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エリシエル×ユリウス外伝

当て馬令嬢は幼馴染に愛される。15

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―――カビ臭っ!

浮上しかけた意識の中、思わず眉間を顰めた。
鼻腔に立ちこめる香りがお世辞にも良いとは言い難かったからだ。
おかげで目が覚めたものの、固く冷たい石の感触から顔を上げても視界には何も写らなかった。
一切の光が感じられない。

「……どっかの屋敷、の地下牢的かしらね。趣味悪いったらないわ」

真っ暗な闇の中、ぼそりと呟けば、すぐ横に倒れている身体がもぞりと身じろぎをした。
それにほっと息を吐く。

漏れた声からして、レオノーラで間違い無いようだ。

良かった、彼女も無事みたいね。

規則正しい呼吸音に、怪我などはないらしいとふんで、私は周囲を見回した。
段々と暗闇に目が慣れて、薄ぼんやりとだが視界が開けていく。

どうやら周り一面を石壁に囲まれた、古いが結構しっかりした造りの地下牢のようだ。
天井近くの石壁に隙間があるのか、そこから少しだけ光が漏れてきている。
規則正しく並んでいる縦に長い棒は、たぶん鉄格子だろう。

女二人と侮ってるのかしらね。
手や足を繋ぐわけでもなく、牢に放り込んだだけって感じだわ。

そんな感想を抱いたところで、横に寝ていたレオノーラが小さく呻き声を上げ、身体を起こす。

「目が覚めた?」

「エリシエル様、ここって一体……?」

「さあねー。アタシにもわからないわ。多分没落した貴族かなんかの屋敷だと思うけど……古くても造りはしっかりしてる。こんな地下牢、ある程度の身分を持った人間しか用意出来ないでしょうし」

先に目覚めて観察していた結果を彼女に伝えると、じーっと周囲に目を凝らしているようだった。
暗いので動作が全て見えているわけではないけれど、なんとなく気配で分かる。
まあ、レオノーラ自身がわかりやすいというのもあるが。

「これからどうなるんでしょうか……」

辺りを見た後、彼女が答えの無い問いを呟いた。

「まあ、生きてるって事はまだ殺す気はないんでしょうね。多分」

とりあえず、置かれている状況を溜息交じりに口にすれば、レオノーラは何やらうんうん唸った後で、がっくりと項垂れていた。
誘拐されて牢に監禁されているのだから、そうなるのもわかる。

といっても元々狙われていたのは私だ。彼女は巻き込まれただけ。
そして攫ったのは……ヴォルクの友人であった蒼の士隊副隊長、ハージェス=トレントだ。

屋敷に黒装束の男達を引き入れ、副隊長補佐であったクライスをあっさりと地に沈めた男。
殺してはいなかったが、流石は副隊長といったところか。

騎士だから戦い慣れていて当たり前だけど……。
あのハージェスの戦い方は、ヴォルクとは質が全く違う気がするわね。
トレント家の噂は、噂では無かったというところかしら。

ヴォルクとは、本当に打ち解けているように見えたけれど……考えても仕方ないわね。

ハージェスが犯人側でどの立ち位置に居るかわからないが、今この時点で殺されていないということは、レオノーラも何か利用価値があると考えたから生かしてあるのだろう。彼女には蒼の士隊騎士隊長の妻という肩書きもある。
ならば、暫くは命の危険は無いと予想できる。
ただ、それが無事という意味と直結するかどうかは、断言できないが。

暗い中、項垂れつつ「一緒に攫われちゃったよどうしよう、とかやってどうするの私……!」とか何とかぶつぶつ言っている女性を流し見る。
本人は心の声が漏れていることに気がついていないようだが、どうやら夫に呆れられたらどうしようとか、そんな事を考えているようだ。

その心配は無いと思うけど。
というか、今心配するのそこじゃないわよ、レオノーラ。
ああでももしかしたら、恐怖で混乱してるのかしら。
私は階級的に、幼い頃から言い聞かされて育ったけど、彼女はそう見えないものね。

内心で突っ込みつつ彼女の様子を窺う。

レオノーラ=ローゼル。
現在はレグナガルド夫人だが、元はローゼル伯爵家のご令嬢だ。ヴォルクが私に縁談の口添えを依頼した際、彼女については調べが済んでいるが、勿論本人には口が裂けても言えない。

確か母親のレティシア=ローゼルが亡くなって以降、父であり当主であるオズワルド=ローゼルが精神に変調をきたし、籠居の身となった為代わりに領主としての務めのほとんどを彼女が担っていたのだと聞いている。家族はその父と、弟が一人。
母親の亡骸と部屋に引き籠もっていた父親のせいで、他貴族からは遠巻きにされ、弟も幼かった事からまともな縁談は諦めていたそうだが、ヴォルクの申し込みにより幸せを掴むことができたのだろう。
彼女なりに苦労はしたのだろうが、私から見れば普通のご令嬢だ。

そんな彼女が、今の状況に恐怖を抱くのも無理は無い。

……だけど。

「大丈夫よ。貴女はきっと、ヴォルクが迎えに来てくれるから」

「え……?」

すぐ隣にある細い彼女の背を撫でてやる。こんな時でも人の体温があれば、少しでも気持ちが和らぐかもしれない。
巻き込んだ身としてそうであってほしいと思う。

数回さすってから、冷たい石壁にもたれて言えば、レオノーラは小さく声を零していた。
目は既に闇に慣れていて、彼女の美しい碧の瞳がよく見える。
それに、私はふっと微笑んだ。

だって、彼女の夫はあのヴォルク=レグナガルドだ。
かつて南国ドルテアからの侵略戦争で武勇を誇った、レグナガルド家の嫡子にして現当主。
妻を溺愛し、彼女の為なら自分のプライドさえなりふり構わず捨て去る、あの銀色の騎士ならば、まさに血眼で彼女を探していることだろう。

もしかすると、ハージェスについても何か知っていたのかも知れない。人を信じすぎるきらいのあるヴォルクのことだ、最後まで信じて、裏切られた可能性が高い。
だけどその分、ここに助けがやってくるのも、そう遅いことも無いだろう。
レオノーラには迎えが来る。彼女の愛しい夫が、そして彼女を愛しく思う夫が。

私とは、違って。

「だってユリウスは……アタシなんかきっと助けに来ないもの……」

状況故か、普段なら出ない本音が、ほろりと零れ落ちた。
助けが来ることは確信している。方々に連絡も回されている事だろう。それは確実に、ユリウスの所にも。
だけど、知らせを聞いた彼がここまでやってくるかと言えば……それは、無い。

だって彼にとって私は道具に過ぎない。成り上がるための。
そもそも嫌われてさえいる。視界に入れるのも嫌なほど。

わかりきった事実の筈なのに、今のこの状態では、それがどうしようもなくやるせなくて、心を鋭く刻んでいく気がした。

不甲斐ないわね……。
こんな時こそ心強くあれと、幼い頃から言い聞かされてきたのに。
実際、自分で思うよりずっと弱かったんだわ。私。

胸の内に、白金の幼馴染みの秀麗な顔が浮かぶ。
記憶にあるのは皮肉げな表情ばかりで、ずっと遡ってやっと、僅かな微笑が見える。
幼い頃に見せてくれた、ほんの少し陰を落としたユリウスの笑顔。
もっと晴れやかに笑った顔が見たいと思うのは、贅沢だろうか。

「……来ますよ。きっと。ユリウス様は。エリシエル様のために」

「どういう、こと……?」

レオノーラが、暗闇の中でそっと私の手を握った。
彼女の声も、手も、優しさと温かさに満ちあふれていて、驚く私の胸に、ふわりと何かが流れ込んでくる。

儚げな印象なのに、まるで確信のような強さを声に含んだレオノーラは、目を見開く私の前で女神の如く微笑んでいる。
そんな彼女の不思議な空気に、私の心に僅かな期待が浮かんでくるのを感じた。

幼い頃、大好きだった白金の天使。
嫌われても、私から嫌う事ができなくて。
ずっと忘れられなかった。

もしかしたら、来てくれるかもしれないなんて思いを、抱いてもいいだろうか。
思うだけなら。
たとえ違っても、今のこの状況の心の支えとするだけならば。

「わかってしまえば、すごく簡単なことなんです。だけど、少しでもボタンをかけ違うと、全く別に見えてしまうんでしょうね」

黒髪に碧の目をした儚げな美人が、闇の中ふっと差した星光みたいに微笑む。
その余りにも清く美しい姿に、銀色の騎士の得意げな顔が浮かんだ。

……なるほどね。

これは、ヴォルクが惚れるわけだわ。

状況は良いとは言いがたいが、私は不思議と安らぎと嬉しさを感じていた。
それはある種の決意を私に抱かせていて、冷たい地下牢に居るというのに、心だけがなぜか温かい。

友が愛した人が、来ると言ってくれているのだ。
私と違って、狙われることなど慣れていないだろう伯爵家の令嬢が。
騎士の妻になったとて、そうすぐに恐怖に強くなれるものではないだろうに。

だけどそんな彼女の言葉だからこそ、私も信じてみようと思えた。

もしもユリウスが来てくれたなら、今こそちゃんと、私も本当の気持ちを伝えよう。

どれだけ嫌われても、嫌う事ができなかったのだと。
婚約者だと言われた時、絶望ともう一つ湧き上がった感情があったのだと。
もしも、私を嫌っている筈の彼が、私を迎えに来てくれたのなら。
……きっと。

「もし来なかったら、貴女に責任取ってもらうんだから」

知らず緊張していたのか、身体からふっと力が抜けた私は、口を尖らせ彼女に告げた。
すると森を思わせる儚げな美人は綻んで、くすくす笑い声を零す。

つられて笑った私の声と彼女の声が合わさって、地下牢はまるでお茶会の続きみたいな、和やかな空気で包まれた。
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