その溺愛は行き場をさまよう

七天八狂

文字の大きさ
45 / 54

45.下僕の一撃

しおりを挟む
「志信、いい加減離れなよ」

 室内に八乙女の声が反響していたせいか、呆れた顔の悠紀が近づいてきた。
 
「うるさいな。ぼくが一番愛している人は雅紀くんなんだ」

 これから生涯の愛を誓う相手に向かって、なんてことを。

「……はいはい。それでもいいけど、叔父様や叔母様がいるんだから、ちょっとは跡取りらしくしなよ」
「おま、おまえに指図されたくない」
「じゃあ、指図されないようにしてよ。御曹司なんだから所作くらい心得てるでしょ」
「は? そんなの当然だ……ただおまえに言われたくないんだ」
「言われるまでもなくしっかりすればいいでしょ? あ、生田さん」

 悠紀が声をかけてきた。その手には猛獣を抑えるかのごとく八乙女の腕を引いて押さえつけている。

「……はい」
「志信はこれから挨拶まわりに行かなければなりませんので、もしでしたらお兄様と合流なさってはいかがですか?」

 悠紀は、控室のドアを指し示しながら言った。

「あ、でもお祖父じいさんと一緒なんじゃ……」
「いえ、お祖父様は賓客の方々とご一緒しております」
「そうなんだ、じゃあ透を探してみようかな。ありがとう」
 わずかに緩んだ手の拘束からするりと抜け出す。
「あっ、雅紀くん……」
「ほら、もう行くわよ」
「だから指図するなって」

 悠紀は話に聞いていた印象とはまるで違っていた。演技をしていたというのだから当然とはいえ、思っていたよりもしっかりした女性のようだ。
 あの八乙女を唯一狼狽えさせる久世の妹は、唯一手綱を取れる相手なのかもしれない。
 なんだかんだ夫婦らしく見えてきた二人に挨拶をして、親族控え室を出た。
 ロビーへと向かいながら久世にLINEを入れると、すぐに返信があり、相馬とともに別のフロアのラウンジにいるからそこで待っているとあった。
 まだ式までには二時間近くあるため、のんびりと父子の時間を過ごしているのかもしれない。多忙な二人にとっては、この待機の時間はいい機会なのだろう。
 ラウンジへと向かう途中に、喫煙スペースを見つけたので、一服がてら寄り道をしていくことにした。
 すると「雅紀」という声がして、反応する間もなく腕を引っぱられた。

「会いたかった」

 まったく見覚えのない男性が、目を潤ませてのぞき込んできた。
 しかも、強引にも掴んできた腕をさらに引き、柱の影となるほうへと連れて行こうとしている。
 
「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 普段なら、見知らぬ相手が知人である素振りを見せてきた場合、こちらも知っている風を装って、なんとか相手の名前を聞き出すものだが、失礼にもほどがある態度を取られた場合は別だ。

「ああ、これが俺のもとの顔なんだよ」

 その言葉で、まさかとぞっとした。
 顔だけでなくぽっちゃりとした体格にも見覚えはなかったが、その声に聞き覚えがあることと、馴れ馴れしいほどの態度からもしかしてとぴんときた。

「相馬さん?」

 ハーフらしい彫りの深い顔立ちは、見知った昴のそれではない。しかし、どことなく久世に似ているし、なにより相馬の面影がある。

「どんなに女を……男も抱いてみたけど、満足できないんだ。なあ、あのとき悦んでいただろ? 俺のが恋しくないか? 透のよりもでかかっただろ」

 言いながら昴は抱きしめてきた。
 おいおい、ふざけんな。
 腕から抜け出そうともがくも、筋肉にくわえて贅肉も上乗せされたその身体はびくともしない。
 
「フランスへ帰ったはずじゃなかったんですか?」
「帰ったけど、雅紀のいないフランスにいても意味がないだろ? 俺のことが恋しくなった頃だと思って飛んできたんだ。久世家の結婚式があるって聞いたから、ホテルならそのまま二人きりになれると思ってな」

 バカげた理由を聞いて絶句してしまう。
 
「舌は治った? キスしてもいい?」
 
 あのときの記憶が蘇って、全身がぞっと粟立った。
 
「するかよ。放せ」
 
 めちゃくちゃにもがいてみたものの、やはり何の抵抗にもならない。
 久世に倣って真面目に筋トレでもしていればよかった。いや、異国の血のせいか上背があるから、そもそも敵わない?などと考えつつ、迫りくる昴の唇から逃れるため顔を背けたとき、こちらへ近づく人影が見えた。
 
「雅紀に近づくな」

 久世の声とともに軽い衝撃があり、つかまれていた腕の力が緩んで突如解放された。

「おま、透? ……え?」

 声のするほうへ目をやると、昴はフロアに尻もちをつき、片頬を手で押さえながら驚愕の顔で弟を見上げていた。

「もう日本へはいらっしゃらない取り決めです。それに、雅紀の前にも二度と会わないことをお約束いたしましたよね?」

 淡々とした口調で言うこの愛する男が、目の前でわなわなと震える男の口の端に、赤い血をしたたらさせたのだろうか。
 
「お、おれはおまえの兄だぞ? 異父じゃない。実の兄だ」
 昴は言いながら立ち上がり、ふらふらと近づいてくる。
「関係ありません。お帰りください」
 久世は自分のまえに立ちふさがるように、そばへ近づいてきた。
「実の兄を殴るなんて、なんてことを……」
「雅紀に近づくおつもりなら、もう一度殴ります」
「は……いや、雅紀は」
「名前を呼ぶな」

 昴の言葉にかぶせて言った久世の声に、思わず肩を震わせた。一段低くなったその声音は、一言で場の空気をしんとさせるほどの鋭さがあった。

「なんでおまえにそんなことを言われなきゃならないんだ?」

 昴も驚いたのか、威勢よく言ったその声はかすかに震えている。

「雅紀を傷つけたやつは、実の兄だろうと許さない。名前を呼ぶどころか顔も見せるな。もし次にその顔を見たら殺してやる」

 その言葉に昴は、ぱくぱくと音にならない声をあげた。
 久世は凄みを見せているわけでもなく、ただ淡々と告げているといった口調なのだが、低く明瞭なそれは、むしろ凄む以上に威圧を感じる。

「……お帰りください」
「な……なんだと、偉そうに……家出なんて夢物語しか提案できないおまえに言われたくない。おまえなんて雅紀に任せきりで、姫のごとく守られていただけだろ?」
「姫ではありません。下僕です」
 久世は言いながら昴のほうへ近づいていく。
「あ? 下僕? 下僕としても力不足じゃねえか。俺なら雅紀を……なんだよ」
 淡々とした足取りで近づいた久世は、昴の胸ぐらをつかんだ。
「二度と呼ぶなと言っただろ」
 同じ体格、いや脂肪のせいでやや昴のほうがふくよかになっているが、久世は軽々と昴を持ち上げている。
「……もう一度殴る気か?」
 昴は顔を強張らせながら問いかけた。
 しかし微動だにしなかった久世を見て、怯んでいた顔をきょとんとさせ、「はっ」とおかしげに笑った。
「ビビリめ。おまえにできることなんてない……結婚せず済むことになったのも、Papaや悠紀の旦那に雅紀が頼んだお陰だろ?」
「……俺は久世グループに入る」
「入る? 入ってどうする? 会長を継ぐのは悠紀の旦那だろ?」
「ようやくご納得いただけた」
「なにを……要領のわるいやつだな。はっきり言えよ」
「……お祖父様を説得して、後を継ぐ代わりに独身のまま恋人と添い遂げてもいいとお約束いただけた」
「は?」

 昴と同時に自分も間抜けな声を上げてしまった。
 何言ってるんだ?

「後って志信さんはどうなるんだ? 恋人って、久世首相にも僕のことを話したのか?」
 
 口を挟まずにはいられなかった。
 久世が今の仕事をやめて、八乙女の部下となることは聞いていた。しかし、それは単に自分の代わりに後継ぎとなった妹婿を支えるためだと思っていた。
 しかも、娘の再婚相手にも渋っていた一番の難関を相手に、同性の恋人がいることを打ち明けるなんて、正気の沙汰ではない。
 
「ああ。雅紀のことを話して、結婚できない理由は彼がいるからだと説明した。それと継ぐというのは、会社のほうではなく、政治家としてだ」
「はあっ?」

 いきなり思ってもみなかったことばかりを言われて、理解が追いつかない。
 つまり、首相になるということなのだろうか。
 というか、恋人と添い遂げるってなんだ? 相手は同性だぞ? そんなことできるのか?

「嘘ついて誤魔化そうとするな」

 昴も信じられない様子で、胸ぐらを掴まれていた久世の手を振り払いながら言い捨てた。

「嘘ではない。雅紀に近づくな」
「嘘つきはそう言うんだ。だいたいおまえなんかが説得できるわけないだろ?」
「俺一人ではない。母とだ」

 母と。
 それを聞いてまたも疑問が浮かぶ。

「恭佳さんと説得したってこと?」
 
 久世はもちろんだが、母のほうにもそんな素振りはいっさいなかった。八乙女が妹婿になることが決まるまでは、昴の行状があってから、なおのこと家を出るよう詰め寄ってきていたくらいである。
 久世に困惑の目を向けると、彼は「ああ」と思い当たったような表情を見せた。
 
「家出というのは、その、カモフラージュで……隠していてわるかった」

 隠していた? 嘘をつけないはずの久世が……いや、これも口にしなければ嘘にならないというやつなのだろうか。
 
「なんで隠してたんだよ。言ってくれたら……」
 
 言ってくれたら無茶な真似はしなかったのに、と言いかけて、嘘をついていたのは自分のほうだと思い出し、口をつぐんだ。

「半年もかかってしまって、申し訳ない」 
「……恭佳の考えそうなことだ」
 
 久世の声のあと、それ以上に穏やかな声がして、静かに相馬が現れた。
 
「Papa?」

 頬を腫らして真っ赤になっていた昴の顔は、一気に青く染まった。

「上手くいかない可能性のほうが高いから、決まるまでは隠しておきたかったんだろう。……それより昴、なぜ日本へ来たんだ? 来ない約束だっただろう?」
「あの……」
「透、ここはいいから雅紀くんと先に店へ行っていなさい」
 
 穏やかな目がこちらへ向いた。驚きで身体を震わせてばかりの自分や昴とは裏腹に、相馬も久世と同様、落ち着き払っている。

「わかりました。ですが、取り決めは確約させてください」
「ああ。面倒をかけて悪かったね……雅紀くんもごめんね」
「いえ……」

 昴は父に肩を抱かれて、お縄になったかのようにうなだれた……かに見えたのだが、その性根は思ったよりも図太いようで、弟からの一撃と父の登場だけでは済まなかったようだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ
BL
「ずっと、ずっと好きだった」 魔王討伐の祝宴の夜。 英雄の一人である《盗賊》ヒューは、一人静かに酒を飲んでいた。そこに現れた《勇者》アレックスに秘めた想いを告げられ、抱き締められてしまう。 酔いと熱に流され、彼と一夜を共にしてしまうが、盗賊の自分は勇者に相応しくないと、ヒューはその腕からそっと抜け出し、逃亡を決意した。 その体は魔族の地で浴び続けた《魔瘴》により、静かに蝕まれていた。 一方アレックスは、世界を救った栄誉を捨て、たった一人の大切な人を追い始める。 これは十年の想いを秘めた勇者パーティーの《勇者》と、病を抱えた《盗賊》の、世界を救ったあとの話。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら兄たちに溺愛されました~

液体猫(299)
BL
毎日AM2時10分投稿 【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸に、末っ子クリスは過保護な兄たちに溺愛されながら、大好きな四男と幸せに暮らす】  アルバディア王国の第五皇子クリスが目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。  巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。  かわいい末っ子が過剰なまでにかわいがられて溺愛されていく──  やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな軽い気持ちで始まった新たな人生はコミカル&シリアス。だけどほのぼのとしたハッピーエンド確定物語。  主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ ⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌ ⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。 ⚠️若干の謎解き要素を含んでいますが、オマケ程度です!

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。 発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。 そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。 第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

処理中です...