醒メて世カイに終ワリを告ゲルは

立津テト

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3.岩屋の死闘と、居ない人達。

3#5 真相

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 不自然に曲がりくねった岩窟をゆっくりと進む。
 緊張に詰まった息を吐き、吸い、顔を顰(しか)める。岩壁をくりぬいただけの燭台に立つ蝋燭から、黄色い光と一緒に生臭い臭気が発せられているのだ。獣脂蝋燭特有の悪臭だが、それだけじゃないだろう。
 換気が行き届いた遺跡迷宮と違い、何の創意工夫もない岩窟内部は空気が停滞しがちだ。
 オーク達が本来放っている獣臭さが、岩窟内部に充満していた。
 
 ここはさっきまでいた遺跡の内部と違い、紙ヤスリみたいにザラザラした石壁にはノミの荒々しい跡がクッキリついている。最近掘削されたばかりの岩屋なのだろう。
 ところどころ木の梁で補強されているのは地質的に弱い部分なのか、そこだけ湿っていたりもする。崩れたりしないことを祈りつつその下を潜る。

「ひゃんっ」

 不意に響いた可愛らしい自分の悲鳴に自分で驚いて余計に身体を竦ませる。
 いや、なんてことはないんだ、梁を伝った水滴が背中に落ちてきて驚いただけで。
 間抜けな独り芝居に少し頬を熱くしつつ、気を取り直して手掘りのトンネルを進む。

 作られた目的は恐らくオークキングの居室の為だ。
 ルル曰く、共王国北部の山脈の裾野を本来の生息域とする彼らの、文化と呼べなくもない文化の一つに洞窟住居があるらしい。
 それは天然のものよりも人工的に掘りぬいた物の方が等級が高いらしく、族長なんかはこぞって配下に岩屋を掘らせてその長さと広さで権威を誇示するのだという。
 穴掘りで優劣を競うとか、なんだか陰気で卑屈な威張り合いだ。

 そういうわけで、体面を重んじるオークキングはわざわざ居心地の良い遺跡迷宮の壁を崩して、こんな暗くてジメジメした洞窟の中に引き籠っている。
 ま、こっちとしちゃ好都合なんだけどさ。狭い場所なら必然的に数の劣勢を補える。
 さっさと終わらせて、ルルの援護に行かなくちゃ……。

 紫髪の少女の面影を連想した時、それに応えるかのように俺が来た方角から腹の底を揺すり上げる破裂音が響いた。
 作戦――というか、こうするしかなかったとはいえルルは今、一人でこの岩屋の入り口を守って戦っている。俺とオークキングの戦闘を邪魔させないために。
 あの数を一人で相手取るとか、普通に考えたら自殺行為以外の何物でもないけど別にルルは捨て石になったわけじゃあない。むしろ二人が生き残るのにこれが最も勝算の高い計画なのだ。と、思う。

 特にルルの方はそう易々とどうにかされる心配はないと思う。
 それはルルの目的があくまで足止めだからだ。
 彼女の門晶は雷属性で、一対多の戦闘においては比類ない戦闘力を発揮する。
 しかも構築の隙はこの岩屋という特殊条件が埋め合わせてくれる。この狭い通路であれば、巨体のオークはどうしたって一体か頑張って二体でルルに挑むしかない。残りはその後ろで列をなして順番待ちだ。
 そうなればルルはその順番待ちごと敵を吹き飛ばせばいいだけだ。しかも相手は雷に弱いときた。
 更に更に、死体が増えれば増えるほど攻め入るオークの足場が悪なってルルはより正確に門晶術を構築する時間を稼げる、と負ける要素を見つける方が難しい有利な立場なのだ。

 唯一の問題は門晶の限界だろう。その間にオークキングをぶっ倒すか、あるいは雑魚オークを全滅させる――のはぶっちゃけ無理だろうな。
 なので最終的にルルが無事で済むかは俺の働きに掛かっているのだから、気合も入ろうってもんだ。

 そもそもなんでわざわざそんな危険を冒すのかと言えば、キャリン達の行方の鍵を握るのがどうやらオーク軍総大将であるオークキングらしいからだ。俺だって好き好んでこんな危ない橋を渡りたいわけじゃない。
 でもここまで来た以上、ちゃんとキャリンの居場所を確認して助け出したい――……可能であれば。
 だからルルは俺のために頑張ってくれて、俺はこれから命懸けでオークキングと対面する。
 きっと、戦闘は避けられないだろう。

 そういう訳で、俺達が無事に『根絡みの大空洞』を抜け出るにはオークキングを打倒してこのオークの軍勢を解散させる必要があった。
 これもルル曰くだが、オークは基本的に自由気儘な種族、力で統治する長がいなくなれば、自然と目的を見失って三々五々と元の住処へ帰るかもしれない。あくまで“かもしれない”なのも不安と言えば不安だな。
 
 硬い岩盤を避けてだろう、右に左にうねる上、足元も不安定な筒状の通路を百歩ほど歩いただろうか、不意に悪臭の塊が俺の鼻を打った。例の生臭くツンとして、肺の中を掻きまわすような不快な獣臭だ。
 直角に近い曲がり角を曲がると、急に開けた場所に出た。
 薄暗い通路からちょっとした部屋を眺めて息を呑む。
 手掘りで拵えたにしてはなかなか堂に入った……いや、それどころじゃない居室だ。

 ティストの屋敷の俺の部屋ほどじゃないが、なかなかの広さだった。
 だけど何もない。石の床と壁と天井に囲まれただけの部屋。
 そしてこの部屋の造りは通路とはまた雰囲気が違った。

 削り跡が無骨だった通路の内側とは打って変わり、この部屋はどこも手抜かりなく平らかにされている。床にはどこから持ち込んだのか、使い古されて毛足の短くなった赤い絨毯まで敷かれていた。
 相変わらず光源は壁の穴の獣脂の蝋燭だが、オーク一体がやっとこさ通れた通路の丸い天井と違い、こちらは壁と直角でピシッとなってるし何より床と同じく平らに均されていた。高さも結構ある。気にせず小剣を振り回せるほどだ。

 一体どうやったら手掘りで、しかも決して長くはない時間の中でこんなものを作り上げたのだろうか。土木建築の知識が乏しい俺には想像すらできない。
 そもそもなんの事前調査もなしに地質のしっかりしたところを見つけてそこに部屋を掘り抜くなんて、一朝一夕の経験で出来るもんじゃないだろう。『オーク達の文化と呼べなくもない文化』とルルが持って回った言い方をしたのも頷ける。オークのくせになかなかどうして、侮れない土木技術だ。

 こんなすごい――すごい馬鹿げた部屋にいるのが、オークキング以外であろうはずもない。
 
 居室に入ってすぐ、そのオークとは目が合った。
 お互い誰何するなんて間抜けはしない。ただ、相手の出方を窺って睨み合う。視線を外さず、生死の間仕切り手前まで俺は歩を進めた。
 そいつは居室の一番奥まったところで、これも岩盤から削り出したものなのだろう、床からせりだしたような石の玉座にゆったりと巨体をもたれさせている。他にはオークの姿も人間の姿もない。

 外にいたオーク達と大きな違いはないが、心なしか少し細身で小柄に思える。いや、細身って言っても『すげぇデブ』が『ただのデブ』になった程度なんだが。
 でも意外だ。オークでキングって言うんだから、もっと普通のオークの倍くらいありそうな巨体を想像してた。

 他に違いと言えば、どこで設えたのか結構ちゃんとした黄金色のプレートアーマーを着込んでいるところだろうか。それも胴だけ。
 冑はおろか手甲も脚甲も着けていない。致命傷を与えられる急所はあちこち丸出し。まるで威儀を正すためだけに着用しているような中途半端さだ。
 その丸出しの部分には雑魚オークと同じように赤い火の文様が踊っている。
 しかもキングだからか、雑魚が一部分にしか施していなかったそれをほぼ全身くまなく覆っていた。刺青だとしたら相当痛かっただろうな。
 
 そして肝心の得物は……長剣か。一般的なロングソードよりやや厚刃の無骨な剣が、抜身のまま石座の横に立てかけられている。
 これはラッキーかもな。相手は怪力自慢だ、取っ組み合っても押し負けるのは目に見えてる。
 どうせまともに打ち合えないのだから下手に取り回しのいい武器を持たれているより、懐に飛び込めばこっちの独壇場にできる長物の方が与し易いってもんだ。

 お互いに視線を絡ませたまま、オークキングは玉座で身動ぎもせず、俺はゆっくりと足を動かす。咄嗟に動けるよう、絨毯を避けてキングの正面右方から近付く。
 
「お初に御目文字仕りますわ、キング」

 沈黙を破ったのは、横柄で慇懃無礼な愛らしい声。もちろん俺のだ。
 座ったままのオークキングを見下ろす形で、五メートルほどの距離を置いた。

 近付いても遠目から受けた印象はさして変わらず、細身のデブが上半身だけ甲冑を着けて長剣を横に侍らせている。顔は……まあ、オークらしいオークだな。美醜がさっぱりわからん。とりあえず俺の感性じゃみんな醜く見える。
 玉座に近付くにつれて感じていたことだが、獣臭さに血の鉄臭さが混じっている。玉座の周りの黒いシミは血痕だろうか。だとしたら結構な出血量だ。

「……また、猿の女か」

 くぐもって聞き取りづらいが、滑らかに発生されたのは間違いなく公用語だ。
 まぶた、というより肉の厚みと呼んだ方がいいコブの下で、オークキングの黄ばんだ眼光が揺らめいた。

「また、って言うのはどういう意味かしら」

 でかい頭を腕だか肉の塊だかで支え、石座にだらしなくもたれかかっていたキングが身を起こす。
 そうすると小柄だという自分の認識が間違いだと思い知らされた。
 普通のオークに比べて、細身でしかも長身だ。俺の一.五倍はあるだろうか。いや、デブはデブなんだけど。

「三日ほど前にもここに猿の女の姿があった。尤も、貴様と違って雑兵に召し捕らえられてだがな」

「それは……」

 言葉が喉に詰まる。視界の隅の完全に乾いた血痕が意識の中に滑り込んできて、嘔吐感をこらえるので一杯一杯だったからだ。
 何とか飲み込み、後を継ぐ。

「それは、こげ茶の髪を短くしたそばかすが印象的な二十歳前後の女性かしら」

「知らん」

 取り付く島もない。

「あたしはそれを確認しに来たの。不要であればあなたと戦うつもりはないわ。大切な友人を見つけ出して、早々にここから出ていく」

 俺の言葉に、キングは初めて表情らしい表情を浮かべた。
 鼻で笑い飛ばすような嘲弄を。

「クフ……散々我が軍勢に傷をつけておいて、五体満足に帰れると思っているのか? だとしたらその金色のおつむの中身は羊か鶏のそれなのであろうな」

「……もう一度聞くわ。その三日前に捕らえられた女性の特徴を教えて。そして彼女が今どこにいるのかを」

 再び、キングはむっつりと黙り込んだ。自分の言葉を無視されて不貞腐れているかのようだ。
 だがそうかと思えば急に意味ありげな微笑を――って呼ぶのはあまりにも美化しすぎだな。醜悪に歪めた口元から滲む気味の悪い愉悦を、隠そうともせず陰気な声に乗せてきた。

「クフフフ……いいだろう、ここまでたどり着いた褒美に答えてやる。しかし特徴なぞ覚えておらぬ。雌猿の顔貌(かおかたち)なぞ我には興味もないからな。その女、多少は武芸の心得があると見えて興が湧いてな、故に手慰みでいささか嬲(なぶ)ってやろうと思った。それで我が種を孕めば生かしてやっても良いとな」

 嬲るって、そっちの意味かよ……別に潔癖じゃないが普通に汚らわしい。つーかキモイ。

「だが其奴は我が温情を無下にした」

「まんまと逃げられたっての」

「我から逃げられるものか。我はグニィク一の俊足を誇るジョゴズィであるぞ」

 なるほど、グニィクってのは称号みたいなもので、こいつの個体名はジョゴズィって言うのか。覚えてる理由もないな。忘れよう。
 それよりもキャリンと思しき女性の行方だ。

「じゃあ、どうしたってのよ」

「自裁しおったわ、己が短剣でな」

 自裁……?
 自殺した……ってことか……?
 
 それだけだったら、まだ別の誰かの悲劇かと思えた。でも同時に出てきた単語と組み合わさると、キャリンの可能性が跳ね上がる。
 震える手で腰裏の剣帯に手を伸ばし、そこに挿してあったダガーに手を触れる。

 心臓が絞り上げられたように痛む。肺が言うことを聞かず好き勝手に呼吸を乱す。目の奥でチカチカと危険信号が瞬く。知ってはいけない。これを知ったらもう後戻りできなくなる、と。
 それでも俺は、知ろうとした。
 知らなきゃいけないと思った。
 ここで逃げたらきっと、ルゥ婆との約束もこれからの未来もここに捨てていくことになっちまう。
 踵を返すのをなんとか踏み止まって、抜き出した腰裏のダガーをキングに見せつける。

「その短剣って……」

 なんとかそれだけを言うのが精一杯だった。
 キングの腫れぼったい顔に変化はない。
 だがこっちの意図は伝わっているはずだ。
 喘ぐように息を吸って、獣臭さに顔を顰める。不愉快な臭い、そして不愉快な間だった。
 動揺する俺の気持ちを弄ぶような、嫌らしい間。
 俺が堪えかねて口を開こうとした一瞬先に、キングが思い出したように口を開く。

「ああ、それだな。女の死骸はそのまま手下共にくれてやったからな、遺跡のどこぞに落ちていたか。クッフフフ……奴らは雌であれば人だろうが動物だろうが生きていようが死んでいようがお構いなしに楽しみよる。その後、骨も残さず喰らってしまうのは流石の我も閉口するが」

 昏い含み笑いが、引き波のようにサァッと耳の奥で遠ざかっていった。
 背骨が氷柱にすり替わったような、鋭く冷酷な戦慄が駆け巡る。戦慄が内部から俺の手足の骨をがんじがらめにして、全身が凍り付いたように動かなくなる。
 もしここでキングが斬り込んできたら、俺はなんの抵抗もできずにあの世行きだっただろう。だけどそうはならなかった。キングは腰を落ち着けたまま、俺の反応を愉しむようにニタニタと笑んでいる。
 そのいやらしい冷笑にカッとなり、キャリンの最期にもきっとこんな笑みを浮かべていたんだろうと思ってゾッとする。思考が得体のしれない激しい明滅の中で翻弄される。
 嘘だと否定しろ、キャリンの仇を殺せ、間に合わなかった、みんなになんて言えばいい……身体と精神と心理がてんでバラバラに自己主張しているのだ。

 こんな現実、信じたくなかった。でも、否定しきれるものじゃない。ここに辿り着くまでの成り行きが、キャリンの死を事実だと俺の思考に裏付けている。
 短剣が震えていた。俺の視界の真ん中で、痛みを覚えるくらい固く握りしめられたそれが震えている。
 短剣が、泣いているんだと思った。身を震わせて、泣いている。
 短剣が? キャリンが?
 いや……泣いてるのは、俺だ。

 頬を伝う熱いものを意識した途端、引いた波が返ってきたかのように頭の奥からワッと大音響が流れ出す。
 音だけじゃない。キャリンのそばかすが浮いた笑顔もだ。
 出会ったあの日の事、狗尾亭での生活を手解きしてもらった日の事、屋台村を案内してもらった事、一緒に食事をした事、他愛ない話題で夜遅くまで駄弁ってた事、壮行会の夜の笑顔と約束。

「一緒に冒険しようって、言ったじゃないか……」

 涙に濡れた声は、ひとりでに喉の奥から零れ落ちた。

「クフフ、それは気の毒だったな。だが案ずるな、貴様等の言うあの世とやらで好きなだけするがいい」

 嘲りを押し隠した静かな声が耳を叩いた途端、強張っていうことを聞かなかった身体が不意に軽くなった。瞬転、涙を置き去りにして跳んでいた。

「お前がぁっ! お前がキャリンを殺したっ!!」

 自分でもいつ剣を抜いたのかわからない。そして、キングがいつ長剣を手にしたのかも。
 瞬歩で半ば体当たりするように斬り掛かった刃が、キングのそれと激しくぶつかり噛み合う。
 沸騰した頭の底で赤い光が閃いた。理性が発する危険信号だが、無視した。

「ほうっ! 貴様はあの雌猿と違い瞬歩を遣うか!」

 キングが愉快そうな声で笑う。すぐ目の前で醜怪な顔が裂けて黄ばんだ歯が覗き、不快な臭いが鼻を衝く。
 それでも離れまいと、このまま八つ裂きにしなけりゃ気が済まないと更に押し込もうとした途端、数十倍の力が俺の身体に襲い掛かってきた。

「ぎゃんっ」

 俺自身は鍔迫り合いに持ち込んだと思っていた。だけど、そりゃそうか、オークだもんな。力で敵うはずがない。
 肺が絞り上げられる苦痛の中で、俺はさっきの危険信号の意味を身を以て承知した。
 たった一振りで、さして広くはないといっても部屋の端から反対側の壁まで吹き飛ばされれば、流石の頭に血が上った俺でも懲りた。

 滑らかとまではいかないが平坦な石壁を背もたれにして立ち上がる。
 キングは俺を弾き飛ばした位置から動いていなかった。
 ひたすら愉快そうに口と目元を歪めて嗤(わら)う。

「クフフフ……面白い、面白いな、雌猿。貴様の名は何だ、申してみよ」

 キングを真っ直ぐに睨みつけ、口の中の砂利を血の味のする唾と一緒に吐き出した。

「あんたに名乗る名前なんてないわよ……!」

 ようやく整ってきた呼吸の合間にそう返して、跳ぶ。
 組み合ったら勝ち目はない。だったら速度で翻弄してヒットアンドアウェイで少しずつ奴の体力を削る。その中でチャンスがあったら急所に一撃――

「瞬歩であれば我も使えるぞ」

「な……」

 その声は右耳のすぐそばで聞こえた。さっきとは別の意味で背筋が凍り付く。
 余裕しゃくしゃくのキングの油断を利用し瞬歩で側面をとろうとしたはずなのに、何故か見定めた場所にキングの姿はなく、俺の死角からその声は現れた。
 その耳打ちの意味は深刻なものだった。俺が、瞬歩勝負で……唯一の長所だと思っていた点ですら負けたってことだ。

「くっ……」

 弾かれたように瞬歩で下がる。一体何がどうしてこうなったのか……考えてみれば答えはすぐに想像がついた。
 油断を突こうとしていたはずが、瞬歩の弱点をものの見事に逆手に取られたんだ。

 瞬歩は確かに高速で移動できるが瞬間移動じゃない。動きの軌跡もあれば前動作もある。知っている戦士が見れば次にどこへ跳ぶか予測するのは難しくない。
 しかも明確な弱点もある。移動中は状況判断も方向転換も急停止すらできないという弱点が。
 キングは俺の移動先を予見し、その一瞬の間に死角へと回り込んだのだろう。これだけでも十分、キングが容易ならざる戦士であることを物語っていた。

 凍り付いた背中が溶け出したかのように、どっと嫌な汗が滴り落ちる。
 大した運動もしていないのに動悸が早くなった。焦りと不安のせいだ。

 正直、所詮オークだと舐めていた。
 キングも相当俺の事を甘く見てる感じだが、それ以上に俺はキングを侮っていたのかもしれない。
 だけど蓋を開けてみれば腕力は比べるべくもなく、優(まさ)っていると思われた速さでも一歩遅れを取った。
 門晶術はきっと熱の門晶なのだろうが、火と冷気に強い耐性を持っているオークと違い、こっちは自分の門晶術の熱にも対策しなきゃいけないほどの柔肌だ。

 あらゆる点において不利だった。
 何よりその不利を深刻に考えていなかったことが致命的だった。

 感情を乱して勝てる相手じゃない。冷静に、且つ、全身を使って全霊を傾けて全力をぶつける。そうしなきゃ、キャリンの敵は討てない。
 そうだ、俺だけの問題じゃないんだ。
 こいつをここで倒さなきゃ、キャリンを失った悲しみと辛さを、今度はルー=フェルの住人すべてが味わうことになるのかもしれない。
 ガノ君や、クリエラさん、下町のみんな、どこにいるのかわからないけどエリサだってそうだ。
 みんなが失いたくないものが、あの街にはあるんだ。

「しっかりしろ、あたしっ!」
 
 口の中で叫ぶ。怒りと失意のあまり閉じかけていた視界がパッっと拓ける。思考に秩序が戻り、ガチガチに力んでいた身体が生来の柔軟さを取り戻す。
 俺の変化にオークキングも感づいたのか、見下すような笑みを消して感心したように細い眼を見開いた。

「ほう……そのまま自滅するかと思ったが、なかなかどうして……クフフ、貴様は本当に面白いな、雌猿」

「……お褒めに預かり至極遺憾だよ、キングサマ」

 皮肉を返して小剣を構え直す。剣を持った右腕を前に出して左半身を引き、左手はいつでも門晶術を放てるように胸に引き付けた。
 右足のつま先は相手に向け、左足は少し開く。重心は前の右足に六、後ろの左足に四だ。
 そうしておいてわずかに腰を落とした。はっきりとわかるようにじゃなく、下半身に腰を載せるような感じで。
 その下半身の上に背筋を伸ばした上半身を置く。一本の柱が背中から地面まで貫き通るようなイメージ。
 これが俺の片手正眼。ユールグに基礎を叩きこまれ、ガーラと一緒に門晶術を絡める改修を加えた、俺を最も活かせてあらゆる状況に即応できる攻守に均衡のとれた構えだ。

「そしてあくまで我に楯突くか。良い、良いな。猿にしておくには勿体無い雌だ。良かろう、貴様は殺さん」

 俺とキングはほとんど同時に跳んでいた。

「我が――ッ!?」

 いきなり眼前に現れた俺の姿に、跳んだ後も続けようとしていた長広舌が止まる。
 今度の瞬歩勝負は、俺の勝ちだった。

 そのうるさい長広舌に切っ先を突き込もうとしたが、反射的に持ち上げられたのであろう長剣の柄に阻まれる。
 一撃目を防がれるのは予測の範囲内だ。突きを布石に左手をキングの頭に向ける。

「二十三式・甲、エリフ・ギブ・エドルプクスェ」

 キングの後頭部あたりに術が具象化するよう調整し、門晶へエーテルを流し込む。
 刹那、爆発が起こった。オークキングの巨体を盾にその爆風をやり過ごし、その余波が収まる前にキングの懐から跳び退いた。
 手応えがなかったのだ。爆発を受けてなお、キングは口元の嫌らしい笑みを絶やさなかった。
 火傷を負ったような様子もないし、火耐性持ちの上に馬鹿みたいに頑丈か。

「火の門晶も使うか! 欲しい、欲しいな! 貴様には子袋となる栄誉を授けてやる!」

 なんか意味は分からんがキショイっぽいこと言い始めたぞ……?
 爆発、ちゃんと効いてて頭がイカれたか?

「何、コブクロって……えらく卑猥な響きね」

「ふん、猿にはない文化だったな」

 あ、なんかオークの口から文化とか出てくると地味なショックが……。

「我の子を産ませてやろうと言うのだ」

「はぁ? あんたの后にでもなれって言うの? そんな全人類三億人の損失、あたしは背負いたくないわよ」

「自惚れるな雌猿が。貴様のような醜い雌を誰が好き好んで后にするか。子袋は子を生むための雌袋よ。我の子を産めるのだから、これほどの喜びはないだろう」

「なにそれ最低……」

 嫌悪もあらわに顔を顰(しか)める。
 ホント、聞くにも堪えない話だった。
 そんなものを文化とか呼び指すオークの思考回路は本当に人間性ってものから逸脱してるんだってのがよくわかった。
 こいつらはやっぱ人間の範疇じゃない。魔物だ。

「死んでも嫌だわ」

 そっか、成程な……こりゃ、キャリンも自殺を選ぶわな……。
 前世の罪滅ぼしじゃないけどさ、こういう、女を物みたいに扱う輩はほんとに許せない。自分も曲りなりに女になってみて身に染みた。
 男のああいう視線、反吐が出るほど気色悪くてしかも本能的な恐怖を煽られる。

「構わぬ、貴様の意思など最初から埒外だ。どうせ子を産むのに手足はいらぬな。まずはその邪魔な四肢を切り落とし、それから我が首に吊るしてくれようぞ」

「そういうの、悪趣味って言うのよ!」

 この色白でスラリと長い手足を見れるだけでも、世の男たちの宝なんだからな!
 言い返しながら、瞬歩で跳ぶ。

「ふん、貴様は能無しか? 同じ手で我を翻弄できると――ぬぅっ!?」

 背面から攻めると見せかけて右から斬り掛かった刃は、しかし寸でのところでキングの長剣に阻まれてしまう。
 さっきよりも反応がいいな、一回見ただけで眼が慣れてきたか?

「五十八式・甲、オド・エリフ! エリフエリフエリフ!」

 そのまま刃を絡めての押し合いを避け、火球の連発で牽制しながら近付けないよう間合いを離す。
 キングは煩そうに顔を腕で覆って火球を凌いでいた。目くらまし程度には火も役に立つな。

「さっきから一体何の手妻だ……如何様にして我が眼を誑(たぶら)かしたな……?」

「教えると思う?」

 せっかく通用する攻め手を見つけたんだ、素直に答えるほど俺は親切でも自惚れ屋でもねぇ。
 つっても仕掛けは単純なんだけどな。
 要するにフェイントで弱点を補ってるだけだ。

 瞬歩の弱点はさっき述べた通り、移動中の無防備さにある。原因は単純に移動が速すぎて人間の反応速度じゃ対応できないってのと、刹那に筋肉を酷使するためにわずかな時間だが身体の動きが鈍くなるからだ。
 まあ、跳ぶ前からこういう動きをしながら移動するって予め動かしておけばなんとかなるんだけど、停止も回避もままならないって点はどうしようもない。ありえないけど、移動の途中に誰かがテレポートでもしてきたら、どうしようもなくぶつかる仕様だ。
 いや、マジで起こりえないと思うけど。テレポートする門晶術もマイノリティも見たことも聞いたことも――あ、それっぽいのがいた……けどまあ、アイツがここに来るはずもないので考えないことにしよう。っていうか考えたくないし。
 エリクの事はさておき……オークキングがさっき俺の裏をかいたのは、そのほんの一瞬の隙に割り込んで自分も瞬歩で移動した。それだけの事だ。

 だから俺はその真似をした。
 一回目の瞬歩を囮にキングの瞬歩を誘い出し、キングの予想しえない場所に移動、別の場所に跳ぶまでの間にキングの位置をすかさず確認、瞬歩で移動してたらそこまで、移動してなきゃそのまま本命の瞬歩でキングの死角に跳ぶ、というわけだ。
 名前を付けるなら『瞬歩返し』ってところかな。

 実はこれにも弱点があって、もしキングも俺と同じく瞬歩を連続で繰り出せるのであれば『瞬歩返し返し』を狙われる恐れがあった。
 でもどうやらそれは杞憂にすんだらしい。

「成程そうか……『重ね』も心得ておるとは、流石に驚かされたな」

 キングの不細工な顔から嘲笑うような余裕が消えた。
 その事実が、キングはその『重ね』っていう瞬歩を連続で繰り出す技術を身につけていない事を俺に教えてくれる。
 そしてその優位性も。

 俺が跳ぶ。キングも跳ぶ。
 キングはあてずっぽうに俺の出現位置を予測して跳んだらしく、てんで見当違いの場所に出現した。
 俺はと言えば逆に裏をかいてキングの元いた位置に跳んでいた。それに気づかれる前に再び瞬転、背後に移動すると軽く跳躍してガラ空きの盆の窪めがけて小剣を薙いだ。

「ぬぅっ!?」

 キングは身を屈めてそれを避ける。避けられたと察した俺はキングの身体を蹴りつけて後方に大きく跳躍する。
 蹴られたキングの巨体は小動もしなかったが、ちょうどいい足場になって俺はキングの追撃からさっさと逃げおおせた。

 今のは惜しかった。三回目の瞬歩で着地に乱れが無ければ気付かれる前に仕留められてたかもしれない。
 くそ、やっぱ連続で繰り出すと少し雑になるな。
 
「小癪な!」

 キングが吠えた。
 瞬歩で斬り掛かられるとヤバい。俺はキングの気迫が爆発する前に跳んだ。今度は流石にキングのいたところではなく別の場所だ。
 そこでキングの位置を確認しようとして……以外にもキングはその場を動いていなかった。俺がキングの動向を確認しようとしてる丁度その時、片手を地面に向けてキングが流暢な古代語を発声するところだった。

「エリフォ・ネイヴェス・ドニュオラ・ルァルク!」

 聞いたことのない論理ばかりだった。ほとんど古代語の原義のままの論理なのだろう、その内容がわからないからどんな門晶術が発動するのかもわからない。
 だけど門晶を通るエーテルの質感でそれが熱の、しかも炎の門晶術だというのは察しがついた。だとしたら――。
 俺が瞬歩でその場を離れるのと、キングの周囲から輝くような黄色い炎が蔦のように四方へ這いだしたのは同時だった。

「どこに逃げようが、この狭い岩屋の中であればこの術からは逃げようがあるまい!」

 確かに、岩屋の床は一瞬にして業火で埋め尽くされた。部屋に唯一の調度品らしい調度品だった絨毯も、赤い色が溶け出したかのように火を噴いて燃えている。
 聞いたことも見たこともない論理だったから盗みたいなとちょっと期待したんだが、こんなのオークの火耐性あっての術だ。本人ごと周囲を焼き尽くすだなんて。
 しかしまあ、流石のオークキングも自分の周囲には少し空間を残して直火焼きは避けている。

 慣性が消える前に俺はそれだけ判断すると、本命の瞬歩でキングに奇襲を仕掛ける。
 逃げ場がないのにどこに隠れていたかって?
 簡単な話だ。部屋の隅の天井に、瞬歩の勢いで張り付いてたんだよ。ほんの一瞬だけどな。

 炎の門晶術は俺の得意分野でもある。ああいう風に敵が捉えきれない時は全周囲を一気に吹き飛ばすか、自分の周りに炎の壁を作り出すのが熱門晶の定石だ。
 だから俺は可能な限りキングから離れた。それが反対側の天井の隅だったってわけだ。その位置ならなんとか『エキュデル』――熱をエーテルに還元する術で対応できた。

「しかし貴様を子袋に出来なかったのは残念だ、この有様では骨まで炭にぬぐぅっ!?」

 どこかで俺が焼け死んでいるものと思い込んでいたその脇、鎧と下半身の隙間を瞬歩ですれ違い様に斬り抜けた。
 両手でしっかりと握っていたにもかかわらず、鉄の刃を保持する手が衝撃で痺れた。
 確かな手応えは感じたが、狙いが少し逸れたか骨盤に弾かれたみたいだ。なんちゅー硬い骨だっつの。

「お……おの……おのれ……」

 キングが二、三歩よろめいて交替する。腰のあたりを押さえた指先から溢れるように赤い血が流れ出していた。
 かなりの出血だ。そうそう止血ができる傷でもない。
 これはもうほとんど決まり手だ。血が流れれば流れるほど、生き物は動きが鈍くなる。赤い血が流れているという事はオークとてその理屈が適用されるはず。
 だから後はもう確実に追い込んで止めを刺すだけ。
 それもなるべく早くだ。外ではまだルルが足止めの為に身を挺して戦ってくれているのだから。

「ぬんっ!」

 先の事に頭を巡らせていた俺の意識を現前の光景に引き戻したのは、キングの気合一喝だった。
 傷を抑えていた指の隙間から血ではなく炎が吹き上がる。

「ぬふぅ……やってくれたな、雌猿」

 一瞬で止血しやがった。とんでもない方法で。
 こいつ、痛覚ってもんがないのかよ……まさか、あの大きな傷口を火で焼いて止血するなんて……やっぱオークのキングともなると化け物の度合いが怪物じみてるな……。
 痛みに痛みを上塗りするその方法を、見ているだけでこっちのわき腹が痛くなる気がした。
 すっかり憎悪と敵愾心を滾(たぎ)らせたキングの両眼を見据えながら、頬を伝う脂汗に寒気を感じる。

「大事の前の座興と戯れてやれば調子に乗りおって……」

「大事の前……?」
 
 ふとその言葉が気になった。

「それはルー=フェルに攻め込む計画の事かしら」

 キングの目付きが変わった。嘲弄でも悪意でもなく、冷徹な警戒色に。

「……どこでそれを知った」

「自宅で暇を持て余してたら美少女が尋ねてきて教えてくれたのよ」

「戯言を……」

 そう思うのはもっともだが、事実なんだぞ?

「まあいい、いずれにしろ貴様はここで死ね」

「あら、子袋云々はもういいの? あたしは全くもって全身全霊で拒否させてもらうけど」

 俺の軽口に、キングはもはや口では答えなかった。
 言葉の代わりに濃密な殺気が押し寄せてくる。
 殺気だけじゃない。熱の門晶で圧縮した火のエーテルが、論理から溢れて大気に溶けている。こんな量のエーテルを変換できるとか、とんでもない門晶耐久だ。
 そしてその門晶を全開にして今度はどんな門晶術を使ってくるというのか。

 だけど、そんなものは関係ないんだ。
 何がきたって、俺は殺されやしない。
 ここまで来た意味を、本当に失くすわけにはいかないから。
 俺は生きて戻って、キャリンやその仲間の帰りを待ってる人たちに伝えなきゃいけないんだ。
 キャリンは冒険者として立派に最期を迎えたって。

 ……ぶっちゃけ、気持ちの整理はまだ全然できてない。
 オークキングの言ってることは全部嘘で、キャリンはこの大空洞のどこかに隠れてるんじゃないかって、今でも頭の隅で願ってるよ……それがただの願望だって、そう願うのはキャリンの死から逃げてるだけだってのはわかってる。わかってるから、戦う。
 俺も、本気で戦おう。
 まだ未完成だから、うまく出来ないからなんて言ってたら、いつまで経っても完成なんてするはずがない。
 
 そして気付く。
 馬鹿は死んでも直らないっていうけど、甘ったれは二回死んでも直らないもんなのかね……いつの間にか天堂宗の時と同じ心境になってるじゃないか。
 でもどうやら、成長はしてるみたいだ。今回はそのことに気付けたし、覚悟も決まった。

 覚悟を決めたもの同士の一騎打ち。
 ここから、本物の殺し合いが始まる。
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