1 / 8
プロローグ、陽炎の夜
しおりを挟む寝ろと言われて閉じ込められた押し入れは、空気が淀んで、ひどく暑い。戸の隙間から、まっすぐな光が、狭い暗闇に差し込んでいる。眩しい白色が、大人二人の、悲鳴とも泣き声とも笑い声ともつかない声を連れてくる。くすぐったくて、むずむずして、いらつく声だ。母親の、まるで母親らしくない声と、ついこの前まで顔も知らない他人だった「父親」の声。きんきんと響く声が、頭蓋骨の内側をがりがりと削る。頭が痛いのは、それとも、酸素が足りていないせいだろうか。
「結合双生児、って、知ってる?」
他人が父親になったと同時に「兄」になった他人の声が、狭い押し入れに響いた。まるで、面白いテレビ番組の話でもするように明るくて、だけど、かなりひそめたささやき声。空気が動いて、肌がさわさわと粟立った。
兄って言っても、誕生日がたった二か月早いだけの、同じ十歳の子供だ。背はオレより少し高いけど、まるで女の子みたいな顔をしている。ぷくりとした頬、男の子としては少し長いさらさらとした髪。大きな目は色素が薄くて、押し入れの隙間から入る灯りに、きらきらと光った。血がつながっているはずの父親に少しも似ていないから、よく、「俺の子じゃねぇ」と言われて、殴られている。どこの誰に似ているのかも分からない兄は、にっこりと笑って、もう一度「結合双生児」と言った。
こいつが兄になって、まだ、たったの三か月。このアパートに越してきたのも、同じころだ。それから、いったい何度一緒に、この押し入れに閉じ込められたんだろう。五月、六月、七月と来て、今日は八月七日。テレビで見た熱中症で死んだ子供のニュースが、もう他人事とは思えない。兄は汗だくで、真っ赤な顔をして、それでもなにも感じていないようににこにこしている。そんな顔で、いったいなんの話だろう。
「……双子のこと?」
こいつは、いきなり突拍子もないことを言い出すやつだ。兄弟になって一月もすれば、なんとなくわかった。今までも、「太陽は、あと五億年でなくなって、地球は氷河期になるらしいよ」とか、「透明人間って、その人自身も、なにも見えなくなるんだって」とか、脈絡もなく、わけの分からないことを言い出していた。頭の中がどうなっているのか、全然分からない。そのくせ学校の勉強は得意だから、オレより、一つ親に殴られる理由が少ない。オレは、勉強が全然できない。
「そうなんだけど、もっと特別な。身体が、くっついてる双子」
同い年の兄は、どこか得意そうな顔で言った。
「……なにそれ、ショーガイってこと?」
「うん、まあ、そうね。身体の、いろんな場所がくっついてるの」
なんの話か、分からない。十歳の子供の口から出るには、「結合」も、「双生児」も、似つかわしくない難しい言葉だ。オレは勉強ができないし、大してものを知らない。「双生児」が分かったのも、お母さんに言われたことがあるせいだ。オレは腹の中では本当は双子で、出産のときに片割れが死んでしまったんだ、と。どうしてお前も一緒に死ななかったんだ、死ねばよかったのに、と。一卵性双生児、本当なら一人の人間になるはずの細胞が、二つに分かれて育った双子。
「腰とか、背中とか、あとお腹のところ? それから、頭が二つってのもあるみたい。うまく手術で分けられればいいんだけど、難しいところだと、そのまま大人になったり、赤ちゃんのときに死んじゃったりするんだって」
「腹の中で、うまく、ふたりにならなかったってこと?」
「そう! よく分かったね!」
たった二か月先に産まれただけで兄貴ぶるこいつに、腹が立たないわけでもない。だけど、この暑さと息苦しさの前には、そんないら立ちに意味はない。本当に、これ、死ぬかもしれないな。だけど、オレたちはここから出られない。少なくとも、じゃれあっている二人が事を済ませて、寝入って静かになるまでは。オレを褒めて、わざとらしい笑い声をあげた兄が、からからの喉を押さえて咳き込む。とたんに、父親が「うるせぇぞ!」と吠える。びくりと震えた身体を、暑いのなんか忘れて引き寄せて、オレたちは息をひそめた。汗で濡れた肌が、まるでもともと一つだったみたいに、ぴたりとくっつく。
「大雅」
消えてしまいそうな小さな声が、オレの名前を呼んだ。なに、と答えたかった喉ががさりと擦れて、今度はオレが咳をする。外の二人は、もうお互いに夢中で、今度は怒鳴られずに済んだ。
「オレたちも、そうだったらよかったね」
なに言ってんだ、とか、そもそもが他人だろとか、産まれる前の話なんてまるで死ににいくみたいで縁起悪ィよとか、声はもう出なかった。朦朧とした意識の向こう、かすんだ視界の真ん中で、玲央が小さく笑ったのが見えた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる