ふたりでひとりの悪役令嬢

じぇいそんむらた

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部屋の外にて語られる話

我儘な愛だとしても(後編)

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 ニルとの再会の手筈は、男が全て整えた。再会の日が近づくごとに、回復していたはずの私の体調は悪くなっていった。再会への不安が、そうさせているのだろうか。でも私はそれを男に悟られたくなく、顔色を化粧を厚くし誤魔化し続けた。
 どうせ、男はそんな事もお見通しだろう。私は無様に足掻く事しかできない。この化粧だって、男が用意した物。私の全ては男が握っている。
 もしかしたら、悪魔のように私を誘惑し堕落させ、私が膝をついて醜く縋りつくのを待っているのかもしれない。

「どうした」

 男の手が、優しく私の頬をなでる。心地よいそれを私は掴み、下ろさせる。

「私の魂なんて、不味くて仕方ないわよ」

 男の眉間に、見た事のないような皺が寄る。とうとう私の頭がおかしくなったのだと思っただろうか。

「……冗談よ」

 でも、男の表情は変わらない。それどころか、ますます険しくなっていく。

「何よ、その顔」

 なんでそんなに苦しそうな顔をするのだ。まるで傷ついた子供のような顔。思わず身を引いた私の腕を男が掴み、自分の方に私の体を引き寄せてしまう。後頭部を抑えられ、顔が上げられない。

「お前の魂を喰らいたいだなど、思うわけがない」
「本気にしないで……冗談って言ったでしょう」
「分かってない。お前は心の底で、俺を恐れてる」

 いつも余裕ばかりの男が、今だけは違った。感情が滲むような言葉と、逃げ出すのを恐れるように私を強く抱く腕。

「だが、それでいい。俺を恐れ、信じるな。そうでないと俺は」

 わけが分からない。言葉の意味も、それと裏腹な態度も、私の頭を混乱させる。

「なんだって……いうのよ」

 男は何も言わず、宥めるように私の頭を撫でる。そうやって子供みたいに、何も知らないままの私でいろと言うのか。目眩がする。このまま踏みとどまって、何もなかったように日々を生きていくのか、それとも。心の底で、相反する感情がせめぎ合う。

 でも、何もない日々を生きるなら、死んでいるのと同じだ。

「お前は、私に嫌われていたいの?」
「それは、俺が望む事ではない」
「なぜ」
「お前がどう思おうが、俺には関係ない」
「わけが分からない」
「それでいい。分かろうとなどするな。お前は、自分のために俺を使えばいい。道具に感情などない、ただ使われるだけだ」

 だったら、なぜこうして私を抱きしめるのだろう。血の通わない道具なら、こんなことしない。
 鼓動、息遣い、腕の中の暖かさ。ずっと近くにいたのに、意識もしてこなかったそれが、鮮烈に私の心に刻まれる。そうなったらもう駄目だ。もう私は、何も知らなかった頃の私には戻れなくなってしまう。

「分かりたいと言ったら、どうするの?」

 そう言った途端、男が私の肩を掴んで突き放す。

「やめろ」
「いやよ」

 私は、離れようとする男の腕を掴む。弱った私の手など簡単に振り払えるはずなのに、男はそれをしない。

「やめろと言うのに、なぜ振り解かないの」

 私は、男の腕を引き寄せ、されるがままの男の体を抱きしめる。私からこうした事など、一度もなかった。私の中の欠けた何かが、埋まるような感覚に、心が震えるようだった。

「お前が何て言おうと、関係ないわ」

 両手で男の首に触れる。首筋の血管が、脈打つのを感じる。男の体温で、手のひらが染まっていくよう。生きているのだ。私も、男も。

「私も、お前も、血を流して生きている。道具なんかじゃない」

 そう。もうここは、私と男だけの世界なのだ。誰かの道具として生きる必要のない、二人だけの場所。

「お前と一緒に苦しむのなら、この地獄も悪くないわ」

 男は、何も答えない。でも、私の首筋に顔を埋め、私を強く抱きしめる。

 今はもう、それだけで十分だと思った。

 ――

 男が用意した再会の舞台で、私は、台本のない役を演じた。本当の気持ちの中に、ほんの少しだけ嘘を混ぜて。
 魔法だなんて子供騙しみたいな話を、きっとあの子も信じてはなかっただろう。でも私は、どうしても顔を見られたくなかった。あの子が、かつて自分だった顔を忘れているのなら、そのままでいた方がいいのだから。

 私はちゃんと、あの子の記憶の中にいる私と同じように振る舞えただろうか。私が捻じ曲げてしまったあの子の道を、幸せな道に繋げられたのだろうか。

 後ろ手に教会の扉を閉めた瞬間、私はその場に崩れ落ちる。長い時間外に出て、見知らぬ人達の中で、私は心身ともに限界を迎えていた。

 そんな私を、男は軽々と抱き上げてしまう。

「歩けるわ、降ろして」
「駄目だ」
「なぜ」
「倒れて怪我でもされたら困る」
「しないわ」
「黙ってろ」
「いや」

 安堵と疲労が、私から箍を外してしまったのか、子供のわがままみたいな言葉ばかり口にしてしまう。でも、気を失ってしまいそうになるのが嫌で、意地でも話し続けている。どうせしばらくすれば、男は無理やり私を眠らせてしまうと分かっているのに。

「あの子、幸せになってくれるかしら」

 何を話せばいいかもまとまらず、感情をただ言葉にする事しかできない。

「お前は、あの女の話ばかりする」
「だって……愛しているもの……」

 なぜ男が怒るのか、分からない。反論をする私の鼻に、甘い香りが届く。舌打ちが聞こえたような気がするけれど、もう、よく分からない。そして、香りの強さが増し、私の意識が薄れていく。

「もう何も話すな」
「いや……」

 逆らおうと男の首に伸ばした腕が、力を失って落ちる。視界は暗闇に覆われて、私は眠りについた。

 ――

 あの日から、小さな変化があった。

 ただ触れるだけだった男が、私にまた口付けをするようになった。

「やっぱり、対価が必要になったの?」
「違う」

 まるで、今までしてこなかったのを取り返すように、何度も唇が重ねられる。

「じゃあ、どうして」

 尋ねても、答えは返ってこない。でもその表情は穏やかで、私を拒絶しているようには見えなかった。

「お前は、変わったわ」
「そうだな」
「認めるの?」
「ああ」

 男の親指が、私の唇をなぞる。

「お前が変えた」
「私が?」
「そうだ。俺が名前を呼んで、お前は俺の元へ来た」
「それだけの事で?」
「それだけで、俺には充分だった」

 男は、自嘲するように笑った。

「最初は、猫のように飼い続けるだけにしておこうと思っていた。でもお前は、自分から俺に踏み込んだ」
「まるで迷惑だったみたいな言い方ね」
「とんだ迷惑だ。だからその腹いせにこうしてる」

 そう言って男は、私に口付ける。

「嫌がらせのつもり?」
「それは、お前次第だろう」
「そうやってはぐらかすの、お前の悪い癖だわ」
「そうか。俺は、やりたくてやっているだけだ」

 そんな言葉、何でもないはずなのに。どうしてだろう、目頭が熱くてたまらない。

「そうなの」

 私は顔を伏せて、何でもないように言った。

「どうした」

 お見通しだと言うように、鼻で笑う男。私は悔しくて、その余裕を剥いでやりたくなった。

 顔を上げる。そして私は、いつもされるだけの口付けを、初めて自分からした。

 ほんの少し触れただけなのに、強く心が震える。離れて、男を覗き込むと、目を見開いたまま、私を信じられないという顔で見つめる男が見えた。

「お前でもそんな顔、するのね」

 そう言って笑う私の頬に、一筋の熱が流れ落ちていく。

「でも、そんなお前も、悪くないわ」

 ぶっきらぼうに言ったのに、それでも男は、嬉しそうに笑っている。私もつられて、でもそれを必死で押し隠しながら、小さく笑った。

 我儘で、ひねくれていて。そんなどうしようもない私の名を男は呼び、そして私は男の元へと辿り着いた。
 遠回りをしたようで、でもこれがいちばんの近道だったのだろう。恋や愛という形には決してならなくても、私は男と、おそらく死ぬまで共に生きていく。
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