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モロ国
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◇モロ国◇
「ん~! いい天気だなぁ!!」
俺はよく晴れた空に向かって、背伸びをした。
体調はすこぶるよく身体も軽い。肩に大きな樽を担ぎながら、えっせほっせと、石畳の街を歩いていく。
広々した通りには市場が立ち、新鮮な海の幸が並んでいる。田舎の港町だが、それなりに人が行き交い、活気に満ちていた。
「よぉコバちゃん! 今日もちっちゃいのによく動くなあ! 店の手伝いかい?」
魚やの親父が声をかけてくる。俺は笑って頷き、肩の樽を少し持ち上げて見せた。
「おはよう、クマのおっちゃん! そうだ、店の手伝いさ! おっちゃんも何か手伝うことがあれば言っておくれよ」
黒い毛に覆われたクマの獣人。
俺の倍以上の大きさの獣人だが、爪は綺麗に切り整えられ、牙も自分に剝くことはないと知っている。喋るクマ──それは愛嬌があって、見慣れた昨今では怯えることもない。
獣人も人と同じで良し悪しがあるが、むやみやたらに怖がる必要もないのだと──大陸を渡って、一年と少し。
いつしか街中でよく声をかけてもらえるようになった。気さくな街の人達。ルムダン国と違って、ここにはスラム街が存在しない。
「その時は声をかける。あぁ、これ、ルイーダさんに持っていってくれ」
クマのおっちゃんは、貝をザルごと、俺に手渡してくれる。ザルはあとで返却だそう。
「ありがとう! ルイーダさんも喜ぶよ!」
両手が塞がっているので、とびっきりの笑顔を見せて、その場を後にした。
赤レンガのお店には、《ルイーダおばさんの菓子工房》と看板が立ててある。
茶色い扉を押せば、白髪交じりの女店主がふんわりと微笑んだ。
「おつかいご苦労様」
「ルイーダさん、これクマのおっちゃんから」
「まぁ、大きな貝だこと! 酒蒸しかしら」
「いいね。この樽はどこに置いたらいい?」
「店の手前に置いてちょうだい」
樽をころころと転がして、甘い匂いが漂う店内に入ると、ルイーダさんが水を差しだしてくれる。
「おかえりなさい」
おかえり──
ルムダンでは馴染みのない言葉にも、すっかり慣れた。
振り返ると、いつも優しい微笑みがある。くるくる巻き毛に笑いシワが可愛い人。甘い香りが漂う店内には、沢山の焼き菓子が並んでいる。
俺は今、ルイーダさんの手伝いをしながら、ここで暮らしていた。
「ルイーダさん、今日、三件注文が入っているよ。それから栗の下ごしらえは、朝起きてしておいたから」
「あら。そんなにテキパキ要領よく下準備されたら、私、コバちゃんの虜になっちゃうわ」
「俺はすっかりメロメロだよ──まぁ、ここにきて一年以上経つからね」
──今から一年三か月前。
手筈通り、俺は貨物船に乗り込み、ルムダン国を出た。
風向きも天候もよく、その貨物船は僅か三日で、大陸の南に位置するモロという国に到着した。
「──う。うぷっ、おえ。キモチワル……」
初めての船に船酔いしていた。
まだ船の中にいるようだ。足を前に進むが、ゆらゆらと揺れている。モロ国に着いて、数歩も進まずしてその場に横たわった。
もう二度と船には乗りたくない。
瞼を閉じて、そのまま一休みしようと思ったとき、足音がこちらに止まった。
「貴方、ずっと寝てらっしゃるけど大丈夫?」
『貴方』『いらっしゃる』聞き慣れないが、自分に対して言われない言葉なので、疑問を持ちつつ瞼を開けた。真上にいるのは、上品な貴婦人だ。
「あら、子供じゃない? おひとり?」
「ううん……あー、うん。ひとりだけど、子供じゃないです」
「そうなのね。寝ていらっしゃるのは、ご気分が悪いのかしら?」
「え、……えっと、うん?」
モロ国の人は……なんというか、ひらひら、ふわふわしているんだな。
ルムダン国では、身なりの整った者たちは、身分の低き者に声をかけることすらしない。
「差し出がましいけれど、貴方、横になるならベッドの上の方がいいわ。よかったら、私の店で休憩されたらいかがかしら?」
そう言って、しわくちゃの手を差し出されたもので、「ひぇえ……」と声が漏れた。
この人、警戒心がなさすぎる。
俺みたいな薄汚れた奴を相手にしたら、危ないだろう。スリに合うとか考えないのか? いや、この人自身が悪い人で、俺のことをカモにしようと……?
「天然か詐欺かどっちか俺には分かんないけど、俺みたいな奴には気を付けた方がいい──あっと、いや。いいです? ごめんなさい。あんまり敬語が上手くなくて」
「ふふっ。息子たちにも言われたわぁ。私こそ、名乗りもしないで驚かせたわね。ルイーダ・ベイクトルと申します。この先で焼き菓子屋を営んでいるの」
詐欺だと言ってみたが、目の前の女性はそんな風には全く見えない。
人を欺くなんてこと──なんとなく、しないんじゃないかな。
のっそりと上体を起こすと、そっと夫人は俺の背中を撫でてくれた。
「えーっと」
「休憩した後は、私のお話相手になってくださらない? ね、そうしましょ」
「はぁ……じゃあ」
きゃっきゃと少女のように話す彼女に俺の警戒心が抜け落ちた。
ほんの一息、休憩させてもらおう。
そのつもりだったが、彼女の家に着いて、ベッドに横になったあと──あまりに早すぎる陣痛がやってきた。
それからは嵐だった。
「貴方! 妊娠していたのね!」
痛みで身動きできず、頷くと「やっぱり」と声を上げる。
ルイーダさんは、はじめから俺が身重だと気付いていた。だから、声をかけて休ませようとここへ
連れてきてくれたのだ。
緊迫した状況で医者を呼ぶこともままならないまま、彼女はそばにいてくれた。気を紛らわすためなのか、彼女は身の上話をしてくれ「息子夫婦の出産時も立ち会ったのよ。このルイーダさんに任せてちょうだい」と力づけてくれる。
力の抜きとき「ふぅふぅ!」力を入れるとき「今よ!」。その声にただただ従っていると──、ルイーダさの弾んだ声が、耳に飛び込んできた。
俺はとても、とてつもなく運がよかった。
「んまあ、まあ! なんて可愛いんでしょう! どうやったらこんな可愛い子を産めるのかしら。愛らしいわねぇ。とっても可愛いわぁ!」
真横でルイーダさんが大袈裟なほど喜んで祝福してくれたのだ。こんなに有難いことはない。彼女の言葉は俺の心に沁み込んで──一瞬で、救われた。
「あ、りが……ありが、とう」
ぼろぼろと涙で視界が揺れながら、彼女の手の中にある黄金の毛並みを見た。見たことのない動物。だけど……
「かわい、ね」
「本当に。世界一可愛いわね」
彼女はそっと俺の胸に子供を乗せてくれた。
小さなぬくもりに触れた瞬間、もう、とうとう俺は声を上げて泣いた。
泣いて泣いて、泣き止む前に──今までの事情も全部包み隠さず彼女に話したくなった。
「そう。遠いところからやってきたのね」
「うんっ、船に乗って……」
「まぁ。貴方って、頑張りすぎじゃないかしら。少し休んでもいいと思うの。うちにいらっしゃい。結婚して出て行った息子たちの部屋があるわ」
「……」
ほんの一瞬──頑張ったと褒められたい人は、ルイーダさんではないと思った。
けれど、言われたかったその一言に、心が温まる。
「……俺、コバと言います。じゃあ……少しだけ……置いてください」
「えぇ、いらっしゃい」
ルイーダさんは、一人暮らしで淋しかったから丁度良かったのだと、笑って迎えてくれた。
◇
ふんわりと甘い香りに包まれた店内。
そこには宝石のような美しい焼き菓子がずらりと並べられている。甘さは控えめだけど、バターのコクが舌に残る。季節のジャムを使ったお菓子も絶品だ。
ルイーダの菓子工房は、港町でこの店を知らない人はいないほどの有名店だ。正午に開店すると同時にお客さんがぞろぞろと入ってきて、早い日はほんの数時間で売り切れてしまう。
「ごめんなさい。今日は売り切れなんだ」
今日はたまたまその日で、俺は客に深々と頭を下げた。
そして、お店の前の看板を“営業中”から“本日終了”に変更する。
「コバちゃん、お疲れ様。こっちへいらっしゃい」
店の奥の部屋から、ルイーダさんの呼ぶ声が響く。
「はーい。あ」
部屋の扉を開けると、ふわっとしたものが足にくっついた。
黄金のふわふわの毛並みで、丸い耳、ひょろりと長い尻尾。笑っているように上がった口角。
「起きたのか、おはよう」
声をかけると、くっついているふわふわは、「がう」と鳴く。そしてすりすりと頭を足に擦りつけてくる。
“だっこ”という強請りだと分かるのは、俺が彼の親だからだろうか。
「ライ」
自分の子の名を呼び、抱き上げた。黄金の瞳がキラキラしている。
ライは獅子だ。一歳三か月。両手にすっぽり入るサイズだ。
獣人は同じ種族でも獣の割合が違う。ライは獣人の割合が多く、今は獅子にしか見えない。徐々に手足や胴体が獣人らしいものへと成長していくらしい。
「コバちゃん、ライちゃんおやつがあるから一緒にお食べなさい」
「あっ、それならルイーダさんも休憩に入って……ん?」
手にとろりとしたものが……。ライが涎を垂らしている。おやつの言葉に反応したのか。
「ふふ。ライちゃんはしっかり食べるから、大きく鳴るのが早いわねぇ」
「うん、力も強くなってきたよ」
いつも彼女は、ライを見て「少し、大きくなったかしら?」「足ががっしりとしてきたわ」と声をかけてくれる。きっと、俺だけでは成長を見逃してばかりだろう。
「けど、そろそろかな」
「まだいいわよ」
「……うん」
今から一年三か月前。
この家で暮し始めてすぐの頃、あまりの居心地のよさに、ここで暮らす期限を決めていた。
“二年間”
そのあとスビラ王国に移り住んで、子連れでもできる仕事を紹介してもらう。まずはこの子との暮らしを安定させるために、金を稼ぐ。そのあとスーリャにもちゃんと返す。
「ぎゃう~」
服をがぶりと噛まれて、早くおやつを食べたいと急かされる。
俺とルイーダさんは苦笑いして、キッチンへと向かった。
お腹が満たれたあとは、勉強ついでにライに絵本を読む。簡単な絵本は読めるけれど、童話になると少し難しい。
文字が睡眠導入剤だ。うとうとしていたら、ライの寝息が耳に入る。
俺はまんまるな耳を触りながら瞼を閉じる。夢と現のあわい──
そっくりだ。
そのとき、ぽつりと雨の音がしたので、はっと飛び上がるように身を起こした。
周囲を見渡して、横にライがいるのを確認してほっと息を吐く。
「……雨か」
小さな身体をゆったりと撫で、立ち上がった。小さい庭に通じるドアを開け外に出ると、洗濯物が風に大きく揺られている。
洗濯物を抱えたまま見上げると、それには鈍色の雲が広がっていた。
「これは、大きな嵐がくるな」
「ん~! いい天気だなぁ!!」
俺はよく晴れた空に向かって、背伸びをした。
体調はすこぶるよく身体も軽い。肩に大きな樽を担ぎながら、えっせほっせと、石畳の街を歩いていく。
広々した通りには市場が立ち、新鮮な海の幸が並んでいる。田舎の港町だが、それなりに人が行き交い、活気に満ちていた。
「よぉコバちゃん! 今日もちっちゃいのによく動くなあ! 店の手伝いかい?」
魚やの親父が声をかけてくる。俺は笑って頷き、肩の樽を少し持ち上げて見せた。
「おはよう、クマのおっちゃん! そうだ、店の手伝いさ! おっちゃんも何か手伝うことがあれば言っておくれよ」
黒い毛に覆われたクマの獣人。
俺の倍以上の大きさの獣人だが、爪は綺麗に切り整えられ、牙も自分に剝くことはないと知っている。喋るクマ──それは愛嬌があって、見慣れた昨今では怯えることもない。
獣人も人と同じで良し悪しがあるが、むやみやたらに怖がる必要もないのだと──大陸を渡って、一年と少し。
いつしか街中でよく声をかけてもらえるようになった。気さくな街の人達。ルムダン国と違って、ここにはスラム街が存在しない。
「その時は声をかける。あぁ、これ、ルイーダさんに持っていってくれ」
クマのおっちゃんは、貝をザルごと、俺に手渡してくれる。ザルはあとで返却だそう。
「ありがとう! ルイーダさんも喜ぶよ!」
両手が塞がっているので、とびっきりの笑顔を見せて、その場を後にした。
赤レンガのお店には、《ルイーダおばさんの菓子工房》と看板が立ててある。
茶色い扉を押せば、白髪交じりの女店主がふんわりと微笑んだ。
「おつかいご苦労様」
「ルイーダさん、これクマのおっちゃんから」
「まぁ、大きな貝だこと! 酒蒸しかしら」
「いいね。この樽はどこに置いたらいい?」
「店の手前に置いてちょうだい」
樽をころころと転がして、甘い匂いが漂う店内に入ると、ルイーダさんが水を差しだしてくれる。
「おかえりなさい」
おかえり──
ルムダンでは馴染みのない言葉にも、すっかり慣れた。
振り返ると、いつも優しい微笑みがある。くるくる巻き毛に笑いシワが可愛い人。甘い香りが漂う店内には、沢山の焼き菓子が並んでいる。
俺は今、ルイーダさんの手伝いをしながら、ここで暮らしていた。
「ルイーダさん、今日、三件注文が入っているよ。それから栗の下ごしらえは、朝起きてしておいたから」
「あら。そんなにテキパキ要領よく下準備されたら、私、コバちゃんの虜になっちゃうわ」
「俺はすっかりメロメロだよ──まぁ、ここにきて一年以上経つからね」
──今から一年三か月前。
手筈通り、俺は貨物船に乗り込み、ルムダン国を出た。
風向きも天候もよく、その貨物船は僅か三日で、大陸の南に位置するモロという国に到着した。
「──う。うぷっ、おえ。キモチワル……」
初めての船に船酔いしていた。
まだ船の中にいるようだ。足を前に進むが、ゆらゆらと揺れている。モロ国に着いて、数歩も進まずしてその場に横たわった。
もう二度と船には乗りたくない。
瞼を閉じて、そのまま一休みしようと思ったとき、足音がこちらに止まった。
「貴方、ずっと寝てらっしゃるけど大丈夫?」
『貴方』『いらっしゃる』聞き慣れないが、自分に対して言われない言葉なので、疑問を持ちつつ瞼を開けた。真上にいるのは、上品な貴婦人だ。
「あら、子供じゃない? おひとり?」
「ううん……あー、うん。ひとりだけど、子供じゃないです」
「そうなのね。寝ていらっしゃるのは、ご気分が悪いのかしら?」
「え、……えっと、うん?」
モロ国の人は……なんというか、ひらひら、ふわふわしているんだな。
ルムダン国では、身なりの整った者たちは、身分の低き者に声をかけることすらしない。
「差し出がましいけれど、貴方、横になるならベッドの上の方がいいわ。よかったら、私の店で休憩されたらいかがかしら?」
そう言って、しわくちゃの手を差し出されたもので、「ひぇえ……」と声が漏れた。
この人、警戒心がなさすぎる。
俺みたいな薄汚れた奴を相手にしたら、危ないだろう。スリに合うとか考えないのか? いや、この人自身が悪い人で、俺のことをカモにしようと……?
「天然か詐欺かどっちか俺には分かんないけど、俺みたいな奴には気を付けた方がいい──あっと、いや。いいです? ごめんなさい。あんまり敬語が上手くなくて」
「ふふっ。息子たちにも言われたわぁ。私こそ、名乗りもしないで驚かせたわね。ルイーダ・ベイクトルと申します。この先で焼き菓子屋を営んでいるの」
詐欺だと言ってみたが、目の前の女性はそんな風には全く見えない。
人を欺くなんてこと──なんとなく、しないんじゃないかな。
のっそりと上体を起こすと、そっと夫人は俺の背中を撫でてくれた。
「えーっと」
「休憩した後は、私のお話相手になってくださらない? ね、そうしましょ」
「はぁ……じゃあ」
きゃっきゃと少女のように話す彼女に俺の警戒心が抜け落ちた。
ほんの一息、休憩させてもらおう。
そのつもりだったが、彼女の家に着いて、ベッドに横になったあと──あまりに早すぎる陣痛がやってきた。
それからは嵐だった。
「貴方! 妊娠していたのね!」
痛みで身動きできず、頷くと「やっぱり」と声を上げる。
ルイーダさんは、はじめから俺が身重だと気付いていた。だから、声をかけて休ませようとここへ
連れてきてくれたのだ。
緊迫した状況で医者を呼ぶこともままならないまま、彼女はそばにいてくれた。気を紛らわすためなのか、彼女は身の上話をしてくれ「息子夫婦の出産時も立ち会ったのよ。このルイーダさんに任せてちょうだい」と力づけてくれる。
力の抜きとき「ふぅふぅ!」力を入れるとき「今よ!」。その声にただただ従っていると──、ルイーダさの弾んだ声が、耳に飛び込んできた。
俺はとても、とてつもなく運がよかった。
「んまあ、まあ! なんて可愛いんでしょう! どうやったらこんな可愛い子を産めるのかしら。愛らしいわねぇ。とっても可愛いわぁ!」
真横でルイーダさんが大袈裟なほど喜んで祝福してくれたのだ。こんなに有難いことはない。彼女の言葉は俺の心に沁み込んで──一瞬で、救われた。
「あ、りが……ありが、とう」
ぼろぼろと涙で視界が揺れながら、彼女の手の中にある黄金の毛並みを見た。見たことのない動物。だけど……
「かわい、ね」
「本当に。世界一可愛いわね」
彼女はそっと俺の胸に子供を乗せてくれた。
小さなぬくもりに触れた瞬間、もう、とうとう俺は声を上げて泣いた。
泣いて泣いて、泣き止む前に──今までの事情も全部包み隠さず彼女に話したくなった。
「そう。遠いところからやってきたのね」
「うんっ、船に乗って……」
「まぁ。貴方って、頑張りすぎじゃないかしら。少し休んでもいいと思うの。うちにいらっしゃい。結婚して出て行った息子たちの部屋があるわ」
「……」
ほんの一瞬──頑張ったと褒められたい人は、ルイーダさんではないと思った。
けれど、言われたかったその一言に、心が温まる。
「……俺、コバと言います。じゃあ……少しだけ……置いてください」
「えぇ、いらっしゃい」
ルイーダさんは、一人暮らしで淋しかったから丁度良かったのだと、笑って迎えてくれた。
◇
ふんわりと甘い香りに包まれた店内。
そこには宝石のような美しい焼き菓子がずらりと並べられている。甘さは控えめだけど、バターのコクが舌に残る。季節のジャムを使ったお菓子も絶品だ。
ルイーダの菓子工房は、港町でこの店を知らない人はいないほどの有名店だ。正午に開店すると同時にお客さんがぞろぞろと入ってきて、早い日はほんの数時間で売り切れてしまう。
「ごめんなさい。今日は売り切れなんだ」
今日はたまたまその日で、俺は客に深々と頭を下げた。
そして、お店の前の看板を“営業中”から“本日終了”に変更する。
「コバちゃん、お疲れ様。こっちへいらっしゃい」
店の奥の部屋から、ルイーダさんの呼ぶ声が響く。
「はーい。あ」
部屋の扉を開けると、ふわっとしたものが足にくっついた。
黄金のふわふわの毛並みで、丸い耳、ひょろりと長い尻尾。笑っているように上がった口角。
「起きたのか、おはよう」
声をかけると、くっついているふわふわは、「がう」と鳴く。そしてすりすりと頭を足に擦りつけてくる。
“だっこ”という強請りだと分かるのは、俺が彼の親だからだろうか。
「ライ」
自分の子の名を呼び、抱き上げた。黄金の瞳がキラキラしている。
ライは獅子だ。一歳三か月。両手にすっぽり入るサイズだ。
獣人は同じ種族でも獣の割合が違う。ライは獣人の割合が多く、今は獅子にしか見えない。徐々に手足や胴体が獣人らしいものへと成長していくらしい。
「コバちゃん、ライちゃんおやつがあるから一緒にお食べなさい」
「あっ、それならルイーダさんも休憩に入って……ん?」
手にとろりとしたものが……。ライが涎を垂らしている。おやつの言葉に反応したのか。
「ふふ。ライちゃんはしっかり食べるから、大きく鳴るのが早いわねぇ」
「うん、力も強くなってきたよ」
いつも彼女は、ライを見て「少し、大きくなったかしら?」「足ががっしりとしてきたわ」と声をかけてくれる。きっと、俺だけでは成長を見逃してばかりだろう。
「けど、そろそろかな」
「まだいいわよ」
「……うん」
今から一年三か月前。
この家で暮し始めてすぐの頃、あまりの居心地のよさに、ここで暮らす期限を決めていた。
“二年間”
そのあとスビラ王国に移り住んで、子連れでもできる仕事を紹介してもらう。まずはこの子との暮らしを安定させるために、金を稼ぐ。そのあとスーリャにもちゃんと返す。
「ぎゃう~」
服をがぶりと噛まれて、早くおやつを食べたいと急かされる。
俺とルイーダさんは苦笑いして、キッチンへと向かった。
お腹が満たれたあとは、勉強ついでにライに絵本を読む。簡単な絵本は読めるけれど、童話になると少し難しい。
文字が睡眠導入剤だ。うとうとしていたら、ライの寝息が耳に入る。
俺はまんまるな耳を触りながら瞼を閉じる。夢と現のあわい──
そっくりだ。
そのとき、ぽつりと雨の音がしたので、はっと飛び上がるように身を起こした。
周囲を見渡して、横にライがいるのを確認してほっと息を吐く。
「……雨か」
小さな身体をゆったりと撫で、立ち上がった。小さい庭に通じるドアを開け外に出ると、洗濯物が風に大きく揺られている。
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