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第5章 動乱の王宮⑧『連れて帰れない』
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海人に向かって歩いてくる人影は、金色の髪が陽光を浴びて光っていた。
イリアスだ。その後ろにはシモンもいる。
シモンと一緒ということは、もしやと思った。
海人は二人に駆け寄った。
「シモン! 実家はどうだった?」
海人は弾むように言ったが、シモンは口端を上げただけで、答えなかった。
いつも明るい彼の顔が暗い。
海人はイリアスを見た。
イリアスはいつもと変わらない無表情だったが、やはり何かおかしい。
海人は不安を覚えたが、
「リンデに帰る日が決まった」
という、イリアスの言葉に海人の不安は消え去った。
やっと帰れる、と、うれしくて訊いた。
「いつ?」
「明朝」
思っていたより早い。シモンの表情が沈んで見えたので、もっと滞在が長くなるのかと思った。
明日帰るのならば、早めに言っておかねばならない。海人は顔を綻ばせて言う。
「イリアス、おれ、帰る前に王都で寄りたい店があるんだ。リンデのみんなに」
「カイト」
イリアスが続けようとした言葉を遮った。
やはりいつもと違う雰囲気に海人が怪訝な顔をしたとき、イリアスはおもむろに口を開いた。
「カイトは連れて帰れない」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
え、と口が動いた。
イリアスはもう一度、はっきりと言った。
「リンデには連れて帰れない。カイトは王宮に残れ」
海人は目を大きく見開いた。
自分の耳を疑った。
心臓が嫌な音を立てている。シモンを見たら、顔を背けられた。
「え……? なんで……?」
海人は帰るときに、リンデのみんなに土産を買って帰ろうと思っていた。
突然現れた自分に誰もが優しく接してくれた。みな勤務中であるにも関わらず、遊びに来ている自分に世話を焼いてくれた。
辺境警備隊でもらった給料は、みんなのために使うと決めていた。
なのに。
イリアスは表情を変えずに、淡々と言った。
「リンデではカイトの身の保証ができない。ここにいる方が安全だ」
海人はハッとした。自分がさらわれたことを言っているのか。
でもそのことは王宮の人間には言わなかった。ならば、イリアスが言ったのか。
口の中が急速に乾いていく。
こく、と唾を飲んだ。
「おれ、置いてかれるの……?」
海人は震える声で言った。
イリアスもシモンも黙ったままだ。
じりじりと夏の陽射しが肌に突き刺さる。
思えば自分は魔力を与える特別な力を持っているが、同時に魔獣も惹き寄せてしまう。
この力を狙う者もいた。
ならば、日常生活ではただの人でありながら護衛は常に必要になる、手のかかる存在だ。
海人は拳を握った。
「そっか……。おれ、厄介者だもんな」
シモンが口を開きかけたが、顔を背けた。逸らされた視線に、鼻頭がじわりと熱くなる。
海人はイリアスを見た。
「最初から置いてく予定だったの?」
海人はリンデを発つ前に、イリアスから王宮で暮らせと言われたらどうするか訊かれたことを思い出していた。
あのとき、嫌だと言ったのに。
それともリンデで暮らしたいと言ったことは、イリアスを悩ませていたのだろうか。
海人は灰色の瞳を見つめた。
「リンデに帰ったら、剣、教えてくれるんじゃなかったの」
「…………」
「あれ、うそだったんだ」
眉根を寄せて、イリアスを見つめ続けた。
イリアスは目を逸らさなかった。
静寂が流れ、ただひとことだけ言った。
「すまない」
さわ、と夏風が海人の頬を撫でていった。
震える唇をギュッと噛む。
歪んだ顔を見られないように下を向き、声を絞り出した。
「わかった……。今まで、ありがとう」
顔を伏せたまま、イリアスの脇を通る。
引き留める腕が延びて来ることを、ほんの少しだけ期待した。だが、その手が捕られることはなかった。
夏風が背中を押すように過ぎていく。
海人は涙をこらえ、静かにそびえる宮殿に向かって歩いて行った。
イリアスだ。その後ろにはシモンもいる。
シモンと一緒ということは、もしやと思った。
海人は二人に駆け寄った。
「シモン! 実家はどうだった?」
海人は弾むように言ったが、シモンは口端を上げただけで、答えなかった。
いつも明るい彼の顔が暗い。
海人はイリアスを見た。
イリアスはいつもと変わらない無表情だったが、やはり何かおかしい。
海人は不安を覚えたが、
「リンデに帰る日が決まった」
という、イリアスの言葉に海人の不安は消え去った。
やっと帰れる、と、うれしくて訊いた。
「いつ?」
「明朝」
思っていたより早い。シモンの表情が沈んで見えたので、もっと滞在が長くなるのかと思った。
明日帰るのならば、早めに言っておかねばならない。海人は顔を綻ばせて言う。
「イリアス、おれ、帰る前に王都で寄りたい店があるんだ。リンデのみんなに」
「カイト」
イリアスが続けようとした言葉を遮った。
やはりいつもと違う雰囲気に海人が怪訝な顔をしたとき、イリアスはおもむろに口を開いた。
「カイトは連れて帰れない」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
え、と口が動いた。
イリアスはもう一度、はっきりと言った。
「リンデには連れて帰れない。カイトは王宮に残れ」
海人は目を大きく見開いた。
自分の耳を疑った。
心臓が嫌な音を立てている。シモンを見たら、顔を背けられた。
「え……? なんで……?」
海人は帰るときに、リンデのみんなに土産を買って帰ろうと思っていた。
突然現れた自分に誰もが優しく接してくれた。みな勤務中であるにも関わらず、遊びに来ている自分に世話を焼いてくれた。
辺境警備隊でもらった給料は、みんなのために使うと決めていた。
なのに。
イリアスは表情を変えずに、淡々と言った。
「リンデではカイトの身の保証ができない。ここにいる方が安全だ」
海人はハッとした。自分がさらわれたことを言っているのか。
でもそのことは王宮の人間には言わなかった。ならば、イリアスが言ったのか。
口の中が急速に乾いていく。
こく、と唾を飲んだ。
「おれ、置いてかれるの……?」
海人は震える声で言った。
イリアスもシモンも黙ったままだ。
じりじりと夏の陽射しが肌に突き刺さる。
思えば自分は魔力を与える特別な力を持っているが、同時に魔獣も惹き寄せてしまう。
この力を狙う者もいた。
ならば、日常生活ではただの人でありながら護衛は常に必要になる、手のかかる存在だ。
海人は拳を握った。
「そっか……。おれ、厄介者だもんな」
シモンが口を開きかけたが、顔を背けた。逸らされた視線に、鼻頭がじわりと熱くなる。
海人はイリアスを見た。
「最初から置いてく予定だったの?」
海人はリンデを発つ前に、イリアスから王宮で暮らせと言われたらどうするか訊かれたことを思い出していた。
あのとき、嫌だと言ったのに。
それともリンデで暮らしたいと言ったことは、イリアスを悩ませていたのだろうか。
海人は灰色の瞳を見つめた。
「リンデに帰ったら、剣、教えてくれるんじゃなかったの」
「…………」
「あれ、うそだったんだ」
眉根を寄せて、イリアスを見つめ続けた。
イリアスは目を逸らさなかった。
静寂が流れ、ただひとことだけ言った。
「すまない」
さわ、と夏風が海人の頬を撫でていった。
震える唇をギュッと噛む。
歪んだ顔を見られないように下を向き、声を絞り出した。
「わかった……。今まで、ありがとう」
顔を伏せたまま、イリアスの脇を通る。
引き留める腕が延びて来ることを、ほんの少しだけ期待した。だが、その手が捕られることはなかった。
夏風が背中を押すように過ぎていく。
海人は涙をこらえ、静かにそびえる宮殿に向かって歩いて行った。
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