「なして、なして<能力模写>を持った<女王>がいるんや!」

 <能力模写>は決して弱い能力ではない。一度だけとはいえ、血を舐めた対象の能力をそのまま永続的に自分の能力に置き換えることができるのだから。
 だが、それはその能力を<歩兵>が有していた場合だ。最強の駒である<女王>がこんな能力を持っていても宝の持ち腐れに過ぎない。なぜなら、普通は<女王>同士の単純な能力に差異はないのだから。

 だが、この場合は最悪の結果を生み出すことになる。

「褒めてやるぜ、リーディア。すげぇ力がこみ上げてきやがった!」

 自分と同じ力を有した<女王>が一体生まれることも脅威だが、それ以上に、その駒を配下にしている<王>の力が増すことが問題だ。

 シノは全力で、リーディアと名乗った女を殺そうと攻撃を仕掛けるが、もう遅かった。

「お前の相手は、俺だ!」
 リュナスがシノとリーディアの間に割行ってきた。

「がっ!」
 リュナスの右の拳がシノの腹部に叩き込まれた。つい先程までは止まっているのと大差なかった男の攻撃が、今は完全に彼女の知覚速度を上回っている。
 シノはその一撃を防ぐことも交わすこともできず、彼女の軽い躰は後方に吹き飛び、地面に叩きつけられた。

「……あっ、くっ……」
 完全に勘だけだった。僅かに体を捻ることができた理由は。それで動けなくなることだけは避けられた。

「ふっ、ふははははははっ。すげぇ。すげぇぜ、この力は!」
 リュナスは自分の圧倒的な力に陶酔して、興奮気味に笑う。

「そっ、そんな……。こっ、こんなこと……」
 何という失態だろう。ただ返り討ちに合うのであればそれはそれで納得できた。戦いに身を置くとは、当然殺される覚悟も持ち合わせるということだから。

 だが、結果として、こんな外道に力を与えることになってしまった。自分を上回る力を持った最強の<王>を作り出してしまったのだ。

 このままでは、誰もこの男を止められなくなってしまう。

「……くっ、あああっ!」
 シノは腹部を襲う強烈な痛みに耐えて、立ち上がる。

「駄目や。こいつだけは、こんな力を持った外道をのさぼらせるわけにはいかんのや」
 不幸中の幸いで、短刀はまだこの手に握られている。

 もう自分は長くは動けない。ならばせめて、あの女だけは、自分の力を模写した女だけは仕留めて置かなければ、全てが終わってしまう。

 大切な家族にも間違いなく害が及ぶ。最愛の夫も殺されてしまう。それだけは、それだけは避けなければならない。

 シノの決意と覚悟には一片の迷いもなかった。その想いだけならば、戦いに享楽するリュナス達よりもずっと高尚なものだっただろう。

 けれど、そんな気持ちなどでは、絶対的な力の差を埋めることはできない。

 シノは気力を振り絞って駆け出す。ただ一人、自分の力を模写した女を殺すために。
 だが、深手を負った彼女の動きは明らかに鈍っていた。そして、そんな彼女の行動を敵が許すはずもなかった。

「遅ぇよ、馬鹿が!」
 また一瞬で間を詰められた。リーディアの姿を捉えていたシノの前に、再びリュナスが立ちはだかる。

「次はその邪魔な腕だな!」
 リュナスは蹴りを放った。そうシノが理解したのは、既にその一撃が自分の右腕を破壊した後だった。

 再び吹き飛ばされて、地面に這いつくばるシノ。唯一の武器の短刀も、明後日の方向に飛んでいってしまった。

 右の二の腕に激痛が走る。間違いなく骨をへし折られた。もう動かすことはできないだろう。
右胸にも激痛が。肋骨も一緒に何本かへし折れたようだ。
 激しい痛みに嗚咽が漏れそうになるが、シノは懸命にそれを堪える。いまはそんな事をしている場合ではない。

「駄目や。何か、何か方法はないんか? こいつを止める方法は……」
 懸命に頭を巡らせる。

 だが、そんなシノの前に、

「ふっ、ふふっ、ふふふふふふふっ。いいざまね、貴女」

 緑髪の女が歩み寄ってきた。そして、シノの傷ついた右腕を踏みつける。

「ぐっ……」
 シノは痛みを堪えて、その女を睨みつける。それだけしか、今の彼女にできる抵抗はなかった。

「あらっ、まだそんな反抗的な目をするの?」
 緑髪の女は、情け容赦なくシノの腹部を蹴りあげる。シノの躰はわずかに宙に浮き、また地面に叩きつけられてしまう。

「リュナス様。この女、私が爆弾に変えてしまってもよろしいですよね?」

「はっ、好きにしろ。だが、シェリヌ。必要なことは洗いざらい吐かせろよ。その女には聞きたいことが山ほどあるからな」
 シノがもう立ち上がらないことで興味をなくしたのか、リュナスはシェリヌにそう命じる。

「はい。分かっていますわ」
 シェリヌはそう応えると、倒れたままのシノの顎を強引に掴んで顔を挙げさせた。

「……くっ……」

「ふふふふっ、いい顔ね。分かる? これから貴女は私の操り人形になるのよ。私の言うことを何でも聞くお人形になるの。そして、用済みになったら爆破されるのよ。嬉しいでしょう?」
 シェリヌは心から嬉しそうに微笑み、優しい声色でシノに語りかけてくる。

「そしてね、私の爆弾にする能力はね、その能力を使用する相手の強さに応じて威力が変わるの。きっと貴方ならば、大きな街一つを消し飛ばせるくらいになるんじゃないかしら?」
 シェリヌはシノの額に、空いている方の手で触れる。

「そうね、それだけの威力がある爆弾を、ただ誰かを見つけた時に爆破するのじゃあ面白くないわねぇ……」
 シェリヌはそう言って少しの間何かを考えているようだったが、不意にニッコリと微笑んだ。

「そうね。貴女の大事な人、貴女の<王>を見つけて彷徨うようにしてあげるわね。そして、見つけたら、仲良く爆死するの。うんうん、それがいいわ」
 シェリヌは心から嬉しそうに微笑むと、シノの額に当てる手に力を込める。

「あっ、ああああああっ!」
 シノは自分の体に強烈な力を流し込まれるのを感じ、その激痛に思わず声を上げてしまう。

「ふふふっ、これぐらいで音を上げないでよ。すぐに痛みは消えるから。でも、これから貴女は自分の意志とは無関係に彷徨うのよ。その間は死ぬこともできないの。素敵でしょう?」
 シェリヌの顔が朱に染まっていく。この女は、他人を爆弾に変えることに悦楽を感じているのだとシノは理解した。

「は~い、これで貴女の躰は立派な爆弾に変わったわ。後は、私の命令を……」

 シェリヌの言葉はそれ以上続かなかった。

 それは、シノが不意に<力>を使ったためだ。その余波で、シェリヌの躰は僅かに吹き飛ばされて無様に地面に倒れる。

「いいや、もう十分や。うちを爆弾に変えてくれてありがとな。お前のような外道に感謝するのは癪やけど、これでお前たちを皆殺しにできる」
 シノはそう言って微笑む。

 シェリヌに説明されるまでもなく、シノは<爆弾>の能力を熟知している。この能力は凄まじく強い能力だが、その力で対象者を爆弾にするまでに時間がかかるうえ、命令は爆弾に変えた後でなければ付加することができないのだ。

 この躰の力を模写したことで勝った気になっていたのが、この連中の敗因だ。自分が持つ能力に注意を払わなかったのは愚かとしか言いようがない。
 ……こんな無様を晒している、自分と同じように。

 シノの最大の能力は、<無効化>の能力。ありとあらゆる能力の対象とならず、魔法さえも受け付けなくなる力。

 もう受けてしまった爆弾化を無効にはできないが、命令を送り込もうとした瞬間にシノはこの能力を使った。

「うちは魔法を上手く使うことはできん。せやけど、出力を膨大にして爆発させる程度のことはできるんよ」
 シノはそう言うのと同時に、自身の躰に魔法の力を駆け巡らせる。

 <無効化>の能力を後天的に付加したあの日から、まったく使用していなかったが、魔法の力を練ることなど造作もない。

「こっ、この女!」
 事態に気づいたシェリヌが、慌てて逃げ始める。

 <爆弾>の能力は、解除するのにも膨大な時間がかかるためだ。
 だが、それは無意味だ。

 先程、シェリヌ自身が嬉々として説明していたとおり、爆発は対象の力に比例して大きくなる。いくら自分の能力を模写した後であっても、この躰の爆発範囲から逃げ切ることはできないはずだ。

 事態を察知したリュナスは、

「リーシア! その女を殺せ! 命令だ!」

 そう言うのと同時に、仲間を引き連れて全力で逃走する。

「そっ、そんな、リュナス様!」
 哀れにも、リュナスの『命令』を受けた女の一人は、逃げたいと思う自分の意志とは裏腹に、強制力に縛られて、こちらに向かって迫ってくる。

「愚かやな。もう何もかも遅いんよ。うちを殺しても、爆発が少し早まるだけや……」
 シノは自分の死ぬ間際に、走馬灯のようにいろいろなことを思い出していた。

 本当に長い時間、生き続けてきた。

 だが、脳裏に浮かんでくるのは、あの幸せな時間の、ユウヤ達と過ごした事柄ばかりだった。

「……ユウヤはん。先に逝きます。どうか、許しとくんなはれ……」

 眼前に迫る女の白刃が、喉元に迫るのを確認して、シノは目を閉じた。


 だが、そんなシノの耳に、

「諦めちゃ駄目だよ! シノさん!」

 少女の声が聞こえた。

 それは、よく知った少女の声。

 そして、その事に驚いたシノが目を見開き見たのは、自身に迫っていた女が、見知った少女に顔面を蹴られて吹き飛ぶ姿だった。
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