醒メて世カイに終ワリを告ゲルは

立津テト

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3.岩屋の死闘と、居ない人達。

3#6 死闘

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 何をするにしても、される前に潰してしまえば関係ない。
 オークキングよりも素早く機敏に動けるという利点を活かすため、俺は迷うことなく先制攻撃を選んだ。

 さっきと同じようにフェイントの瞬歩を踏んでオークキングの死角に回り、そこで相手の動向を見定めてからもう一度跳ぶ。
 見定める時間は、次の瞬歩が跳べるようになるまでの間。つまり、瞬きする程度の一瞬。
 そのわずかな瞬間の中で、キングがどう行動しているかを見定めて、こっちはどうやってそれの裏をかいてやろうか考え、実行に移す。それだけのことをやらなければいけない。
 しかし俺にはそれだけの事が出来る能力と経験がある。なおかつキングに対してこの手段が有効なのはもうすっかり証明され、俺は確たる自信を持っていた。
 このまま焦って短絡的に攻めなければ、しっかりと相手の隙を捉えて攻めれば、勝てる。
 そう確信していた。
 その瞬間、その確信が裏返った。

 何が見えたというわけじゃない。嫌な予感に弾かれた、としか言いようがなかった。
 そう理解したのは、全身を包む生温い殺気に組み立てていた戦法をかなぐり捨ててキングから離れるように跳んだ後だった。
 キングは俺に背を向けたまま、動いていない。
 額から粘っこい汗が流れるのも拭わず、俺はキングの一挙手一投足を全神経で見極めようとした。
 そこに余裕を取り戻した嘲弄が投げつけられる。

「クフフ、どうした、来ないのか?」

 陳腐な挑発だ。俺が警戒してるのを知っていて、わざわざ陳腐にしてるのだ。どこまでも他人を小馬鹿にしたヤツ……。
 だけど言うだけの事はある。それほどの余裕を持っていられるほどの門晶術を、コイツは構築しきったのだ。

 きっとあの脇腹への致命傷からだ。あの時すでに、キングは俺への対抗策を練り上げ、実行に移していた。俺の興味を引きそうな単語を出して、間を引き延ばしたのもその構築の為だったのだろう。
 抜かった。そう思い歯軋りしても、もう遅い。
 構築が終わった論理に、変質・圧縮されたエーテルが流し込まれるのを感じる。

「この術を遣うのは何時振りだろうか」

 キングの体表に彫り込まれた炎の紋様が浮き出した。そう錯視させられるほどの余剰エーテルが、陽炎のように立ち上っているのだ。それは皮膚の色を溶かしていくようにみるみる赤みを帯びていき……俺はそこで自分がとんだ思い違いをしていると思い知らされた。
 それは、門晶術を発動する時に溢れたエーテルなんかじゃなかった。
 門晶術そのもだった。

「篤(とく)と見よ! ジョゴズィが継承せしグニィクの業!」

 言われなくても刮目している俺の目の前で、門晶術が形を成していく。
 いや、形はなかった。
 それは純粋に炎だった。

「ロムラァッ・ノスミルカァッ・スラーウィムゥゥウッ!」

 地の底から吹き上がるような声に呼応して、オークキングの全身から炎が吹き上がった。
 その熱量が半端ない。三メートル以上離れた俺の肌を、刺すような熱さが襲ってくる。
 熱をエーテルに還元する門晶術が発動していてこれなのだ。生身で立っていたらこの部屋の端まで逃げても焼き殺されていたかもしれない。

 オークキングの全身を覆い、燃え盛る業炎。それはまさしく炎の鎧だった。
 恐らく耐熱と放熱の複雑な論理が組み込まれているのだろうが、それでもなおオークの耐火性能あっての門晶術だ。俺が真似したら、発動した直後に焼け死ぬ。

「これで貴様は我に近付けぬ」

 その言葉に奥歯が痛むほど歯噛みする。

「そういう事……確かに、近づけなきゃ攻撃も出来ないわね」

「そう、そして我は近付くだけで貴様を消し炭に出来る。門晶術にしたところで同じこと。見れば、貴様の門晶は火」

 熱だっての。

「我が業炎を焼き尽くす程の火炎を、貴様は生み出せるのかな?」

 不敵に口の端を持ち上げる不細工な顔が憎々しい。
 だけどドヤ顔をするだけの事はある。俺の門晶耐久力じゃ、この炎を超える灼熱を発生させるだけのエーテル圧力に耐えられない。というか、人間には無理だろう。そんなエーテルを扱うのは。
 それ以前にそんな論理もない。少なくとも、門晶術学会が保管、販売する論理にはないだろうな。
 オークキングが発動させた門晶術は、超大門晶術に匹敵する難易度を予見させる性能なのだから。

 このままでは、キングがその気になった瞬間、その言葉通り俺は消し炭にされてしまう。
 だけど――

「もう、出し惜しみはしないって決めたから」

「ほうっ! 出し惜しみ! 貴様の華奢な身体のどこに出し惜しむような物があるのか!」

 嘲笑が、息が詰まるほど暑苦しい岩屋に響き渡る。

「その傲慢にのぼせ上がった頭を冷やしてやれるような物よ!」

 その嘲笑を切り裂くように鋭く、俺は声を張り上げた。
 言いながら、論理を構築する。
 基礎的な論理を三つ組み合わせ、そこに変質させたエーテルを流し込む。冷ややかな清流を思わせる澄んだエーテルを。
 その瞬間、キングの顔色が変わった。小気味よい驚愕の顔色に。

「そんな馬鹿なっ……まさか貴様は……!」

「そう、そのまさかよ」

 この程度の門晶術、心中構築でも発動できるが、キングの衝撃に追い打ちを食らわせるためあえて論理を口にする。

「三式・甲! レタウ・トセトルプ・リーヴ!」

「水の門晶術っ! 貴様はマルチアンカーか!」

 マルチアンカー。多重門晶保持者。
 門晶は原則的に一つの晶種しか扱えない。ルルなら雷の門晶種、オークキングは火と言っているが正しくは熱の門晶種。
 そして人間は原則一つの門晶しか持ちあわせない。そしてその門晶とは生涯付き合っていかなければならないのだ。
 これは万物を縛る世界の法則の一つ。後天的な努力じゃ絶対に覆らない物理法則。

 だが極稀に、一つの門晶で複数の晶種を扱える人間がいる。
 それらを多重門晶保持者(マルチアンカー)と呼ぶ。
 原因も理由もわからないが、一つの門晶の中に二種類の通路を持ち、エーテルを通す道を切り替えることで別の晶種を扱えるのだ。これは先天的なギフトであり、完全な特異体質だった。
 そんな、一見すれば有利だらけの多重門晶にも不利はある。
 門晶の耐久力そのものは一般人と変わらないという点だ。だから当然そこに二本の通路を通せば一本の耐久力は半分になる。物理的な器官じゃないにもかかわらず、門晶にもこの単純な割り算が適用されるのだ。
 なので、多重門晶保持者(マルチアンカー)の門晶耐久は一般的な人間の半分程度だといわれている。

 ならばそもそもの門晶耐久が常人の倍以上あれば?
 門晶耐久もまた先天的なものに依存し、生涯成長することはない。
 果たして、多重門晶保持者(マルチアンカー)であり常人の倍以上の門晶耐久を持ち得る確率はいかほどのものか?
 きっと広大な砂漠から一粒の砂金を見つけるくらいありえない事なのかもしれないが、絶対に無いものじゃない。
 だって、俺自身がそうなのだから。

 これが、ある意味マイノリティ以上に珍しい俺の奥の手だ。多重門晶保持者(マルチアンカー)でありながら常人に引けを取らない門晶術を操れる。
 ほんとは鼻を高くして自慢したい特殊能力だが、あまりひけらかして有名になったらここぞという時に相手の意表を突けなくなる。
 なので不要な時は封印している奥の手だ。
 ま、奥の手にしている理由はそれだけじゃないんだけど……。

「貴様……何をした」

 門晶術は確かに発動した。
 だけど、目に見えて何かが具象化した気配はない。
 それ故に、オークキングは警戒を強めて身構えている。さっきまでの俺と同じように。
 ふふん、立場逆転だな。いい気味だ。

「何をしたか? わざわざ教えるわけないでしょ!」

「ふん、不発かっ? こけおどしめ!」

「そう思いたければ思ってれば!」

 言うが早いか、俺は跳んだ。
 次の瞬間、目の前にキングの驚いた顔が出現する。正しくは、俺がキングの懐に飛び込んだのだ。フェイントなしの直行コースで。
 キングも近付けばお前は死ぬと広言した直後の事だ、まさか俺が真っ直ぐ突っ込んでくるなんて夢想だにしていなかったらしい。

「死ぬ気か!?」

「死なないし!」

 炎の鎧が発する熱は、確かに熱かったが俺を焼くほどではなかった。
 確かに、熱還元だけであれば丸焼きか蒸し焼きだったろう。
 だけど今なら、僅かな時間であれば十分耐えられる。
 そういう手を打ったのだ、さっきの俺の門晶術は。

 急接近した俺は、キングの鎧――炎の鎧ではなく金属の鎧の方の隙間を狙って切っ先を突き込む。
 だがその攻撃は肉をわずかに抉っただけで、長剣の柄に弾き返されてしまう。血がジュっという音を立てて飛び散る間もなく蒸散した。
 攻撃が失敗したと悟ると同時に、俺は跳び退る。

 俺の身体と木で出来た柄までは何とか保護しているが、刀身までは流石に及んでいない。
 赤黒く熱せられた鉄の剣を見て、冷汗が浮かんだ。あの一瞬で鉄の色が変わるとか、どんな温度してんだよ。
 あまり長々と接していたら、刀身が焼かれて刃が潰されかねない。ヒットアンドアウェイの方針はそのままだが、これは今まで以上に気を引き締めてかからないといけないな。

「貴様……何故生きている」

「死にたくないからよ」

「どうやって我が業炎に耐えたというのだ! 猿の分際で!」

 人を食ったような俺の返事に、キングが吠えた。
 おーおー、こっちの思惑通り、自慢の術を破られた焦りと怒りに頭が沸騰してやがる。

「ま、わかったところでどうしようもないから教えてあげる」

 説明で時間を稼いで、確実にキングを仕留められる門晶術を構築する。
 この瞬間、俺はそう判断していた。

「さっきの水の門晶術よ」

「あれは不発に終わっただろう」

「発動してるわよ。あんたの火の鎧と同じようにね」

「水の鎧、だとでも言うのか」

「御明察。確かにあんたの炎の鎧は凄まじいわ。常時水を供給しているはずの水のフィールドが消えちゃいそうな勢いだもの」

 そもそも何故に今まで水の門晶をあまり使ってこなかったか?
 確かに切り札としてはインパクトに欠けるし、攻撃術の少なさから起死回生の一手に持ってき辛い点もある。

 水の門晶は、霧で煙幕を張ったり何かを洗い流したりこうした防護膜みたいな援護や防御がむしろ本領なのだ。
 もっと攻撃にも転用できればいいんだが、販売されている論理じゃなかなかそれも難しい。
 巷には水の組成を変化させて毒にする論理があるらしいけど、製作者が権利を囲っちゃってて俺は今のところお目にかかったことがない。

 ちなみに水の門晶術で一番重宝がられるのは飲み水を作り出せる点だ。水は命の元だから当然っちゃあ当然だ。
 でも俺は緊急時以外は使わない。基本的には水筒を用意してそれを使う。
 理由の一つには多重門晶保持者(マルチアンカー)であることを隠したいってのがあるけど、別にもう一つ、あんまり飲みたくないからってのがあるんだ。

 門晶術で生成された水は、純水だからあんまり舌に慣れなくて美味しくないってのと、これが重要なんだが……門晶術はすべてエーテルを物理現象に――つまり熱であれば火を起こすエネルギーと燃焼物に。風であれば大気を動かすエネルギーに、石であれば土や石を変質するエネルギーに、ってな感じに変化させたり変質させて具象化している。
 水はちょっと具合が異なる。エーテルっていう混沌物質を変質させた結果、水が出現するのだ。つまり『原材料:混沌物質』ってことだ。
 害は全くないらしいんだが……なんかもう、それだけでちょっと飲むのに抵抗あるだろ?

「還元フィールドだけでも、水の保護だけでも防ぎきれない。だから熱をエーテルに変換するフィールドと、エーテルを水に変換するフィールドをロスなく繋ぎ合わせたの。あんたの炎がどんだけ強くても、熱から変換されたエーテルが蒸発した水のフィールドをすぐに埋め合わせて、あたしの身体には熱が伝わらない仕組みになってるのよ」

「ふん、考えたな」

 余談はともかく、水の門晶を隠す理由は使い勝手の悪さが主因なのだ。 
 俺のロールはウェポンユーザー。その役割は敵の撹乱と削減。
 撹乱って点には水はいろいろ便利だけど、あくまで目くらましに過ぎない。そこから一歩進んで敵の削減となると、やはり火の門晶と俺の身のこなしに頼ることになる。
 そもそも『当たらなければどうと言う事もない』スタンスの俺にとって防御は二の次なのだ。
 つまるところ、確かに相手の意表を突くっていう目的があるにはあるが、水の門晶は特に使いどころがないから封印していただけとも言える。
 つーか、こんな搦め手、あるとわかってたら通じる相手にも通じなくなっちまう。こうやってその瞬間まで隠しておかなきゃ、まともに有効利用できないもんな。

 今回はそれをたまたま防御に使って、見事にキングの意表を突いたわけだ。
 意表を突いただけで、奇襲には失敗したけど……。
 もっと確実に、あいつの炎の鎧を一瞬で貫ける突破力があればきっともう勝負はついてただろう。
 水の攻撃門晶術には水分を鋭く射出するものがあるけど、俺の手持ちの論理じゃせいぜい投げナイフ程度の威力だ。それじゃあきっと奴の炎に蒸発させられてしまう。鉄すら燃やす炎だ、ただの水が耐えられるはずもない。
 そう、水では自分自身を守ることはできても奴の炎の鎧は貫けない。
 水だけでは、ね。

「しかし、守りを固めてなんとする? 時間に追われているのはそちらの方だろう」

「そうね、言われるまでもなく……今から仕掛けさせてもらうつもりだったわよっ!」

 出し抜けに左手を横に薙ぐ。横に振る左手の平から、キラッと光る水の矢が三条走り出た。さっき自分で役立たず宣言をした水の攻撃門晶術だ。
 キングとの間合いはほぼ五メートル。三本の水の矢は右、左、中央と三方向に散りながらもタイミングを同じくしてキングに殺到する。
 その時には俺も矢の後を追って駆けていた。瞬歩ではなく普通に走ってだ。一歩、二歩、近付いた分だけ吹き付ける熱の厚みがムッと濃くなる。

「こんなもので我が業炎を貫けると思うてか!」

 キングも、触発されたように吠えた。
 三方向から迫る水の矢にはまったく構わず、正面の矢の陰から迫る俺に向けて長剣を振り上げる。
 厚刃で、一メートル超の刀長を持つロングソードが、二倍にも三倍にも膨らんで見えた。キングの闘志がそう感じさせるんだろう。

 実際以上に巨大な刃が振り下ろされる。左右から水の矢がキングに接近して、炎の鎧の手前でポンッと破裂するような音を立てて霧散した。
 正面の矢は別の運命を辿る。俺目掛けて振り下ろされた刃で一足先に両断されたのだ。
 ただの水の塊になってキングの炎に蒸散させられるのを見る間もなく、俺は半歩身を捻って叩きつけられた刃を掻い潜っていた。

 そんなことはキングも先刻承知、空いた片手で避け様の俺に拳を叩き込んでくる。それも身を低くして躱す。俺だってそのくらいは読んで突撃してきたさ。
 ガラ空きの下半身に向けて刃を振るおうとしたその時、視界の隅から柱みたいな影が飛び込んでくる。それを知覚した途端、俺はほとんど反射的に瞬歩でキングの脇をすり抜けた。
 柱だと見えたのはキングの足だった。拳が避けられるところまで予想して、更に蹴りを仕込んでいたのだ。自分で言うだけあって敏捷な体捌きだった。

「まさしく猿のすばしこさだな」

 忌々し気に振り返り、長剣を振り払う。

「そっちこそ、豚に似合わないはしっこさね」

 無理矢理跳んだせいで転がっていた俺も、その時には立ち上がってキングの不細工な面を見返していた。
 その巨体がズームアップしたようにいきなり目の前に迫った。そのものよりも早く落ちかかった影に気が付いて、回り込むように左手に移動した俺の影を長剣が両断した。
 キングがこっちの意表を突いて瞬歩で間合いを詰めたのだ。そう理解したのはキングの右側に移動しきってからだった。

「三式・甲! トフス・レタウ・ウォーラ!」

 その横っ面目掛けて四、五本の水の矢を突き出した左手から一斉に発射する。
 炎と違ってただの水だから、手の平から発動しても熱くも痛くもない。その分、エーテル密度を高めて撃てるのだが……キングの炎の鎧の前には関係ない話だ。全ての水の矢は空しく虚空に消えた。
 しかし散る一瞬、水蒸気がキングの視線を遮る。その一瞬を利用して瞬歩で背後に回り込み、キングの挙措を確認して更にキングの左側に移動する。結果、ちょうど反対側に移動した。

「もらったぁっ!」

 キングの視界は俺を捉えていなかった。ここぞとばかりに突き込んだ小剣は、しかしキングの振るった左篭手に払われる。
 その何気ない一振りがまたとんでもない怪力で、しっかり腰を据えて突き出したはずなのに俺の方が上体を弾き飛ばされるほどだ。
 キングの方も見切っての行動ではなかったらしい。気配に対する条件反射だろう。自分が何を弾いたのか、弾いてから気付いた様子で右手の長剣で身体を捻りざまに薙ぎつけてくる。
 流石にそれだけの余裕があればこっちも態勢は整えている。大振りの横薙ぎを身を沈めて余裕でやり過ごし、伸びるように小剣で斬り上げる。しかしこれも容易く左手の篭手で弾き返されてしまう。
 水の矢で牽制するのと、キングが引きつけた剣を突き出すように斬り下げてくるのがほとんど同時だった。
 キングは水の門晶術を歯牙にもかけない。炎の鎧を信じ切って、蒸発するに任せている。実際、今撃った水の矢も、今までの矢と同じ運命を辿った。
 それでもいきなり視界を覆われて全く動じないのは至難の業だ。刃風の鈍った斬り下げを、なんとか身を翻して避ける。

「ふっ!」

 横に動いた勢いのままくるりと回ってもう一度三本の水の矢。

「てぇいっ!」

 更にもう一回転しながら距離を稼いで駄目押しに五本の水の矢をお見舞いする。
 が、キングは一人でクルクル独楽みたいに離れていく俺を冷ややかに見送るだけで、水の矢を防ごうともせずに立ち尽くしていた。なんだか呆れた感じすらある佇立が、小馬鹿にしているようでチョイ腹立たしい。
 実際、合計八本の水の矢は何の効力も見せず霧散するし、派手だが今の回転動作自体には何の意味もない。むしろちょっと目が回った。

「これも効かないなんてね……」

 熱で頬に伝う汗を拭いつつ、いかにも苦しそうに言う。
 
「こんなものが、効くと思っているのか……?」

 それは俺に聞いたというよりも、自分に問うているような具合だった。
 いかんな、まだ疑われてる。
 考える暇を与えてはならない。

「三式・甲、トフス・レタウ・ウォーラ!」

「ほうっ!」

 懲りずに同じ手で攻め掛かる。
 しかし今度はキングの口から感嘆の声が上がる。
 さもありなん、今度の牽制は水の矢が二十八本、俺が無詠唱で同時に生み出せる最大数。視界を埋め尽くすような大量の水の矢だ。
 なおかつフェイントを織り交ぜた瞬歩で姿をくらませる。

「目晦ましに小細工を重ねたところで、所詮手の内が割れた手妻! 何のことがあろうか!」

 キングが哄笑した。その構えには一部の隙も無い。
 隙はないが、完全に待ちの態勢だ。俺がどこから攻め掛けても対応できるように、と。
 しめしめ、と内心で舌なめずりしながら、二十八本もの水の矢が破裂して水蒸気の塊でキングを包み込む。その様子がすっかり見渡せた。

 そう、俺はキングに突っ込むと見せかけて死角に距離を取っていたのだ。水蒸気の目晦ましを使ったのは、ほんの一秒でも時間を稼ぎたかったから。
 この門晶術を完成させるために。

「三式と三十一式が合! トフス・レタウ・ヒュギ・ニレヴァジュ!」

 半身にした胸当ての前に横たわるのは、巨大な矢――槍だった。それも総身水で出来た槍だ。

「むっ?」

 水蒸気の幕の向こうでキングの顔がギュッと萎んだ。顔を顰めたのかもしれない。それが見取れるくらいに霞の幕が晴れてきていた。
 でももう十分!

「いっけぇっ!」

 気合一喝、俺は引き絞った弓の弦を弾くように、水の槍を射出した。

「フカーロト・スクヌゥク・ノスミルカァッ!」

 応じて、キングも叫ぶ。
 纏った灼熱が吹き上がったかのように思えた次の瞬間、その炎の塊が意思でもあるかのように水の槍に向かって正面からぶつかった。
 火と水が俺とキングの中間で絡み合ったかと思うと、周囲に大量の水蒸気がぶちまけられる。
 視界が白くけぶって水の槍の行方が知れなくなった。しかし俺はキングの抵抗に何の不安も感じていない。

「そんなものが効くと思うっ!?」

 意趣返しにそう叫んだ時には、少し細くなった水の槍が勢いそのままに水蒸気の殻を切り裂いてキングに迫る。

「なんのぉっ!」

 それを見越していたかのようにキングの長剣が振られた。水の槍が空中で真っ二つになる。しかしその進攻はまだ死んでない!
 二本に分かたれた槍がキングの炎の鎧に差し掛かり――。

「抜けたっ!?」

 とうとうキングの炎の鎧を貫いて、キング本体に到達したのだ。
 長剣を振るって水の槍を迎え撃ったキングにはそれを更にどうこうできる態勢にはない。直撃コースだ。
 思わず快哉を叫んだ。

「ってぇ!?」

 その快哉はそのまま半分悲鳴のような驚きに変わった。

「……ふん」

 キングがつまらなさそうに鼻を鳴らす。
 それだけだった。
 水の槍がもたらした破壊力……と呼ぶのもおこがましい結果は、プレートアーマーの表面を一瞬だけ濡らしてキングに鼻で笑い捨てられる。それだけだった。

「そん……な……」

 愕然として見せる。
 確かにキングの炎の鎧は貫き通したが、本体の着る金ピカのプレートアーマーにあっさり弾かれたのだ。
 いや、想像してなかったわけじゃない。ただこの結果が予想外だった……というか、空中で二つに切り裂かれたのが誤算だったんだ。
 あれのせいで二本に分かれたぶん、熱の伝わりが早くて炎の鎧でほとんどの力を失ってたからだろう。ちゃんと一本であれば迎撃の火炎球を貰ってもあのプレートアーマーを貫き通せるはずだった。

「成程な、あのぞんざいな水の矢は我を見くびらせるための布石か……猿なりに考えたようだが、所詮は猿知恵だったな」

「くっ!」

 瞬歩で跳ぶ。
 瞬歩返しの存在を知ってから、キングは俺に対して瞬歩でカウンターを狙おうとはしなくなった。その場を動かず四方に気を張って待ち受ける構えだ。
 俺はそれがわかっていても、瞬歩で攻める時にフェイントの為の一回を挟まなければならない。
 もしキングが気まぐれに瞬歩でカウンターを当ててきたら、一巻の終わりだからだ。常にフェイントを挟んで動けないようにしなくちゃいけない。
 俺の唯一の有利のはずなのだが、それが実はとんでもないハンデだった。

 向こうは気を張っていれば俺の攻撃の出掛かりを押えて防げる。
 対してこっちは無駄に走り回らされている。前にも言ったが瞬歩の体力消耗は全力疾走以上。楽なもんじゃない。
 このままダラダラと戦っていたら先に倒れるのは間違いなく俺だ。
 
 明らかに不利だった。
 明らかな不利を、ちゃんと演出できていた。

「レタウ! レタウ、レタウ!」

 瞬歩で前後左右あっちにこっちに跳びながら、水の矢を連発する。
 キングは微動だにしない。
 向こうも自分の有利を悟って、こちらが疲労するのを待つつもりだろう。飛び込み様の近接攻撃にさえ気を付けていればいいのだから、その選択肢が賢明だ。
 賢明だから、選ばざるを得ない。
 選ばざるを得ないように状況を誘導されているとまでは、流石に気づいてくれるなよ……!

「トフス……レタウ!」

「っ!?」

 キングが動いた。
 それまで全く意に介さなかった水の矢に、慄いたように身を捩った。

 喉のあたりがギシリと鳴った。自分の奥歯が固く噛みしめられた音。
 歯噛みした。ここまで動けないように積み上げてきた状況が、完璧ではなかったことに。

 なぜ気付かれたのか……気付かれたと思ったその僅かな時間では理由までは察せなかったが、もう遅い。
 絶対に回避しきれない距離までそれは飛んでいた。

 水ではない、氷の矢が。

「ぐぅっ!?」

「やったっ!?」

 一応、万全を期して、打ち払えないよう剣を持たない左側から飛ばした氷の矢が、偽装の為に一緒に飛ばした水の矢と違い、易々と炎の鎧を貫いてキングに到達し、血飛沫を上げた。
 どこに当たったのか、それを確認しようを目を凝らしていた視界の先で、キングがユラリとこちらへ振り返った。
 まだ、生きてる。
 それどころか、氷の矢が当たったのはキングの肩だった。
 プレートアーマーの継ぎ目を縫って、確かにキングの身体に突き立った氷の矢だったが、致命傷とはとても呼べない傷を残してキングの右手に引き抜かれ、あえなく圧し折れた。

「氷……どうやってこんなものを……」

 かなり驚いてるようだが……驚いてるのはこっちも同じだ。
 キングはそれが顔目掛けて飛んでくると近くした瞬間、咄嗟に肩を怒らして盛り上がった筋肉で氷の矢を受け止めたのだ。プレートアーマーの継ぎ目にうまく刺さったのも鎧がはちきれんばかりの筋力で継ぎ目が広がったからだ。

「貴様は……何だ? なぜ、門晶術で氷を作る……?」

 キングの声は平静だったが、声には動揺がありありと浮かんでいる。
 そりゃそうだろう。この世界で氷の門晶術を扱のは、たぶん俺だけだからだ。

 と言っても、熱と水に加えて氷の門晶を持ち合わせているわけじゃない。
 単純に熱の門晶と水の門晶の合わせ技で、氷を作り出すのだ。

 熱の門晶は“熱”と言うだけあって火を出すだけが能じゃない。ちゃんと低温を起こす門晶術もあるのだ。
 俺が“火の門晶”ではなく“熱の門晶”にこだわっていたのはそのためだ。

 しかし低温だけじゃ、触れた相手を凍らせるとか周囲の気温を下げる事しかできない。なのでもっぱら、熱の門晶術士は攻撃に火の門晶術を利用するが、低温の論理が全くないわけじゃあない。
 気付いたのはつい最近、ルルが加入してルー=フェルに辿り着いたあたりだろうか。
 ルー=フェルの門晶術学会で論理のカタログを見ていた時だ、低温の論理が安価で販売されているのを見て安いならこの際買っておいてもいいかも、と考えた。
 氷が作れると何かを冷やすのに便利かなぁ、程度の気安さだったが、その思考がさらに何か活用できないかと回り始めた刹那、閃いたのだ。
 それまでルルには黙っていた多重門晶保持者(マルチアンカー)であることをその場でさりげなく打ち明けて、更に低温の論理を使って水の術を凍らせる事が出来ないかとルルに相談した。その時にはもう、ルルが門晶術マニア――というより論理マニアであることを知っていたから。
 様々な論理を自作しているルルだが、珍奇な体質である多重門晶自体に詳しいわけもない。
 それでも控えめに、慎重に言ってくれた。

「多分、可能です」

 と。
 それから半年弱、熱と水の門晶を同時に発揮させる特殊な練習と論理を工夫してきた。
 未完成なりに実験では成功していた氷の矢だが、実戦で使うには集中に要する時間や実際に凍り付くまでのタイムラグなど、色々な不安要素があったのだ。

 それがこれまで使うのを躊躇(ためら)っていた理由。
 だけど、もう四の五の言ってられなくなったから、覚悟を決めた。
 
 そうしてキングが絶対に避けない状況を仕立て上げた。
 なおかつすぐにそれと見破られないように煙幕まで張っていたのに……見破られた。

 何故だ、と自分なりに理由を求めようとした矢先、キングが跳んだ。俺も跳んだ。
 今は命の奪い合いの真っ最中だ。理由は後でいい。
 示し合わせたかのようにお互いそう思ったのかもしれない。
 特にキングとしては得体のしれない相手に手間取って、これ以上奇手で翻弄されたくないという考えがあっただろう。
 キングが動いたならば、俺も動かなければならない。

 瞬歩勝負であれば、常に先手を取るのは俺だ。虚実混ぜ合わせた瞬歩の重ねで、間違いなくキングの不意を衝ける。
 チャンスは、いくらでも作り出せる……はずなのに――。

「トフス・エスィ・レタウ・ウォーラ!」

 死角から水の矢を十本放ち、その中に氷の矢を二本紛れ込ませる。
 だが、キングは正確に氷の矢だけを撃ち落とす。
 
「エスィ・レタウ・ウォーラ!」

 何度やっても同じだった。時間差をつけても、無詠唱で放っても、死角から撃っても、その長剣で的確に払い除けられる。
 確かに『エスィ』――氷の論理を織り交ぜた詠唱は、不慣れなのと論理構成がまだ未熟なのとで時間が掛る。
 しかしそれにしたって、キングの反応は異常だった。いつ来るのかわかっていると言っていいくらい正確だ。
 
 それも見慣れたから、とかじゃないのは明白だろう。
 だってキングは、最初から氷の術にだけ異様な反応を示していたから。
 折角、有効な手段を見つけてもそれが決まらないんじゃ話にならない……焦りが募る。

 それが面に出ていたのだろう、工夫の手が尽きて攻めあぐねた俺に、キングが嘲笑を向けてきた。

「切り札があっさり見破られ、焦慮に苛まれている顔だな。小気味よいわ」

「別に、そんなことないし」

 強がりであることは明々白々だが、そう言い返すしかなかった。
 単なる負けず嫌いだが、強がりもこういう場面では必要なものだと思う。
 状況は変わらないが心境的に不利だった。
 キングの言う通りなのだ。ここまで積み重ねてきた切り札が通用しなかった。それは少なからず俺の心理に弱気の影を差している。

 それを無理にでも無視して強気を保たないと、戦意に関わる。戦意が低下すれば、反応に関わる。反応が遅れれば、俺が唯一キングを凌駕してる有利が消えてしまう。それはすなわち俺の敗北を、死を意味する。
 だから、絶対に負けない、その気持ちだけは最後まで失わずにいなきゃならないのだ。
 それがたとえ悪足掻きだったとしても……。

「時間を稼いだところで、外の仲間が助けに来れるとは思えんがな。今頃はオーク共の腹の中かもしれんぞ」

 耳を貸すな。気を逸らすな。
 自分に言い聞かせて、キングに斬り掛かる。
 真っ直ぐに刃を叩きつけるのではなく、抉るように斬り付ける。そうすれば最初みたいにまともに弾かれることもない。そして剣筋を見切られる前に退く。退く際には氷の矢で牽制も忘れない。

「無駄な足掻きを……良いだろう、そこまで我に歯向かう闘争心に敬意を払おう。冥途の土産だ、教えてやる」

 もう、キングのお喋りに付き合わない。
 必要がない。俺の戦力は出し切ったのだ、手持ちのカードで押し切るしかないのならば、これ以上の問答は不要だった。

「何故、我が初めて見た氷の門晶術に反応できたか……貴様が今一番知りたいことはそれであろう」

 はずれ、一番はキャリンの行方だよ。
 でも二番ではある。それを知ればもしかして打開策を思いつくかもしれない――なんて淡い期待がそれこそ泡みたいに胸の内に浮かんでくるが、そういうものならキングがわざわざ漏らすこともないはずだ。自分の有利が揺るがないと確信しているから話すのだろう。嫌な奴。
 口には出さず、代わりに小剣を閃かせ氷の矢を飛ばす。どちらも、軽々と振るわれる長剣に阻まれた。

「丸見えなのだよ、氷を作り出す際の論理構築が。大方、市井の論理を無理矢理組み合わせて構築しているのだろうが、そのせいで論理が本来持つ隠ぺい性が消え失せている」

 流石にその言葉には愕然とした。
 どれくらい愕然としたかというと、危うくキングの反撃をまともに食らいそうになったほどだ。
 紙一重で避けて、退がる。

「その様子では、気付いてなかったようだな。なんとも間抜けな話よ。そしてその間抜けで我に歯向かおうという魂胆に腹が立つ。付け焼刃が通用するほど、グニィクは甘くないぞ」

 キングの姿が消えた。ほとんど本能で身を屈めると、頭上を厚刃の剣閃が薙いだ。
 隙だらけの下腹部に小剣の切っ先を狙いすまして突き込む。
 宙を泳いでいた長剣が剛力で引き戻されて突きを弾く。
 弾かれた刃を立て直そうとはせず、逆にその勢いに身体を預けて横に跳ぶと、それまで俺がいた空間を下から撫で上げる斬撃が通り過ぎた。
 巻き込むような刃風に怖気が走るけど、表情に漏れないよう踏ん張る。
 そうして――もう少し斬り込みたいとこだが、これ以上接近しているとこっちの保護フィールドが持たなかった。瞬歩で距離を取る。

 なんとか拮抗しているとはいえ、あの炎の鎧はやっぱり厄介だ。
 キングの武器が長剣ってことはその間合いの内側に張り付けるならば、こっちの独壇場。つまり有効打である氷の門晶術を、読めるとしても避けられない防げない至近から撃ち込めるのだが……。
 肝心の氷門晶術のタイミングがモロバレだってのを聞かされた今となっては、なおさら炎の鎧が厄介に感じられる。

 そうなんだよ……炎の鎧と、怪力に支えられたあの長剣のシナジーが厄介なんだよ。
 どちらか一つでも潰せれば、勝機は俺の方へ傾くんだが……。
 炎の鎧は門晶術だ。門晶術であればエーテルの供給を断てば消滅する。エーテルの供給は発動後に残り維持が必要なものは術者から供給される。つまり術者が供給を止めるか供給できない状態にならないと術は発動したままだ。
 その供給できない状態にするのに炎の鎧が邪魔なんだよ。

 長剣の方はと言えば……長剣というより怪力か。
 あの攻撃範囲、あの攻撃速度、ハッキリ言って馬鹿力にもほどがある。チートに片足突っ込んでると叫びたい。無意味だからしないけど。
 生半可な攻撃じゃ鉄の盾みたいに幅広で分厚いロングソードの刀身に防がれるし、迂闊に近付けばこっちの攻撃範囲の外から旋風のような斬撃が襲ってくる。それもこれもあの怪力が成せる業だ。

 わずかでも、剣の反応を遅らせられればそこから奴の防御を崩せる可能性はある。
 あるんだけど、こんだけあれこれ手を尽くして不意打ちしかけてんのに、いまんところ全部防がれてんだよなぁ……自分で俊敏だとか言うだけあって、反応速度が化け物じみてるぜ。
 あとは……“意表を突いた”上で“思わぬ事態”に巻き込めばどうだろうか。
 意表を突くのは瞬歩の重ねで何とかなるだろう。
 次の“思わぬ事態”ってのをどう演出するかだが……それについても一計、思い当たる節がある。というか、今、キングのロングソードを見てて気が付いたことがある。
 このまま手を拱(こまね)いてて勝てるものでもないし、やってみるしかないか。

「どうした、来ないのであればまたこちらから出向いてやるぞ」

 もうすっかり勝った気でいるのか、キングは余裕綽々、俺が追い詰められる様子を愉しんでいるみたいだった。
 残念、追い詰められてんじゃなくて次の一手を思いついてたんだよ。

「結構よ。それより、あたしに時間を与えた事……後悔しないように、ねっ!」

 言葉の終わりと同時に氷の矢を放つ。今度は水の矢のお供は無し、三本共に氷の矢だ。

「間抜けの一つ覚えか、見苦しいな」

 キングは予測していたのだろう、長剣の一振りだけで三本とも振り払った。

「見苦しいかどうか、ちゃんと全部見切ってから言いなさいよ!」

 言いながら横走りに氷の矢を連射する。
 キングもいちいち全部を剣だけで叩き落とすのが面倒になったのか、無詠唱で『エリフ』に似た火球を無数に生み出し、氷の矢にぶつけてくる。
 氷の矢と火球が飛び交う。だが、数はこっちの方が圧倒的に多い。
 キングはその場を動かずひたすら剣で氷の矢を叩き落とし、俺はこっちまで飛んできた火球を避けつつ駆ける。
 ちょうどグルリとキングを一周した頃合いで、俺の目論見が完成した。

「これでっ!」

 足元を狙って出せるだけありったけ、五発の氷の矢を投げ撃ち、すかさず次の術の構築に入る。

「ふん、それで終わりか?」

 キングは飛んできた氷の矢を小煩そうに斬り落として、

「ぬぅっ……?」

 その動きが固まった。
 その時には俺の渾身の門晶術は完成している。

「剣が……凍り付いているっ!?」

「説明どうもっ! それじゃあこれは防げないし避けられないでしょ!?」

 俺の胸の前にはさっきの水の槍の氷版が既に具象化されている。
 対して、キングはその得物を封じられていた。俺が執拗にぶつけた氷の矢が炎に負けず長剣に張り付き、さっきのとどめの五本で地面と一体化しているのだ。
 俺の門晶術の氷はただの凍らせた水じゃない。エーテルを氷に変質させた氷だ。論理の改良で温度も硬さもある程度操作できるようになっている。
 あの高温でも頑張っている氷の破片を見て閃いたのだ。剣が邪魔なら使えないようにしてしまえばいいと。
 その目論見は見事に的中した。

「これで終わりよっ!」

 無理矢理引きはがそうとしてキングの腕が一回りも二回りも膨らんで、元の位置に戻る。
 確信した。
 この槍は何物にも妨げられず、オークキングの胸甲を砕き、心臓を貫く。
 キャリンの仇を、討てる……!

「いっけぇぇぇっ!」

「しゃらくさいわぁっ!」

 キングの咆哮が石室内を満たした。

「ェウグノッテマルフェフ・シェダルビム!」

 キングのロングソードを縛っていた氷の楔が、赤い光を放ったかと思うと突如として内側から砕けた。
 まるで刃から逃げ出したかのように唐突に弾き飛ばされたのだ。
 それを視界の中に収めていても、驚くばかりで他にどうしようもなかった。

 音もなく、氷の槍が空を切ってキングに迫る。
 キングの刃が振り上げられる。
 その刃には、残像のような炎が纏いついていた。

 炎の鎧と同じような火炎が、まるで刀身そのもののように踊っている。
 迅速に振り下ろされても、火炎は消えることなく、それどころか鋼の刃そのものが燃えているかのように追従して、氷の槍と空中で衝突した。
 起死回生の一撃は、キングが生み出した炎の剣によって、あえなく四散した。

 たじろぐことはない。
 こうなった時の最後の手段も既に考えてある。
 だから、躊躇いなく実行した。

「あんただけは、命に代えてもっ……!」

 瞬歩を重ね、キングの背後へ。
 その時にはもう、キングは半分振り返っていた。

 最後の手段は至極単純だ。
 直接相手の体内に冷気を送り込む。
 そんな論理、今まで構築したことはない。だって、冷気を生み出せば、熱と同じく俺にも伝わる。俺の方も、ただでは済まない。

 それに防護フィールドの問題もあった。冷気を送り込んでいる間、ずっとキングに接触していなければいけないのだ。どう考えてもフィールドが持たない。
 あとこれが何よりの問題だが、凍らせている間、キングが大人しくしてるとはとても思えない。
 自滅する可能性が高い自爆技故に使えなかったのだ。
 でも、もう俺がキングを倒す手段はこれしか……。

 ちょっと、オークキングって存在を甘く見ていた。
 キャリンの事があって冷静じゃなかったとはいえ、俺の読みが浅かった。
 オークやハイオークがあんなもんだから、キングも大したことはないだろうと高を括っていた。
 そのツケが、この一瞬に皺寄せてきたのだ。
 もう、仕方ないと諦めていた。

 せめて冷気の反動が少なくて済むように、なるべく早くキングを凍り付かせられるように、小剣をどうにかキングの身体に突き込めればまだ助かる見込みはあるかもしれない。
 そうだ、術を託せる『ティモック』の論理を使えば、俺が手を離しても託したエーテルが切れるまで凍結の効果を維持できるかもしれない。
 そんな論理を今この瞬間に構築できるか?
 出来なくてもやるしかない。
 使う論理は……凍結の『エゼェルフ』、委託の『ティモック』、あとは消費エーテルを増やして効果を上げる強化の『ヒュギ』と……効果を行き亘らせる『エタルクリク』か。

「エタルクリク……」

 キングが半身のまま右手の火炎の剣を下から斜めに振り上げる。

「ヒュギ……」

 上半身を反らしてやり過ごす。続けて踏みつけるような膝蹴りが襲い来る。

「エゼェルフ……」

 反らした上半身のバネで強引に下半身を右方向に動かしたが、おいていかれた左腕が膝のクリーンヒットを受ける。
 肩が抜けそうな衝撃だった。っていうか抜けたんだろうな。筋肉が伸びきって衝撃を殺してくれたおかげで、なんとかバランスを崩すのだけは堪えた。骨折と肩の脱臼と筋断裂は免れないだろうけど。
 でも、キングの連撃はこれで終わりだ。
 門晶術も完成した。

「ティモック……オレズドノケス!」

 後はこの右手の小剣をキングの身体に食い込ませるだけ。
 攻撃を出し切ったキングは隙だらけだ。適当に突き出しても防がれる心配はないだろう。
 剥き出しの太ももを狙って、突くには剣を引く余裕がなかったから斬り付けた。

 小剣がキングのピンク色の皮膚に迫る。
 手応えがおかしかった。
 刃が、弾かれていた。

 キングの筋肉が鉄より硬かったわけじゃない。
 俺の小剣の刃が、潰れていたのだ。
 炎の鎧を何度もくぐらせ、その状態でキングのロングソードに斬撃を防がれぶつかった結果だった。
 もはやこれはショートソードじゃなくて平べったい鉄の棒だ。
 これじゃあ、キングの身体に食い込ませるなんて……。

 それどころじゃなかった。
 キングの左太腿を打ち付けた小剣が、俺の視界の中で放物線を描いて飛んで行った。

「……え?」

 飛んだのは、小剣だけじゃなかった。
 革のブラウスの袖を付けた俺の右腕が、剣を握ったまま一緒に飛んでいった。
 どうして小剣を握ったまま?
 そう思って自分の右腕を見下ろすと、肘から先がなかった。
 代わりに、炎を纏わない長剣がギロチンの刃のように屹立していた。
 呆然とした俺の顔が、炎に洗われた鋼の刃に映っている。

 顔を上げる。
 キングの右手には炎の剣があった。
 キングの左手には鋼の剣があった。
 炎の剣は、剣の形をした炎だった。
 鋼の剣は、俺の肘から吹き出す血を受けて、赤く滴っていた。

 いつの間に、持ち替えたんだ……?

 左の方で、石と金属がぶつかる重い音がした。
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