上 下
65 / 89

第65話『主人』

しおりを挟む
 品評会会場に入ると、レヴィンは注目を浴びたが、好奇の目は無視した。

 会場にはテーブルが点在していた。その上には見るからにおいしそうな、フルーツをふんだんに使った菓子などが各テーブルに並べられていた。クオンが喜んで食べそうな菓子がたくさんあった。

 主催者のヨーク夫人に顔を見せ、近くにいる別の婦人に声をかけた。
 
 レヴィンは沈んだ気持ちを億尾にも出さずに、型通りの挨拶をしていった。ここを出るまでに気持ちを切り替えねばならないと思っていた。
 
 クオンと一緒に見たかったのは、この街の景色だ。
 
 レイトンには時刻を知らせる鐘があるが、その鐘を鳴らしているのは尖塔の教会である。実はこの尖塔、中から昇り、街を一望できる場所がある。普段は入ることはできないが、モーリスの知り合いに言えば、昇らせてもらえることになっていた。
 
 レヴィンはクオンと様々なものを一緒に見たかった。これから一緒に見ていくんだと漠然と思っていた。だからクオンの線を引くような一言に過剰に反応してしまった。
 
 クオンに悪気はなかった。ちょっとからかおうとしただけだったと思う。だが、彼に「殿下」と呼ばれるのがこんなに嫌なものだとは思わなかった。

 それが態度に出た。そしてクオンに謝らせてしまったことに落ち込んだ。
 
 レヴィンは笑顔の裏で反省する。早く終わらせてクオンのところに行きたいのに、なかなか進まなかった。

 婦人は十人もいなかったが、一人ひとりの話が長い。おしゃべり好きなご婦人方を相手にするのだ。仕方のないことではある。
 
 笑顔を張りつけ、話を長引かせないように寸断しながら、挨拶に回る。
 
 最後の一人が終わり、足早に出口に向かっていると、扉付近にいた夫人の声が耳に入った。

「黒い髪の子はどなたの家の子かしら」

 その言葉にレヴィンは足を止めた。振り返り、夫人の名を呼んだ。

「ステファニー夫人。いま、なんと」

 レヴィンは会場内にいる夫人の顔と名前を覚えていた。この夫人との挨拶は早々に済ませていた。ヨーク夫人よりも少し若いくらいの年配女性で、おっとりとした人だった。

 かの夫人の他に二人いるが、話しかけられたステファニー夫人は、レヴィンに辞儀をして、ゆったりと話しだした。

「廊下で黒い髪の子が腕を組んで壁にもたれかかっていたから、お行儀が悪いわって注意しましたの。あなたはよくても、主人が恥をかくのよって言ったら、驚いておりました。思いもよらなかったみたいですわ。自分はヨーク家の人間ではないから、ヨーク夫人を悪く思わないでくださいって言いましたのよ。ヨーク様のことを庇ってらして、思いやりのある子だと思いました。ここで何をしているのか訊いたら、待っている人がいるっていうから、主人は誰か訊きましたの。呼んであげるわって言ったら、主人の恥になりますので言えませんと言って、帰ってしまったんです。ここにいたら、どなたの家の子かわかってしまうと思ったのかもしれませんわ。使用人として日が浅いのだろうけど、ちゃんと主人のことを考えていて、いい子だったから、どこの家の子かしらと思いまして」

 ステファニー夫人が小首を傾げた。レヴィンは逸る胸を気取らせずに、にこやかに言った。

「教えてくれて感謝します。彼が待っていたのは、私だ。けれど使用人ではありません。私の大切な友人です」

 レヴィンは軽く腰を折り、踵を返した。背後から「まあ!」と驚いた声がした。自分の非礼に気づいたようだった。

 だが、彼女を責める気はない。使用人としてのあり方を教えようとした彼女は親切な部類だ。使用人の分をわきまえない者を罵倒する貴族だっている。

 むしろ責めるべきはひとりにしてしまった己に対してだ。

 元々クオンは貴族の屋敷に来ることに乗り気ではなかった。それでも承諾してくれたのは、自分の顔を立ててくれたからだろう。

 わかっていたはずなのに、クオンの優しさに甘えてしまった。レヴィンは唇を噛んだ。

 嫌な、とても嫌な思いをさせた。早く謝らなければならない。

 ステファニー夫人が語った言葉が思い出される。

 ―主人の恥になりますので―

 レヴィンは足早に玄関に向かいながら、その胸は鋭く痛んでいた。
 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

幸せの温度

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:593

【BL】できそこないΩは先祖返りαに愛されたい

BL / 完結 24h.ポイント:511pt お気に入り:562

四季折々に揺蕩う、君に恋焦がれる物語。

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:13

幸せになるということ

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:23

花火のあの時

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:4

ハッピーエンド

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:63

【完】性依存した末の王子の奴隷は一流

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:54

凍てついた薔薇は恋に溶かされる

BL / 完結 24h.ポイント:852pt お気に入り:773

処理中です...