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第64話『レヴィ―ナード殿下』

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 ヨーク夫人が退室すると、クオンは伸ばしていた背筋の緊張を解いた。少し肩が凝った。
 
 冷めた紅茶に口をつけていると、若い家令が温かい紅茶の入ったポットと焼き菓子を持ってきてくれた。品評会の会場は扉を出て右、玄関に向かう途中にある大広間だと説明を受ける。
 
 家令が下がったのを確認して、クオンが言った。

「ヨーク夫人があんなに素敵な人だとは思わなかった」

 レヴィンは「そうだな」と優しい声で言った。

「会ってよかったよ。ありがとな」

 クオンは焼き菓子に手を伸ばした。口に運ぶと、歯ざわりが柔らかかった。甘いのは当然のこと、鶏卵の味もする。レヴィンの屋敷の菓子とはまた違った風味と触感だった。

「美味しいな、これ」

 クオンが言うと、レヴィンもうなった。

「ああ、さすがだな。お茶会好きなだけのことはある」

 二人はヨーク家の菓子を堪能し、紅茶を飲み干して応接間を出た。

 廊下を歩いていると、華やいだ声が聞こえてきた。品評会の会場が近いようだ。ちょうど部屋から出てきた中年の婦人が歩いて来るレヴィンを見て、慌てたように会場に戻ってしまった。

 クオンは隣を歩くレヴィンを斜めに見た。彼の方が頭半分、背が高かった。

「そういや、王子だって言ってたんだっけ?」

 レヴィンは正面を向いたまま答えた。

「貴族の当主には言ってあるが、夫人に話をしているかどうかまでは知らん」

 王子が来たと驚いたのか、美麗な容姿に反応したのか。どちらにしろ、レヴィンは目立つ存在だった。会場付近でレヴィンは立ち止まった。

「クオン、このあと予定はあるか」
「帰るだけだけど」
「だったら、待っていてくれないか。一緒に行きたいところがあるんだ」

 レヴィンは至極まじめな顔をして言った。

 レイトンの街なら粗方知っている。どこだろうと思いながらクオンが了承すると、レヴィンはうれしそうに笑った。純粋な子供のような無邪気な表情だった。大の大人がそんなに喜ぶことかと思う。クオンは内心、くすりと笑った。

(意外とかわいいんだよな)

 クオンがそんなことを思っているなど、欠片も想像しないだろうレヴィンは、浮かれたように言った。

「なるべく早く済ます……そうだ、クオンも中に入らないか。私の友人だと紹介したい」

 弾んだ声で誘われて、それは嫌だと心底思った。自分は庶民だ。貴族に囲まれるのは気が引ける。
 クオンは顔をしかめた。

「いいよ、俺は。この辺で待ってる」
「応接間で待っていてもらえばよかった。戻るか?」
「いいってば」

 彼の後ろでレヴィンの噂を聞いたのだろうか、別の婦人が興味深そうに顔をのぞかせていた。「早く行け」と言うのに、なかなか行こうとしない。クオンは両手を腰に当てた。

「ほら。皆様がお待ちですよ、レヴィーナード殿下」

 クオンはからかい混じりに言った。

 瞬間、レヴィンの顔からサッと血の気がひいた。

 傷ついたような顔に、どきっとした。

「……クオン。冗談でもそういう言い方はやめてほしい」

 押し殺した声にクオンはしまった、と思った。

「ごめん」

 即座に謝ったが、レヴィンは口を真一文字に結んだ。くるりと背を向け、会場へと入っていく。後ろ姿を見送ったクオンは、長い息を吐いた。廊下の壁に背を預ける。

 クオンはレヴィンの言葉を思い出していた。

 彼はクオンのことを「私の友人」と言った。「俺の」ではなく、「私」を使った。

 クオンの前では自分のことを「俺」と言っていたが、貴族と応対していて、本来の彼が出たのだろう。

 そのことにレヴィンは気づいているのだろうか。
 
 クオンは高い天井の梁を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
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