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第2章〜クラウンへの道〜
冷たいスコール③
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「待って、ルチア!」
嫌な予感が頭を掠め、ルチアの後を追った。ケニーも後ろから追ってきた。
ルチアは食堂車の窓を開けて身を乗り出していた。スコールの混じった冷たい風が車両に吹き込んでいる。
「辞めろ、ルチア!!」
ケニーが投げ出されかけた彼女の腰を両腕で掴んで車内に引き戻した。
ルチアを抱えたケニーの背中が硬い床に叩きつけられる。
「離して!!」
泣き叫ぶルチア。冷たいスコールが彼女の頬と、ブラウンの格子柄のワンピースを濡らしている。
「ルチア、落ち着くんだ」
ケニーはルチアの背中を摩って、席に座らせ窓を閉めた。
私はあまりのことにただ呆然としていた。ケニーは事務所からコップに注がれた温かいレモンティーを持ってきてルチアに手渡した。
「心配してついてきてよかった」とケニーは汗を拭った。
「凄かったよ、ケニー」
ケニーのファインプレーがなければ、ルチアは死んでいたかもしれない。
私は何もできなかった。代わりにポケットから大きなハンカチを出してルチアに渡したら、憔悴しきっていたルチアはぷっと吹き出した。
少し落ち着いたのか、ルチアはこれまで封じ込めてきた思いを打ち明け始めた。
「私、昔から誰かが悲しんでいたり、傷ついているのを見るのが嫌なの。誰かの気持ちや感覚が伝わってくるっていうか。誰かが具合が悪いと自分も具合が悪くなるくらい。
パパはあの通りだから、小さい頃から数え切れないくらい泣いている団員や、傷ついた動物たちを見なきゃならなかった。そのたびに自分の部屋であ~!! って大きな声で叫ぶの」
「分かるよ、凄く。誰かの気持ちが伝わってくるのは辛いよね」とケニーが相槌を打った。
「いっそ何も感じない方が楽なんじゃないかとよく思うの。誰かが辞めるたびに消えてしまいたくなる。何もできない、見ているしかない自分が嫌になる。私が檻の前で泣いてると、動物たちが心配するの。彼らは人の感情に敏感なのよ」
「人間が鈍いだけさ」
ケニーは言った。
「そうかもしれないわね。パパに彼らくらいの鋭さや繊細さがあれば、あんなに誰かを平気で傷つけることもないのに」
「世の中は不公平だし理不尽さ」
ケニーが遠い目をして語りかけた。
「僕も昔死のうとしたことがあるんだ。首を吊ってね」
「そんなこともあったよね」
5年前、ケニーが自殺未遂をしたことがあった。
アルゼンチンからブエノス・アイレスに向かう飛行機の中ずっと母は泣いていて、私は母を励ましながら神様に祈ることで、恐怖に押しつぶされそうな心を必死に保とうとしていた。
ケニーがいなくなってしまうことが凄く怖かった。彼ともうゲームができない、学校のことを相談することも、一緒にアイスクリームを食べることもないんだと考えるとあまりに虚しく絶望的だった。
病院でケニーの意識が戻ったと聞かされたとき、全身から力が抜けてその場に座り込んだ。
「会社で馬鹿だの出来損ないだのと言われるうちに、自分が本当に駄目な奴だと思えてきた。人は平気で他人を傷つけるし、自分のことが一番大事だ。エゴで生きてるんだ、誰もみんな。それを見えないように必死に隠してるだけさ。隠すことは悪いことじゃない。利己的な感情を抑えられるってことだからね。エゴを隠せない人間に限って、嫉妬や憎しみを他人にダイレクトに向ける。真面目で正直な人間が八つ当たりを喰らったり馬鹿を見ることもある。
でもさ、そんなことばかりじゃない。辛いこともあるけど、前の会社と違うのは励ましてくれる人がいることだ。君は1人じゃない。自分だけで抱えようとしないことだ。辛い時は自分の殻にこもってしまいがちだけど、死ぬしか選択肢がなくなる前に僕たちに泣きつくんだ。怒って泣いて暴れてもいい。そうすることでしか楽になれないのなら。
君たちのショーは僕を生き返らせてくれる。長い間死んでいたような心が、ショーを観て感動して動き出したんだ。こんなことは初めてだったよ。
君とコリンズのショーを僕はまた観たい。動物たちのショーがとりわけ好きだな。見返りを求めず純粋な心で頑張っている彼らを見ると、自分も頑張らなきゃなと奮い立たされる。
動物たちにも君が必要だ。気持ちを代弁してくれる君の存在が。君にとっては辛く感じることが、誰かにとっては救いになる。だから、悲観しすぎることはないんだ」
ルチアは大きなハンカチで顔を覆って泣いていた。彼女を笑わせようとも思ったが、やっぱり好きなだけ泣かせることにした。彼女の啜り泣きとケニーの貰い泣きにつられて私も泣いた。
窓の外で降りしきっていたスコールは上がり、曇り空に晴れ間が覗いていた。
嫌な予感が頭を掠め、ルチアの後を追った。ケニーも後ろから追ってきた。
ルチアは食堂車の窓を開けて身を乗り出していた。スコールの混じった冷たい風が車両に吹き込んでいる。
「辞めろ、ルチア!!」
ケニーが投げ出されかけた彼女の腰を両腕で掴んで車内に引き戻した。
ルチアを抱えたケニーの背中が硬い床に叩きつけられる。
「離して!!」
泣き叫ぶルチア。冷たいスコールが彼女の頬と、ブラウンの格子柄のワンピースを濡らしている。
「ルチア、落ち着くんだ」
ケニーはルチアの背中を摩って、席に座らせ窓を閉めた。
私はあまりのことにただ呆然としていた。ケニーは事務所からコップに注がれた温かいレモンティーを持ってきてルチアに手渡した。
「心配してついてきてよかった」とケニーは汗を拭った。
「凄かったよ、ケニー」
ケニーのファインプレーがなければ、ルチアは死んでいたかもしれない。
私は何もできなかった。代わりにポケットから大きなハンカチを出してルチアに渡したら、憔悴しきっていたルチアはぷっと吹き出した。
少し落ち着いたのか、ルチアはこれまで封じ込めてきた思いを打ち明け始めた。
「私、昔から誰かが悲しんでいたり、傷ついているのを見るのが嫌なの。誰かの気持ちや感覚が伝わってくるっていうか。誰かが具合が悪いと自分も具合が悪くなるくらい。
パパはあの通りだから、小さい頃から数え切れないくらい泣いている団員や、傷ついた動物たちを見なきゃならなかった。そのたびに自分の部屋であ~!! って大きな声で叫ぶの」
「分かるよ、凄く。誰かの気持ちが伝わってくるのは辛いよね」とケニーが相槌を打った。
「いっそ何も感じない方が楽なんじゃないかとよく思うの。誰かが辞めるたびに消えてしまいたくなる。何もできない、見ているしかない自分が嫌になる。私が檻の前で泣いてると、動物たちが心配するの。彼らは人の感情に敏感なのよ」
「人間が鈍いだけさ」
ケニーは言った。
「そうかもしれないわね。パパに彼らくらいの鋭さや繊細さがあれば、あんなに誰かを平気で傷つけることもないのに」
「世の中は不公平だし理不尽さ」
ケニーが遠い目をして語りかけた。
「僕も昔死のうとしたことがあるんだ。首を吊ってね」
「そんなこともあったよね」
5年前、ケニーが自殺未遂をしたことがあった。
アルゼンチンからブエノス・アイレスに向かう飛行機の中ずっと母は泣いていて、私は母を励ましながら神様に祈ることで、恐怖に押しつぶされそうな心を必死に保とうとしていた。
ケニーがいなくなってしまうことが凄く怖かった。彼ともうゲームができない、学校のことを相談することも、一緒にアイスクリームを食べることもないんだと考えるとあまりに虚しく絶望的だった。
病院でケニーの意識が戻ったと聞かされたとき、全身から力が抜けてその場に座り込んだ。
「会社で馬鹿だの出来損ないだのと言われるうちに、自分が本当に駄目な奴だと思えてきた。人は平気で他人を傷つけるし、自分のことが一番大事だ。エゴで生きてるんだ、誰もみんな。それを見えないように必死に隠してるだけさ。隠すことは悪いことじゃない。利己的な感情を抑えられるってことだからね。エゴを隠せない人間に限って、嫉妬や憎しみを他人にダイレクトに向ける。真面目で正直な人間が八つ当たりを喰らったり馬鹿を見ることもある。
でもさ、そんなことばかりじゃない。辛いこともあるけど、前の会社と違うのは励ましてくれる人がいることだ。君は1人じゃない。自分だけで抱えようとしないことだ。辛い時は自分の殻にこもってしまいがちだけど、死ぬしか選択肢がなくなる前に僕たちに泣きつくんだ。怒って泣いて暴れてもいい。そうすることでしか楽になれないのなら。
君たちのショーは僕を生き返らせてくれる。長い間死んでいたような心が、ショーを観て感動して動き出したんだ。こんなことは初めてだったよ。
君とコリンズのショーを僕はまた観たい。動物たちのショーがとりわけ好きだな。見返りを求めず純粋な心で頑張っている彼らを見ると、自分も頑張らなきゃなと奮い立たされる。
動物たちにも君が必要だ。気持ちを代弁してくれる君の存在が。君にとっては辛く感じることが、誰かにとっては救いになる。だから、悲観しすぎることはないんだ」
ルチアは大きなハンカチで顔を覆って泣いていた。彼女を笑わせようとも思ったが、やっぱり好きなだけ泣かせることにした。彼女の啜り泣きとケニーの貰い泣きにつられて私も泣いた。
窓の外で降りしきっていたスコールは上がり、曇り空に晴れ間が覗いていた。
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