悪役令嬢ですが、婚約破棄されたので実家に引きこもる予定だったのに…

東雲れいな

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春の陽光が王都の大通りを金色に染め、街には新たな季節の息吹が満ちていた。

クラリスはその日、学術院の新設棟「幻術記憶研究室」の開所式に招かれていた。

これまで彼女が語り、記録してきた“幻”の数々――その中から選り抜かれた記憶が、ついに学術的に整理・保存され、未来の研究者たちに向けて公開されるのだ。

「……あなたがいたからこそ、この棟は建ったのです」

主任研究員として任命されたミュラー教授が、式典の挨拶でそう語った。

「幻は、消えるものではなく、“語り直されることで未来を創る”。  
 この研究室は、その再生の場となることを目指します」

クラリスは静かに壇上に立ち、祝辞を述べた。

「私は、記録とは“閉じるための蓋”ではなく、“開くための扉”だと思っています。  
 だからここに集められた記憶は、ただの資料ではありません。  
 これは、誰かが一度失いかけた声であり、祈りであり、希望なのです」

会場には、かつて幻を語った者たちの姿もあった。  
少女だった語り部は今や青年に成長し、自ら新たな“語る場”を立ち上げているという。  
元神殿職員だった女性は、語り部支援の書記官として働き始めた。

――クラリスの“語り”は、もう彼女一人のものではなくなっていた。

式典のあとは、研究室内部の見学が許された。

壁一面の記憶書架には、実体化された幻の結晶が収められ、閲覧者が幻術を通してその一端を体験できるようになっている。

「これは……“語りの痕跡”そのものなのね」

「はい。幻を可視化した断片は、“記憶の遺構”とも呼べます。  
 クラリス嬢が記録した語りが、こうして他者の学びに繋がるのです」

研究員の説明に、クラリスはそっと一冊の記録に触れた。

それは、かつて自分が語った“母の幻”。

白い庭、微笑む母、そして「語りなさい」と手を差し伸べたその姿――  
今では、誰でもそれを追体験できる“記録”として残されている。

「……母様、やっとあなたの声が、“誰かの耳”に届くようになったのね」

その時、ユリウスがそっと隣に現れた。

「これが、“語られた幻”の完成形かもしれないね」

「ええ。そして……“誰かの幻”がこうして他者の未来になったとき、記憶はついに“物語”になるのよ」

ふたりの視線の先には、新たに設けられた展示区画があった。

その入口には、クラリスの言葉が記されていた。

《幻は、語られる限り消えない。  
 それは記憶であり、祈りであり、希望である。  
 ――記録者 クラリス・フォン・ラウエンシュタイン》

誰かがかつて、語れなかった言葉を。  
今では誰もが、手に取り、感じ、そして受け継いでいける。

幻が語られた時代は、終わったわけではない。

それは今も――静かに、広く、そして未来へと記され続けていた。
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