世界でたったふたりきり

森 千織

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プロローグ、陽炎の夜

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 寝ろと言われて閉じ込められた押し入れは、空気が淀んで、ひどく暑い。戸の隙間から、まっすぐな光が、狭い暗闇に差し込んでいる。眩しい白色が、大人二人の、悲鳴とも泣き声とも笑い声ともつかない声を連れてくる。くすぐったくて、むずむずして、いらつく声だ。母親の、まるで母親らしくない声と、ついこの前まで顔も知らない他人だった「父親」の声。きんきんと響く声が、頭蓋骨の内側をがりがりと削る。頭が痛いのは、それとも、酸素が足りていないせいだろうか。

「結合双生児、って、知ってる?」

 他人が父親になったと同時に「兄」になった他人の声が、狭い押し入れに響いた。まるで、面白いテレビ番組の話でもするように明るくて、だけど、かなりひそめたささやき声。空気が動いて、肌がさわさわと粟立った。

 兄って言っても、誕生日がたった二か月早いだけの、同じ十歳の子供だ。背はオレより少し高いけど、まるで女の子みたいな顔をしている。ぷくりとした頬、男の子としては少し長いさらさらとした髪。大きな目は色素が薄くて、押し入れの隙間から入る灯りに、きらきらと光った。血がつながっているはずの父親に少しも似ていないから、よく、「俺の子じゃねぇ」と言われて、殴られている。どこの誰に似ているのかも分からない兄は、にっこりと笑って、もう一度「結合双生児」と言った。

 こいつが兄になって、まだ、たったの三か月。このアパートに越してきたのも、同じころだ。それから、いったい何度一緒に、この押し入れに閉じ込められたんだろう。五月、六月、七月と来て、今日は八月七日。テレビで見た熱中症で死んだ子供のニュースが、もう他人事とは思えない。兄は汗だくで、真っ赤な顔をして、それでもなにも感じていないようににこにこしている。そんな顔で、いったいなんの話だろう。

「……双子のこと?」

 こいつは、いきなり突拍子もないことを言い出すやつだ。兄弟になって一月もすれば、なんとなくわかった。今までも、「太陽は、あと五億年でなくなって、地球は氷河期になるらしいよ」とか、「透明人間って、その人自身も、なにも見えなくなるんだって」とか、脈絡もなく、わけの分からないことを言い出していた。頭の中がどうなっているのか、全然分からない。そのくせ学校の勉強は得意だから、オレより、一つ親に殴られる理由が少ない。オレは、勉強が全然できない。

「そうなんだけど、もっと特別な。身体が、くっついてる双子」

 同い年の兄は、どこか得意そうな顔で言った。

「……なにそれ、ショーガイってこと?」

「うん、まあ、そうね。身体の、いろんな場所がくっついてるの」

 なんの話か、分からない。十歳の子供の口から出るには、「結合」も、「双生児」も、似つかわしくない難しい言葉だ。オレは勉強ができないし、大してものを知らない。「双生児」が分かったのも、お母さんに言われたことがあるせいだ。オレは腹の中では本当は双子で、出産のときに片割れが死んでしまったんだ、と。どうしてお前も一緒に死ななかったんだ、死ねばよかったのに、と。一卵性双生児、本当なら一人の人間になるはずの細胞が、二つに分かれて育った双子。

「腰とか、背中とか、あとお腹のところ? それから、頭が二つってのもあるみたい。うまく手術で分けられればいいんだけど、難しいところだと、そのまま大人になったり、赤ちゃんのときに死んじゃったりするんだって」

「腹の中で、うまく、ふたりにならなかったってこと?」

「そう! よく分かったね!」

 たった二か月先に産まれただけで兄貴ぶるこいつに、腹が立たないわけでもない。だけど、この暑さと息苦しさの前には、そんないら立ちに意味はない。本当に、これ、死ぬかもしれないな。だけど、オレたちはここから出られない。少なくとも、じゃれあっている二人が事を済ませて、寝入って静かになるまでは。オレを褒めて、わざとらしい笑い声をあげた兄が、からからの喉を押さえて咳き込む。とたんに、父親が「うるせぇぞ!」と吠える。びくりと震えた身体を、暑いのなんか忘れて引き寄せて、オレたちは息をひそめた。汗で濡れた肌が、まるでもともと一つだったみたいに、ぴたりとくっつく。

「大雅」

 消えてしまいそうな小さな声が、オレの名前を呼んだ。なに、と答えたかった喉ががさりと擦れて、今度はオレが咳をする。外の二人は、もうお互いに夢中で、今度は怒鳴られずに済んだ。

「オレたちも、そうだったらよかったね」

 なに言ってんだ、とか、そもそもが他人だろとか、産まれる前の話なんてまるで死ににいくみたいで縁起悪ィよとか、声はもう出なかった。朦朧とした意識の向こう、かすんだ視界の真ん中で、玲央が小さく笑ったのが見えた。
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