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本編
第25話 母と息子
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口付けから顔を離して、フォールスと目が合うと、何だかとても照れくさくなってしまって、私はうつむいてしまう。
そんな私の頭に、フォールスはひとつ口付けをすると、私の頭を抱き寄せる。
「あーあ……予定を全部放り出して、今すぐ君をベッドに連れ込みたい気分だよ」
「!!!」
「……大丈夫だよ、さすがに我慢する」
フォールスは、私の背中をポンポンと優しく叩いてから、抱擁を解く。
「さてと。僕の我慢が続いてるうちに、今日の予定に取り掛かるとしますか」
そう言うとフォールスはソファから立ち上がり、それから私の手を取って立ち上がらせる。そのまま手を引かれて、私は彼の仕事机に座らされる。
「私が座ってしまっていいの?」
「いいよ。大切な書類に署名してもらうんだから」
そう言ってフォールスは机の上に、一枚の紙とペンを置く。
婚姻届を見た事がなかった私は、まじまじと観察してしまう。証人欄というのがあって、そこには叔父様と、そしてスクルの名前が書かれている。
(そうね……私達を繋いでくれたのは、スクルや叔父様だもの。……叔父様、そうだ、あの事)
私は叔父様との会話を思い出し、横にいるフォールスを見上げる。彼はそんな私に驚き、困惑の表情を浮かべる。
「ねえまさか……今になって怖気付いたとかじゃないよね?」
「ち、違うの。あのねフォールス……ひとつ教えて。あなたのお母様は、あなたと私の結婚を認めて下さってるの?」
その途端、フォールスの表情が険しくなる。
「何で急にそんな事……。母の許可なんて、そんなもの必要ない。結婚は、僕と君だけの問題だ」
「でも……」
「いいんだ。君は気にしなくていい」
フォールスのその、突き放したような言い方に、私はなぜか少し怒りを覚える。
「……あなたは、私の母に挨拶に来てくれた。だったら私も、きちんとあなたのお母様に挨拶をするべきじゃないの?」
「……僕がいいって言ってるのに?」
「私はいいと思わない。ねえフォールス、あなたが結婚するのは誰?私じゃないの?もしそうなら、私の気持ちなんか無視しても構わない。でもあなたは、私を選んでくれたんでしょう?だったら、ひとりで決めてしまわないで」
彼は黙ったまま、何も答えない。
「……あなたが本当に嫌だと言うなのなら、無理強いはしない。でも、せめて理由を聞かせて。あなたの妻になるのに私、何も知らないままなのは嫌よ」
フォールスの瞳が迷っているかのように、視線を彷徨わせる。しばらくそうした後、ようやく彼が口を開いた。
「……そんな大した事じゃないんだ。それに……君はこの話を聞いて、僕に幻滅するかもしれない」
「しないわ。だから話して」
私は即答する。根拠なんてないけれど、私がフォールスに幻滅するなんて、これっぽっちも想像がつかないのだから。
「分かったよ。母は……僕が、父から打たれたり酷い事を言われても、決して僕を庇ってくれなかった。父がその場を去った後も、申し訳なさそうにこちらを見るだけで、慰めてもくれなかった。それでも、父が生きている時は、出来の悪い僕がいけないんだと、そう思って……思い込むしかなかった。でも、父が亡くなって、そんなのは違うと……やっと、そう思えるようになった。どうせ僕は出来た息子じゃない、これまでされてきた事を水に流してなんかやるもんか、そう決めたんだ。
それに母は、父の言う事が全て……そんな考えで生きてきたんだ。そんな母が、よりによって混血の君を受け入れると思う?もしかしたら、口では認めると言うかもしれない……でも、心から受け入れるとは思えない。そんなひとに、君を会わせたくない。僕は……君が嫌な思いをするような事なんて、絶対にさせたくない」
今にも泣きそうなフォールスに、私も胸が苦しくなる。まるでそれは、母に愛されないと嘆いていた自分を見ているようだったから。
「……ねえフォールス、ちょっとそこに膝をついてしゃがんでくれる?」
「何だよ急に……これでいい?」
私の隣に、膝を付くフォールス。私は椅子を後ろに引いて、座ったまま彼の方に体の正面を向ける。そして、彼の頭をそっと撫でて、言った。
「フォールス、ずっと頑張ってきたのね。あなたは何も悪くない。とても偉いわ。私は、いつだってあなたの味方よ」
「アステ……」
私を見上げるフォールスの顔が、悲しそうに歪んで、それから彼は、私の膝の上に顔を埋める。私は、そんな彼の頭を何度も撫でる。少し汗ばむ彼の頭も、私には愛おしくて仕方がなかった。
「これからはずっと私がそばにいる。私には何の力もないけれど、あなたが辛い時に慰める事はできる。私にとってあなたが支えになったように、私も、あなたにとってそういう存在になれるよう、頑張る」
そして私は、いつもフォールスがしてくれるように、彼の頭に口付けを落とす。彼の体が、少し震える。
「……ありがとう、アステ」
そうしてしばらく、顔を伏せたままのフォールスの頭を撫でるだけの、静かな時間が過ぎていく。
そして、ようやく顔を上げたフォールスが上目遣いに私を見る。彼は何かを決意したような表情をして、言った。
「……母に、君を紹介する。でも、結婚は僕と君だけの話だ、母に許可は貰わない。母に会う前に届けは出してしまう。……それでもいい?」
「ええ……それで構わない。でも、本当に大丈夫?」
「大丈夫。子供みたいに駄々こねて逃げ回るような姿を、君に見せる方が嫌だ。母がどんな考えだろうが、こっちが礼を欠くような真似をすれば、結局僕らが非常識という扱いをされて、僕だけじゃなく君まで変な目で見られる」
そう言うとフォールスは立ち上がる。
「これから母に面会の約束をとりつけてくる。君は署名をして待ってて」
「署名するのに、そんな時間はかからないわよ。今書いてしまうから……お願い、見守っていて」
「うん、分かった。見てる」
私は机に体を向け、姿勢を正して、ペンを手に取る。反対の手で紙をおさえ、ゆっくりとペン先をおろす。緊張で、手が震えてしまいそうになる。息を止める。そして、ペン先が紙を引っ掻く音だけが部屋の中に響く。
「…………書けたわ」
私は、名前をきちんと書き終えられた安心感に、大きく息を吐く。
「自分の名前を書くのにこんなに緊張したの、生まれて初めてだわ……」
フォールスの顔を見上げた私は、照れながら笑う。彼も、安心したような、照れたような、そんな表情で私を見る。
「僕も緊張したよ……ほら、手に汗かいてる」
「本当……ふふ……私もだわ」
お互いに手を触り合って、私達はくすくすと笑い合う。
「待たせてしまってごめんなさい。お母様との事、お願い」
「うん、任せて。じゃあアステ、僕が戻るまでくれぐれも寝たりしないように」
「ね、寝るわけないじゃない!もう!」
怒る私に、フォールスは怖い怖いと肩をすくめ、笑いながら部屋を出ていってしまった。
私は、絶対寝たりなんかするものか!と決意し、フォールスが戻ってくるまでひたすら体を動かし続けたのだった。
そんな私の頭に、フォールスはひとつ口付けをすると、私の頭を抱き寄せる。
「あーあ……予定を全部放り出して、今すぐ君をベッドに連れ込みたい気分だよ」
「!!!」
「……大丈夫だよ、さすがに我慢する」
フォールスは、私の背中をポンポンと優しく叩いてから、抱擁を解く。
「さてと。僕の我慢が続いてるうちに、今日の予定に取り掛かるとしますか」
そう言うとフォールスはソファから立ち上がり、それから私の手を取って立ち上がらせる。そのまま手を引かれて、私は彼の仕事机に座らされる。
「私が座ってしまっていいの?」
「いいよ。大切な書類に署名してもらうんだから」
そう言ってフォールスは机の上に、一枚の紙とペンを置く。
婚姻届を見た事がなかった私は、まじまじと観察してしまう。証人欄というのがあって、そこには叔父様と、そしてスクルの名前が書かれている。
(そうね……私達を繋いでくれたのは、スクルや叔父様だもの。……叔父様、そうだ、あの事)
私は叔父様との会話を思い出し、横にいるフォールスを見上げる。彼はそんな私に驚き、困惑の表情を浮かべる。
「ねえまさか……今になって怖気付いたとかじゃないよね?」
「ち、違うの。あのねフォールス……ひとつ教えて。あなたのお母様は、あなたと私の結婚を認めて下さってるの?」
その途端、フォールスの表情が険しくなる。
「何で急にそんな事……。母の許可なんて、そんなもの必要ない。結婚は、僕と君だけの問題だ」
「でも……」
「いいんだ。君は気にしなくていい」
フォールスのその、突き放したような言い方に、私はなぜか少し怒りを覚える。
「……あなたは、私の母に挨拶に来てくれた。だったら私も、きちんとあなたのお母様に挨拶をするべきじゃないの?」
「……僕がいいって言ってるのに?」
「私はいいと思わない。ねえフォールス、あなたが結婚するのは誰?私じゃないの?もしそうなら、私の気持ちなんか無視しても構わない。でもあなたは、私を選んでくれたんでしょう?だったら、ひとりで決めてしまわないで」
彼は黙ったまま、何も答えない。
「……あなたが本当に嫌だと言うなのなら、無理強いはしない。でも、せめて理由を聞かせて。あなたの妻になるのに私、何も知らないままなのは嫌よ」
フォールスの瞳が迷っているかのように、視線を彷徨わせる。しばらくそうした後、ようやく彼が口を開いた。
「……そんな大した事じゃないんだ。それに……君はこの話を聞いて、僕に幻滅するかもしれない」
「しないわ。だから話して」
私は即答する。根拠なんてないけれど、私がフォールスに幻滅するなんて、これっぽっちも想像がつかないのだから。
「分かったよ。母は……僕が、父から打たれたり酷い事を言われても、決して僕を庇ってくれなかった。父がその場を去った後も、申し訳なさそうにこちらを見るだけで、慰めてもくれなかった。それでも、父が生きている時は、出来の悪い僕がいけないんだと、そう思って……思い込むしかなかった。でも、父が亡くなって、そんなのは違うと……やっと、そう思えるようになった。どうせ僕は出来た息子じゃない、これまでされてきた事を水に流してなんかやるもんか、そう決めたんだ。
それに母は、父の言う事が全て……そんな考えで生きてきたんだ。そんな母が、よりによって混血の君を受け入れると思う?もしかしたら、口では認めると言うかもしれない……でも、心から受け入れるとは思えない。そんなひとに、君を会わせたくない。僕は……君が嫌な思いをするような事なんて、絶対にさせたくない」
今にも泣きそうなフォールスに、私も胸が苦しくなる。まるでそれは、母に愛されないと嘆いていた自分を見ているようだったから。
「……ねえフォールス、ちょっとそこに膝をついてしゃがんでくれる?」
「何だよ急に……これでいい?」
私の隣に、膝を付くフォールス。私は椅子を後ろに引いて、座ったまま彼の方に体の正面を向ける。そして、彼の頭をそっと撫でて、言った。
「フォールス、ずっと頑張ってきたのね。あなたは何も悪くない。とても偉いわ。私は、いつだってあなたの味方よ」
「アステ……」
私を見上げるフォールスの顔が、悲しそうに歪んで、それから彼は、私の膝の上に顔を埋める。私は、そんな彼の頭を何度も撫でる。少し汗ばむ彼の頭も、私には愛おしくて仕方がなかった。
「これからはずっと私がそばにいる。私には何の力もないけれど、あなたが辛い時に慰める事はできる。私にとってあなたが支えになったように、私も、あなたにとってそういう存在になれるよう、頑張る」
そして私は、いつもフォールスがしてくれるように、彼の頭に口付けを落とす。彼の体が、少し震える。
「……ありがとう、アステ」
そうしてしばらく、顔を伏せたままのフォールスの頭を撫でるだけの、静かな時間が過ぎていく。
そして、ようやく顔を上げたフォールスが上目遣いに私を見る。彼は何かを決意したような表情をして、言った。
「……母に、君を紹介する。でも、結婚は僕と君だけの話だ、母に許可は貰わない。母に会う前に届けは出してしまう。……それでもいい?」
「ええ……それで構わない。でも、本当に大丈夫?」
「大丈夫。子供みたいに駄々こねて逃げ回るような姿を、君に見せる方が嫌だ。母がどんな考えだろうが、こっちが礼を欠くような真似をすれば、結局僕らが非常識という扱いをされて、僕だけじゃなく君まで変な目で見られる」
そう言うとフォールスは立ち上がる。
「これから母に面会の約束をとりつけてくる。君は署名をして待ってて」
「署名するのに、そんな時間はかからないわよ。今書いてしまうから……お願い、見守っていて」
「うん、分かった。見てる」
私は机に体を向け、姿勢を正して、ペンを手に取る。反対の手で紙をおさえ、ゆっくりとペン先をおろす。緊張で、手が震えてしまいそうになる。息を止める。そして、ペン先が紙を引っ掻く音だけが部屋の中に響く。
「…………書けたわ」
私は、名前をきちんと書き終えられた安心感に、大きく息を吐く。
「自分の名前を書くのにこんなに緊張したの、生まれて初めてだわ……」
フォールスの顔を見上げた私は、照れながら笑う。彼も、安心したような、照れたような、そんな表情で私を見る。
「僕も緊張したよ……ほら、手に汗かいてる」
「本当……ふふ……私もだわ」
お互いに手を触り合って、私達はくすくすと笑い合う。
「待たせてしまってごめんなさい。お母様との事、お願い」
「うん、任せて。じゃあアステ、僕が戻るまでくれぐれも寝たりしないように」
「ね、寝るわけないじゃない!もう!」
怒る私に、フォールスは怖い怖いと肩をすくめ、笑いながら部屋を出ていってしまった。
私は、絶対寝たりなんかするものか!と決意し、フォールスが戻ってくるまでひたすら体を動かし続けたのだった。
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