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第2章〜クラウンへの道〜
スタート⑤
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休憩時間にヤスミーナは言った。
「イスラエルではユダヤ人とアラブ人の間の武力衝突が頻繁に起きてた。それで練習できない日が続いたりもしたけど、サーカスでは皆仲間だった。先生や親たちは最初民族も宗教も違う私たちが仲良くなれるか心配してたみたいだけど、私たちにとっては関係なかった。アラブの子もユダヤの子もみんな一緒に練習をして、休憩の時は冗談を言い合ったりした。時々喧嘩もしたけど、切磋琢磨して励まし合ってたわ」
戦争によって練習を阻害されながらも前向きに鍛錬している子どもたちに、心苦しくも畏敬の念をおぼえた。
この列車にも色んな人種の、多種多様な背景を持った人たちが乗っている。サーカスというのは人種も国境も肌の色も言葉も、もしかしたら性別というものも超えてしまうのかもしれない。
ここでの生活やショーの中では、肩書きやしがらみに縛られることがなかった。女性として見られることに苦痛を感じていた私にとって、男性のふりをしていることは心地よかった。私にしつこく干渉をしてくる人はいないし、皆私という存在をただ受け入れてくれる。集団生活で大変なこともあるけれど、誰の目も気にしなくて生きられるのはものすごく自由で信じられないくらい快適だった。
あらゆる境界を消し去るサーカスというのは、一般社会からはみ出した人たちにとっての居場所なのだと思う。きっと、私やケニーにとっても。
ヤスミーナがぽつりと打ち明けた。
「私の兄が、11歳で死んだの」
言葉を失った。朗らかな笑顔の裏にそんな悲しい過去が隠されていたなんて。戦争は子どもの命さえ簡単に奪い去る。未来のある自分の兄が自分を庇うために亡くなってしまうなんて、あまりに残酷すぎる。
「……辛かったね」
こんな時オーロラやケニーなら、もっと適格な言葉をかけられるんだろう。私の脳みそと口は、本当の悲しみに直面している人の前では全く役に立たない。気の利いたことが言えない自分が情けなかった。
項垂れた私を気遣うみたいにヤスミーナは優しく微笑んだ。
「兄はムードメーカーで、いつもサーカスのみんなを笑わせてたわ。運動神経も良くて、みんなが苦手なアクロバットも怖がらないでやるような……」
ヤスミーナは兄とのかけがえのない日々を想うように目を細めた。
「素敵なお兄さんだ」
「うん……」
彼女たちの住んでいた町では、アラブ人とユダヤ人の激しい武力闘争が続いていた。夜に彼女の住んでいた場所の近くが爆撃を受け、たまたま外にいた兄と彼女が巻き込まれてたのだという。ヤスミーナは右脚を失ったが一命を取り留めたが、一方の兄はヤスミーナを庇って亡くなった。
「あの時から両親は笑わなくなった。私は二人を元気にしたくて、サーカスを続けたんだけど……」
「えらいね。だけど、君だって辛かっただろ?」
「うん。一時は練習もままならないくらい落ち込んだわ、私のせいで兄は死んだんだって自分を責めた。辞めたいとも思った。だけど、兄は私がサーカスを続けることを一番喜んでくれると思ったの。自分のせいで辞めたら彼は誰よりも悲しむと思った。私を一番応援してくれていたのは、他でもない兄だったから」
「強いね、君は」
「強くならざるをえなかったの」
「僕は自分を不幸だと思ってた。運命や神様を責めた時もある。だけど君のと比べたら屁でもない。弱い自分が情けなくなるよ」
「あなたは弱くないわ。この列車に乗って、ゼロからクラウンをやろうとしてる。本当に弱い人はそんなこと怖くて言い出せないわ」
「そうかな」
「そうよ。私ね、よく言われるの、義足で大変だねって。でも自分ではちっとも大変だと思ってない。だって私は得意なことでお金を稼げてるんだもの。それに、脚の一本くらいなくたって生きていける。恥ずかしいとも辛いとも思わないわ」
本当は彼女だって強くないのかもしれない。誰だって弱い部分はある。困難に打ち勝てないことだって。彼女のした体験みたいに、神様が与える試練にしてはあまりに惨いことだって世界には沢山ある。だけど、ヤスミーナの明るいブラウンの瞳の中にあるのは絶望ではない。木漏れ日にさす陽のように澄んだ、あのライオンが潜ったフープを囲む炎のように強い光だ。
「僕も強くなれるだろうか。君やルーファスや、レオポルドみたいに」
「なれるわ、きっとね」
ルーファスもヤスミーナも深い悲しみを抱えながら、サーカスという場所で花を咲かせ力強く生きている。私も彼女らのように困難にも悲しみにも打ち勝つ心が欲しい。そうすればあのテントの中で、2000人の観衆を前にしても堂々と演技ができるだろう。必死に練習を重ねて自信をつけよう。
この列車が次の駅に着く頃には、また一つ成長できている気がした。
「イスラエルではユダヤ人とアラブ人の間の武力衝突が頻繁に起きてた。それで練習できない日が続いたりもしたけど、サーカスでは皆仲間だった。先生や親たちは最初民族も宗教も違う私たちが仲良くなれるか心配してたみたいだけど、私たちにとっては関係なかった。アラブの子もユダヤの子もみんな一緒に練習をして、休憩の時は冗談を言い合ったりした。時々喧嘩もしたけど、切磋琢磨して励まし合ってたわ」
戦争によって練習を阻害されながらも前向きに鍛錬している子どもたちに、心苦しくも畏敬の念をおぼえた。
この列車にも色んな人種の、多種多様な背景を持った人たちが乗っている。サーカスというのは人種も国境も肌の色も言葉も、もしかしたら性別というものも超えてしまうのかもしれない。
ここでの生活やショーの中では、肩書きやしがらみに縛られることがなかった。女性として見られることに苦痛を感じていた私にとって、男性のふりをしていることは心地よかった。私にしつこく干渉をしてくる人はいないし、皆私という存在をただ受け入れてくれる。集団生活で大変なこともあるけれど、誰の目も気にしなくて生きられるのはものすごく自由で信じられないくらい快適だった。
あらゆる境界を消し去るサーカスというのは、一般社会からはみ出した人たちにとっての居場所なのだと思う。きっと、私やケニーにとっても。
ヤスミーナがぽつりと打ち明けた。
「私の兄が、11歳で死んだの」
言葉を失った。朗らかな笑顔の裏にそんな悲しい過去が隠されていたなんて。戦争は子どもの命さえ簡単に奪い去る。未来のある自分の兄が自分を庇うために亡くなってしまうなんて、あまりに残酷すぎる。
「……辛かったね」
こんな時オーロラやケニーなら、もっと適格な言葉をかけられるんだろう。私の脳みそと口は、本当の悲しみに直面している人の前では全く役に立たない。気の利いたことが言えない自分が情けなかった。
項垂れた私を気遣うみたいにヤスミーナは優しく微笑んだ。
「兄はムードメーカーで、いつもサーカスのみんなを笑わせてたわ。運動神経も良くて、みんなが苦手なアクロバットも怖がらないでやるような……」
ヤスミーナは兄とのかけがえのない日々を想うように目を細めた。
「素敵なお兄さんだ」
「うん……」
彼女たちの住んでいた町では、アラブ人とユダヤ人の激しい武力闘争が続いていた。夜に彼女の住んでいた場所の近くが爆撃を受け、たまたま外にいた兄と彼女が巻き込まれてたのだという。ヤスミーナは右脚を失ったが一命を取り留めたが、一方の兄はヤスミーナを庇って亡くなった。
「あの時から両親は笑わなくなった。私は二人を元気にしたくて、サーカスを続けたんだけど……」
「えらいね。だけど、君だって辛かっただろ?」
「うん。一時は練習もままならないくらい落ち込んだわ、私のせいで兄は死んだんだって自分を責めた。辞めたいとも思った。だけど、兄は私がサーカスを続けることを一番喜んでくれると思ったの。自分のせいで辞めたら彼は誰よりも悲しむと思った。私を一番応援してくれていたのは、他でもない兄だったから」
「強いね、君は」
「強くならざるをえなかったの」
「僕は自分を不幸だと思ってた。運命や神様を責めた時もある。だけど君のと比べたら屁でもない。弱い自分が情けなくなるよ」
「あなたは弱くないわ。この列車に乗って、ゼロからクラウンをやろうとしてる。本当に弱い人はそんなこと怖くて言い出せないわ」
「そうかな」
「そうよ。私ね、よく言われるの、義足で大変だねって。でも自分ではちっとも大変だと思ってない。だって私は得意なことでお金を稼げてるんだもの。それに、脚の一本くらいなくたって生きていける。恥ずかしいとも辛いとも思わないわ」
本当は彼女だって強くないのかもしれない。誰だって弱い部分はある。困難に打ち勝てないことだって。彼女のした体験みたいに、神様が与える試練にしてはあまりに惨いことだって世界には沢山ある。だけど、ヤスミーナの明るいブラウンの瞳の中にあるのは絶望ではない。木漏れ日にさす陽のように澄んだ、あのライオンが潜ったフープを囲む炎のように強い光だ。
「僕も強くなれるだろうか。君やルーファスや、レオポルドみたいに」
「なれるわ、きっとね」
ルーファスもヤスミーナも深い悲しみを抱えながら、サーカスという場所で花を咲かせ力強く生きている。私も彼女らのように困難にも悲しみにも打ち勝つ心が欲しい。そうすればあのテントの中で、2000人の観衆を前にしても堂々と演技ができるだろう。必死に練習を重ねて自信をつけよう。
この列車が次の駅に着く頃には、また一つ成長できている気がした。
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