彼岸よ、ララバイ!

駄犬

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道化のガイダンス③

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「自分はハンバーグにしようかな」

 そう言うと、彼女の口元はあからさまに綻び、こう返してくる。

「私もそうする」

 ハンバーグはその大衆性から長らく日本国民の代表的な好物の一つとして数えられてきたはずだ。私と偶さか同じ料理を選んだとて、それがハンバーグであるならば、大した意気投合の仕方ではない。しかし、妙にこそばゆく、浅からぬ繋がりを感じさせるのは何故なのか。私はこの泡沫の如き感覚を蔑ろにし、刺々しくいるつもりはない。楽観的な道筋に私が求めてやまない死因が待っていると踏んだ。私は部屋に備え付けられた電話を使い、ホテルマンを呼び出すと恙無く料理の注文を終える。再びテーブルの椅子に腰を下ろして、彼女と面と向かう。邪な交渉に、後ろめたい行為を背景に私達は繋がりを持った。実りのある会話を期待する方が甚だ可笑しく、下記の通り取るに足らない話題すら、彼女にとって興味を引くものになる。

「指先を怪我されているようで」

 調理の最中にあるであろうハンバーグが届くまで、あまりに味気なく漫然と時間を潰すしかない。だからこそ私は、いくらか前傾姿勢になって外連味たっぷりに返す。

「爪切りに噛まれてしまいましてね」

 世迷言としても陳腐な理由になると私は思っていた。しかし、彼女は馬鹿らしい視線をおざなりに扱うよりも、その瞳に好奇心を湛えて私を見据えた。

「爪切り……それは災難でしたね」

 釣り竿のように弧を描いていた背中は少しだけ真っ直ぐに伸び、私は彼女の思わぬ反応へ上手く処理できなかった。

「それも喋り出すものだから、困りもんです」

 私は卑下を込めて荒唐無稽なことを話したつもりだ。それも、「阿呆らしい」と一言貰う為の仰々しい身振り手振りも合わせた、道化極まる体裁である。

「賑やかそうですね」

 私を嘲笑するような意図を排斥した柔和な笑いに彼女は徹し、悲観的な考えに至りがちな悪癖を露払いした。先刻に私達の関係を述べたが、撤回させてもらう。性行為などという副次的なことに傾倒し、その道中を疎かにするのは勿体ない。全てが意義深いものとして捉えるべきだし、注意深く振る舞って損はないのだから。

「えぇ。一人暮らしの夜は得てして手持ち無沙汰になるものですが、爪切りのおかげでなかなかに飽きがない」

 私は自ら切り出したこの話題の終わらせ方が分からず、酔狂な狂言回しに拍車を掛けて「爪切り」について言及を続けた。

「私は猫を飼ってまして、いつも癒されてます」

 まさか愛玩動物と爪切りを同列に並べて語るとは思わず、苦笑に歪んだ口を手で隠す。

「コン、コン」

 部屋の扉をノックする音に私は助けられた。これ以上の問答はもはや宇宙の果てに足を踏み入れるような想像も付かない人類未到の領域となる。
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