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4.大切な場所と、街の人達。
4#1 鳴琴(旧#1+#2+#3)
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ホロリ、ホロン、チリン――。
気怠(けだる)い午後の日差しが差し込む狗尾亭(えのころてい)の二階の一室に、俺はいる。
斜めに突き立った陽光をスポットライトに埃が踊るのを見ながら、綺麗に整えられたベッドに上半身を預け、腕枕でその音色に耳を澄ます。
ホン、ホロロン、ホロリ――。
透き通り、どこまでも無垢なオルゴールの音色が、グチャグチャととりとめもなく溢れ出す記憶に色彩を付けてくれる。
どれもこれも、思い出し過ぎて擦り切れたような記憶ばかりだ。それなのに思い出す度に新たな色彩が加えられ、気付かなかった発見がある。不思議だった。
その不思議を楽しむように、俺はあれからずっとここでこうしている。
『根絡みの大空洞』でオークキングの策謀を叩き潰し、ジノとヒャラボッカちゃんを救出してから一週間弱。
主のいなくなった部屋でそのオルゴールを見つけ、時を忘れて聞き入るようになったのはどれくらい前の事だろうか。昨日の事のようにも何年も前の事のようにも思える。
その音色はキャリンの故郷の民族楽曲なのだと、部屋の片付けに来たジノが教えてくれた。本来は太鼓と弦楽器で軽妙に奏でられる舞踊曲らしいが、どこかの酔狂がそれを捩じ巻き式のオルゴールに仕立てて商品にしたところ物の見事に売れなくて、安く下町に流れてきたのをキャリンが気に入って購入したものだという。
陽気な調べも、金属が爪弾く硬質で透明な音色の中ではどこか物寂しい。キャリンはそのギャップを気に入っていたんじゃないかと、寂しそうに言ったジノはこのオルゴールを残していってくれた。
俺の部屋と変わらないワンルームだが、あらかたの荷物が運び出された一室はガランとしてまるで別の空間に見える。
残っているのはベッドとサイドボードとこのオルゴールだけ。
最初こそ嗚咽を堪えて聞いていた音色も、今では耳が聞いているのか頭の中で鳴っているのかわからないくらい馴染んで、感興も薄くなっている。
そりゃそうだろう。質素な埋葬式からこの方、食事と睡眠とトイレ以外はずっとここでこうしているのだ。ヘビロテにもほどがある。
だけどこれがキャリンとの最後の縁(よすが)だと思うと離れがたくて、気が付くといつもここにいた。
ジノだけじゃなく、リリカやルルといった仲間や管理人のクリエラさんにまで気を遣わせているのは知っている。
今も、扉を開け放った入り口のドア枠に背中を預け、キセルを燻らせるクリエラさんは、小難しい顔でただただ俺を眺めていた。
「ごめんね、クリエラさん……あたしがいたら最期の片付けが出来ないのはわかってるんだけど、どうしても落ち着かなくて……」
床に横座りし、ベッドに頭を横たえたままでも入り口のその姿は視界に入る。
真っ赤な紅を引いた唇が輪の形に開いて、紫煙がポワッと広がった。見事なドーナツ型の煙だった。
「別に新しい入居者が待ってるわけでもなし、アタシは構わないんだけどね……みんな心配してるよ」
わかってる。わかってるけどどうしようもないから、会わせる顔が無い。
答えようもなくて黙っていると、
「ウチ中が辛気臭くて堪んないんだよ。アンタも冒険者なら、気持ちの切り替えスイッチくらい作っときな。これに懲りたらね」
叱るように言って姿を消す。口調は少し厳しいが、今は優しくされるよりも厳しめの言葉が心地よい。クリエラさんだからこそ、その辺を察してくれている気がする。
一日一回はこうして俺の様子を確認して、それとなく気配りしてくれているのは流石の俺でも気付いていた。
他のみんなだってそうだ。リリカは時間があれば俺のそばで黙ってオルゴールを聞いていてくれるし、ルルも差し入れにお菓子を持ってきてくれたりする。おかげでここのところ体重が心配だ。
ガーラは『そのうち勝手に立ち直る』なんて放言してると、ルルが不満そうに教えてくれた。
そういえば、ガーラがここのところ俺達と一緒に行動しなかったのは、どうやら俺が思っていたよりもちゃんとした責任感がガーラにあった為らしい。
修繕費や迷惑料に費やしたお金を丸々取り戻すために、昔の伝手(つて)を頼って危ない橋を渡っていたのだという。
それで一体どれだけ稼いだのかは知らないが、水臭い話だ。俺達も協力させてくれればもっと稼げただろうに。
ずっと、こんな感じだ。
自分が周りに心配をかけているとわかってて、それでも自分の気持ちを立て直せなくて……だけど実は、最初ほどの激しい悲しみも悔しさも鳴りを潜めた気がする。取り留めはなくとも思考は落ち着いてるからだ。
ただこうしていたいからこうしている。どうしてこうしたいのかは、自分でもわからない。
もしかしたら、周りが優しくしてくれるから甘えているのかもしれない。
もしかしたら、悲劇のヒロインを気取って自己満足に浸っているのかもしれない。
もしかしたら、ぐうたらするのに慣れちゃって、これからの目標が曖昧だから動けないだけかもしれない。
どれもがありそうで、どれも違うような気がする。
わからない。
わかるまで、こうしてたい。
こうやって、キャリンの思い出とじゃれ合っていたい。
それだけは、はっきりと自覚している。
これじゃあ駄目だってのは、わかってる……これはアマルのシューの時と似てる感じだ。
このまま目的を見失っちゃったら、またズルズルと変な方向に流れていくかもしれない。でも、いかないかもしれないし――って、こういう考え方が駄目なんだろ……。
考えなきゃいけない事は沢山あるんだから、一つずつ考えてみよう。
優先すべきは……やっぱり、『あの力』についてか。
結局あれから、『あの力』は一度も発動していないし、『あの声』も聞こえない。
あの力――呼び名が無いと不便だな……『あの声』は俺が絶望した時、『この力』で獣になると言っていた。仮に『獣の力』とでも呼んでおこうか。
獣の力の最初の発動は、恐らく十歳の時。レッサードラゴンに強烈なエーテルを叩き込んだ時だ。あの時は自分の声なのに自分のじゃない言葉が出てきて、俺の知らないエーテルの使い方でレッサードラゴンに致命傷を与えた。
つらつらと思い返してみるに、アマルのシューの最期にも、この力が関わっていたんじゃなかろうか?
そうでなければあんな化け物じみた殺し方を、落ちこぼれの俺がしてのけられるはずもない。
つっても、実はオークキングの時もアマルのシューの最期の時も、どうやってどんな風に獣の力を使ったのか、具体的にはよく覚えてないんだよな。
俺の『こうしたい』『ああなったらいいな』って意識を『あの声』が拾い上げて近い形で実現してくれてるって感じだった。
つまり獣の力は正しくは俺の力じゃないってことか……?
だけど獣の力が顕れる時はいつも俺のピンチで、この上なく力を欲している時だ。
俺を助けてくれる、俺の内側の力。俺の内側の『あの声』の主が貸してくれる力。
じゃあ、俺の内側の誰かって、誰だ?
はっきりわからないのは薄気味悪いが、少なくとも俺に敵意を持っている感じはしない。
それは今回、その存在をしっかり認識して確信した。
力の主は俺に好意的で、しかも女の子っぽかった気がする。
なんか……俺、もしかして、今すごい事になってないか?
実家は王家に連なる金持ちで、自分で言うのもなんだがかなり美少女で、多重門晶保持者(ダブルスタンダード)で、門晶強度が常人の倍あって、過去生の記憶を持ってて、武術にも長けている。
ここに更に自分の望む結果を導き出せる、理不尽な獣の力まで加わったわけだ。
とても一般人とは言えないシンギュラリティのオンパレード。まさしく主人公に相応しい、というかなんかもうここまでくると逆に主人公の前に立ち塞がる強敵ポジションな気すらするチートっぷりだ。
一体、俺って存在は何者なんだろうか……なんて自問が浮かぶけど、これは自分に対する恐れというよりなんだかスゴイ事になってる期待からだな。
いやだって実際問題、こんだけ色々出来たら楽しくもなるだろ。特に獣の力。発動すればほぼ無敵だぜ? 安定した発動方法を知らないんだけど。
ま、不安が全くないわけじゃないけどさ。
こんだけ理不尽な力に、反動というか代償が無いってのは考え難い。
いやまあちょっとゲーム脳だなぁとは思うけど、気が付いた時にはその代償で身体がボロボロでした。なんてゴメン被りたい。考えるだけなら誰かに迷惑かけるわけじゃないしな。
さりとて、何かそれっぽい不具合を感じてるかと聞かれれば、特にそんなものはないんだよなぁ。
獣になるとか世界が消えるとか、『あの声』は物騒なこと言ってたけど、今のところそんな気配はない。
小鳥が囀りながら飛んでいく窓の外を見るとはなしに見た。世は並べて事も無しって感じだ。
使い過ぎたらそうなるのかもしれないけど、基本的に管理は『あの声』がしてるのか俺の意志じゃあ発動しない。つまり、俺が望んで世界を滅ぼすような事は出来ない仕組みってことだ。『あの声』が強制的に俺に使わせるんなら話は別だけど、むしろ逆に使わせたくない感じすらしてたしなぁ。
自分で自由に使えないのは不便だけど、安全弁があるって考えればそれはそれでアリか……。
なんにしろ、あんまり頼りにしない方がいい力だってのは間違いなさそうだなぁ。
ちぇ、ちょっと残念……。
そこで思考がいったん途切れた。だからって何かすることがあるわけでもない。
いや、オルゴールのゼンマイが戻って、曲が終わっていた。それを巻き締めるその間、なんとなく視線を部屋の中に漂わせる。
使い古されたレンガ積みの壁はあちこち漆喰が剥げ落ちて、何とも言えない風情を醸し出している。板張りの床は家具の足が擦れた傷だらけで、中にはなんだかよくわからない染みもあった。
全部が全部キャリンの痕跡ではないだろうが、この中のいくつかはキャリンが残していったのかと思うと、我知らず溜息をついていた。
ネジを巻き終えた。サイドボードに戻すと、躊躇いがちな音色が部屋の中の空気を震わせ始める。
もう一度、ぐるりと部屋を見渡してからガラス窓に視線を戻そうとして――扉が閉じられた入り口に視線が急転回する。
誰か立っていた。誰かじゃない。あの佇まいはエリサだ。
気付きと理解はほぼ同時だった。さして広くもないワンルームの中、五メートル程度の距離で見間違うはずもない。
ヒラヒラとした長衣に身を包み、長い癖っ毛を流して垂らした前髪で目元を隠したその姿は二週間近く前に会ったエリサと全く変わらなかった。
前触れもなく姿を現した事も驚きだが、それより気に掛かったのはその妙に強張った気配だった。
緊張というか、不安というか、あまり安穏とした様子ではない。どうした事だろうか……?
ふと思い当たることがあって、口を開く。
「オークキングは始末したわよ……これでもう、ルー=フェルが襲われることもない。あたしが逃げる理由も無くなったはずだけど……?」
「取り返しのつかないことになっちゃった」
少し、首を傾げたくなった。
その声は以前聞いたエリサの声そのままなんだが、どこかちょっと違っていた。
ニュアンスというか……声の出し方がずいぶんはっきりした気がする。そのせいだろうか。
「取り返しのつかない事って?」
「……ねえ、シュウ、覚えてる?」
俺の質問は無視して反問してくる。しかも質問の内容が大雑把すぎて意味が分からない。
「覚えてるって、何をよ」
「天堂宗(てんどうしゅう)の事」
その名を聞いた瞬間は、特にどうと言う事もなかった。懐かしい名前が出てきたな、とその程度だった。
その程度で済ましちゃいけないと気付いたのは、「それがどうしたの」と言い掛けたその瞬間だった。
『そ――』の形で唇が固まり、戦慄きすら感じた。
「な……んで……エリサがその名前を……?」
それは、俺の前々世の名前で、この世界(アステラ)に知る人の無いはずの名前。
それが、目の前の彼女の口から飛び出してきた。警戒しても、無理はないだろう?
エリサの事は信じたいけど、彼女の事を何も知らないのも事実なのだ。冒険者になって、その程度の警戒心が自然と養われていた。
立ち上がり、入り口に佇むエリサと真っ直ぐ向き合う。
「仁科(にしな)エリ、覚えてる?」
今度は開いた口が塞がらなかった。
俺の過去生の名前を憶えていて、更にあの少女の名前を出してくる人物でもっとも有力なのは――
「おま――君は……君が……仁科エリ、なのか?」
本人だろう。
自分の様子も感じ取れず、ただただ驚愕に侵された目を剥いて、上背の高いエリサの姿を観察する。
すると、プッと空気が漏れるような間抜けな音がした。エリサが、噴出したのだ。
「変な顔」
少し胸を張った立ち姿も、その反応も、明朗な声音も、姿形は全然違うのにまんま彼女だった。
エリサは、仁科エリだった。
エリサが……エリだった……。
「エリ……なんで……いや、どうして……いやその前になんで……」
聞きたい事、話したい事が多すぎて、こんがらがって、言葉にならない。
「あたし、覚えてた、エリの――」
「あたしってっ!」
流石に閉口した。
だって、他人が真剣に思いの丈をぶつけようとした矢先に、エリは堪え切れなくなったように腹を抱えて笑い出したのだ。
「いくら何でも失礼でしょ!」
「そう怒んないでよ、だって仕方ないでしょ、わたしの中のシュウは冴えない男の子なんだもん、それがまあ、こんな可愛くなっちゃって――ぶふっ! か、考えたら、また――」
ああ、もう……感動の再会を期待してたわけじゃないけどさ……いくらなんでもこれは予想の斜め上すぎるぜ……。
エリとの再会は俺の、シューレリアの人生の目的の一つでもあったわけで、それがこんな突拍子もなく、そしてあっさりと見つけちゃうなんてな……ちょっと、拍子抜けだ。
しかも会っていきなり大笑いされたし。なんか、腑に落ちない。
「あー、おかしい。ね、話が進まないから前みたいな口調で話してよ」
俺の腑に落ちようが落ちまいが、エリは持ち前のリーダーシップ――って呼べば良く聞こえるが、実際の所は傍若無人な強引さで話を進めてきた。
「はぁ……相変わらずだな、エリも」
「うんうん、その調子。やっぱその方がシュウらしい。わたしは断然こっちの方がいいよ」
そう言って浮かべた笑みがなんだかやたらと眩しくて、俺は思わず目を逸らしていた。
男言葉って、そういや久しぶりに使うな。ちゃんと使えるだろうか。中途半端だとオネエっぽくなりそうだ。
「色々と聞きたい事、話したい事はあるけどさ……まずは話を戻そう。取り返しのつかない事って、なんだ?」
馬鹿馬鹿しいやり取りのおかげで、今聞くべきことがいつの間にか整理されていた。まさかこれを狙って……なんてのは深読みしすぎかな。
「その前にわたしの話を聞いて」
……うん、きっと深読みのし過ぎだ。こいつ、俺の事なんて考えてないぞ、きっと。
折角の再会なのに妙に急き込むエリに鼻白んでいると、それを許可と受け取ったのか、エリはそのまま自分の話をし出してしまった。
「ここのところデジャヴというか、なんか思い出したいのに思い出せない、小骨が刺さったような感じとか、そんなのはない?」
はぁ……こっちの気も知らないで、自分の用件ばかり……俺がどんだけおまえのこと気にしてたか……恥ずかしいから言わないけど――。
「ないよ、別に。それがどうしたってんだよ?」
そんな事を考えてたら、思わず声に険が混じるのも致し方ないだろう。
「ううん、ないならいいの」
エリが首を振り、それであっさりとその話を終わらせてしまう。
訳が分からん。
「エリ、もうちょっと――」
文句を言おうとした矢先だった。
「会いたかったよ、シュウ」
どこか陰のある笑みでそう言われてしまっては、文句は引っ込めるしかなかった。
「……うん、俺もだ」
リリカがエリじゃないとわかってからなんとなくわだかまってた不満も、再会の呆気なさからくる物足りなさも、その一言で全部吹き飛んでしまった。
「今回は、ちゃんと頑張ってるみたいだね」
「おかげさまでな」
「見違えるくらい、良い顔してる。もう、冴えないなんて呼べないね」
「うん……エリはどうしてたんだ? こないだも会ったよな?」
のんびりとした会話が始まったからか、全身から急速に緊張が引いていく。すると立っているのが何となく落ち着かなくなった。
ベッドまで戻って腰かけると、その隣を軽く叩いてエリを促す。
「あんまり上等なベッドじゃないから固いけど」
エリは苦笑しただけでその場を動かなかった。
「こないだはね、なんだか寝惚けてたというか、まだちゃんとわたしじゃなかったから、名乗れなかったんだよね」
「わたしじゃなかった? どういう意味だ?」
「ううん、気にしないで。それより、今日は伝えたい事があって来たの」
なんだか話をはぐらかされた気もするが……エリの伝えたい事とやらを聞いてから改めて訊ねればいいか。
「伝えたい事って?」
「ルー=フェルが無くなるかもしれない」
「……は?」
その素っ頓狂な声が自分のものだったと、気が付いたのは数秒後だった。
その間、じっとエリの顔を見つめていた。きっと冗談か何かを言って俺を困らせようとしているんだと、すぐに笑み崩れて俺のことを笑うのだろうと期待していたが……沈黙の重さが増していくだけだった。
「そんな、だって……それってこないだの話だよな? それだったら俺がオークキングを倒したからもう大丈夫になったはずだろ」
「うん、シュウはオークキングを倒したよ。一体だけね」
「一体……だけ……?」
「ルー=フェルはね、今、八体のオークキングに狙われてるの。ううん、狙われてたの」
「あんなのが、八体も……?」
「今は七体になったけどね。でもそのせいで、他のオークキングが動き出した。こっちの予定よりも早く、そしてもう、こちらが準備した計略も効果がなくなった」
「……いや、待てよ……それ、俺のせいだってか……?」
「……シュウのせいだとは言わないよ。仕方のない成り行きだったと思う。そもそもが、協会の杜撰(ずさん)な管理体制が問題だったわけだし、なるべくしてなったとしか言いようがないよ」
目の前がチカチカと明滅する。血の気が失せたり昇ったり、吐き気がしてきた。
「なんだよ……それ……そんなの……じゃあ、キャリンの死も仕方なかったって言うのかよっ!?」
「それこそ、仕方ないでしょ。冒険者だもの、いずれこうなる事くらい、誰でも覚悟してるはずでしょ」
「そりゃっ、そんなのっ! そうだけどさっ! でも、だからって、そんな言い方、そんな言い方できるのは、おまえがキャリンの事を知らないからっ!」
「うん、知らない。知ってても、きっとわたしは見殺しにしたけど。そうしなきゃ、もっといっぱい人が死ぬもの」
「……はっ、どっかの希者様みたいなこと言うんだな」
吐き捨てた言葉にエリの唇が歪んだのを見たが、そんなものは意識の端にも引っかからず滑り落ちていった。
「シュウ、逃げて。ここは――ルー=フェルは戦場になる。命の保証なんてどこにもない、泥沼の戦場に」
立ち上がって、何をしようという考えも無しにエリの方へと爪先を向けて――その時だった、遠くから割れるような喧騒が轟いてきたのは。その声の壁に驚いて、窓の方を見遣る。
「まだ、オークが攻めてきたわけじゃない。ルー=フェル全体に退避命令が下ったの。民衆がその決定に不平を唱えてる。その集団が、暴徒になりかけてる」
「そんな……いつからそんなことにっ――!?」
振り返って、声を詰まらせた。
エリの姿が消えていた。ドアが開けられた形跡も気配もなく、エリは狭いワンルームから姿を消していた。
それこそ、どこぞの希者様のように。
「ちくしょう……なんだってんだよ……」
誰か、教えてくれ……キャリン……ルゥ婆……俺は、どうしたらいい……?
問うたところで答えをくれそうなものはもうない。エリがいたこの空間をいやに窮屈に感じて、俺はキャリンの部屋を出た。
どこに行くとも考えず、ただただ身体が動くままに廊下を歩き、騒がしい外を目指す。
とても疲れた。
そもそも『根絡みの大空洞』での疲労がいまだに残っていたところにそんな事実を告げられても、俺にはどうしようもなかった。
いや、違うな。どうしようもないんじゃない、どうすることも望まれてなかったんだ。
エリは俺に何かして欲しかったんじゃない。何の期待もしていないからこそ『逃げろ』と忠告してきたのだ。
まるで自分ならなんとかできるような物言いだった。
そういえば、エリが今までどんな風に生きてきたのか、聞きそびれたな。
とても町民みたいな格好には見えなかったから、冒険者や行商人でもやってるんだろうか。
名前もエリサとしか聞いていない。
リリカみたいに故郷を失くした訳でもないなら、姓にあたる名前くらいあってもよさそうなものだ。なんというのだろうか。
そんな風に取り留めもない考えを巡らせつつフワフワとした足取りで階段を降りて、広くはない店内を突っ切る。
そしてスウィングドアの向こうに見慣れた後頭部を見つけた。
「リリカ、そんなところに突っ立ってどうしたの……?」
「あ、シューちゃん……」
振り返ったリリカの顔は何かに怯えたように暗い影を落とし、胸の前で組んだ手が何かに祈っているかのようだった。
スウィングドアを押しやって外に出てみると、何やら通りが騒がしい。
いつもはひっそりとした薄暗い路地を、ひっきりなしに人が右往左往している。
それも町人も冒険者も職人も浮浪者も、区別なく泡を食ったように急ぎ足で通りを行く。心なしか右手側――下町の広場がある方向に向かう人が多いか。
そういえば、さっきエリと話してる最中に破裂した喚声が、大きくなり小さくなり尾を引いて聞こえてくる。建物に切り抜かれた狭い空を不気味にどよめかしていた。それも広場の方が発生源のようだった。
エリが今さっき言ったことを思い出す。
『ルー=フェルは戦場になる。命の保証なんてどこにもない、泥沼の戦場に』
この騒ぎがその先触れなのだろうか?
「――だったんだけど、わたしは知らなくて、それで――」
だとしたら俺は……。
「――だから、今ちょうどシューちゃんに知らせようと~……シューちゃん、聞いてるぅ?」
リリカの不満げな声で我に返る。
「え……ごめん、聞いてなかった」
「……どうしたのぅ? なんだかすごくぼうっとしてる~、シューちゃんらしくない~」
「ちょっと……寝惚けてるだけよ」
「そう、なの~? 本当にそうならいいんだけどぉ……」
「それより、この騒ぎは何?」
と言っても、さっきエリが言っていた退避命令に反対する民衆なんだろう。どんだけボケっとしててもそれくらいの察しはつく。
わざわざ聞き直したのはリリカの追及をはぐらかすためだ。あんまりしつこく聞かれたら、今の俺はいろいろと話しちゃいそうで厄介だった。
「えとね、わたしもよくは知らないんだけど~、広場の方に警邏(けいら)隊の人達が来たらしくて、そしたら急に下町の人達が広場に集まり始めて、向こうの方が騒がしくなったのよぅ。詳しい事は、ルルちゃんが見に行ってくれてるんだけど~」
そう言いつつ眼鏡の視線を人が集まっていく通りの方に向ける。俺もつられてそちらを見ると、ちょうど人の波に逆らってこちらへやってくるトンガリ帽子が目についた。
つば広の帽子に阻まれた通行人からひっきりなしに文句を言われつつ、ルルが狗尾亭(えのころてい)の軒先まで戻ってきた。
「ルルちゃんお帰りなさい~」
「ぉねぃさま……お外に出られたんですね」
ルルが大袈裟に目元を潤ませる。
引籠りの息子を見る母親みたいな視線がちょっと鬱陶しくって顔をそむけた。
「こう騒がしくちゃね……それで、どうだった?」
「どうもこうも、さっぱりですよ――」
そう切り出して、見聞きしてきたことを語ってくれたルルの話は、エリの言葉を裏付けるものだった。
「どうにかこうにか警邏隊が張り出した高札を見たら、『当市に火急の危難が迫っている。然るに、市民は当告知発布日時を以て即刻市内から退去、共王国ディ・セ郡へと移転せよ。これは国令である。』としか書かれてなくて、どうしてルー=フェルを立ち退かなければいけないのか理由がさっぱり書かれてないし、どうやら警邏隊の面々も知らされてないみたいなのですよ」
共王国ディ・セ郡とは共王国領内の町の名前だ。ルー=フェルから徒歩でいくと二日行程と結構離れている。途中に小さな集落もあるが、確かにルー=フェルの住人全員を収容するならディ・セ郡まで避難しないとまともな援助は受けられないだろう。
だけどなんでディ・セ郡一択なんだ? 南の皇玉国領レイシュレイ市であれば一両日中に到着できるはずだ。
高札にディ・セ郡の名前しか載っていないという事は、恐らくレイシュレイ市側の街道は封鎖されているのだろう。
「いくらなんでも理由も無しにいきなり出て行けと言われて、承服できるはずもありません。実際、詰め寄る市民と命令を守るしかない警邏隊の間で不信と不満が高まっています。今はまだ怒鳴り合いで済んでいますけど、何の拍子に暴徒と化すか……」
そうか、そういう事か……住民を退避させる理由は十中八九オークの侵攻だ。そしてそれにまともに対抗できるのは常駐の防衛軍だけだろう。しかし評議会が開催されている今、防衛軍も担当交代の為にディ・セ郡とレイシュレイ市まで後退させられている。次の担当は皇玉国だった筈だ。
つまり、レイシュレイ市側の街道を使わせないのは、ルー=フェル市民が列をなして防衛軍の急行を妨げないようにするためだ。
それにしたって、ちと乱暴だろう。理由も告げずに今すぐ出て行けなんて……行政都市とは思えない暴挙だ。
それもこれも、俺のせい、だってのか……?
俺がオークキングを倒したから、攻めて来るってのか……?
どうしてこうなった?
なんでそうなる?
こんなん納得できるか!
「誰か、わかるように説明しなさいよっ……!」
吐き捨てて、走り出す。
「ぉねぃさまっ!?」
「シューちゃん~っ?」
リリカとルルの声も振り切り、通りを急ぐ人達を押しのけて広場に向かう。
行ってどうしようなんて考えてなかった。
行ってどうなるという期待もなかった。
ただ、どうしようもなく知りたかった。
どうして俺ばっかり、こんなに悩まなくちゃいけないのか聞きたかった。
知っているのは、恐らくあいつだ。
エリク。あいつなら、俺が苦しむ理由を知っている気がした。
根拠なんてない。直感だ。
そしてあいつなら、きっと一番混沌とした場所に現れる。
今一番混沌としている場所……それはこのルー=フェルの街全部だ。
この街のあちこちが混乱と疑惑の坩堝と化し、混沌を呈している。その最寄りは下町広場。
だから俺は広場の中心、総督府からの知らせが張り出される広場の中心に向かおうとしていた。
近付くにつれて密度を増す人垣を強引に押しのけて進む。あちらこちらで罵声やら怒声やら聞くに堪えないヤジが飛び交う。
その中から聞き捨てならない話が漏れ聞こえてきた。
「おい、聞いたか。希者様がルーフェンス通りの冒険者協会でなんか発表するってよ」
「希者様が? んじゃあ、この馬鹿騒ぎの原因を話して下さるってか」
「かもしんねえな、行ってみるか」
俺は疑わずに身体の向きを百八十度回転させた。疑うだけの余裕すら、俺の心には無かった。
理不尽な怒りと無力感に最中を押されて、駆け出す。
「何事ですかっ?」
「シューちゃんってばぁ!」
追いかけてきていたリリカとルルの間を割るように通り過ぎ、今度は人の流れに逆らいつつルー=フェルの中央からやや西にある冒険者協会へと走る。
ここからだと北東方面か。広い馬車道はどこもこんな風に混乱した人でごった返しているかもしれない。そう思った俺は、知る限りの横道や裏道を駆使して冒険者協会の正面に出た。
そこもすごい人だかりが出来ていた。さっきの通りすがりの会話の信憑性が増す。
人だかりができるほどの何かが冒険者協会の会所先にある――つまり、この先にエリクがいる可能性が高いってことだ。
俺はこれまで人の波をかき分けてきたみたいに、黒山の人だかりへと果敢にも突撃を仕掛けたが、それがすぐに失敗だったと思い知らされる。
下町の人だかりはほとんどが町民、しかも貧相な形の人達ばかりだった。
しかしここは場所柄もあって屈強な冒険者や重武装の戦士が多くたむろしていて頑健だ、そのせいでなかなか人だかりの前列に出られない。
それどころか固い鎧と鎧の間に挟まれるわ、野郎の汗臭さに包まれるわ、逆にもみくちゃにされて進むも戻るも出来ない有様に陥ってしまった。
「ちょ、通してっ、通し――通しなさいってば! きゃあっ!? 変なとこ触るな!」
無理に押すとそれ以上の力で押し返される。繰り返しになるが、俺の得意分野は素早さを生かした撹乱戦法と剣と魔法のトリッキーな攻めだ。正直、腕力は並みの戦士以下しかない。ルルの強化魔法を受けてる時は別だけど。
押し合いへし合いしている間に身体のバランスすら失って、立ってるのか傾いてるのかすらわからなくなってしまった。
「シャレになっ! た、助けっ……!」
溺れた時みたいに人ごみの上に腕を突き出したその時だった。突き出した腕が誰かに優しく掴まれたかと思えば、一本釣りのように人垣の中から救い出されたのだ。
何が起こったのかわからないまま周囲を見渡すとそこはどうやら人ごみの最前列のようで、すぐそばに見覚えのある顔があった。耳まで真っ赤になるのが分かった。
寄りにも寄って、こんな馬鹿げた姿をタツミに見つけられるなんて……。
「災難でしたね」
タツミは爽やかに笑ってそう言った。俺の腕は助け出した時のように掴んだままだ。
恥ずかしさに声も出なくて俯く。
「タツミ、離したら?」
その隣にいた茶色い髪の少女がどこかつっけんどんな調子で言った。
えーと、確か、ミオちゃんだったっけ。タツミの妹の。
「あ、そうだね、これは失礼」
言われてまだ手を握っていたことに初めて気付いたかのように、タツミが慌てて俺の手を離した。
もうちょっと握ってても良かったんだが……なんかミオちゃんの刺すような視線が怖いので言わんとこ……。
二人はオフなのか、先日会った時みたいな具足鎧の冒険用装備ではなく一般的な普段着――と呼んでいいものかどうか……ミオちゃんはブルーのシャツにハーフパンツと至って普通なんだが、タツミは浴衣みたいな裾の長い紺の着物、いわゆる着流しルックでキリっと締めた赤錆色の帯に刀を差し落としている。こないだの大振りの飾太刀じゃない、普通の打刀だ。
はっきり言って、西洋ファンタジーな風景には浮きまくっている。まあ、ミオちゃんも何故かあのでかい箱を背負ったままなのでおかしいっちゃおかしいんだが。しかも周りの見物人が邪魔臭いその背負箱に悪態をついてもまったく気にしていない。強い心をお持ちのようで……。
「その……ありがとう、助かったわ」
とにかくまずは礼だと思い立ち、頭を下げる。
「気にしないで下さい。偶然見つけたのも、実際に助けたのもほとんどミオですから」
タツミが照れ臭そうに笑う。ミオちゃんが助けたと聞いてどんな風に助けてくれたのか気になって尋ねようとしたその矢先、タツミの表情が先んじて真剣なものに替わった。
「シュリアさんも、例の噂を聞いてこちらに?」
「シューでいいわ。例の噂って――」
そこまで聞き返して、思い出した。俺がここに来た訳を。
途端に、溺れかけたせいで忘れていた怒りを思い出す。
ガヤガヤ騒がしかった人ごみの喧騒が遠のく。
意識が一つの名前に集中した。
「エリクっ……!」
「御存じなんですね」
「あいつ、こんな所で何をやらかそうってのよ!」
不思議とタツミの声だけは狭まった意識の中にもスッと入り込んでくる。
俺は独りでに険しくなる目を冒険者協会の二階に向けた。
そこには少し広めのバルコニーがあり、もしエリクが大衆向けに何かを発表するとしたら、きっとあそこから見下ろしてくると思った。
「わからない。太夫の占いですら希者の思惑を計り知れなかった……何者なんだ、奴は……」
タツミが意味深に呟いたその時、思った通りバルコニーの上に人影が現れた。それも一人じゃない。二人、三人……四人。
その他にも数人いるが、この四人以外はバルコニーの入り口付近に控えて前に出てくる気配がない。遠目にもわかる上等な衣服から、冒険者協会のお偉いさんだろう。
前に出た四人は、ぶっちゃけ得体のしれない格好だ。というか、まとまりがない。
一番手前、バルコニーの手摺の前に立つのは、言わずもがなのエリクだ。
服装の印象は相変わらずヒラヒラしたマント姿って感じだが、今日のはいつものざっくばらんに重ねた木綿布と違い、折り目正しいドレープが見事な絹のマントを銀とエメラルドの留め具で肩に留めている。悔しいけど、良く似合ってると思ってしまった。
その後ろに並んで控える二人はエリクの仲間の戦士と門晶術士だ。
初めて目の当たりにする姿だが、俺はその二人を知っている。敵を知れば百戦危うからずってんでこっそり調べていたのだ。
まあ、こっそりも何もブロマイドみたいに一般的に売られてる姿絵の裏に、希者パーティのスペックは一通り書かれてるんだけど。
戦士の方は名前をシュメル・パシフィクという。ロールは俺と同じウェポンユーザー、クラス名は『双刃剣士(ブレイザー)』。その名の通り、二刀流の軽戦士らしい。
身体能力と戦闘技術もさることながら、彼の最も恐ろしい能力はその特殊能力(マイノリティ)であるという。付けられた名は『ライザー』詳細はわからないが、窮地に陥ると真価を発揮する能力だという。
シュメルは二十歳前後の偉丈夫で、背は高いが筋骨隆々というむさ苦しい印象はあまりない。鍛え抜かれた長剣のような逞しさだ。
簡素にしたプレートアーマーみたいな紅い金属鎧を着込み、両肩から黒い飾り布を一本ずつ垂らしている。胴部分だけとはいえそれでもだいぶ重いであろう鎧に身を包みながら、佇む姿にはどこにも力みが感じられない。歴戦の勇士って感じだ。
ただ、ちょっと彫の深い濃い目の顔に自信たっぷりの不敵な表情を浮かべた顔立ちは暑苦しい。長く伸ばしたぼさぼさの赤毛は荒れ地のようで、また暑苦しい印象を強くしている。
その隣、エリクを挟むように立つ門晶術士風の青年はテアトル・グランド。こちらも二十歳をいくつも越えない程度の若さで、なのにその立ち姿はまるで百年を生きた古老のような達観とも諦観ともつかない厳かな雰囲気を醸し出していた。
まるで老人みたいにシワシワで腰が曲がってるとかじゃないぞ。金の杖頭装飾が施された華美な杖を立ててはいるが、背筋はシャッキリ顔立ちもスッキリだ。
いやそれどころか……ちょっと、整いすぎじゃないか? ってくらい、顔がいい。
俺の好みじゃないから惚れた腫れたの話じゃないけど、でもだからこそ、別に好きでもないのに美形だと断言させる顔立ちは見物だ。
金縁の丸眼鏡を掛けた顔は見ようによって無垢な少年にも精悍な青年にも老練な壮年にも見え、その魅力が見る方の心持ちで千変万化する顔ってのが本当にあるんだなぁと感心させられる。
丁寧に切り揃えた深い青の艶やかな髪は凪の遠洋を思わせ、その下の顔は揺蕩(たゆた)うように静かに瞑目していた。
着ているものは術士というより学者といった方がいいような動きやすそうな格好だ。袖に金刺繍の施された白いチュニックに、これまた白に金縫いのハーフパンツ。パンツの下には青いタイツを着込んで、黒光りする高そうなブーツを履いていた。
ところで、なぜ最初に門晶術士と言い切らなかったのかというと、彼がただの門晶術士じゃないからだ。
テアトル・グランドは門晶術士であると同時に祈祷術士でもあった。
エーテルを変換する門晶術と、神の奇跡を希(こいねが)う祈祷術はその根本が全く違うものの、実は門晶を利用するという点では同じだ。
祈祷術も神と交信する際に門晶を利用する。故に、祈祷術を使用している最中は門晶術が使えないし、逆もまた然りだ。
結局どっちか一つしか使えないのであれば、一つに絞った方が効率的。それが一般的な見解だった。なので門晶術も祈祷術も修めている人間は少数派だ。
その少数派はちょっとした揶揄も込めて『賢者(ワイザー)』と呼ばれている。
門晶術も祈祷術もある意味学問であり博識を要求される。どっちつかずの愚かな行為をする博識という意味で、そう呼ばれるのだろう。馬鹿と天才は紙一重ってやつだろうか。
で、テアトル・グランドは天才の方なのだ。
彼は、門晶術と祈祷術を同時に使用できた。
何故なら彼もまた、俺と同じく多重門晶保持者(マルチアンカー)だからだ。
門晶として利用できる通路が二本ある。だから片方で門晶術、片方で祈祷術も使える。簡単な理屈だ。
多重門晶保持者(マルチアンカー)であるから当然晶種も二種類使え、風と土の門晶術をかなり高度に使用するという。
しかもしかも、こんだけ特殊技能てんこ盛りな上に特殊能力(マイノリティ)まで保持しているという多才振り。
特殊能力(マイノリティ)は『ゲイザー』。いわゆる未来予知だ。どのくらい先の事まで見通せるのかは、書いてなかった。
最後、三人から少し下がったところにひっそりと立つのは、一度だけあった事のある少女、シュユちゃんだ。
相変わらず白い着物に紅い袴という巫女さんらしい巫女装束に身を包んでいるが、こないだ見た時よりちょっと質が良くて高そうなものに見える。
無表情な面持ちも相変わらずで、どこか冷めた顔でバルコニー下の観衆に黒い瞳を向けている。
シュユちゃんに関しては能力に謎が多く、東方島嶼出身の祈祷術士っぽいロールだというくらいしか書かれてなかった。
双刃剣士(ブレイザー)のシュメル・パシフィク。
賢者(ワイザー)のテアトル・グランド。
鬼巫女(ヒモロギ)の伊佐那(いざな)シュユ。
そして、希者エリク・ノーラ。
この四人が、俗に『希者パーティ』と呼ばれる一行だ。
「冒険者の諸君!」
バルコニーから観衆を見下ろし、希者エリクノーラが気取った声を張り上げる。
「僕の呼びかけに応え、この場に参集頂いたこと、心から感謝する!」
いつものなよっとした猫撫で声じゃなく、朗々と響く力強い声だ。
聞く者に耳を傾けさせる何かがあるのは否めない。悔しいけど。
「諸君も承知の通り、今、このルー=フェルは未曽有の危機に瀕している――」
いつもの小馬鹿にするにやけた笑いは鳴りを潜め、切々と聞き手に訴える緊迫した顔で右を左を見ながら話す。
勿論、カンペみたいなものは持っていないし下も見ない。視線はあくまで聞き手に注がれている。大勢に何かを訴える事に慣れた、堂々とした態度だ。
一方、聞き手側はまだそこまでエリクの調子に同調はしていなかった。
どこか胡散臭そうな眼差しをエリクに向け、時たま隣の人と短いやり取りをしてエリクの言葉を批判しているようだ。
勿論、中にはエリクの言葉に真剣に耳を傾けている人もいる。だから、そういう温度差で観衆の間を妙な気配が漂っていた。
「総督府はこの危機の存在を早い時期から察知し、希者である僕に援助を求めていた。それが希者と認められた僕の務めであるからして、この援助を僕は二つ返事で請け合い、すぐに行動を起こした。ルー=フェルの市民に混乱を来さぬよう水面下で行動することは苦労の連続だったが、僕にとっては慣れた状況だ。事は順調に進んでいた……いたかに思えた!」
もったいぶった言い回しに、観衆は聴衆と化していった。
みんなやはりこの不透明な状況に対する不安が大きいのか、エリクの話が一歩また一歩と核心に近付くにつれてつりこまれていくようだ。
「だが状況はこうなった! 僕等の計画は破綻した! 議会の最中である現在、現駐留軍である共王国のセオドラス大隊はディ・セ群に。次期駐留軍である皇玉国の第八騎士団セレスティアはレイシュレイ市に。二軍は南北等距離に遠ざけられている。総督府は緊急で南の皇玉国に駐留軍の進発を打診したが、それとて一朝一夕にルー=フェルへ到達できるものではない。三日だ! 我々は三日の時間をこの脅威から稼がなければならない!」
聴衆の間をざわめきが走る。
「その為に! 総督府と監督府はルー=フェルが主戦場になる事を見越し、住民の避難を決定した。あくまでこれは苦肉の策だ、次善策だ。総督府とて本意ではない。しかし、こうせざるを得なかった。致し方なかった。諸君には総督府ひいては総督御自身の苦衷を察せられることだろう……そこで僕等が--いや、一介の冒険者として僕が為すべきは、街ではなく人を守る事だと確信した!」
エリクが拳を振り振り熱弁も揮う。今やエリクの勢いに聴衆も同調しつつあった。
だけど俺はそれどころじゃない。
エリクは知っているのだ。こうなった直接の原因を。
シューレリア――じゃない。シュリア・オーティス、つまり俺が刺激したせいで、オークが一気に攻め込んできたという事を。
その事実を公表できる立場と状況を整えつつある。
公表されれば……俺の冒険者人生はおしまいだろう。背筋に冷たいものが走る。
「諸君は知るべきだ、この危難の名を。そして行動すべきだ、冒険者が冒険者たる規範を示すために! 敵はオーク。今、奴等はこのルー=フェルを小汚い魔手に落とすべく、蜂起するその瞬間を狙っている。既に、敵の態勢は整っているのだ! 僕らに残された時間は少ない、あまりにも少ない! だからこそ我らはこの敵から無辜の民を守り抜くべく早急且つ緊密な行動を起こさねばならないのだ! それこそが冒険者の矜持に適うだろう!」
「ねえ、タツミ、お願いがあるんだけど」
真剣に――周囲の聴衆とは別ベクトルの、警戒すべき理由を見つけようとする張り詰めた視線が俺を向いた。俺を見た瞬間、わずかにその緊張が和んだ気がした。
「なんでしょうか、シューさんの頼みとあらば喜んでお引き受けしますよ」
「心強いわ」
本心からそう返して、そのお世辞の礼にふんわりと微笑み返す。タツミも少しぎこちないながらも笑い返してくれたところで、俺は表情を引き締めた。
「あたしをあのバルコニーに直接登らせられない?」
タツミが真顔で黙り込んだ。俺の言葉の真意を噛み砕いているんだろう。
さてさて、ここでどんな反応を返してくるかで今後タツミとどれだけ仲良くできるか決まりそうだな……エリクの肩を持つようだとちょっとね……。
顔を上げて俺に向けたタツミの視線は、相変わらず真摯で真っ直ぐだった。
「ここから一気にあそこまで貴女を運ぶ事は可能です」
エリクの声に掻き消されないよう、タツミが俺の耳に口を寄せてそう囁いた。
爽やかな声を潜めて囁かれると、普段とのギャップにちょっとゾクリと来るものが……なんて考えてる場合じゃない。タツミの言葉に集中しないと。
「ですが、それを実行するのは俺じゃありません。妹のミオです。だからまずはミオの了解を得ないといけません」
それは、ちょっとハードル高いな……。
実は俺、ミオちゃんがちょっと苦手だ。
嫌な気分になるって訳じゃないけど、なんかあの子いつも俺のこと睨んでるし会話のきっかけもないしでどうやって話しかければいいのかわからん。
基本スタンスがあんまり友好的な感じじゃないから俺の頼みを聞いてくれるか、はなはだ疑問だ……。
「もう一つ、これは俺からの質問です」
「なに?」
「危ないことじゃありませんよね? もし、シューさんの身が危険に晒されるような行動であるなら、俺は協力できません」
じっと、タツミが俺の瞳を覗き込む。その中にある真意を見通そうとするかのように、深く、鋭く、見つめてくる。
俺はその視線を真っ直ぐに受け止め、頷いた。
「そこまで言われたらあたしも正直に話す。多分、あたしは危険な事になると思う」
開きかけたタツミの口に人差し指を当てて封じ込める。
「もう少しだけ聞いて。何もエリクに斬り掛かるとかそういう暴挙に出る訳じゃないわ。危ないことをするわけじゃない、むしろあたしはここにこうして立ってる方が危険なのよ」
タツミが目顔だけで詳しい説明を求めてくるが、俺は躊躇った。出来れば知られたくはないのだ。群衆にも、タツミにも。
もしこのルー=フェルを巻き込んだ災難が俺の軽はずみな行動から生まれたと知れば、酒場を吹っ飛ばした時とは比較にならない敵意が俺に向けられる。それこそ、言い分を聞いて貰う暇すらなくなるだけの猛烈な敵意が。
そういう爆弾の導火線を、エリクが握っているのだから、俺としては気が気でない。
皮肉なことに、それから避難するのに一番都合の良い場所がエリクのいるバルコニーだった。
あそこなら、俺の行動が致し方のない間違ったものではなかったという立証を、群衆に語って聞かせる事が出来る。聞く耳を持ってもらえるかどうかは別として、いきなり袋叩きに遭うような事態にはならないはずだ。
それもこれも、エリクがここで俺を槍玉に挙げるかどうかに掛かっている。エリクがそんな素振りを見せた時、即座にバルコニーまで上がれる状態を作っておきたい。
だから今はまだ、タツミにこの事を話したくなかった。俺が原因なのだと知って、拒否されたり自業自得だと責められるのが……いや、タツミに嫌われるのが怖いんだ、俺は。
「何も説明しないのはずるいってわかってる……でも、絶対にあなた達に迷惑は掛けないし、危ないこともしない。だから、何も聞かずに協力して欲しい」
言い切ってタツミの口から人差し指を引いた。タツミはそっと瞑目した。俺の言葉から何かを探し出そうとするかのように。
俺はタツミの邪魔をしないよう、チラリとミオちゃんを見た。相変わらず、ムスッとこちらを見つめているだけだ。でもどことなく、タツミの反応を待っているように思えた。
やがて、それほど待たされずにタツミが目と口を開いた。
「……わかりました、俺は貴女を信じます」
そう言って、タツミはミオちゃんを見た。
タツミの言葉に俺が安堵したにも束の間だった。
ミオちゃんの青い瞳が一瞬燃え上がったかのように見えた。
底冷えのする青い炎が熾烈に俺を苛む。
「身勝手な事ばかり言わないで下さい」
口から出た言葉も辛辣だった。その語気といい眼光に込められた気迫といい、とても十代半ばの女の子が醸し出すレベルじゃない。まるで歴戦の勇士に睨み据えられた気分だ。その気迫に息が詰まり、口も利けない。
「ミオ、何も――……――使わなくったって」
タツミがミオを窘めるが、何故か声を潜めていたものだからよく聞き取れなかった。何を使ったって……?
「タツミは黙ってて。やるのは私なんでしょ」
「それはそうだが……」
と、なんだか急に威圧が抜けた。本当に、憑き物が落ちたみたいにあっさりと唐突にだ。
でも俺はその不思議をどうのこうの考えるよりも別の方向に脳みそをフル稼働させた。
勿論、どうやってミオちゃんを説得するかにだ。俺の直感はここが正念場だと告げている。
「タツミ、あたしもミオちゃんと直接話がしたいわ」
「私はあなたと話すことなんてない」
「自分勝手なお願いだっていうのはわかってるだけど――」
「あなたをバルコニーに上げて、それで私達にお咎めが無いとでも? 確かにあなたが私達に何かを願うのは勝手だけど、それを聞くかどうかは私達の勝手だわ。タツミはお人よしだからあなたの面倒までまとめて引き受ける積りみたいだけど、私は逆にタツミのそういう暴走を止めるお目付け役なの。わざわざ面倒事になるとわかってる手伝いにこれ以上首を突っ込ませないためのね。タツミの人の好さに付け込まないで。あなたの面倒を押し付けないで」
要するに、自分はブレーキ役だから俺のアヤシイお願いを聞く気はない、と。
成程、ミオちゃんはそういう論理武装で来るタイプなのか……だったら、こっちはミオちゃんの感情に直接訴える。自分も問題の渦中にいるんだって考えになれば、多少は協力的になってくれるかもしれない。その為には腹を割ってこっちの誠意を押し売りだ。まずはタツミが隠している状況の説明からだな。
「……正論よ。でもあたしはエリクに用がある。ここにいる皆にも。あたしはエリクの虚飾と関係ない、本当の事情を知っている。エリクがここにいる皆を騙そうとしてるって訳じゃないけど、彼は本当のところは何も言ってない。煽ってるだけなのよ。あたしが出てって、訂正しなきゃいけないところが出てくるかもしれない……あたしにはその義務がある。その義務を果たせれば、あたしの立場は決して悪いものじゃなくなる。それは協力したあなた達にとってもよ」
「……それをどうやって信じろと?」
「あたしは、誰がオークを刺激したのか知ってる」
ちょっとずるい言い方だけど……まだ、タツミに知られるのは怖いからな……。
対して、ミオちゃんは慎重だった。
「……だから?」
「だから、あたしは――」
言葉に詰まる。
ぶっちゃけ、さっきの『オークを刺激した誰か』の情報は俺にとっての切り札だ。
これで動揺を誘ったところで一気に畳みかけようと思ったんだが……計算違いはミオちゃんが歳不相応の落ち着きを持ってた事か。
ここからどう切り返すか、無い知恵絞っていたその時だった。
エリクの御高説はいつの間にかクライマックスに差し掛かっていた。何かないかと視線を泳がせたその先で、たまたまエリクの方を見た時、一瞬だけエリクと視線が合った気がした。エリクが、口の端だけで笑った気がした。
「――そもそも、どうしてこんな事態に陥ったのか。諸君の中には問題の根源を知っておきたい方々も多数いるだろう」
来た! いよいよ俺の名を出すつもりだっ。
エリクが何の目的で俺を冒険者として破滅させたいのかはわからんが、ここの所、口先とは裏腹に俺の事を煙たがっていたのは間違いない。ここで釘を刺しに来る可能性は大いにあり得る。
バルコニーを振り仰いで身構えた俺に釣られ、タツミとミオちゃんまでもがそちらを見た。
まだ準備が、ミオちゃんの協力が取り付けられてない中、俺の名前が出たらどうするか……冒険者協会の建物を突っ切るか? いや、それだと中の職員に捕まるかもしれない、だとしたら――だとしたら――。
「諸悪の根源はとある女性冒険者の軽挙妄動が招いた結果である! 幸か不幸か、彼女はそのオークとの戦闘で既に死亡したが、その罪は毒の如く僕等の平穏を腐り落とそうとしている」
必死に考えを巡らせる頭とは切り離されたところで、耳の方はエリクの話に全機能を注いでいた。
その耳が、その名を捉えた。
「サライオ共和王国出身の冒険者である彼女の名は――」
あれ? と思った。
俺が冒険者協会に登録する際、名前こそ偽名を使ったけど出身はこのスラディア皇玉国としたはずだ。
じゃあ、誰が?
予想を立てる間もなく、その名前がエリクの口から飛び出した。
「キャリン・ローン! それが災厄を呼び込みし者の名だ!」
刹那、目まぐるしく回転させていた思索が、爆発した感情に吹き飛ばされた。
爆風は怒りそのものだった。俺は、生まれてこの方味わったことのない怒りの爆風に呑み込まれた。
気怠(けだる)い午後の日差しが差し込む狗尾亭(えのころてい)の二階の一室に、俺はいる。
斜めに突き立った陽光をスポットライトに埃が踊るのを見ながら、綺麗に整えられたベッドに上半身を預け、腕枕でその音色に耳を澄ます。
ホン、ホロロン、ホロリ――。
透き通り、どこまでも無垢なオルゴールの音色が、グチャグチャととりとめもなく溢れ出す記憶に色彩を付けてくれる。
どれもこれも、思い出し過ぎて擦り切れたような記憶ばかりだ。それなのに思い出す度に新たな色彩が加えられ、気付かなかった発見がある。不思議だった。
その不思議を楽しむように、俺はあれからずっとここでこうしている。
『根絡みの大空洞』でオークキングの策謀を叩き潰し、ジノとヒャラボッカちゃんを救出してから一週間弱。
主のいなくなった部屋でそのオルゴールを見つけ、時を忘れて聞き入るようになったのはどれくらい前の事だろうか。昨日の事のようにも何年も前の事のようにも思える。
その音色はキャリンの故郷の民族楽曲なのだと、部屋の片付けに来たジノが教えてくれた。本来は太鼓と弦楽器で軽妙に奏でられる舞踊曲らしいが、どこかの酔狂がそれを捩じ巻き式のオルゴールに仕立てて商品にしたところ物の見事に売れなくて、安く下町に流れてきたのをキャリンが気に入って購入したものだという。
陽気な調べも、金属が爪弾く硬質で透明な音色の中ではどこか物寂しい。キャリンはそのギャップを気に入っていたんじゃないかと、寂しそうに言ったジノはこのオルゴールを残していってくれた。
俺の部屋と変わらないワンルームだが、あらかたの荷物が運び出された一室はガランとしてまるで別の空間に見える。
残っているのはベッドとサイドボードとこのオルゴールだけ。
最初こそ嗚咽を堪えて聞いていた音色も、今では耳が聞いているのか頭の中で鳴っているのかわからないくらい馴染んで、感興も薄くなっている。
そりゃそうだろう。質素な埋葬式からこの方、食事と睡眠とトイレ以外はずっとここでこうしているのだ。ヘビロテにもほどがある。
だけどこれがキャリンとの最後の縁(よすが)だと思うと離れがたくて、気が付くといつもここにいた。
ジノだけじゃなく、リリカやルルといった仲間や管理人のクリエラさんにまで気を遣わせているのは知っている。
今も、扉を開け放った入り口のドア枠に背中を預け、キセルを燻らせるクリエラさんは、小難しい顔でただただ俺を眺めていた。
「ごめんね、クリエラさん……あたしがいたら最期の片付けが出来ないのはわかってるんだけど、どうしても落ち着かなくて……」
床に横座りし、ベッドに頭を横たえたままでも入り口のその姿は視界に入る。
真っ赤な紅を引いた唇が輪の形に開いて、紫煙がポワッと広がった。見事なドーナツ型の煙だった。
「別に新しい入居者が待ってるわけでもなし、アタシは構わないんだけどね……みんな心配してるよ」
わかってる。わかってるけどどうしようもないから、会わせる顔が無い。
答えようもなくて黙っていると、
「ウチ中が辛気臭くて堪んないんだよ。アンタも冒険者なら、気持ちの切り替えスイッチくらい作っときな。これに懲りたらね」
叱るように言って姿を消す。口調は少し厳しいが、今は優しくされるよりも厳しめの言葉が心地よい。クリエラさんだからこそ、その辺を察してくれている気がする。
一日一回はこうして俺の様子を確認して、それとなく気配りしてくれているのは流石の俺でも気付いていた。
他のみんなだってそうだ。リリカは時間があれば俺のそばで黙ってオルゴールを聞いていてくれるし、ルルも差し入れにお菓子を持ってきてくれたりする。おかげでここのところ体重が心配だ。
ガーラは『そのうち勝手に立ち直る』なんて放言してると、ルルが不満そうに教えてくれた。
そういえば、ガーラがここのところ俺達と一緒に行動しなかったのは、どうやら俺が思っていたよりもちゃんとした責任感がガーラにあった為らしい。
修繕費や迷惑料に費やしたお金を丸々取り戻すために、昔の伝手(つて)を頼って危ない橋を渡っていたのだという。
それで一体どれだけ稼いだのかは知らないが、水臭い話だ。俺達も協力させてくれればもっと稼げただろうに。
ずっと、こんな感じだ。
自分が周りに心配をかけているとわかってて、それでも自分の気持ちを立て直せなくて……だけど実は、最初ほどの激しい悲しみも悔しさも鳴りを潜めた気がする。取り留めはなくとも思考は落ち着いてるからだ。
ただこうしていたいからこうしている。どうしてこうしたいのかは、自分でもわからない。
もしかしたら、周りが優しくしてくれるから甘えているのかもしれない。
もしかしたら、悲劇のヒロインを気取って自己満足に浸っているのかもしれない。
もしかしたら、ぐうたらするのに慣れちゃって、これからの目標が曖昧だから動けないだけかもしれない。
どれもがありそうで、どれも違うような気がする。
わからない。
わかるまで、こうしてたい。
こうやって、キャリンの思い出とじゃれ合っていたい。
それだけは、はっきりと自覚している。
これじゃあ駄目だってのは、わかってる……これはアマルのシューの時と似てる感じだ。
このまま目的を見失っちゃったら、またズルズルと変な方向に流れていくかもしれない。でも、いかないかもしれないし――って、こういう考え方が駄目なんだろ……。
考えなきゃいけない事は沢山あるんだから、一つずつ考えてみよう。
優先すべきは……やっぱり、『あの力』についてか。
結局あれから、『あの力』は一度も発動していないし、『あの声』も聞こえない。
あの力――呼び名が無いと不便だな……『あの声』は俺が絶望した時、『この力』で獣になると言っていた。仮に『獣の力』とでも呼んでおこうか。
獣の力の最初の発動は、恐らく十歳の時。レッサードラゴンに強烈なエーテルを叩き込んだ時だ。あの時は自分の声なのに自分のじゃない言葉が出てきて、俺の知らないエーテルの使い方でレッサードラゴンに致命傷を与えた。
つらつらと思い返してみるに、アマルのシューの最期にも、この力が関わっていたんじゃなかろうか?
そうでなければあんな化け物じみた殺し方を、落ちこぼれの俺がしてのけられるはずもない。
つっても、実はオークキングの時もアマルのシューの最期の時も、どうやってどんな風に獣の力を使ったのか、具体的にはよく覚えてないんだよな。
俺の『こうしたい』『ああなったらいいな』って意識を『あの声』が拾い上げて近い形で実現してくれてるって感じだった。
つまり獣の力は正しくは俺の力じゃないってことか……?
だけど獣の力が顕れる時はいつも俺のピンチで、この上なく力を欲している時だ。
俺を助けてくれる、俺の内側の力。俺の内側の『あの声』の主が貸してくれる力。
じゃあ、俺の内側の誰かって、誰だ?
はっきりわからないのは薄気味悪いが、少なくとも俺に敵意を持っている感じはしない。
それは今回、その存在をしっかり認識して確信した。
力の主は俺に好意的で、しかも女の子っぽかった気がする。
なんか……俺、もしかして、今すごい事になってないか?
実家は王家に連なる金持ちで、自分で言うのもなんだがかなり美少女で、多重門晶保持者(ダブルスタンダード)で、門晶強度が常人の倍あって、過去生の記憶を持ってて、武術にも長けている。
ここに更に自分の望む結果を導き出せる、理不尽な獣の力まで加わったわけだ。
とても一般人とは言えないシンギュラリティのオンパレード。まさしく主人公に相応しい、というかなんかもうここまでくると逆に主人公の前に立ち塞がる強敵ポジションな気すらするチートっぷりだ。
一体、俺って存在は何者なんだろうか……なんて自問が浮かぶけど、これは自分に対する恐れというよりなんだかスゴイ事になってる期待からだな。
いやだって実際問題、こんだけ色々出来たら楽しくもなるだろ。特に獣の力。発動すればほぼ無敵だぜ? 安定した発動方法を知らないんだけど。
ま、不安が全くないわけじゃないけどさ。
こんだけ理不尽な力に、反動というか代償が無いってのは考え難い。
いやまあちょっとゲーム脳だなぁとは思うけど、気が付いた時にはその代償で身体がボロボロでした。なんてゴメン被りたい。考えるだけなら誰かに迷惑かけるわけじゃないしな。
さりとて、何かそれっぽい不具合を感じてるかと聞かれれば、特にそんなものはないんだよなぁ。
獣になるとか世界が消えるとか、『あの声』は物騒なこと言ってたけど、今のところそんな気配はない。
小鳥が囀りながら飛んでいく窓の外を見るとはなしに見た。世は並べて事も無しって感じだ。
使い過ぎたらそうなるのかもしれないけど、基本的に管理は『あの声』がしてるのか俺の意志じゃあ発動しない。つまり、俺が望んで世界を滅ぼすような事は出来ない仕組みってことだ。『あの声』が強制的に俺に使わせるんなら話は別だけど、むしろ逆に使わせたくない感じすらしてたしなぁ。
自分で自由に使えないのは不便だけど、安全弁があるって考えればそれはそれでアリか……。
なんにしろ、あんまり頼りにしない方がいい力だってのは間違いなさそうだなぁ。
ちぇ、ちょっと残念……。
そこで思考がいったん途切れた。だからって何かすることがあるわけでもない。
いや、オルゴールのゼンマイが戻って、曲が終わっていた。それを巻き締めるその間、なんとなく視線を部屋の中に漂わせる。
使い古されたレンガ積みの壁はあちこち漆喰が剥げ落ちて、何とも言えない風情を醸し出している。板張りの床は家具の足が擦れた傷だらけで、中にはなんだかよくわからない染みもあった。
全部が全部キャリンの痕跡ではないだろうが、この中のいくつかはキャリンが残していったのかと思うと、我知らず溜息をついていた。
ネジを巻き終えた。サイドボードに戻すと、躊躇いがちな音色が部屋の中の空気を震わせ始める。
もう一度、ぐるりと部屋を見渡してからガラス窓に視線を戻そうとして――扉が閉じられた入り口に視線が急転回する。
誰か立っていた。誰かじゃない。あの佇まいはエリサだ。
気付きと理解はほぼ同時だった。さして広くもないワンルームの中、五メートル程度の距離で見間違うはずもない。
ヒラヒラとした長衣に身を包み、長い癖っ毛を流して垂らした前髪で目元を隠したその姿は二週間近く前に会ったエリサと全く変わらなかった。
前触れもなく姿を現した事も驚きだが、それより気に掛かったのはその妙に強張った気配だった。
緊張というか、不安というか、あまり安穏とした様子ではない。どうした事だろうか……?
ふと思い当たることがあって、口を開く。
「オークキングは始末したわよ……これでもう、ルー=フェルが襲われることもない。あたしが逃げる理由も無くなったはずだけど……?」
「取り返しのつかないことになっちゃった」
少し、首を傾げたくなった。
その声は以前聞いたエリサの声そのままなんだが、どこかちょっと違っていた。
ニュアンスというか……声の出し方がずいぶんはっきりした気がする。そのせいだろうか。
「取り返しのつかない事って?」
「……ねえ、シュウ、覚えてる?」
俺の質問は無視して反問してくる。しかも質問の内容が大雑把すぎて意味が分からない。
「覚えてるって、何をよ」
「天堂宗(てんどうしゅう)の事」
その名を聞いた瞬間は、特にどうと言う事もなかった。懐かしい名前が出てきたな、とその程度だった。
その程度で済ましちゃいけないと気付いたのは、「それがどうしたの」と言い掛けたその瞬間だった。
『そ――』の形で唇が固まり、戦慄きすら感じた。
「な……んで……エリサがその名前を……?」
それは、俺の前々世の名前で、この世界(アステラ)に知る人の無いはずの名前。
それが、目の前の彼女の口から飛び出してきた。警戒しても、無理はないだろう?
エリサの事は信じたいけど、彼女の事を何も知らないのも事実なのだ。冒険者になって、その程度の警戒心が自然と養われていた。
立ち上がり、入り口に佇むエリサと真っ直ぐ向き合う。
「仁科(にしな)エリ、覚えてる?」
今度は開いた口が塞がらなかった。
俺の過去生の名前を憶えていて、更にあの少女の名前を出してくる人物でもっとも有力なのは――
「おま――君は……君が……仁科エリ、なのか?」
本人だろう。
自分の様子も感じ取れず、ただただ驚愕に侵された目を剥いて、上背の高いエリサの姿を観察する。
すると、プッと空気が漏れるような間抜けな音がした。エリサが、噴出したのだ。
「変な顔」
少し胸を張った立ち姿も、その反応も、明朗な声音も、姿形は全然違うのにまんま彼女だった。
エリサは、仁科エリだった。
エリサが……エリだった……。
「エリ……なんで……いや、どうして……いやその前になんで……」
聞きたい事、話したい事が多すぎて、こんがらがって、言葉にならない。
「あたし、覚えてた、エリの――」
「あたしってっ!」
流石に閉口した。
だって、他人が真剣に思いの丈をぶつけようとした矢先に、エリは堪え切れなくなったように腹を抱えて笑い出したのだ。
「いくら何でも失礼でしょ!」
「そう怒んないでよ、だって仕方ないでしょ、わたしの中のシュウは冴えない男の子なんだもん、それがまあ、こんな可愛くなっちゃって――ぶふっ! か、考えたら、また――」
ああ、もう……感動の再会を期待してたわけじゃないけどさ……いくらなんでもこれは予想の斜め上すぎるぜ……。
エリとの再会は俺の、シューレリアの人生の目的の一つでもあったわけで、それがこんな突拍子もなく、そしてあっさりと見つけちゃうなんてな……ちょっと、拍子抜けだ。
しかも会っていきなり大笑いされたし。なんか、腑に落ちない。
「あー、おかしい。ね、話が進まないから前みたいな口調で話してよ」
俺の腑に落ちようが落ちまいが、エリは持ち前のリーダーシップ――って呼べば良く聞こえるが、実際の所は傍若無人な強引さで話を進めてきた。
「はぁ……相変わらずだな、エリも」
「うんうん、その調子。やっぱその方がシュウらしい。わたしは断然こっちの方がいいよ」
そう言って浮かべた笑みがなんだかやたらと眩しくて、俺は思わず目を逸らしていた。
男言葉って、そういや久しぶりに使うな。ちゃんと使えるだろうか。中途半端だとオネエっぽくなりそうだ。
「色々と聞きたい事、話したい事はあるけどさ……まずは話を戻そう。取り返しのつかない事って、なんだ?」
馬鹿馬鹿しいやり取りのおかげで、今聞くべきことがいつの間にか整理されていた。まさかこれを狙って……なんてのは深読みしすぎかな。
「その前にわたしの話を聞いて」
……うん、きっと深読みのし過ぎだ。こいつ、俺の事なんて考えてないぞ、きっと。
折角の再会なのに妙に急き込むエリに鼻白んでいると、それを許可と受け取ったのか、エリはそのまま自分の話をし出してしまった。
「ここのところデジャヴというか、なんか思い出したいのに思い出せない、小骨が刺さったような感じとか、そんなのはない?」
はぁ……こっちの気も知らないで、自分の用件ばかり……俺がどんだけおまえのこと気にしてたか……恥ずかしいから言わないけど――。
「ないよ、別に。それがどうしたってんだよ?」
そんな事を考えてたら、思わず声に険が混じるのも致し方ないだろう。
「ううん、ないならいいの」
エリが首を振り、それであっさりとその話を終わらせてしまう。
訳が分からん。
「エリ、もうちょっと――」
文句を言おうとした矢先だった。
「会いたかったよ、シュウ」
どこか陰のある笑みでそう言われてしまっては、文句は引っ込めるしかなかった。
「……うん、俺もだ」
リリカがエリじゃないとわかってからなんとなくわだかまってた不満も、再会の呆気なさからくる物足りなさも、その一言で全部吹き飛んでしまった。
「今回は、ちゃんと頑張ってるみたいだね」
「おかげさまでな」
「見違えるくらい、良い顔してる。もう、冴えないなんて呼べないね」
「うん……エリはどうしてたんだ? こないだも会ったよな?」
のんびりとした会話が始まったからか、全身から急速に緊張が引いていく。すると立っているのが何となく落ち着かなくなった。
ベッドまで戻って腰かけると、その隣を軽く叩いてエリを促す。
「あんまり上等なベッドじゃないから固いけど」
エリは苦笑しただけでその場を動かなかった。
「こないだはね、なんだか寝惚けてたというか、まだちゃんとわたしじゃなかったから、名乗れなかったんだよね」
「わたしじゃなかった? どういう意味だ?」
「ううん、気にしないで。それより、今日は伝えたい事があって来たの」
なんだか話をはぐらかされた気もするが……エリの伝えたい事とやらを聞いてから改めて訊ねればいいか。
「伝えたい事って?」
「ルー=フェルが無くなるかもしれない」
「……は?」
その素っ頓狂な声が自分のものだったと、気が付いたのは数秒後だった。
その間、じっとエリの顔を見つめていた。きっと冗談か何かを言って俺を困らせようとしているんだと、すぐに笑み崩れて俺のことを笑うのだろうと期待していたが……沈黙の重さが増していくだけだった。
「そんな、だって……それってこないだの話だよな? それだったら俺がオークキングを倒したからもう大丈夫になったはずだろ」
「うん、シュウはオークキングを倒したよ。一体だけね」
「一体……だけ……?」
「ルー=フェルはね、今、八体のオークキングに狙われてるの。ううん、狙われてたの」
「あんなのが、八体も……?」
「今は七体になったけどね。でもそのせいで、他のオークキングが動き出した。こっちの予定よりも早く、そしてもう、こちらが準備した計略も効果がなくなった」
「……いや、待てよ……それ、俺のせいだってか……?」
「……シュウのせいだとは言わないよ。仕方のない成り行きだったと思う。そもそもが、協会の杜撰(ずさん)な管理体制が問題だったわけだし、なるべくしてなったとしか言いようがないよ」
目の前がチカチカと明滅する。血の気が失せたり昇ったり、吐き気がしてきた。
「なんだよ……それ……そんなの……じゃあ、キャリンの死も仕方なかったって言うのかよっ!?」
「それこそ、仕方ないでしょ。冒険者だもの、いずれこうなる事くらい、誰でも覚悟してるはずでしょ」
「そりゃっ、そんなのっ! そうだけどさっ! でも、だからって、そんな言い方、そんな言い方できるのは、おまえがキャリンの事を知らないからっ!」
「うん、知らない。知ってても、きっとわたしは見殺しにしたけど。そうしなきゃ、もっといっぱい人が死ぬもの」
「……はっ、どっかの希者様みたいなこと言うんだな」
吐き捨てた言葉にエリの唇が歪んだのを見たが、そんなものは意識の端にも引っかからず滑り落ちていった。
「シュウ、逃げて。ここは――ルー=フェルは戦場になる。命の保証なんてどこにもない、泥沼の戦場に」
立ち上がって、何をしようという考えも無しにエリの方へと爪先を向けて――その時だった、遠くから割れるような喧騒が轟いてきたのは。その声の壁に驚いて、窓の方を見遣る。
「まだ、オークが攻めてきたわけじゃない。ルー=フェル全体に退避命令が下ったの。民衆がその決定に不平を唱えてる。その集団が、暴徒になりかけてる」
「そんな……いつからそんなことにっ――!?」
振り返って、声を詰まらせた。
エリの姿が消えていた。ドアが開けられた形跡も気配もなく、エリは狭いワンルームから姿を消していた。
それこそ、どこぞの希者様のように。
「ちくしょう……なんだってんだよ……」
誰か、教えてくれ……キャリン……ルゥ婆……俺は、どうしたらいい……?
問うたところで答えをくれそうなものはもうない。エリがいたこの空間をいやに窮屈に感じて、俺はキャリンの部屋を出た。
どこに行くとも考えず、ただただ身体が動くままに廊下を歩き、騒がしい外を目指す。
とても疲れた。
そもそも『根絡みの大空洞』での疲労がいまだに残っていたところにそんな事実を告げられても、俺にはどうしようもなかった。
いや、違うな。どうしようもないんじゃない、どうすることも望まれてなかったんだ。
エリは俺に何かして欲しかったんじゃない。何の期待もしていないからこそ『逃げろ』と忠告してきたのだ。
まるで自分ならなんとかできるような物言いだった。
そういえば、エリが今までどんな風に生きてきたのか、聞きそびれたな。
とても町民みたいな格好には見えなかったから、冒険者や行商人でもやってるんだろうか。
名前もエリサとしか聞いていない。
リリカみたいに故郷を失くした訳でもないなら、姓にあたる名前くらいあってもよさそうなものだ。なんというのだろうか。
そんな風に取り留めもない考えを巡らせつつフワフワとした足取りで階段を降りて、広くはない店内を突っ切る。
そしてスウィングドアの向こうに見慣れた後頭部を見つけた。
「リリカ、そんなところに突っ立ってどうしたの……?」
「あ、シューちゃん……」
振り返ったリリカの顔は何かに怯えたように暗い影を落とし、胸の前で組んだ手が何かに祈っているかのようだった。
スウィングドアを押しやって外に出てみると、何やら通りが騒がしい。
いつもはひっそりとした薄暗い路地を、ひっきりなしに人が右往左往している。
それも町人も冒険者も職人も浮浪者も、区別なく泡を食ったように急ぎ足で通りを行く。心なしか右手側――下町の広場がある方向に向かう人が多いか。
そういえば、さっきエリと話してる最中に破裂した喚声が、大きくなり小さくなり尾を引いて聞こえてくる。建物に切り抜かれた狭い空を不気味にどよめかしていた。それも広場の方が発生源のようだった。
エリが今さっき言ったことを思い出す。
『ルー=フェルは戦場になる。命の保証なんてどこにもない、泥沼の戦場に』
この騒ぎがその先触れなのだろうか?
「――だったんだけど、わたしは知らなくて、それで――」
だとしたら俺は……。
「――だから、今ちょうどシューちゃんに知らせようと~……シューちゃん、聞いてるぅ?」
リリカの不満げな声で我に返る。
「え……ごめん、聞いてなかった」
「……どうしたのぅ? なんだかすごくぼうっとしてる~、シューちゃんらしくない~」
「ちょっと……寝惚けてるだけよ」
「そう、なの~? 本当にそうならいいんだけどぉ……」
「それより、この騒ぎは何?」
と言っても、さっきエリが言っていた退避命令に反対する民衆なんだろう。どんだけボケっとしててもそれくらいの察しはつく。
わざわざ聞き直したのはリリカの追及をはぐらかすためだ。あんまりしつこく聞かれたら、今の俺はいろいろと話しちゃいそうで厄介だった。
「えとね、わたしもよくは知らないんだけど~、広場の方に警邏(けいら)隊の人達が来たらしくて、そしたら急に下町の人達が広場に集まり始めて、向こうの方が騒がしくなったのよぅ。詳しい事は、ルルちゃんが見に行ってくれてるんだけど~」
そう言いつつ眼鏡の視線を人が集まっていく通りの方に向ける。俺もつられてそちらを見ると、ちょうど人の波に逆らってこちらへやってくるトンガリ帽子が目についた。
つば広の帽子に阻まれた通行人からひっきりなしに文句を言われつつ、ルルが狗尾亭(えのころてい)の軒先まで戻ってきた。
「ルルちゃんお帰りなさい~」
「ぉねぃさま……お外に出られたんですね」
ルルが大袈裟に目元を潤ませる。
引籠りの息子を見る母親みたいな視線がちょっと鬱陶しくって顔をそむけた。
「こう騒がしくちゃね……それで、どうだった?」
「どうもこうも、さっぱりですよ――」
そう切り出して、見聞きしてきたことを語ってくれたルルの話は、エリの言葉を裏付けるものだった。
「どうにかこうにか警邏隊が張り出した高札を見たら、『当市に火急の危難が迫っている。然るに、市民は当告知発布日時を以て即刻市内から退去、共王国ディ・セ郡へと移転せよ。これは国令である。』としか書かれてなくて、どうしてルー=フェルを立ち退かなければいけないのか理由がさっぱり書かれてないし、どうやら警邏隊の面々も知らされてないみたいなのですよ」
共王国ディ・セ郡とは共王国領内の町の名前だ。ルー=フェルから徒歩でいくと二日行程と結構離れている。途中に小さな集落もあるが、確かにルー=フェルの住人全員を収容するならディ・セ郡まで避難しないとまともな援助は受けられないだろう。
だけどなんでディ・セ郡一択なんだ? 南の皇玉国領レイシュレイ市であれば一両日中に到着できるはずだ。
高札にディ・セ郡の名前しか載っていないという事は、恐らくレイシュレイ市側の街道は封鎖されているのだろう。
「いくらなんでも理由も無しにいきなり出て行けと言われて、承服できるはずもありません。実際、詰め寄る市民と命令を守るしかない警邏隊の間で不信と不満が高まっています。今はまだ怒鳴り合いで済んでいますけど、何の拍子に暴徒と化すか……」
そうか、そういう事か……住民を退避させる理由は十中八九オークの侵攻だ。そしてそれにまともに対抗できるのは常駐の防衛軍だけだろう。しかし評議会が開催されている今、防衛軍も担当交代の為にディ・セ郡とレイシュレイ市まで後退させられている。次の担当は皇玉国だった筈だ。
つまり、レイシュレイ市側の街道を使わせないのは、ルー=フェル市民が列をなして防衛軍の急行を妨げないようにするためだ。
それにしたって、ちと乱暴だろう。理由も告げずに今すぐ出て行けなんて……行政都市とは思えない暴挙だ。
それもこれも、俺のせい、だってのか……?
俺がオークキングを倒したから、攻めて来るってのか……?
どうしてこうなった?
なんでそうなる?
こんなん納得できるか!
「誰か、わかるように説明しなさいよっ……!」
吐き捨てて、走り出す。
「ぉねぃさまっ!?」
「シューちゃん~っ?」
リリカとルルの声も振り切り、通りを急ぐ人達を押しのけて広場に向かう。
行ってどうしようなんて考えてなかった。
行ってどうなるという期待もなかった。
ただ、どうしようもなく知りたかった。
どうして俺ばっかり、こんなに悩まなくちゃいけないのか聞きたかった。
知っているのは、恐らくあいつだ。
エリク。あいつなら、俺が苦しむ理由を知っている気がした。
根拠なんてない。直感だ。
そしてあいつなら、きっと一番混沌とした場所に現れる。
今一番混沌としている場所……それはこのルー=フェルの街全部だ。
この街のあちこちが混乱と疑惑の坩堝と化し、混沌を呈している。その最寄りは下町広場。
だから俺は広場の中心、総督府からの知らせが張り出される広場の中心に向かおうとしていた。
近付くにつれて密度を増す人垣を強引に押しのけて進む。あちらこちらで罵声やら怒声やら聞くに堪えないヤジが飛び交う。
その中から聞き捨てならない話が漏れ聞こえてきた。
「おい、聞いたか。希者様がルーフェンス通りの冒険者協会でなんか発表するってよ」
「希者様が? んじゃあ、この馬鹿騒ぎの原因を話して下さるってか」
「かもしんねえな、行ってみるか」
俺は疑わずに身体の向きを百八十度回転させた。疑うだけの余裕すら、俺の心には無かった。
理不尽な怒りと無力感に最中を押されて、駆け出す。
「何事ですかっ?」
「シューちゃんってばぁ!」
追いかけてきていたリリカとルルの間を割るように通り過ぎ、今度は人の流れに逆らいつつルー=フェルの中央からやや西にある冒険者協会へと走る。
ここからだと北東方面か。広い馬車道はどこもこんな風に混乱した人でごった返しているかもしれない。そう思った俺は、知る限りの横道や裏道を駆使して冒険者協会の正面に出た。
そこもすごい人だかりが出来ていた。さっきの通りすがりの会話の信憑性が増す。
人だかりができるほどの何かが冒険者協会の会所先にある――つまり、この先にエリクがいる可能性が高いってことだ。
俺はこれまで人の波をかき分けてきたみたいに、黒山の人だかりへと果敢にも突撃を仕掛けたが、それがすぐに失敗だったと思い知らされる。
下町の人だかりはほとんどが町民、しかも貧相な形の人達ばかりだった。
しかしここは場所柄もあって屈強な冒険者や重武装の戦士が多くたむろしていて頑健だ、そのせいでなかなか人だかりの前列に出られない。
それどころか固い鎧と鎧の間に挟まれるわ、野郎の汗臭さに包まれるわ、逆にもみくちゃにされて進むも戻るも出来ない有様に陥ってしまった。
「ちょ、通してっ、通し――通しなさいってば! きゃあっ!? 変なとこ触るな!」
無理に押すとそれ以上の力で押し返される。繰り返しになるが、俺の得意分野は素早さを生かした撹乱戦法と剣と魔法のトリッキーな攻めだ。正直、腕力は並みの戦士以下しかない。ルルの強化魔法を受けてる時は別だけど。
押し合いへし合いしている間に身体のバランスすら失って、立ってるのか傾いてるのかすらわからなくなってしまった。
「シャレになっ! た、助けっ……!」
溺れた時みたいに人ごみの上に腕を突き出したその時だった。突き出した腕が誰かに優しく掴まれたかと思えば、一本釣りのように人垣の中から救い出されたのだ。
何が起こったのかわからないまま周囲を見渡すとそこはどうやら人ごみの最前列のようで、すぐそばに見覚えのある顔があった。耳まで真っ赤になるのが分かった。
寄りにも寄って、こんな馬鹿げた姿をタツミに見つけられるなんて……。
「災難でしたね」
タツミは爽やかに笑ってそう言った。俺の腕は助け出した時のように掴んだままだ。
恥ずかしさに声も出なくて俯く。
「タツミ、離したら?」
その隣にいた茶色い髪の少女がどこかつっけんどんな調子で言った。
えーと、確か、ミオちゃんだったっけ。タツミの妹の。
「あ、そうだね、これは失礼」
言われてまだ手を握っていたことに初めて気付いたかのように、タツミが慌てて俺の手を離した。
もうちょっと握ってても良かったんだが……なんかミオちゃんの刺すような視線が怖いので言わんとこ……。
二人はオフなのか、先日会った時みたいな具足鎧の冒険用装備ではなく一般的な普段着――と呼んでいいものかどうか……ミオちゃんはブルーのシャツにハーフパンツと至って普通なんだが、タツミは浴衣みたいな裾の長い紺の着物、いわゆる着流しルックでキリっと締めた赤錆色の帯に刀を差し落としている。こないだの大振りの飾太刀じゃない、普通の打刀だ。
はっきり言って、西洋ファンタジーな風景には浮きまくっている。まあ、ミオちゃんも何故かあのでかい箱を背負ったままなのでおかしいっちゃおかしいんだが。しかも周りの見物人が邪魔臭いその背負箱に悪態をついてもまったく気にしていない。強い心をお持ちのようで……。
「その……ありがとう、助かったわ」
とにかくまずは礼だと思い立ち、頭を下げる。
「気にしないで下さい。偶然見つけたのも、実際に助けたのもほとんどミオですから」
タツミが照れ臭そうに笑う。ミオちゃんが助けたと聞いてどんな風に助けてくれたのか気になって尋ねようとしたその矢先、タツミの表情が先んじて真剣なものに替わった。
「シュリアさんも、例の噂を聞いてこちらに?」
「シューでいいわ。例の噂って――」
そこまで聞き返して、思い出した。俺がここに来た訳を。
途端に、溺れかけたせいで忘れていた怒りを思い出す。
ガヤガヤ騒がしかった人ごみの喧騒が遠のく。
意識が一つの名前に集中した。
「エリクっ……!」
「御存じなんですね」
「あいつ、こんな所で何をやらかそうってのよ!」
不思議とタツミの声だけは狭まった意識の中にもスッと入り込んでくる。
俺は独りでに険しくなる目を冒険者協会の二階に向けた。
そこには少し広めのバルコニーがあり、もしエリクが大衆向けに何かを発表するとしたら、きっとあそこから見下ろしてくると思った。
「わからない。太夫の占いですら希者の思惑を計り知れなかった……何者なんだ、奴は……」
タツミが意味深に呟いたその時、思った通りバルコニーの上に人影が現れた。それも一人じゃない。二人、三人……四人。
その他にも数人いるが、この四人以外はバルコニーの入り口付近に控えて前に出てくる気配がない。遠目にもわかる上等な衣服から、冒険者協会のお偉いさんだろう。
前に出た四人は、ぶっちゃけ得体のしれない格好だ。というか、まとまりがない。
一番手前、バルコニーの手摺の前に立つのは、言わずもがなのエリクだ。
服装の印象は相変わらずヒラヒラしたマント姿って感じだが、今日のはいつものざっくばらんに重ねた木綿布と違い、折り目正しいドレープが見事な絹のマントを銀とエメラルドの留め具で肩に留めている。悔しいけど、良く似合ってると思ってしまった。
その後ろに並んで控える二人はエリクの仲間の戦士と門晶術士だ。
初めて目の当たりにする姿だが、俺はその二人を知っている。敵を知れば百戦危うからずってんでこっそり調べていたのだ。
まあ、こっそりも何もブロマイドみたいに一般的に売られてる姿絵の裏に、希者パーティのスペックは一通り書かれてるんだけど。
戦士の方は名前をシュメル・パシフィクという。ロールは俺と同じウェポンユーザー、クラス名は『双刃剣士(ブレイザー)』。その名の通り、二刀流の軽戦士らしい。
身体能力と戦闘技術もさることながら、彼の最も恐ろしい能力はその特殊能力(マイノリティ)であるという。付けられた名は『ライザー』詳細はわからないが、窮地に陥ると真価を発揮する能力だという。
シュメルは二十歳前後の偉丈夫で、背は高いが筋骨隆々というむさ苦しい印象はあまりない。鍛え抜かれた長剣のような逞しさだ。
簡素にしたプレートアーマーみたいな紅い金属鎧を着込み、両肩から黒い飾り布を一本ずつ垂らしている。胴部分だけとはいえそれでもだいぶ重いであろう鎧に身を包みながら、佇む姿にはどこにも力みが感じられない。歴戦の勇士って感じだ。
ただ、ちょっと彫の深い濃い目の顔に自信たっぷりの不敵な表情を浮かべた顔立ちは暑苦しい。長く伸ばしたぼさぼさの赤毛は荒れ地のようで、また暑苦しい印象を強くしている。
その隣、エリクを挟むように立つ門晶術士風の青年はテアトル・グランド。こちらも二十歳をいくつも越えない程度の若さで、なのにその立ち姿はまるで百年を生きた古老のような達観とも諦観ともつかない厳かな雰囲気を醸し出していた。
まるで老人みたいにシワシワで腰が曲がってるとかじゃないぞ。金の杖頭装飾が施された華美な杖を立ててはいるが、背筋はシャッキリ顔立ちもスッキリだ。
いやそれどころか……ちょっと、整いすぎじゃないか? ってくらい、顔がいい。
俺の好みじゃないから惚れた腫れたの話じゃないけど、でもだからこそ、別に好きでもないのに美形だと断言させる顔立ちは見物だ。
金縁の丸眼鏡を掛けた顔は見ようによって無垢な少年にも精悍な青年にも老練な壮年にも見え、その魅力が見る方の心持ちで千変万化する顔ってのが本当にあるんだなぁと感心させられる。
丁寧に切り揃えた深い青の艶やかな髪は凪の遠洋を思わせ、その下の顔は揺蕩(たゆた)うように静かに瞑目していた。
着ているものは術士というより学者といった方がいいような動きやすそうな格好だ。袖に金刺繍の施された白いチュニックに、これまた白に金縫いのハーフパンツ。パンツの下には青いタイツを着込んで、黒光りする高そうなブーツを履いていた。
ところで、なぜ最初に門晶術士と言い切らなかったのかというと、彼がただの門晶術士じゃないからだ。
テアトル・グランドは門晶術士であると同時に祈祷術士でもあった。
エーテルを変換する門晶術と、神の奇跡を希(こいねが)う祈祷術はその根本が全く違うものの、実は門晶を利用するという点では同じだ。
祈祷術も神と交信する際に門晶を利用する。故に、祈祷術を使用している最中は門晶術が使えないし、逆もまた然りだ。
結局どっちか一つしか使えないのであれば、一つに絞った方が効率的。それが一般的な見解だった。なので門晶術も祈祷術も修めている人間は少数派だ。
その少数派はちょっとした揶揄も込めて『賢者(ワイザー)』と呼ばれている。
門晶術も祈祷術もある意味学問であり博識を要求される。どっちつかずの愚かな行為をする博識という意味で、そう呼ばれるのだろう。馬鹿と天才は紙一重ってやつだろうか。
で、テアトル・グランドは天才の方なのだ。
彼は、門晶術と祈祷術を同時に使用できた。
何故なら彼もまた、俺と同じく多重門晶保持者(マルチアンカー)だからだ。
門晶として利用できる通路が二本ある。だから片方で門晶術、片方で祈祷術も使える。簡単な理屈だ。
多重門晶保持者(マルチアンカー)であるから当然晶種も二種類使え、風と土の門晶術をかなり高度に使用するという。
しかもしかも、こんだけ特殊技能てんこ盛りな上に特殊能力(マイノリティ)まで保持しているという多才振り。
特殊能力(マイノリティ)は『ゲイザー』。いわゆる未来予知だ。どのくらい先の事まで見通せるのかは、書いてなかった。
最後、三人から少し下がったところにひっそりと立つのは、一度だけあった事のある少女、シュユちゃんだ。
相変わらず白い着物に紅い袴という巫女さんらしい巫女装束に身を包んでいるが、こないだ見た時よりちょっと質が良くて高そうなものに見える。
無表情な面持ちも相変わらずで、どこか冷めた顔でバルコニー下の観衆に黒い瞳を向けている。
シュユちゃんに関しては能力に謎が多く、東方島嶼出身の祈祷術士っぽいロールだというくらいしか書かれてなかった。
双刃剣士(ブレイザー)のシュメル・パシフィク。
賢者(ワイザー)のテアトル・グランド。
鬼巫女(ヒモロギ)の伊佐那(いざな)シュユ。
そして、希者エリク・ノーラ。
この四人が、俗に『希者パーティ』と呼ばれる一行だ。
「冒険者の諸君!」
バルコニーから観衆を見下ろし、希者エリクノーラが気取った声を張り上げる。
「僕の呼びかけに応え、この場に参集頂いたこと、心から感謝する!」
いつものなよっとした猫撫で声じゃなく、朗々と響く力強い声だ。
聞く者に耳を傾けさせる何かがあるのは否めない。悔しいけど。
「諸君も承知の通り、今、このルー=フェルは未曽有の危機に瀕している――」
いつもの小馬鹿にするにやけた笑いは鳴りを潜め、切々と聞き手に訴える緊迫した顔で右を左を見ながら話す。
勿論、カンペみたいなものは持っていないし下も見ない。視線はあくまで聞き手に注がれている。大勢に何かを訴える事に慣れた、堂々とした態度だ。
一方、聞き手側はまだそこまでエリクの調子に同調はしていなかった。
どこか胡散臭そうな眼差しをエリクに向け、時たま隣の人と短いやり取りをしてエリクの言葉を批判しているようだ。
勿論、中にはエリクの言葉に真剣に耳を傾けている人もいる。だから、そういう温度差で観衆の間を妙な気配が漂っていた。
「総督府はこの危機の存在を早い時期から察知し、希者である僕に援助を求めていた。それが希者と認められた僕の務めであるからして、この援助を僕は二つ返事で請け合い、すぐに行動を起こした。ルー=フェルの市民に混乱を来さぬよう水面下で行動することは苦労の連続だったが、僕にとっては慣れた状況だ。事は順調に進んでいた……いたかに思えた!」
もったいぶった言い回しに、観衆は聴衆と化していった。
みんなやはりこの不透明な状況に対する不安が大きいのか、エリクの話が一歩また一歩と核心に近付くにつれてつりこまれていくようだ。
「だが状況はこうなった! 僕等の計画は破綻した! 議会の最中である現在、現駐留軍である共王国のセオドラス大隊はディ・セ群に。次期駐留軍である皇玉国の第八騎士団セレスティアはレイシュレイ市に。二軍は南北等距離に遠ざけられている。総督府は緊急で南の皇玉国に駐留軍の進発を打診したが、それとて一朝一夕にルー=フェルへ到達できるものではない。三日だ! 我々は三日の時間をこの脅威から稼がなければならない!」
聴衆の間をざわめきが走る。
「その為に! 総督府と監督府はルー=フェルが主戦場になる事を見越し、住民の避難を決定した。あくまでこれは苦肉の策だ、次善策だ。総督府とて本意ではない。しかし、こうせざるを得なかった。致し方なかった。諸君には総督府ひいては総督御自身の苦衷を察せられることだろう……そこで僕等が--いや、一介の冒険者として僕が為すべきは、街ではなく人を守る事だと確信した!」
エリクが拳を振り振り熱弁も揮う。今やエリクの勢いに聴衆も同調しつつあった。
だけど俺はそれどころじゃない。
エリクは知っているのだ。こうなった直接の原因を。
シューレリア――じゃない。シュリア・オーティス、つまり俺が刺激したせいで、オークが一気に攻め込んできたという事を。
その事実を公表できる立場と状況を整えつつある。
公表されれば……俺の冒険者人生はおしまいだろう。背筋に冷たいものが走る。
「諸君は知るべきだ、この危難の名を。そして行動すべきだ、冒険者が冒険者たる規範を示すために! 敵はオーク。今、奴等はこのルー=フェルを小汚い魔手に落とすべく、蜂起するその瞬間を狙っている。既に、敵の態勢は整っているのだ! 僕らに残された時間は少ない、あまりにも少ない! だからこそ我らはこの敵から無辜の民を守り抜くべく早急且つ緊密な行動を起こさねばならないのだ! それこそが冒険者の矜持に適うだろう!」
「ねえ、タツミ、お願いがあるんだけど」
真剣に――周囲の聴衆とは別ベクトルの、警戒すべき理由を見つけようとする張り詰めた視線が俺を向いた。俺を見た瞬間、わずかにその緊張が和んだ気がした。
「なんでしょうか、シューさんの頼みとあらば喜んでお引き受けしますよ」
「心強いわ」
本心からそう返して、そのお世辞の礼にふんわりと微笑み返す。タツミも少しぎこちないながらも笑い返してくれたところで、俺は表情を引き締めた。
「あたしをあのバルコニーに直接登らせられない?」
タツミが真顔で黙り込んだ。俺の言葉の真意を噛み砕いているんだろう。
さてさて、ここでどんな反応を返してくるかで今後タツミとどれだけ仲良くできるか決まりそうだな……エリクの肩を持つようだとちょっとね……。
顔を上げて俺に向けたタツミの視線は、相変わらず真摯で真っ直ぐだった。
「ここから一気にあそこまで貴女を運ぶ事は可能です」
エリクの声に掻き消されないよう、タツミが俺の耳に口を寄せてそう囁いた。
爽やかな声を潜めて囁かれると、普段とのギャップにちょっとゾクリと来るものが……なんて考えてる場合じゃない。タツミの言葉に集中しないと。
「ですが、それを実行するのは俺じゃありません。妹のミオです。だからまずはミオの了解を得ないといけません」
それは、ちょっとハードル高いな……。
実は俺、ミオちゃんがちょっと苦手だ。
嫌な気分になるって訳じゃないけど、なんかあの子いつも俺のこと睨んでるし会話のきっかけもないしでどうやって話しかければいいのかわからん。
基本スタンスがあんまり友好的な感じじゃないから俺の頼みを聞いてくれるか、はなはだ疑問だ……。
「もう一つ、これは俺からの質問です」
「なに?」
「危ないことじゃありませんよね? もし、シューさんの身が危険に晒されるような行動であるなら、俺は協力できません」
じっと、タツミが俺の瞳を覗き込む。その中にある真意を見通そうとするかのように、深く、鋭く、見つめてくる。
俺はその視線を真っ直ぐに受け止め、頷いた。
「そこまで言われたらあたしも正直に話す。多分、あたしは危険な事になると思う」
開きかけたタツミの口に人差し指を当てて封じ込める。
「もう少しだけ聞いて。何もエリクに斬り掛かるとかそういう暴挙に出る訳じゃないわ。危ないことをするわけじゃない、むしろあたしはここにこうして立ってる方が危険なのよ」
タツミが目顔だけで詳しい説明を求めてくるが、俺は躊躇った。出来れば知られたくはないのだ。群衆にも、タツミにも。
もしこのルー=フェルを巻き込んだ災難が俺の軽はずみな行動から生まれたと知れば、酒場を吹っ飛ばした時とは比較にならない敵意が俺に向けられる。それこそ、言い分を聞いて貰う暇すらなくなるだけの猛烈な敵意が。
そういう爆弾の導火線を、エリクが握っているのだから、俺としては気が気でない。
皮肉なことに、それから避難するのに一番都合の良い場所がエリクのいるバルコニーだった。
あそこなら、俺の行動が致し方のない間違ったものではなかったという立証を、群衆に語って聞かせる事が出来る。聞く耳を持ってもらえるかどうかは別として、いきなり袋叩きに遭うような事態にはならないはずだ。
それもこれも、エリクがここで俺を槍玉に挙げるかどうかに掛かっている。エリクがそんな素振りを見せた時、即座にバルコニーまで上がれる状態を作っておきたい。
だから今はまだ、タツミにこの事を話したくなかった。俺が原因なのだと知って、拒否されたり自業自得だと責められるのが……いや、タツミに嫌われるのが怖いんだ、俺は。
「何も説明しないのはずるいってわかってる……でも、絶対にあなた達に迷惑は掛けないし、危ないこともしない。だから、何も聞かずに協力して欲しい」
言い切ってタツミの口から人差し指を引いた。タツミはそっと瞑目した。俺の言葉から何かを探し出そうとするかのように。
俺はタツミの邪魔をしないよう、チラリとミオちゃんを見た。相変わらず、ムスッとこちらを見つめているだけだ。でもどことなく、タツミの反応を待っているように思えた。
やがて、それほど待たされずにタツミが目と口を開いた。
「……わかりました、俺は貴女を信じます」
そう言って、タツミはミオちゃんを見た。
タツミの言葉に俺が安堵したにも束の間だった。
ミオちゃんの青い瞳が一瞬燃え上がったかのように見えた。
底冷えのする青い炎が熾烈に俺を苛む。
「身勝手な事ばかり言わないで下さい」
口から出た言葉も辛辣だった。その語気といい眼光に込められた気迫といい、とても十代半ばの女の子が醸し出すレベルじゃない。まるで歴戦の勇士に睨み据えられた気分だ。その気迫に息が詰まり、口も利けない。
「ミオ、何も――……――使わなくったって」
タツミがミオを窘めるが、何故か声を潜めていたものだからよく聞き取れなかった。何を使ったって……?
「タツミは黙ってて。やるのは私なんでしょ」
「それはそうだが……」
と、なんだか急に威圧が抜けた。本当に、憑き物が落ちたみたいにあっさりと唐突にだ。
でも俺はその不思議をどうのこうの考えるよりも別の方向に脳みそをフル稼働させた。
勿論、どうやってミオちゃんを説得するかにだ。俺の直感はここが正念場だと告げている。
「タツミ、あたしもミオちゃんと直接話がしたいわ」
「私はあなたと話すことなんてない」
「自分勝手なお願いだっていうのはわかってるだけど――」
「あなたをバルコニーに上げて、それで私達にお咎めが無いとでも? 確かにあなたが私達に何かを願うのは勝手だけど、それを聞くかどうかは私達の勝手だわ。タツミはお人よしだからあなたの面倒までまとめて引き受ける積りみたいだけど、私は逆にタツミのそういう暴走を止めるお目付け役なの。わざわざ面倒事になるとわかってる手伝いにこれ以上首を突っ込ませないためのね。タツミの人の好さに付け込まないで。あなたの面倒を押し付けないで」
要するに、自分はブレーキ役だから俺のアヤシイお願いを聞く気はない、と。
成程、ミオちゃんはそういう論理武装で来るタイプなのか……だったら、こっちはミオちゃんの感情に直接訴える。自分も問題の渦中にいるんだって考えになれば、多少は協力的になってくれるかもしれない。その為には腹を割ってこっちの誠意を押し売りだ。まずはタツミが隠している状況の説明からだな。
「……正論よ。でもあたしはエリクに用がある。ここにいる皆にも。あたしはエリクの虚飾と関係ない、本当の事情を知っている。エリクがここにいる皆を騙そうとしてるって訳じゃないけど、彼は本当のところは何も言ってない。煽ってるだけなのよ。あたしが出てって、訂正しなきゃいけないところが出てくるかもしれない……あたしにはその義務がある。その義務を果たせれば、あたしの立場は決して悪いものじゃなくなる。それは協力したあなた達にとってもよ」
「……それをどうやって信じろと?」
「あたしは、誰がオークを刺激したのか知ってる」
ちょっとずるい言い方だけど……まだ、タツミに知られるのは怖いからな……。
対して、ミオちゃんは慎重だった。
「……だから?」
「だから、あたしは――」
言葉に詰まる。
ぶっちゃけ、さっきの『オークを刺激した誰か』の情報は俺にとっての切り札だ。
これで動揺を誘ったところで一気に畳みかけようと思ったんだが……計算違いはミオちゃんが歳不相応の落ち着きを持ってた事か。
ここからどう切り返すか、無い知恵絞っていたその時だった。
エリクの御高説はいつの間にかクライマックスに差し掛かっていた。何かないかと視線を泳がせたその先で、たまたまエリクの方を見た時、一瞬だけエリクと視線が合った気がした。エリクが、口の端だけで笑った気がした。
「――そもそも、どうしてこんな事態に陥ったのか。諸君の中には問題の根源を知っておきたい方々も多数いるだろう」
来た! いよいよ俺の名を出すつもりだっ。
エリクが何の目的で俺を冒険者として破滅させたいのかはわからんが、ここの所、口先とは裏腹に俺の事を煙たがっていたのは間違いない。ここで釘を刺しに来る可能性は大いにあり得る。
バルコニーを振り仰いで身構えた俺に釣られ、タツミとミオちゃんまでもがそちらを見た。
まだ準備が、ミオちゃんの協力が取り付けられてない中、俺の名前が出たらどうするか……冒険者協会の建物を突っ切るか? いや、それだと中の職員に捕まるかもしれない、だとしたら――だとしたら――。
「諸悪の根源はとある女性冒険者の軽挙妄動が招いた結果である! 幸か不幸か、彼女はそのオークとの戦闘で既に死亡したが、その罪は毒の如く僕等の平穏を腐り落とそうとしている」
必死に考えを巡らせる頭とは切り離されたところで、耳の方はエリクの話に全機能を注いでいた。
その耳が、その名を捉えた。
「サライオ共和王国出身の冒険者である彼女の名は――」
あれ? と思った。
俺が冒険者協会に登録する際、名前こそ偽名を使ったけど出身はこのスラディア皇玉国としたはずだ。
じゃあ、誰が?
予想を立てる間もなく、その名前がエリクの口から飛び出した。
「キャリン・ローン! それが災厄を呼び込みし者の名だ!」
刹那、目まぐるしく回転させていた思索が、爆発した感情に吹き飛ばされた。
爆風は怒りそのものだった。俺は、生まれてこの方味わったことのない怒りの爆風に呑み込まれた。
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