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第1章 跳躍と出会い⑤『それはそれ、これはこれ』

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 翌朝、鳥のさえずりで目が覚めた海人は、昨日のことは夢ではなかったことに、ため息をついた。
 
 朝陽がカーテンの隙間から入ってくる。
 
 枕元のスマホに手を伸ばしたが、やはり電源は入らなかった。
 あきらめて小脇のテーブルに置く。
 
 起きたはいいが、どうすればいいのかわからない。
 昨夜は寝る前に寝衣を渡され、着ていた服は洗濯するからと回収された。
 
 カーテンを開けると青空が続いている。いい天気だった。
 窓の外に広がる緑の樹々を見ていると、ヨーロッパにでもいるような錯覚をした。
 
 イリアスがいるかと思い、庭を見たが誰もいない。
 
 寝衣のまま部屋の外に出てもいいのかわからず、うろうろしていたら見計らったかのようにグレンがやって来た。

「おはようございます。よく眠れましたか」

 柔和な笑みにホッとして、着替えるように出された服を受け取った。

「はい。朝まで熟睡してました」

 グレンは、それはようございました、と言いながら、水の入った洗面桶を置いてくれた。
 渡された服はこの世界のものだったが、麻の生地の洋服と変わらない。
 
 顔を洗って袖を通すと、肌触りが柔らかく、Tシャツより良質な生地のように思えた。
 
 朝食の準備ができているというので、グレンについて行く。
 
 食事は昨日と同じ部屋だった。
 
 昨夜のメイド服の女性が、おはようございます、と挨拶をくれた。
 
 海人は引かれた椅子に座った。昨日と違っていたのは食器が一人分だけだった。

「あの人はいないんですか?」

 なんとなくいるものだと思っていた。

 グレンがグラスに水を注ぎながら言った。

「イリアス様はお仕事に向かわれました」

「!」

 海人は驚いた。
 それを見て、心細いと思ったのか、グレンは安心させるようににっこりした。

「ですが、夕方までには戻られると思いますよ。カイト様がいらっしゃいますので、早めに帰ると仰っておりました」

「‼」

 実は海人が気にしているのは、イリアスの在宅についてではない。そこではないので、遠慮がちに口を開いた。

「あの、グレンさん。おれのことは海人でいいです。様とか、いりません」

 呼ばれ慣れていない敬称はやめてほしかったのだが、グレンはやんわり断った。

「カイト様はイリアス様の、ひいては当家のお客人です。そういうわけにはまいりません。それに使用人のわたくしにこそ敬称は不要です」

 イリアスはやはり、様付けで呼ばれるような人なのだ。
 若そうだったが、ものすごく身分の高い人に違いない。

 それに引き換えグレンは自分のことは使用人だからいいと言うが、

「年上の人を呼び捨てにするなんて、できません」

 海人は食い下がった。

「呼びづらいです」

 きりっとした顔で、じっと見つめていると、グレンは苦笑した。

「では、カイト様が呼びやすいようにお呼びください」

「じゃあ、グレンさんで!」

 海人が笑顔で言うと、グレンは口元を緩めて、給仕係の女性を見た。
 彼女もパンを置きながら微笑んでいる。

 ひとつ問題をクリアして、海人の心は軽くなった。
 いただきます、とパンを千切り、控えているグレンに続けて話しかけた。

「やっぱり、呼び捨てはまずいですよね」

 グレンはすぐにイリアスのことだと察してくれた。

「イリアス様は敬称はいらないと仰っておりましたでしょう。かまわないと思いますよ」

「いや、でもグレンさんは『さん』付けで、それはないんじゃないかと思うんですけど」

 イリアスもきっと年上だ。
 昨日は有無を言わさぬ雰囲気に負けて、本人の前で呼び捨てにしたものの、絶対よくないと思う。

 ここで使用人の執事からも、そうですね、と言ってもらえれば鬼に金棒だったのだが、グレンの反応は海人の期待を裏切った。

「それはそれ、これはこれですよ。イリアス様が一度呼び方を改められたのですから、従った方がよろしいかと」

 給仕係の彼女も、うんうん、とうなずいている。
 なんだか釈然としなかったが、それ以上言っても堂々巡りになりそうなので、引き下がることにした。
 
朝食に出された細長い肉詰めは、よく食べるソーセージより太く、フォークで切った。肉汁が零れ出て、とても美味しかった。

 食べ終わったタイミングで紅茶が出され、一息つくと、グレンは昨日から食事の世話をしてくれている女性を紹介してくれた。

 彼女の名前はマーシャ。
 この屋敷の住み込みの給仕係なのだそうだ。
 
 屋敷に住んでいるのは、イスリアスの他に、今はいない彼の父親とグレン、そしてマーシャの四人。他にも使用人はいるが、皆、街に自宅があり、家から通っているのだという。
 
 朝食が終わると、グレンは屋敷の中を案内してくれた。
 玄関ホールを中心に左右両翼に部屋がある。
 
 鍵が開いている部屋には、自由に入っていいと言われたが、用もないのに入ることもないだろうと海人は思った。
 途中、清掃をしている人や、庭園の手入れをしている人、厨房の人など、会った人物を紹介してもらう。

 そのときグレンは海人のことを、イリアス様のお客人です、と紹介した。なぜ異世界から来たと言わないのか訊いてみると、

「イリアス様からカイト様は自分の客人で通せと仰せつかっております。異世界から来たなどとは言ってはならないと」

 これには驚いた。
 イリアスはまるで当然のごとく話していたので、異世界人、ここでいう跳躍者は周知の事実なのかと思っていた。
 
 一般には知られてはいけない存在なのだろうか。
 もし、異世界人の存在を知らない者の前に現れていたら、どうなっていたのか。

 海人はぞっとした。

「おれ、もしかして、イリアスに拾ってもらったのって、ものすごく運がよかったんでしょうか」

 声を低めて言うと、グレンは、そうでございましょうね、と言った。

「私とマーシャはカイト様がお目覚めになる前に、イリアス様から跳躍者の話を聞きました。正直、信じられませんが、イリアス様が仰ることですので、嘘のはずがありません」

 階段を昇りながら、彼のことを随分と信頼しているんだな、と海人は思った。
 それと同時に、執事と給仕係がそのことを知っているなら、この世界で常識外れなことをしても助けてくれそうで、安堵した。
 
 グレンの後ろを歩いていると、二階の奥にあるイリアスの父親の部屋と、彼の部屋には絶対に入ってはいけないと釘を刺された。
 
 場所だけ覚えたあと、廊下を少し戻り、二階にある一室に通される。
 応接間と違って、華美なものはなく、部屋の中央に机と椅子があった。

「ここはイリアス様が以前、お勉強されていたお部屋です」

 つまり今日はここでいろいろと教えてくれるということか。
 海人は大人しく次の言葉を待ったが、その前に昼食にしましょう、とグレンが窓の外を見ながら言った。

 太陽は中天に差しかかっていた。

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