醒メて世カイに終ワリを告ゲルは

立津テト

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2.夢の途中と、大切な恩人。

2#6 幽霊

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 あの『祝勝アンド壮行会』から一週間が過ぎた。

 ソレバーク討伐のクエストはあれからこれと言ったアクシデントも起こらずつつがなく進行し、俺達はめでたく報酬の金貨五枚を手にして山分けしたのが四日前。もちろんガーラには銅貨一枚渡していない。
 むしろガーラは「頑張ったな」と俺達を労っただけで物欲しそうな顔一つしなかった。それが不満と言えば不満かな。

 これで一発逆転大冒険支度金も金貨四枚になった。
 だいたい金貨九枚もあればルー=フェル周辺の遺跡迷宮なら一週間は潜っていられる。後はそこで金貨五枚ほども利益を上げれば冒険→休憩がてらのクエスト→冒険→休憩がてらのクエスト→冒険……というルーティンが組めるようになる。
 このルーティンを軌道に乗せてこそのルー=フェル冒険者だ。いきなりつまずいた感はあるものの、なんとか持ち直す方策はついたな。それもこれもキャリンのおかげだ。感謝を忘れないようにしないといけない。

 さすがにソレバーク討伐みたいな目玉クエストはなかなかないもので今日も今日とて日銭稼ぎのケチなクエストを一人でこなした帰り道、俺はそんなことを考えながら急いでいる。
 程よい疲労を感じながら歩いていると頭の方で勝手に日々のよしなしごとを脳裏に描き出してくるもので、俺はこのとき漫然とあの事を思い出していた。

 あの事ってのは一週間前の二つの出来事――タツミとエリクとの出会いだ。
 この二つの出来事ははたから見るとよく似ている。思わぬ形で出会い、そしていきなり思わぬことをされたって図式が。
 しかも似ているだけじゃなく、この二つは俺の中で対照的になっていた。恥じらいと、怒りとだ。

 不思議なのはどちらの場合も不快ではなかったって点が共通してる事かな。
 タツミはほとんどあの爽やかさと天然っぷりに誤魔化されてる感はあるけど、あるのは気恥ずかしさと驚きだけだ。むしろ後から思い出して独りにんまりすることさえある。
 エリクに関しては色々複雑なものはあるけど、やっぱり一番に先立つのは不愉快さだな。
 あの時は殺す殺すと喚き散らしていたが、そうしなかったのは殺人はさすがに後が面倒だと考えられる程度の理性が残っていたからだ。ただしイケメンに限るってのはよく言ったもので、あれが不細工なオッサンとかだったら俺はあらゆる手段を講じて殺しにかかっていただろうけど。

 じゃあ何が不愉快なのかって、アイツがイケメンだから不愉快なのだ。人に無理矢理キスしといてあの悪びれもしない態度、自分がこういうことすれば女の子は喜ぶとか思い込んでるイケメン特権意識の傲慢さが気に食わない。
 女を舐めるのもたいがいにしろってんだ。俺はそんなに安くないっつの。

 幸いだったのはこの出来事がタツミとエリクのセット、表裏一体になってたことだな。エリクに対する怒りを思い出しても、タツミに対するむず痒い思いがいい塩梅に打ち消してくれる。
 うーん……俺、タツミのこと気になってんのかなぁ……それはそれで複雑な気分だ。
 
「お風呂は昨日行ったから今日は我慢かなぁ……晩御飯はルルとリリカと約束してる……さて、昼間は何してよう」

 そんな気分を変えるためあえて口に出してこの後の予定を確認しつつ、いつもの路地を通っていつもの角を曲がる。表通りから狗尾亭の正面に出るいつもの道だ。
 下町の薄暗い裏路地に出て狗尾亭のスウィングドアを視界に収めると同時に、珍しい人とバッタリ出くわした。

「ガノ君?」

 狗尾亭の暗い店内を覗き込むその背中に声をかけてみると、悪戯が見つかった子供まんまに驚いた顔を振り向かせた。別に悪いことしてるわけじゃなかろうに。
 よく見ると友達が二人、少し離れた物陰からガノ君の様子をうかがっている。ガノ君はそちらに手招きしてのっぽと小柄な男の子を呼び寄せると、「このおねーちゃんはいーもんだから」と前置きして俺に向き直った。
 それまで一体何の遊びかと微笑ましく眺めていたが、その顔に切実な真剣味が漂っているのを見て、微笑を引っ込める。

「どうかしたの?」

「にーちゃんがまだ帰ってこないんだ……」

 それを聞いて思い出す。そういえば今日はキャリン達の帰還予定日だったか。
 忘れてたわけじゃないが、情報の優先順位は低かった。
 なぜなら――。

「大丈夫よ、冒険者が予定通りに帰ってきたら、基本的に冒険失敗なんだから」

「ええ? どうしてさ」

「だってそうでしょ、お宝の山を見つけたら何をどれだけ持って帰ろうか、それをどうやって持って帰ろうかって悩むものだもの。それが意外と時間のかかるものでね、楽しい時間でもあるんだけどね。逆にあまりにも成果がないなって感じたら、準備してた食料とかを無駄に使わないようにさっさと帰るのよ。だから冒険者のジンクスとして、予定日を過ぎても帰ってこないってのは大成功の前触れだって言われてるのよ」

 そのジンクスには待つ方の気持ちの負担を少しでも軽くしようって思惑が含まれていることは、さすがに伝えなかった。

「そうだったのか! じゃあにーちゃんたちはいっぱいお宝を持って帰ってくんだな!」

「そういうこと」

「よっしゃ! すげーだろ、オレのにーちゃん!」

 ガノ君が背後の二人を振り返って自慢げに破顔する。ジンクスに関しては事実だけど、ちょっと誤魔化したような気がして感情の居心地が悪いな。

「ほら、だからガノ君もお友達ももう帰らないと。暗くなったら危ないわよ? ジノみたいな怖いおにいさんがこの辺いっぱい出てくんだから」

「別ににーちゃんとか怖くねーし! でも疲れたから今日は帰る!」

 さっきまで悄然としていたのが嘘のように元気を取り戻して、ガノ君は駆け出した。
 きっと、街に帰ってないかって今日一日中探し回ったんだろうな。後ろをついていくのっぽの友達がマメでも作っちゃったのか足を引きずってたり、小柄な子も少しふらついてたりするのを見てそう思った。そこまで付き合ってくれるなんて、ガノ君、良い友達持ってるなぁ。

  ※

 よく晴れた次の日の朝、今日はお休みにしようということで満場一致した。
 特にこれと言った理由があったわけじゃないけど、ルルが昨日思いついた門晶術の論理の実証を進めたいと言い出したのと、金貨五枚の収入で余裕もあるしってことでそうなったのだ。
 休みが決まるとルルはウキウキした様子でガーラと相部屋の自室に引き籠っていった。今日も今日とてガーラは部屋にいないから、作業に集中できると喜びながら。
 リリカはと言えば、残念ながら今日は教会での勤行の日だとかで身体は空かないらしい。たまには二人でデートでもしようと思ったんだけど、残念。

 そんな感じで突発的空白時間ができてしまった俺は、とりあえずリリカとデート気分だけでも味わおうと教会までの二十分ほどの道のりをゆっくりと楽しみ、一時間近くリリカのお勤めの様子を眺めていた。

 上級徒弟であるリリカのお勤めは主に信者のお世話で、徒弟や徒弟見習のまだ未熟な信徒にマリベル神の御心――って言ったらかっこいいけど、実際はお供えする食べ物の好みとかお祈りする際の服の好みとかそんな世俗的な好き嫌いの話ばかりだった。神様っていってもすごい力を持っているってだけであんまり人間と変わんないんだな。
 なんか昔教わった宮廷作法を思い出した。あれもお偉いさんにいかに媚びるかって手段を如何にもな形に取り繕ったもんだったしなぁ。

 朝から昼に近づくと信者の数もけっこう増えてきて、邪魔になりつつあった俺は押し出されるように教会を後にした。
 でも朝から教会を冷やかすほど暇を持て余した俺だ。この後の予定なんてあるわけもない。さりとてせっかく良い天気の外に出たんだからこのまままっすぐ帰って部屋に引き籠るのももったいない。

 というわけで帰り道の商店街をブラブラして、ついでに冒険者協会が運営するクエスト斡旋所でこないだのソレバーク討伐みたいなオイシイクエストがないか物色する。特になかった。
 そんなこんなしてる間に時間は過ぎて、商店街で本を一冊と下町の広場でドでかいパニーニ――もちろん正式名称は他にあるけど、よく似てるからこう呼ぶ――を買った俺が狗尾亭に戻ったのはお昼を少し回った時間だった。

 どうせルルのことだからお昼はまだだろうと気を利かせて買ってきたパニーニは、下町屋台村のちょっとした名物の一つだ。
 下町屋台村ってのは、まあ俺が勝手にそう呼んでるだけなんだけど、下町に唯一の広場『フェリア通り』を不法に占有する露天商の集団だ。

 不法って言うとちょっとヤバげだが、そもそも下町なんて無法者の集まりで、不法な行いがあちらこちらで横行する中じゃ未申請露店なんて可愛い方だろう。
 それにこの屋台村は通りに商店を出す際の法律が出来上がる以前から行われていた数百年来の歴史があり、『後から断りもなく出来た法に従う義理はない』と言うのが下町香具師(したまちやし)の粋なのだという。

 歴史のおかげか味も悪くないしみんな気さくに値段交渉に応じてくれる――っていうか値段交渉という勝負事に乗り出さないと逆に怒られるってのもあって、大通りの軽食屋やスナックスタンドよりも手軽に食べれるのが魅力だ。
 なにより面白いのは、気まぐれに監査の手がこのフェリア通りに入ることがあるのだが、その時の退去の手際の良さだ。一度だけ目の当たりにしたことがあるのだけど、潮が引くように衛士が来るであろう方角からザアッと店が折り畳まれて整然と散っていく様は壮観ですらあった。

 そんな屋台村名物の『くず野菜とくず肉のパニーニ』――名前は悪いが野菜の切れ端と細かい肉をカレー風味に味付けして炒めたものを特製ソースとチーズと一緒にパンで挟んで焼いたものが入った紙袋を片手に狗尾亭のスウィングドアをくぐる。くぐって、建物を間違えたかと一瞬ドキッとした。

 店内の雰囲気が一変していたからだ。
 何がどう変わったというわけではない。落ち着いてみてみれば部屋の真ん中のテーブルに酒場には似つかわしくない、積み重ねられた本の連峰が鎮座しているだけだ。
 そう理解した途端、ふわりと記憶の奥底から浮かび上がってきた秋風のような郷愁が心に染みた。
 それはとても目に馴染んだ光景で、本の山の奥にはいつも銀色のおさげの小さな人物がいたものだった。

「ルゥ婆……?」

 思わずそう呟いていた。そんなはず、あるわけないのに。
 ここはルー=フェルで、狗尾亭で、十年後で、ルゥ婆はもういない。
 ここでこういうことをする人物は独りしか思い当たらない。

「ぁー、ぉねぃさまぉ帰りなさーぃ」

 本の峰の向こうからニョッキリと紫の頭を突き出したのは予想通りのルルの顔だった。何故かその顔にはわずかな落胆が漂っているが。
 それを見ない振りをした俺が、どうしてこんなところで? と当然の疑問を投げかけると、

「部屋にルル一人しか残ってなかったから、クリエラさんに店番を押し付けられたんですょぅ」

 と、口を尖らせて本を閉じた。

「店番って、まだ開店時間には早いでしょ」

「もしもの番、だそぅですょ。まったく、こんなか弱ぃレディを番犬代わりにするなんて、クリエラさんも薄情なのです」

 狗尾亭の開店時間は夕方六時からだ。この辺の住人であれば誰でも知っていることだが、言い換えるとこの時間は店に人気が無いというのが知れ渡っているということでもある。下町は人情味に溢れた町だが、不届き者が多いのも確かだ。
 でもまあ、エンカウントしてもせいぜい『下町のゴロツキA』とか『落ちこぼれ冒険者B』って名前で登場しそうな手合いだろう。ルルなら本から目を話す必要もなく撃退できるだろうな。
 俺の炎魔法と違って威力を絞った雷魔法なら店への被害も最小限で済むし、俺はむしろクリエラさんの慧眼に納得だ。
 でもそれを口に出したらルルが不貞腐れるから、別の事を口に上(のぼ)せて本心が漏れださないように注意した。

「そうなのね、納得したわ。ご苦労さま」

「ところでぉねぃさま、『ルゥバァ』ってどなたです?」

「ん、聞こえてたんだ」

「耳は良ぃですから」

 ささやかな事ですごく胸を張る。
 そんなルルの子供っぽい仕草に苦笑しながら、俺はルルの隣のテーブルに椅子を持ってきて座った。ルルと同じテーブル上は書物や謎の器具が占領していてとてもじゃないが落ち着かなかったからだ。腰を落ち着けて持っていた紙袋を卓上に置く。

「ルゥ婆はあたしの門晶術の師匠よ」

「へぇ、そんなにルルと似てたんですか?」

「そうね、雰囲気っていうのかな、パッと見た感じがよく似てるわね」

「さぞかし美しぃぉ方だったんでしょぅねぇ……」

 何の躊躇いもない自画自賛に苦笑の苦い部分が濃くなる。まぁ、ルルらしいけどさ。

「そうね、綺麗なおばあちゃんだったわね」

「ぉばぁちゃん……ですか……?」

 ルルの顔が一気に不服そうに歪んでいく。いかん、ちょっと面白いと思ってしまった。

「別にルルがしわくちゃって訳じゃないわよ」

「当然ですっ」

「ルゥ婆ね、雷の門晶を持った術士だったの。そのせいじゃないかな」

「なるほど、それなら納得です。雷の門晶術は放電現象で自分も感電しますからね。耐電性の高ぃ帽子とローブとなるべく発生点を離す長ぃ杖は必須みたぃなもので、ほとんどトレードマーク化してますから」

「そうね、格好のせいか」

「断じて格好のせいです」

 こだわるなぁ。
 あんまりこの話題を続けてるとルルの変なスイッチを踏んじゃいそうだと判断した俺は、賢明にも話題の転換を試みた。むしろ本題に戻すだけだけど。

「ところでルル、どうせ本を開くのが忙しくてまだお昼まだでしょ? いいもの買ってきた――」

「そこです!」

「……何が?」

 ルルの大声に、俺はパニーニを取り出そうとした姿で固まった。唖然と見た紫水晶の瞳が、クリッと俺を見上げて妖しく光った。気がした。

「そこですょ、昼ご飯ですょ! ルル、ちょっと図書館に行く用事が出来てしまって、つぃでにとってこょぅと思ってたんです。でも留守番を放ってぉく事も出来なくて仕方なく空腹を抱えたままこぅしてぉ店で本を広げてたんですけど……ねぇ?」

「ねぇ? と聞かれましても……」

 なるほど、それでさっき俺が返ってきた時クリエラさんが戻ってきたものと思って期待したのか。
 それは理解できたんだが……なんか雲行きが怪しいぞ……?

「ぉねぃさまなら門晶術士としてこの一分一秒を争ぅ気持ち、わかりますょね」

 語調といい眼力といい、もはや訴えでなく命令だった。

「あたしはあんまり研究開発はしないから……」

 紫の瞳はもう疑いようがないくらい妖しい輝きを放っている。

「えーと……」

 気が付いたら俺はルルの代わりに本の山の中に座り込んでいた。
 なんでこんなことになったのか、冷えたパニーニをかじりつつ門晶術書を読むとはなしに読みながら原因を考える。まあ、大した原因があるわけじゃないことは最初から分かり切っている。ただの暇つぶしだ。
 思考の暇つぶしには五分で飽きて、パニーニも十五分で食べ終えて、三十分後には読めはするけど難解すぎて面白くない門晶術書も閉じていた。

 そうなると本当にやることがない。
 光の中で踊るようにゆったりとホコリが滞留してるのを眺めていると、じんわりと心の中に滲み出してくるものがあった。毎度お馴染み、タツミとエリクだ。

 眉間にしわが寄ったり顔が火照ったり舌を出しそうになったりと顔面筋肉の抑制に忙しくなったところで、ギィッという聞きなれたスウィングドアの呻きに気付かされた。誰か入ってきたみたいだ。

 林立する本の山の隙間から入り口を見やる。ほのかな逆光の中に立っていたのは、男とも女とも取れないスラっとした人影だった。

「まだ準備中ですよ」

 とりあえず三割ほど警戒しつつ、留守番として最低限の通告をする。
 人影に店内から立ち去る気配はない。

「ここは飲み屋で開店は夕方からなんですよ、今はお引き取り下さい」

 警戒心を上げつつ更にもう一声。
 すると影に動きがあった。
 本の山――俺の方に首を巡らせた気配。そうして躊躇(ためら)いがちに一歩を踏み出した動きも。
 テーブルの下、腰の小剣に最小限の動きで手を伸ばす。そうしてパッと見は相変わらず弛緩したまま、いつでも剣を抜けるように身体を緊張させた。

「あなたは、ここの人……?」

 そんな俺の動きを牽制するかのように、か細く頼りなげな声がスッと俺の耳に飛び込んできた。
 何か縋るものを求めるような、少女の低い声だった。
 逆光の中の相手がか弱い女の子だとわかった途端、わだかまっていた警戒心が否応なく緩んじゃうのは、まあ天堂宗の魂が成せる業、だな。

「そうだけど……あなたは?」

「わたしは違う」

 その回答に一瞬戸惑ってしまった。
 意味が分からなかったのだ。俺は名前を聞いたつもりだったから、「違う」と返されると質問と答えが噛み合わない。それとも『チガウさん』という名前なのだろうか?
 なんて具合に超高速で脳細胞をフル回転させた結果、さっきの答えは彼女が最初に発した疑問、俺がここの人間なのか? って問いを反問されたと勘違いしてるって可能性に気が付いた。
 うん、『チガウさん』よりそっちの方が可能性高いよな。

 場の空気が気まずくなりそうなくらいの沈黙を置いて、俺がそうじゃないと訂正しようと開けた口は用をなさずに閉じざるを得なかった。なぜなら、それまで物珍しそうに店内を見まわしていた人影さんが若干早く沈黙を破ったからだ。

「ここは、下町?」

「……そうよ」

 喉まで出かけた言葉を飲み込んで答える。

「ここはお店?」

「さっきも言ったけどここは呑屋だから。客足が増える夕方以降まで準備中なのよ」

 声に苛立ちが混じらないよう苦労しながらもう一度同じことを伝える。

「そうだったの、ごめんなさい、ちょっとぼーっとしてるみたい……」
 
 そう言って本当に申し訳なさそうな声で頭を下げられる。ずるいなあ、そんな風にされたら悪し様にもできなくなるじゃないか。

「……あなた、迷子か何か? だったら大通りまで道案内するけど」

「迷子じゃない。下町を見てみたくて歩き回ってる」

 その言葉に俺はまたもや疑問符を浮かべた。どうにも意表を突いてくる娘だなぁ……下町なんか観光してどうするんだろう。
 
「なんのために?」

 俺が疑問を抱くほど、見て楽しむ遊んで過ごせる場所なんて下町にはない。
 風化した石造りの家と、その間を薄板で繋いだだけの安普請が薄暗い通りを形作るだけで、眼福どころか心ゆかしもありはしない。よくこんな土地柄でみんな他人の世話を焼こうと思えるよなぁって感心しちゃうほど、環境と人情の程度の差が激しい場所なのだ。

「なんのため……よくわからないけど……大事なことのため」

 言い切る彼女の声はあまりにも凛々しくて、神妙で、そして切実だった。
 その言葉と声に興味を持った俺の中で、彼女の言う大事なことを――いや、もっと単純に彼女のことを知りたいという欲求が生まれた。

「……とりあえずそんなとこに突っ立ってないで、入ってきなさいよ」

 人影さんは俺の言葉に一瞬だけ戸惑いを覚えたようだが、何かを決意したように顔を上げて逆光の中から室内の薄暗がりに進み出た。

 ようやく目の当たりに出来た人影さんは、俺の想像と少し違っていた。ちょっとボンヤリした喋り方をするものだから、もっとフワフワ甘めの外見かと思っていたのだ。
 でも実際はシュッと引き締まった美人さんタイプで、見た目と控えめな態度のギャップがなかなか面白い。

 俺より少し高い長身をふんわりとした白いコートに包み、クセの強い金髪を背中に垂らした姿は、金色の翼を折り畳んだ天使のようにも見える。なんて言うと少しわざとらしいかな。
 コートのせいで細い身体の稜線は判然としないけれど、立ち居振る舞いからきっと均整の取れたものだと想像して補おう。

 顔立ちもその均整に応えるもの、だと思う、たぶん。
 というのも、ふっくら色付いた口元や涼やかな頬の線は見て取れるのだが、額から鼻筋にかけては乱れ跳ねる長い前髪が覆っていて判然としないのだ。
 きっとあの黄金色のヴェールの下には満月も恥じらう澄み切った双眸が隠されているに違いない。なんてな。なんか子供の頃のリリカを思い出すなぁ、あの前髪。

 一通り想像を逞しくした俺はある程度の満足を得ると、ルルが散らかしていったままだった本やら筆記用具やらを脇にどかした。

「椅子はこれを使ってくれる?」

 まだ開店作業もしていない店内には、ルルが出してきたその一脚しか椅子がない。残りは全部壁際に寄せて積んであって、そっちから持ってくるよりこうした方が早かった。
 俺は俺で席を立つ用が出来たから、すぐに椅子はいらないしな。

「ありがとう」

 俺の厚意を素直に受け取って、元・人影さんは古びた丸椅子に腰を落ち着けた。
 それを見届けてから、俺はそのまま店内に張り出したカウンターキッチンへ。簡単な飲み物や出来合いの小料理なんかはここから出せるように、ある程度の設備は整った調理場が設(しつら)えられている。
 店の主であるクリエラさんの利用許可はちゃんと降りている。あんまり派手に食材を使用しなければ、代金は事後申告でOKってことになってるんだ。
 そこで俺は冷蔵庫――のような機能を持ったガジェット――からミルクを取り出すと、それを銅の手鍋に二人分開けて熱調理器――これもガジェット――の上に置いた。

「で? なんかすごくワケアリっぽいけど、まずは名前を聞かせてくれないかしら?」

 彼女に背中を向けていた俺は、肩越しにそう聞いた。酒瓶が居並ぶ棚から茶葉の入った四角い缶を探し出さなきゃいけなかったからだ。
 手元に視線を戻した俺の背中に、なんとも頼りない返答が投げかけられる。

「なまえ……?」

「そう、あなたの名前よ。まさか忘れたなんて言わないでしょうね」

 記憶喪失ネタとかベタな展開だけは勘弁してほしいぜ。
 そう願いつつ発見した茶葉を適量と、香辛料、砂糖を鍋のミルクに投入する。後はもう沸騰直前まで温まるのを待つだけだ。
 鍋に落としていた視線を上げると、ちょうど何かを考えこんでいた元・人影さん現・名称不明さんの見えない視線と俺のそれとがかち合う。
 その様子に胡乱(うろん)なところはないから、どうやらちゃんと名前は憶えてるみたいだな。何か仔細あって答えあぐねてたんだろう。俺の本名みたいにさ。

「名前は、エリ……サ?」

「なぜに疑問系」

 思わず突っ込む。しかしこれといった反応がなかったので流すことにする。

「まあいいわ、エリサね。下の名前は?」

「エリサだけ」

「そっか。あたしはシュリア。シュリア・オーティス。シューって呼んで。それでエリサはどんな大事なことのために下町なんか観光してるの」

「……このお店はシューが経営してるの?」

 あれー、無視ですか?
 あ、悪意はないだろうから、まずはエリサの質問に答えようか。

「違うわ。あたしはこの上階のアパートの住人で、今はのっぴきならない事情から留守番を任されてる身なの」

「じゃあ、下町の住人さん?」

「今はそうね。新参者だけど」

 鍋の様子を伺いつつ返答する。
 僅かな間を置いて、エリサの質問責めは続いた。

「シューは下町、好き?」

「えらく唐突な質問ね……好きか嫌いかで言ったら、好きよ。あたしを助けてくれた町だから」

「助けてくれたの? どんなふうに?」

「うー……まあ、情けない話なんだけど――」

 俺は自分が冒険者である事、仲間の暴走で宿舎から追い出された事、路頭に迷っていたところを友人であるキャリンに助けられた事をかいつまんで説明した。
 あまり楽しい話ではなかったが、エリサの妙に真剣な聞き方に救われて、複雑な思いを少し融解させることができた気がした。
 話の途中でうっかり沸騰させそうになったミルクは、加熱を止めて蒸らしの工程に入っている。時間的にはもうそろそろ出来上がりかな。

「ってな具合で、今の生活の安定があるのはそのとき友達になったキャリンのおかげなの。それにクリエラさんもなんだかんだ言ってあたし達に好(よ)くしてくれるし、下町のみんなも気にかけてくれるしね。きっかけになったジノも声はうるさいけど気のいい人だし……うん、あたしは下町がちゃんと好きなのね」

 改めて再確認するとちょっとこっぱずかしいが、悪い気はしない。むしろはっきりと好きだって言えるものがあることにちょっと誇らしさすら感じてる。うん、すごく悪くない。
 いい具合に赤く色づいたミルクを粗布で濾(こ)して茶葉と香辛料を取り除く。
 少し傷は目立つが綺麗に磨かれたカップ二つにそれを等分に注ぐと、温かい湯気がふくよかな香気をのせて鼻先をくすぐってかき消えた。うん、うまく出来たみたいだ。
 リリカがよく淹れてくれる東方大陸伝来のお茶の淹れ方、見様見真似だったけどなんとかなるもんだな。

「はいこれ」

 自信作二杯を両手に持つと、エリサの目の前にその一方をそっと差し出した。カップを置いた俺の腕を登るようにして、エリサの顔が俺に向けられる。

「え? わたし、頼んでない……」

「おごりよ。お茶もなしでおしゃべりするのは味気ないでしょ」

 差し出された桃色の液体に言葉もなく視線を張り付かせていたエリサだが、一つ二つと頷いた後、もう一度顔を上げて俺を見た。その淡紅色の唇が柔らかくほころんでいるのを見つけて、俺も思わず微笑み返していた。

「そういうことならいただきます」

 甘い香りに誘われるようにエリサがカップを持ち上げ、その縁に口づけしてそっと傾ける。
 なんとなく、隠れた前髪の下で瞳を瞠(みは)らせているような気がした。

「……おいしい」

「甘すぎなかった? あたしの好みで淹れたからちょっと甘めなんだけど」

 聞くまでもない反応だったがあえて聞く。
 これガーラや、意外にもルルにも不評なんだよね。以前一回だけ作って飲ませたら甘すぎる甘すぎるって文句たらたらだったっけ。文句言いながら全部飲んでくれたけど。
 でもそのせいで何か失敗してたかといろいろ試行錯誤してみたおかげか、今回は喜んで貰えたみたいだ、よかった。
 
「すごくちょうどいい。わたし、これ好きよ。うん、今までの人生で一番おいしいお茶かも」

 ちょっと言いすぎじゃない? ってくらいの賛辞に、小鼻をひくつかせないよう苦労する。

「そう、よかった」

「ほんとにおいしい……わたしも下町が好きになったかも」

「現金ね」

 さすがに感心しすぎだろうと苦笑する。

「ねえ、シューはどうしてわたしに親切にしてくれるの」

「親切って言うほどのものじゃないし、どちらかというとあたしの都合よ。暇を持て余してたところにちょっと面白そうな人が紛れ込んできたから、甘いもので釣ってこうして暇つぶしの相手をしてもらってるの」

「わたしが悪人かもしれないって、思わなかったの?」

「間抜けな質問ね……悪人がそんな風に聞くものかしら?」

「うん、聞かないかも」

 ちょっと小馬鹿にするような質問にも生真面目な態度で答えてくれる。
 実は俺、こういうちょっとズレた娘、嫌いじゃなかったりする。いじめるというか、ちょっかいかけたくならね?

「正直言うとね、ちゃんと警戒はしてるのよ? でもあたし強いから、あなたみたいに間の抜けた悪人だったら大した脅威にもならないと思って余裕を持ってられるのよ」

「むぅ、さっきから間抜け間抜けって、わたしが間抜けみたいに言う」

「みたいじゃなくてそう言ってるんだけど……」

 っていうか今更そこに喰いつくんだ。
 やっぱ面白いな、この娘。

「なおさらひどい!」

「そういう怒り方が間抜けなんだってば」

「そういうひどい人にはわたしの大事な秘密教えてあげない」

 そう言ってプイッとそっぽを向いてしまった。歳の割に幼い仕草や行動が目立ち、且つそれが嫌味にならない娘って貴重だよなぁ。
 俺なんかがこんな態度とった日には、ガーラには爆笑され、リリカには病気じゃないかと心配され、ルルは……ちょっと想像つかないな、まだそこまでの付き合いがないからな。
 そうだな……ルルなら笑うか馬鹿にしてきそうだなぁ。「ぉねぃさま可愛ぃですょwww」とか言って。
 
 そんな風に俺が一人物思いに耽る間にも、エリサはなんとももどかしそうに俺の方に顔を向けたり薄桃色の唇を尖らせたりむーむー唸ったりして催促してきている。
 何を催促してるかって、そりゃもちろん『俺がエリサの教えたがってる秘密を聞き出してくれるのを』だろう。
 あー、こうも見え透いてるとついつい意地悪したくなっちゃうなぁ。

「エリサの秘密を教えてもらえないのかぁ、それは困ったなぁ」

「困るでしょっ? だから――」

「でも大事な秘密を無理に聞き出すのもひどい話よねぇ……?」

「う……あうあうー、むーっ!」

 もはやエリサの不満は言語化できない域に達したようだ。
 さすがにそろそろかな。なんか声に涙色が混じってきてるし。

「ごめんごめん、少し意地悪しただけだから、ちゃんと謝るから許して、ね?」

「うー……」

 残り少なくなったカップを両手で包んで唇に当てる姿は、惜しみながらお茶を飲んでいるというより不貞腐れてカップの陰に隠れているようで、苦笑気味の顔を維持するのが大変だった。
 それはともかく、俺の努力も空しくエリサの声に残った根強い不信はなかなか消えてくれない。
 よし、奥の手だ。

「許してくれたらもう一杯お茶作ってあげちゃう」

「ほんとっ?」

 一本釣り。ふ、ちょろいぜ。

「ほんとほんと」

「……別にお茶につられて許すわけじゃないから」

「じゃあ甘~いお茶はいらない?」

「いる」

「はいはい」

 ほんとにこの娘は……癖っ毛がふわふわしてるあたりも含めて、子犬か子猫みたいだ。素直じゃない感じは子猫かな。

 妄想に緩んだ表情を隠しもせず、俺は約束通りもう一杯のお茶を淹れるべくカウンターキッチンまで移動する。
 エリサは何かを真剣に考え込んでいるようだったので、もう一杯ができるまで俺もお茶作りに専念させてもらうことにした。深刻そうな顔のエリサの前に新しいお茶を出すまでその沈黙は続いた。
 まあ、エリサと俺では抱えていた沈黙にえらい差があったけどな。エリサはやけに重苦しい沈黙を、俺はエリサって娘を反芻する楽しい沈黙ってな具合にさ。

「そんなに悩むほど話し辛いなら、無理して言わなくてもいいのよ」

 向かいの席に腰を落ち着けつつ言い諭(さと)す。すると俺の言葉で決心を固めたように、エリサが顔を上げた。

「ううん、シューに聞いてもらうって決めたから、聞いてもらう」

 はてさてどんな大事な秘密が聞けるのやら。
 エリサの口からそれが漏れ出づるその時を、俺は気負うことなく待つ。

 そして三十秒後、興味はあったが大した話ではないだろうと高を括っていた俺の考えは裏切られた。
 良くも悪くも……いや、真実であれば最悪だ。
 エリサの伝えた秘密は、俺にとって大きな衝撃となった。

「近い内にこの貧民窟――下町が、オークの大群と兵隊がぶつかり合う戦場になって壊滅するよ」

「……はい?」

 衝撃的過ぎてにわかには思考に馴染まなかったほどだ。一言でいうなら、信じられなかった。
 しかしその予言めいた告白は、笑い飛ばすにはあまりに突飛でしかも具体的に過ぎる。
 どうしてそんな妄想を……と笑い飛ばすのが憚られたのは、エリサの全身に漲る切迫した気配のためだ。それが、冗談だと決めつけられるのを拒んでいた。

 ちなみに彼女の精神がどこか病んでいて、途方もない妄想を本気で信じている可能性は最初から切り捨てた。
 確かに彼女の言動はどこか浮ついていたが、応対はしっかりしたものだし挙措(きょそ)に胡乱(うろん)なところはない。だから彼女が心を病んでいるとは考えたくなかった。
 
 しかしそうなると今度はその妄言じみた告白をどう受け止めるかで頭を悩ませることになり、そこに答えを出すのもまたなかなかの難事業だった。
 究極的には信じるか信じないかの二択だが、信じた後どうするか、信じなかったらどうなるかって先のことが全く予想もつかない。

 俺の当惑を余所に、エリサは言葉を続ける。

「信じる信じないはシューに任せるよ。でも、わたしはシューに死んで欲しくないから、出来れば信じて欲しいな」

「……信じて、信じたとして、あたしはどうすればいいの」

「どうすれば……」

 それまでまっすぐに俺の方を向いていたエリサの顔が、僅かに横に動く。前髪のせいで視線は定かじゃないけど、目が泳いでいるような素振りだ。まさか――?

「どうして欲しいかなんて、考えてなかった」

 そのまさかだった。
 俺の指摘に感嘆すら抱いたような声を聞かされて、俺は脱力した肩を落とす。この娘は、具体的に何をしに来たんだろう……?

「とりあえず、逃げたらどうかな?」

「逃げる……か」

「本当にすごい大群なの。どんなに強い冒険者もきっと一人じゃどうしようもないくらい」

「でもこのルー=フェルには正規軍が駐留してるでしょ」

 そう、ルー=フェルには衛士という警察だけじゃなく、軍組織も存在する。かなり特殊な、だが。
 なにが特殊かというと、ルー=フェルの軍隊はスラディア皇玉国とサライオ共王国、二か国による当番制なのだ。
 これもルー=フェルを特別な中立地帯だと決めた講和条約の中に明記されている。おおよそ半年に一度――アステラの一年は十五か月なので七か月に一度、駐留師団が交替される。
 その交代は皇玉国と共王国の代表、つまり総督府と監察府のお偉いさん方プラス各国の重臣が角突き合わせ――じゃなくて額を集めてルー=フェルの政策を決定する年に一度の行事、『総監議会』と同時に行われた。
 総監議会はおおよそ一週間に亘って行われ、お偉方が集まるこの間はルー=フェルにはどちらの軍も近づけてはならないとされ――ここでクーデターを起こせば相手国を一瞬で機能不全に陥れられるからだ――駐留軍も交替の軍もルー=フェルから三日行程分引き離される。
 つまり、引き継ぎ手続きも含めたこの三週間はルー=フェルに軍隊と呼べる戦力が皆無になって……ルー=フェルが手薄になってるってことは――。

「次の総監議会って……たしか、来週から……」

 おいおいまてまて……なんか……急に与太話が現実味を帯びてきたぞ……。
 お茶に映る自分の顔が微塵に揺れていた。いつの間にか手が細かく震えている。

「でも、なんでオークがっ?」

 オークは部族社会だ。その一部族もせいぜいが百数十人単位の小さな部族で、軍がいないとはいえとてもじゃないけど巨大なルー=フェルを乗っ取れるほどの戦力にはならない。

「そこまではわからない。でも、オークが攻めてくるのは確か」

「なんで……エリサはどうしてそれがわかるの……?」

 救いを求めるように尋ねる。
 その顔に浮かぶ表情を見るのが怖くて、顔を上げられなかった。
 だって、そこに深刻な顔を見つけたら、それはきっと俺と同じ表情のはずだから。それを認めてしまったら、俺はエリサの言葉を信じるしかなくなってしまう。
 
「エリクに会って」

 答えの代わりのそう返ってきた。急に部屋の空気が冷えた気がした。ハッとして顔を上げる。
 もう、そこには誰もいなかった。
 まるで最初から誰もいなかったのように、忽然とエリサの姿は消えていた。
 空になったマグカップと、困惑の種を残して。

「……なによ……なんなのよ……」

 夢なんかじゃなかった。たしかにエリサはここにいた。でもどうにかして消えてしまった。幽霊みたいに。
 でも消えた方法なんてどうでもよかった。それよりもどうして消えてしまったのか理由が知りたい。
 だって、こんな重大事を俺一人に押し付けて勝手に消えちゃうなんて、ずるいじゃないか……。
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