ライオンガール

たらこ飴

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第1章〜サーカス列車の旅〜

第9話 不運な出会い

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 それから2週間ほどの時間を全てCD探しに費やした。お金は先月分のバイト代の残りが少しあるくらいだったが、遣い果たすことなんてちっとも惜しくはない。

 母と祖母は毎日のように口喧嘩をしていた。理由は父との関係のことだったり、過去に二人の間に起きた問題だったり、母の性格や人生設計についてだったり様々だった。母は祖母の育て方や過去に彼女にされたり言われたりことについて責め立てた。その後は、私が母に祖母についての愚痴を聞かされるというお決まりのコースだった。疲れた私は逃げるように家を出て街へ向かう。険悪な雰囲気の空間にいるのは、もう真っ平だった。それよりは外に出て一つの目的を達成するためにひたすら歩き回りたかった。

 あちこちのCDショップやレンタルショップを巡り、陳列棚のみでなく中古のCDが雑多に置かれたワゴンの中も洗いざらい探した。あまりに真剣に店内を物色していたためか店員たちから怪訝な視線を送られたが、気にしてなどいられない。今の私の脳内は『スリランカ料理店で流れているBGM』一色だった。

 ある週末の午後のこと、疾しい商品ばかりが陳列された裏通りのレンタルビデオ店を出たとき、運悪くディアナとガブリエルと、その男友達らしき二人に遭遇してしまった。俯いて歩いていたが、相手はすぐさま私に気づいたらしい。ぞっとするような薄ら笑いを浮かべて近づいてきた。

「偶然ね、アヴリル」

 こんな偶然なんてあって欲しくなかった。無視して通り過ぎようとした私を、腕組みをしたディアナが仁王立ちで阻んだ。本当なら今すぐ逃げ出したかったが、この薄暗い路地のなかにあるのはネズミやゴキブリが通るような、建物と建物の間の小さな隙間くらいしかない。後方は行き止まりになっている。どうやら逃げ場はなさそうだ。すぐ横の中華料理店から、ニンニクとウスターソースが混じったような、ねっとりとした油の匂いが漂ってくる。店外の壁に備え付けられた古びた換気扇の立てる耳障りな乾いた音と、カビ臭い匂いも一緒に。

「アンタさ、金持ってない?」

 ディアナが狡猾な目を向け訊ねた。彼女の手には、ジュースの入ったストロー付きの大きな赤いカップが握られている。今財布の中には5000ペソあったけれど、これはシドニーにいた時にバーガーショップでバイトして稼いだお金で、そのうちの半分を母に借して残った数少ないお金だった。

 私はディアナの目をまっすぐに見返した。ここで怯むわけにはいかない。この女に弱みを見せたら、漬け込んで今よりも遥かに高い額の要求をふっかけてくるに違いない。このお金はオーロラのために遣いたい。何としてでもあのCDを見つけて買わなければいけない。それ以外の用途など考えていなかった。目の前の女に易々と渡してたまるものか。

「持ってないかって聞いてんだよ!」

 鼻先が触れそうな距離まで顔を近づけたディアナの怒鳴り声と一緒に、口から出た唾が顔にかかる。

「あなたにあげるお金は一銭もないわ」

 ディアナは突如として不気味なほどに落ち着いた口調になった。

「ふ~ん……。じゃあ財布出してみろよ」

「嫌」

 女はガブリエルをじろりと睨みつけ、非情な命令を下した。

「あんた、コイツから金取ってよ」

「ディアナ、それはやりすぎだ。俺にはできない」

 ガブリエルが拒否するも、ディアナの怒りのボルテージは上がるばかりだ。

「何? あんたこの女のことが好きなわけ?」

「違う、そうじゃない。彼女は何も悪いことをしていないだろ? 俺には君が彼女を目の敵にする理由が……」

「黙れ!! 私のことを好きなら、さっさとコイツから金を奪え!! それができないならアンタとは終わりよ!!」

 ガブリエルは一度ため息をつき、私に向き直るなりすまなそうに声をかけた。

「悪い、アヴリル。少しでいいからお金を……」

「少しじゃねーよ!! 有金全部奪えっつってんだよ!!」

 ディアナの赤いヒールの踵がガブリエルのシューズを踏みつける。ガブリエルの口から鈍い叫び声が上がる。

 ディアナは後ろの二人の男の方を見て、私に向かって顎をしゃくって何かを告げた。逃げようとしたが時すでに遅く、二人は私の後ろに回り込んで両腕を固定した。

「悪いね、お嬢さん」

 二人のうちの一人が耳元で囁いた。身を捩り抵抗するも、大の男二人の力に私が適うはずがない。

 ガブリエルは蒼白な顔で近づいてくるなり、「ごめんよ」と小声で囁き、私が傍に抱え込んだハンドバッグに手をかけた。

「友達へのプレゼントを買うためのお金なの! お願いだからやめて!」

 ガブリエルは躊躇ったのち、背後にいるディアナの顔色を伺うように見た。

「早くしねーと、お前とその女をぶっ飛ばすぞ!」

 ディアナが叫ぶ。

 この女は狂っているとしか思えない。私への理不尽な怒りに突き動かされているのか、それとも単純に人をいたぶること自体が快感なのか。

 ガブリエルはため息をついて小さく首を振ったのち、私の手から無理やりバッグを奪い取って財布を取り出すと、札束を取り出して抜け殻だけ投げてよこした。財布の金属部分がアスファルトに当たる音が路地に虚しく響く。

「返して! それは大切なお金なの!」

 涙が溢れた。悔しくて情けなくて仕方なかった。オーロラのために遣おうと思っていたお金を、目の前の女に簡単に渡してしまったことが。

「うるせぇな!」

 鈍い音とともに、鳩尾にディアナの拳がめり込んだ。あまりの痛みに地面に膝をついた。男たちの手が離され解放された後も中々立ち上がることができなかった。噛んだ唇から鉄の匂いがした。

 顔を上げて睨みつけると、ディアナはふっと冷笑を向け、手に持っていた紙コップを私の頭上で逆さにした。どろどろとした赤紫の液体が視界を覆う。甘ったるい葡萄に似た人工甘味料の香りがする。炭酸が目に染みて、また涙が出た。

「死ね、弱虫」

 嘲りの言葉を残して奴らが去ったあと、鳩尾の痛みと格闘しながら立ち上がった。今朝アイロンとブローで整えてきた髪の毛も顔も服も、吐き気がしそうなほどに甘ったるい液体ですっかりベタついている。まるで濡れ鼠みたいだと自嘲する。コンクリートに転がる空の財布を見つめ、震える嗚咽が喉から漏れる。

 何故、こんな目に遭わなければいけないのか。オーロラの顔を思い浮かべた。彼女とシドニーで過ごした日々のことが昨日のことのように色鮮やかに甦ってきて、余計に涙が溢れた。ディアナの最後の言葉が呪いのように脳内でリフレインする。握りしめた拳を傍の建物の外壁に叩きつけた。誰かに傷付けられても反撃すらできない、大切な友人のために使おうと決めていたお金を取り返すことすらできない、弱くて惨めなだけの自分など消えてしまえばいい。こんな人生なんていらない。人に合わせてばかりで、流されるだけの人生を送るくらいならーー。

ーーいっそ、死んだっていい。
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