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第1章 【初咲きの夜明け】
【9話】 起き抜けのティータイム
しおりを挟む目を覚ましたアギョウの顔からは、水桶をひっくり返したような大量の汗が止めどなく溢れ出していた。
額を拭う右手からは黒色の物々しいガントレットは外されており、皮の厚くなった太やかな掌が晒されている。
それだけではない。付けていたマントや丸盾などの装備品は全て脱ぎ去られ、薄手の簡素な寝巻のみがその身体を包んでいた。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
胸元を鷲掴みにし、荒ぶる呼吸を少しずつ整える。
「ハ……ハ……ハァ」
息が落ち着いたことを確認したアギョウは、ベッドの脇に置いておいた竜の頭を象った兜を手に取り、自身の頭に押し付けるように被せた。
「……そうか。地主様の屋敷に厄介になったんだったな」
冷静さを取り戻したアギョウは、先ほどまで自身が置かれた状況を少しずつ思い出す。
アギョウが寝転がっているベッドは木製のフレームで組まれた強固な造り。
布団の中には一杯の羽毛が敷き詰められており、このワンセットだけでも農民の2年ぶんの給料が吹き飛びそうな高価な代物だ。
部屋の内装……床のカーペットから天井の漆喰に至るまで、ベッド以外の部分も高級感に溢れている。
曇り一つない透明な窓ガラスを透る陽光は白いカーテンレースに遮られ、部屋の中にダマスク模様の影を作り出していた。
「よぅ、起きたか」
その時、アギョウ一人しかいないはずの室内で、老人の声が小さく響いた。
「ああ、レイヴさん。おはようございます」
アギョウは部屋の隅に立て掛けてある大剣の方を向きながら軽く会釈をする。
まるで、その大剣に向けて挨拶をするかのように。
「久々に眠ったなぁ、アギョウ。もう昼時だぞ」
「……ええ、快眠というわけにはいきませんでしたが」
アギョウは両手を上に挙げ大きく伸びをすると、ベッドの上で軽く関節を動かし体調を確認する。
「おかげ様で傷は完璧に癒えましたよ。やはり羽毛布団は違いますね!」
「バァカ、また『碧羅垂涎』を使ったんだろう」
声の主の顔が見当たらないため表情は窺い知れないが、その語調からは呆れ、そして諦めの情が感じられた。
「さすがに今回ばかりは仕方ないでしょう」
そう言うとアギョウは首にかかった紐を指で摘み取り、寝巻の下に隠れていたペンダントを引きずり出した。
濃く深い青色をした宝石のペンダントトップは、射し込む太陽の光を反射して妖しく笑う。
「まあ、出来るだけ頼りたくはなかったんですがね、この子には」
青色のペンダントを振り子のように揺らしていると、木製の扉をノックする小気味の良い音がリズミカルに聴こえてきた。
「アギョウ~、起きてるかしら~? 入ってもよろしくて?」
直後ドアの向こうから聞こえてくる、エスカのこもった声。
「ああ、どうぞ!」
アギョウはペンダントから手を離して足に掛かっていた布団を剥がし、ベッドの上で胡座をかきながら返事を返す。
直後部屋の扉が開き、声の主であるエスカがハウスキーピングカートを押しながら静かに入ってきた。
カートの上にはティーポットとカップ、そして表面がキラリと光る綺麗な焼き菓子が載っている。恐らくアギョウのためにと用意されたものだろう。
「あら、調子は良さそうね。よかったわ」
先ほどまでの着崩された露出の多いメイド服ではなく、ハロが着ていた物と同じデザインの落ち着きある給仕服を纏った姿。
真っ青な髪や瞳と合わさり精錬されたその佇まいは、落ち着きのある貴族のような気品さを醸し出していた。
「うむ! もう完全に回復したので心配には及ばない。礼を言う!」
「血とか吐いてたのにもう完全に回復したの? さすがに早くないかしら……?」
エスカは訝しむように無遠慮にアギョウを観察するが……。
「星持ちは特別頑丈だからな! でなければあんな化け物共と殺し合いなどしていられない」
「そういう……ものなの? まあ全快してくれたっていうなら……良かったけど」
一応、表面上は納得したらしいエスカは、カートを部屋の中央まで運び、そこで足を止めた。
「……む?」
その直後、エスカの後を追うようにもう一つの人影が部屋に足を踏み入れた。
「こんにちは。アナタがアギョウさん、ですね」
入ってきたのは、白色のシャツに黒のスーツを羽織ったボーイ姿の少年。
身なりはオレンジ色の頭髪から革靴の先に至るまで隙なく整えられており、几帳面な性分が感じられる。
一見中肉中背の標準的な体格に見えるが、服の袖から覗く手は逞しく筋肉質。
鼻筋が立ち、バランスの取れた美麗な顔つき。
黒色の混じった絵具のように濃い青色の瞳は、一度見たら忘れはしないだろうと言えるほど美しく印象的だ。
……そしてそのカラーリングは、今目の前にいる彼女と重なる。
「ふむ。君が……エスカトーネくんの弟君か!」
アギョウは先程エスカが話していた家族……双子の弟の存在を思い出して指を鳴らした。
「はい。ボレアス・フィルインと申します。先刻、ウチの愚姉を助けて下さったとお聞きしたので、その礼に伺いました」
丁寧な口調で名乗ったボレアスは深く頭を下げ、アギョウに感謝の意を示す。
「本当に……本当にありがとうございました……!」
「いやいやどうもご丁寧に! しかしこれは成り行きに任せた結果ゆえ、大したことはしていない。この部屋をお借りした一宿の恩で棒引きだ」
そう言いながら大らかに笑うアギョウの態度を見たボレアスは、緊張していた顔の筋肉を僅かに弛緩させ微笑んだ。
「すいません。ワタシは見ての通り一端のボーイなので大したお返しはできないのですが……本日はどうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さい。では、ワタシたちはこれで」
そう言って部屋から去ろうとするボレアス……の頭を突如、満面の笑みを浮かべたエスカが鷲掴みにした。
「ちょいちょいボレアス。せっかくアギョウが元気になったのよ? 『星持ち』のアギョウさんが」
ボレアスの頭を無理やりカートの方向へと捻りながら凄むエスカ。
「せっかくの休憩時間。優雅にお茶に舌鼓を打ちながらみんなでお話しをしましょう」
こんな田舎の領地では娯楽も限られ、従者も時間を持て余してしまう事態が頻繁に起こる。
屋内ではチェスか読書くらいしかやることがないのだが……長年代わり映えしない日常にエスカもボレアスも既に飽きてしまっている。
そのため、稀に訪れる遠方からの旅人の話も、屋敷の人間にとっては退屈な日々に刺激を与える重要なツールなのである。
「あ? 僕たちがいたらアギョウさんが落ち着いて休めないだろが」
姉と会話を始めた途端に砕けた口調になるボレアスに若干戸惑いつつも、アギョウは二人の会話に割って入った。
「いや、丁度私もキミたちと話したいと思っていた。ボレアスくんさえ良ければ、ご一緒にどうかな?」
「え!?」
アギョウの意外な反応に、ボレアスが瞳孔を開き驚嘆する。
「ほらほら、ご本人の許可も頂いたことだし我慢しなくて良いのよ。星持ちの人とお話ししたかったんでしょ」
「バ、バカ! 余計なこと言うなよなぁもう!」
焦りながら悪態を吐くボレアスだが、顔がニヤつくのを抑え切れていない。声色も明らかに緩くなっている。
「隠さなくても良い。君が星持ちに関心を寄せていることは既にエスカトーネくんから聞いているからね!」
アギョウのダメ押しを喰らったボレアスはもうダメだと言わんばかりに、顔を赤らめながら俯いた。
「うぐぐ……ほ、本当にいいんですか?」
「勿論! そんなにかしこまらなくて良い。少し話をするだけだからね」
ボレアスが折れたことを確認したエスカは調子良くステップを踏むように部屋の中を移動すると、造り付けの埋込収納棚の前に移動する。
「さて、そうと決まればティーパーティの準備をしましょう」
そう言いながら棚の扉を開け放ち、中から小さなラウンドテーブルを引きずり出した。
「ちょっとそこで待っててちょうだい。すぐに広げるから~」
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