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第4章 いにしえの因果㉒『行かないで』

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 王宮滞在も三日目になった。

 この日の朝食後、イリアスが庭園を散歩しないかと言ってきた。
 
 イリアスから何か誘われることなど、今まで一度もなかったので、彼も暇なのかと思った。
 
 王宮の庭園は広く、植えられた花も多彩である。朝の陽を受けて、緑の芝が美しく光って見える。

 イリアスの屋敷の庭も広いと思っていたが、洗練された庭づくりなどはスケールが違った。
 
 豊かな緑は人の心を落ち着かせてくれるのだろうが、海人は昨日、佐井賀から聞いた話で頭がいっぱいになっていた。
 
 庭園を眺めて歩きながら、海人はポツリと言った。

「佐井賀さんってすごいね」

 足元には小さな紫色の花が咲いていた。

「この世界のこと、自分で本を読んで調べ続けてて。ずっとあきらめてなくて、俺に帰れるかもって希望をくれた」

 イリアスは海人を見下ろした。

「おれ、すぐにあきらめてた。帰る方法はないって聞いたときから。自分で見つけようなんて思わなかった」

 海人は落ち込んでいた。

 佐井賀の不屈の精神とその行動力に感心しながらも、自分と比べてしまったのだ。

 佐井賀は海人より一歳若いときにこちらに来ている。同じような年齢だったのに、考えることは違った。

 うつむいていると、

「あの人もこちらに来てすぐにああだったわけじゃない。月日が経つうちに、そうなっていったんだ。
 まだ来たばかりのカイトとは違う。カイトもそのうち、やりたいことが見つかるだろう」

 イリアスが海人の頭をぽんと触った。比べても詮無せんない事だ、とイリアスは続けた。

(やりたいこと……)

 海人はこれからの自分のことを思った。

 同郷の人アフロディーテに会うという目的は果たせた。ならば今、言うべきかもしれない。

 王宮に旅立つ前に決めていたこと。
 
 海人は立ち止まった。

「イリアス。リンデに帰ったら、剣を教えてほしいんだ」

 この世界で生きる覚悟はもうできている。

「自分の身は自分で守りたいから」

 いつまでもお荷物でいるのは御免だ。
 
 海人が真剣な眼差しで見つめていると、イリアスが、わかった、と言った。

 海人はうれしくなり、顔を綻ばせた。

「おれも佐井賀さんみたいに勉強もするよ。せめて読み書きくらいはできなきゃな!」

 グレンさんに教えてもらおう、と言いながら歩き始めた。
 
 陽光が徐々に暖かくなっていた。光を浴びるように、グッと背伸びをしたとき、

「カイト」

 数歩進んだ先で呼ばれた。振り返ると、彼はまぶしそうに目を細めて言った。

「おまえは強いな」

 イリアスがふわりと笑った。

 どくん、と胸が鳴る。

 柔らかくて、優しい綺麗な微笑み。
 海人がまた見たいと思っていた、あの笑顔だ。
 
 トクトクと自分の鼓動を聞きながら、海人は見惚れていた。

 と、そのとき、遠くから佐井賀の声が響いた。

「イルー、どこー? いるんでしょー?」

 彼を呼ぶ声にイリアスの笑みが掻き消えた。
 ため息交じりに言う。

「ほんとうに騒がしい人だな」

 イリアスが踵を返した。
 
 刹那。

 海人はとっさにイリアスの腕を取った。

 急に腕を掴まれたイリアスは驚いたように振り返った。

「どうした?」

 灰色の瞳が見つめてくる。

 行かないで―

 海人は思わず口から出そうになった言葉を、ぐっと堪えた。

「カイト?」

 いぶかしんだ表情をされ、海人は目を伏せ、ゆっくりと手を放した。

「ごめん、なんでもない。行こう」

 海人はイリアスが向かおうとした先― 佐井賀の元へ歩き出した。
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