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19. ウミ
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ジョーダンがケイシーから飲みに付き合えと呼び出されたと言って早めに帰ったあと、私とウミは"Mach TAXI"というカーゲームや音楽ゲームをプレイした。ついでにUFOキャッチャーをやってみた。私はコインを数枚無駄にしただけだったけれど、おそらくは音楽を作るのと同じくらいウミの腕は確かで、特賞のゲーム機を何個かゲットして店のスタッフの度肝を抜いた。
2時間ほどの間ゲームにお金とエネルギーを費やした私たちはごく自然の流れで休憩しようということになり、地下1階にあるコミックカフェへと向かった。
ウミはブラックコーヒーを1杯、私はクリームブリュレを注文し、運ばれてくるのを待つ間ゲームやお互いの仕事のことなど他愛のない話をした。
ウミは一度もミシェルのことに触れなかったし私もあえて聞かなかった。振られる方ももちろん辛いが突き放す側だって後味が悪い思いをすることは理解していたので、それについてとやかく言うことでいたずらにウミの傷口を広げたくなかったのだ。
やがて注文したものが運ばれてきて、私はクリームブリュレを無言で食べウミは静かにコーヒーを啜った。何かを食べるときはその行為に夢中になるためにいつも無口になってしまう。そんな私をウミは微笑みながら見つめている。
「あんな生き生きとした顔ができるのに、私の前ではずっと真顔なのはどうして?」
ウミは不思議そうに首をかしげた。
笑ったのは無意識だった。単純にゲームを最後までクリアできたのが嬉しくて、隣にいたジョーダンと感動を分かち合うときに自然と溢れた笑顔だった。
「これ、通常運転だから」と軽く返しつつ内心は安堵していた。私は笑うことができる、のっぺらぼうではないのだと。
「まぁ、それもあなたの面白いとこだと思うけど」
ウミはあのプールで会った時と同じ優しい笑顔を浮かべながら、また手元のマグカップに口をつけた。
「私さ、あんまり人が感動するところで感動出来ないの。夜景を見ても星空を見ても、ただの景色としか思えない」
きっと誰にも理解はできまい。そんな決め付けから他人に話すことができずにいた事実をウミはあっさりと受け止めた。
「私もそうだよ。別にいいんじゃない? それもひとつの感じ方だし」
ウミになら話してもいいかもしれない。きっと彼女なら理解してくれる。そんな確信が生まれ、私は過去の辛い体験を打ち明けることにした。
「前に付き合った人に、『心がないの?』って聞かれたの」
ウミはわずかに眉を顰めたあと、「酷いね」とつぶやいて言った。
「あなたは心が無いんじゃなくて、単純に心が動いていないんだ」
ウミの褐色の目が射抜くように私を見た。
「生きてるって感じることがあるように、人って否応なく突き動かされるときがあるはずなんだ。あなたにとってはゲームをクリアした瞬間かもしれないし、私にとっては音楽を作ってる時がそう。心って、そういう時に動くものなんじゃないかな?」
「その言葉、私の名言録に入れとくよ」
過去に心が動いた瞬間はいつだったかと考える。幼い頃父と行ったテーマパークで初めてフリーフォールに乗ったとき、小学3年の時に大好きだった数学のオコナー先生が退職したとき、中学の時にチャップリンの『独裁者』のラストのスピーチを聴いたときーー。
あのときの私を鏡に映したら、きっと生きた子どもの顔をしていたに違いない。
「人の心を動かすって難しいよ。言葉ひとつとっても、いろんな感じ方の人がいる。私の曲に勇気づけられたって言ってくれる人もいれば、お前の曲は辛気臭くて聴いていられないって言う人もいる」
まるで誰にも自分の存在を知られたくないかのように帽子を目深に被ったウミは、テーブルに頬杖をついたままどこか遠くを見るような顔をした。
「だけど羨ましい。あなたはそうやって誰かを感動させられるけど、私にはそれができない。芝居は楽しいけど、時々辞めた方がいいんじゃないかって思う。感情表現が上手くできない私には、向いてないんじゃないかって」
「心が固くなりすぎて、外の刺激に反応しにくくなってるだけかもね。もしそうなったきっかけがあるんだとしたら、心を溶かすきっかけもきっとあると思うんだよね」
『リオの心の名言録』に掲載されそうな目から鱗のアドバイスを連発するウミは、先ほどから全く何も食べていない。
「てゆうか、何か食べなくて平気?」
流石に心配になって尋ねるも、彼女は苦笑いで首を振るばかりだ。
「あまり食べたいと思えなくて。家でも1日1食トースト1枚とか、シリアル少し食べればもういいやってなる」
彼女の食欲は5歳のベンとポニー以下だ。作詞作曲というハードな仕事をこなしながら、そんな食生活で身体を壊さずに生きていられることが不思議で仕方ない。
「空腹で頭働かなくなったりしないの?」
「それはないかな。かえって空腹の時の方が頭が冴えて調子がいいくらい。何かを食べると眠くなっちゃって、創作意欲がダウンする」
「へー、私は食べないとか絶対無理。よく生きてられるね、すごい多忙だろうに」
「曲作りだけが唯一のエネルギーなんだよね」
ウミはおもむろに高校時代に入院していたときの話を始めた。彼女は淡々とした語り口で、小学校の高学年のとき対人関係が上手く築けずに不登校になり、それから学校に通わずに自分の部屋に引きこもってひたすら音楽を作っていたと打ち明けた。思春期に入って一時期気分の浮き沈みや希死念慮があまりにも激しくなり、田舎の山奥にある施設でしばらく療養したこと、入院中も退院後も外との関わりを一切遮断し作曲ばかりしていたこと。16歳で作品が音楽関係者の目に止まってデビューしてから人と関わることが徐々に増えたが、未だに人間不信と恐怖心が消えないことも。
「あなたが生きていて良かったわ」
私は彼女に向かって言った。さっきの笑顔と同じ、自然に出てきた言葉だった。
もしも彼女が死んでいたらこうして向かい合って打ち明け話をすることも、一緒にゲームセンターで遊ぶこともできなかった。
ウミはハハ、と乾いた笑いを宙に浮かべたあとで、テーブルに視線を落としたまま首を傾げた。
「これ、生きてるって言えるのかな? ゾンビみたいなもんだよ、作曲をしていないときの私はまるで」
「私には、あなたは生きてる人間に見えるけど」
ウミは俯きがちだった視線を上げて、また真っ直ぐに私を見た。生きている証だ。その瞳に浮かぶ悲しみの色も、時折見せる優しい笑顔も、淡々とした語り口もーー。全てが彼女を彼女たらしめていて、彼女が『地獄』と呼ぶ世界と自分なりに向き合って生き抜いてきたことを物語っている。
「あなたと一緒にいるからかもね」
ウミは一言言って笑った。
私とウミはそのあとしばらく他愛のない話をして、どちらからともなく席を立って店を出た。
彼女のあの言葉についてはあえて深く考えないようにしていた。もしかしてという思いがなかったわけではないが、ウミが誰かに特別な感情を持つことなど人類が海王星に移住するくらいありえない。こんな考えは捨てるべきだ。彼女との関係はローラーコースターのようなものであって欲しくない。こうしてたまに会ってお互いに話したいことを好き勝手に話す。そのくらいが丁度いい。
別れ際ウミと私は連絡先を交換した。
「生存確認程度でいいから、気が向いたら連絡して」
ウミのその台詞は連絡不精な私の心を軽くした。
2時間ほどの間ゲームにお金とエネルギーを費やした私たちはごく自然の流れで休憩しようということになり、地下1階にあるコミックカフェへと向かった。
ウミはブラックコーヒーを1杯、私はクリームブリュレを注文し、運ばれてくるのを待つ間ゲームやお互いの仕事のことなど他愛のない話をした。
ウミは一度もミシェルのことに触れなかったし私もあえて聞かなかった。振られる方ももちろん辛いが突き放す側だって後味が悪い思いをすることは理解していたので、それについてとやかく言うことでいたずらにウミの傷口を広げたくなかったのだ。
やがて注文したものが運ばれてきて、私はクリームブリュレを無言で食べウミは静かにコーヒーを啜った。何かを食べるときはその行為に夢中になるためにいつも無口になってしまう。そんな私をウミは微笑みながら見つめている。
「あんな生き生きとした顔ができるのに、私の前ではずっと真顔なのはどうして?」
ウミは不思議そうに首をかしげた。
笑ったのは無意識だった。単純にゲームを最後までクリアできたのが嬉しくて、隣にいたジョーダンと感動を分かち合うときに自然と溢れた笑顔だった。
「これ、通常運転だから」と軽く返しつつ内心は安堵していた。私は笑うことができる、のっぺらぼうではないのだと。
「まぁ、それもあなたの面白いとこだと思うけど」
ウミはあのプールで会った時と同じ優しい笑顔を浮かべながら、また手元のマグカップに口をつけた。
「私さ、あんまり人が感動するところで感動出来ないの。夜景を見ても星空を見ても、ただの景色としか思えない」
きっと誰にも理解はできまい。そんな決め付けから他人に話すことができずにいた事実をウミはあっさりと受け止めた。
「私もそうだよ。別にいいんじゃない? それもひとつの感じ方だし」
ウミになら話してもいいかもしれない。きっと彼女なら理解してくれる。そんな確信が生まれ、私は過去の辛い体験を打ち明けることにした。
「前に付き合った人に、『心がないの?』って聞かれたの」
ウミはわずかに眉を顰めたあと、「酷いね」とつぶやいて言った。
「あなたは心が無いんじゃなくて、単純に心が動いていないんだ」
ウミの褐色の目が射抜くように私を見た。
「生きてるって感じることがあるように、人って否応なく突き動かされるときがあるはずなんだ。あなたにとってはゲームをクリアした瞬間かもしれないし、私にとっては音楽を作ってる時がそう。心って、そういう時に動くものなんじゃないかな?」
「その言葉、私の名言録に入れとくよ」
過去に心が動いた瞬間はいつだったかと考える。幼い頃父と行ったテーマパークで初めてフリーフォールに乗ったとき、小学3年の時に大好きだった数学のオコナー先生が退職したとき、中学の時にチャップリンの『独裁者』のラストのスピーチを聴いたときーー。
あのときの私を鏡に映したら、きっと生きた子どもの顔をしていたに違いない。
「人の心を動かすって難しいよ。言葉ひとつとっても、いろんな感じ方の人がいる。私の曲に勇気づけられたって言ってくれる人もいれば、お前の曲は辛気臭くて聴いていられないって言う人もいる」
まるで誰にも自分の存在を知られたくないかのように帽子を目深に被ったウミは、テーブルに頬杖をついたままどこか遠くを見るような顔をした。
「だけど羨ましい。あなたはそうやって誰かを感動させられるけど、私にはそれができない。芝居は楽しいけど、時々辞めた方がいいんじゃないかって思う。感情表現が上手くできない私には、向いてないんじゃないかって」
「心が固くなりすぎて、外の刺激に反応しにくくなってるだけかもね。もしそうなったきっかけがあるんだとしたら、心を溶かすきっかけもきっとあると思うんだよね」
『リオの心の名言録』に掲載されそうな目から鱗のアドバイスを連発するウミは、先ほどから全く何も食べていない。
「てゆうか、何か食べなくて平気?」
流石に心配になって尋ねるも、彼女は苦笑いで首を振るばかりだ。
「あまり食べたいと思えなくて。家でも1日1食トースト1枚とか、シリアル少し食べればもういいやってなる」
彼女の食欲は5歳のベンとポニー以下だ。作詞作曲というハードな仕事をこなしながら、そんな食生活で身体を壊さずに生きていられることが不思議で仕方ない。
「空腹で頭働かなくなったりしないの?」
「それはないかな。かえって空腹の時の方が頭が冴えて調子がいいくらい。何かを食べると眠くなっちゃって、創作意欲がダウンする」
「へー、私は食べないとか絶対無理。よく生きてられるね、すごい多忙だろうに」
「曲作りだけが唯一のエネルギーなんだよね」
ウミはおもむろに高校時代に入院していたときの話を始めた。彼女は淡々とした語り口で、小学校の高学年のとき対人関係が上手く築けずに不登校になり、それから学校に通わずに自分の部屋に引きこもってひたすら音楽を作っていたと打ち明けた。思春期に入って一時期気分の浮き沈みや希死念慮があまりにも激しくなり、田舎の山奥にある施設でしばらく療養したこと、入院中も退院後も外との関わりを一切遮断し作曲ばかりしていたこと。16歳で作品が音楽関係者の目に止まってデビューしてから人と関わることが徐々に増えたが、未だに人間不信と恐怖心が消えないことも。
「あなたが生きていて良かったわ」
私は彼女に向かって言った。さっきの笑顔と同じ、自然に出てきた言葉だった。
もしも彼女が死んでいたらこうして向かい合って打ち明け話をすることも、一緒にゲームセンターで遊ぶこともできなかった。
ウミはハハ、と乾いた笑いを宙に浮かべたあとで、テーブルに視線を落としたまま首を傾げた。
「これ、生きてるって言えるのかな? ゾンビみたいなもんだよ、作曲をしていないときの私はまるで」
「私には、あなたは生きてる人間に見えるけど」
ウミは俯きがちだった視線を上げて、また真っ直ぐに私を見た。生きている証だ。その瞳に浮かぶ悲しみの色も、時折見せる優しい笑顔も、淡々とした語り口もーー。全てが彼女を彼女たらしめていて、彼女が『地獄』と呼ぶ世界と自分なりに向き合って生き抜いてきたことを物語っている。
「あなたと一緒にいるからかもね」
ウミは一言言って笑った。
私とウミはそのあとしばらく他愛のない話をして、どちらからともなく席を立って店を出た。
彼女のあの言葉についてはあえて深く考えないようにしていた。もしかしてという思いがなかったわけではないが、ウミが誰かに特別な感情を持つことなど人類が海王星に移住するくらいありえない。こんな考えは捨てるべきだ。彼女との関係はローラーコースターのようなものであって欲しくない。こうしてたまに会ってお互いに話したいことを好き勝手に話す。そのくらいが丁度いい。
別れ際ウミと私は連絡先を交換した。
「生存確認程度でいいから、気が向いたら連絡して」
ウミのその台詞は連絡不精な私の心を軽くした。
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